第19話 変革の始まり

ルナとテジュンはジェハン財閥本社を出たあと、二人だけのオフィスに戻った。静かな空間に、再建への緊張と期待が漂っていた。机の上には、次に取り組むべきプロジェクトの資料が山積みされている。


ルナはオフィスの窓から外の景色を見つめ、しばらく考え込んだ。「今日の会議、まずまずのスタートね。だけど、まだ全員を説得できたわけじゃない。」


テジュンはデスクに腰を下ろし、手元の資料をパラパラとめくりながら答えた。「ああ、けど少なくとも、我々のビジョンを少しずつ受け入れ始めた。これからが本当の勝負だ。」


「それにしても、抵抗は予想以上に大きいわね。」ルナは苦笑いを浮かべた。「でも、それは覚悟していたこと。私たちが一歩踏み出せば、何かしらの反発があるのは当然だわ。」


テジュンも苦笑いを返し、立ち上がって窓際に向かった。「まだ何も成し遂げていない。ここからが本番だ。どんなに困難が待ち受けていても、俺たちは進むしかない。」


その時、オフィスのドアが静かにノックされた。ルナとテジュンは互いに顔を見合わせた。


「どうぞ。」ルナが言うと、秘書がドアを開けて入ってきた。


「失礼します。緊急の電話が入っております。大統領補佐官からの電話です。」秘書が少し戸惑いながら報告する。


「大統領補佐官?」ルナとテジュンは目を見開いた。大統領府からの電話など、まさか自分たちが関わることになるとは思ってもみなかった。


「繋いでくれ。」テジュンが指示を出すと、すぐに秘書が電話をルナの机の上に置いた。ルナは少し緊張しながら受話器を取り、慎重に応じた。


「もしもし、ルナ・カンです。」


受話器の向こうから、冷静で威厳のある男性の声が聞こえてきた。「ルナ・カン、あなたの働きには敬意を表します。ジェハン財閥を再建しようとしている姿勢に感銘を受けました。しかし、あなたにお伝えしなければならないことがあります。」


ルナは息をのんだ。「何でしょうか?」


「私たちは、あなたの財閥再建に賛成していますが、一部の高官たちはその過程に不満を持っている。特に、あなた方のやり方が、政府との関係に悪影響を与えるのではないかと懸念している者もいるのです。」


ルナの顔が緊張にこわばる。「つまり、私たちの改革が政府にとって脅威だと?」


「そうとも言えます。」補佐官は淡々と答えた。「今後の進展次第では、財閥が政府の重要な取引から外される可能性もあります。ですから、慎重に行動されることをお勧めします。」


テジュンは電話越しにその言葉を聞き、眉をひそめた。「これは警告か?」


ルナは冷静さを保ちながら応じた。「ありがとうございます、補佐官。私たちは政府との協力を大切にしています。ですが、ジェハン財閥の再建は私たちの責任です。改革を進めるためには、いかなる障害も避けられないと理解しています。」


「その覚悟があるなら、私はこれ以上言うことはありません。」補佐官の声は少し冷たさを増した。「ただ、あなた方の行動が引き起こす結果に責任を負う覚悟を持ってください。政府もまた、その結果に対処する準備があるのです。」


電話が切れた瞬間、ルナは深く息を吐き出した。「どうやら、私たちの改革は本格的に目をつけられているわね。」


テジュンも同じく肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。「大統領府からの警告か…。だが、俺たちは後には引けない。」


「ええ。どんな脅威が待ち受けていようと、私たちは進み続ける。」ルナは再び窓の外を見つめた。「もう後戻りはできないわ。」


---


ソウルの夜空には灰色の雲が立ち込め、冷たい雨が静かに街を濡らしていた。ジェハン財閥本社の最上階にあるCEOオフィスの窓から、ルナ・カンはその光景を無表情で見つめていた。かつて繁栄を極めたこの財閥の象徴であったそのビルは、今や不祥事と腐敗の象徴として世間の目を引き、財閥の未来はまさに崩壊寸前にあった。


彼女の背後では、テジュン・カンが重苦しい沈黙を破るように歩み寄ってきた。兄妹である彼らは、今、財閥の運命を左右する重大な選択を迫られていた。


「ルナ、どうするつもりだ?」テジュンが低い声で問いかけた。


ルナは一瞬だけ彼に目を向けたが、再び窓の外に視線を戻した。「父さんのやり方を続けるわけにはいかない。ジェハン財閥はもう終わったのよ。私たちが何とかしなければ、崩壊するのは時間の問題だわ。」


彼女の声には冷たさがあったが、その裏には深い苦悩が隠されていた。父親であるカン・ジョンウが長年築いてきた財閥は、今や巨大な不正の温床となり、その闇は深く財閥を蝕んでいた。政府との裏取引、組織犯罪との繋がり、不正な取引…。父の罪が次々と暴かれ、財閥は世間からの信頼を完全に失っていた。


「でも、全てを壊してしまうのか?」テジュンは疑念を口にした。「ジェハン財閥には、多くの人が関わっている。父さんだけの罪じゃない。ここで働いている人たちまで道連れにするつもりか?」


ルナはため息をつき、再びテジュンに向き直った。彼の言葉に一理あることは理解していた。しかし、彼女の胸には母親、ソン・ジヨンの死にまつわる深い苦悩があった。母が何故亡くなったのか、その真相は未だ謎に包まれているが、母が財閥の闇に気づき、それを暴こうとして命を落としたのだと、ルナは確信していた。


「私たちには選択肢がないわ。」ルナは、冷静でありながらも強い決意を込めて言った。「母さんが命を懸けて守ろうとしたものを無駄にしたくない。ジェハン財閥がこのまま腐敗し続けるのを見過ごすことなんてできない。何としても再建する。クリーンで、母さんが目指した正しい財閥に。」


テジュンはルナの言葉に耳を傾けながらも、心の中で葛藤していた。彼はこれまで経営にはほとんど関わらず、父の影の下で平凡な人生を送ってきた。しかし、ルナがこうして財閥の再建に立ち向かう決意を固めたことで、自分も彼女と共に戦うしかないと感じ始めていた。


「でも、それをやるには敵が多すぎる。」テジュンは眉をひそめた。「財閥の内部には古い体制を守ろうとする者たちがいるし、政府も俺たちの改革に賛成しているわけじゃない。それどころか、妨害してくる可能性が高い。」


「分かってる。」ルナは一瞬目を閉じ、考えを整理した。「だからこそ、私たちがリーダーになる必要があるの。誰にも邪魔されないように、この手で財閥を掌握する。そして、腐敗の根を一掃する。」


その言葉には、彼女が抱える重圧と覚悟が詰まっていた。ルナは父の影に怯えることなく、彼が築いたものを壊し、自らの手で新たな財閥を築く決意を固めていた。しかし、彼女がこれから向き合わなければならない敵は、想像を超える強大な力を持っている。


その時、オフィスのドアが静かに開かれ、財閥の古参幹部、イ・ジンソクが入ってきた。彼の顔にはいつも通りの厳しい表情が浮かんでいる。


「ルナ、テジュン。」彼は彼らに視線を向け、低い声で言った。「次の取締役会議の準備が整った。君たちの提案を聞く準備ができているが、忘れるな。ジェハン財閥の未来は君たちだけのものじゃない。慎重に行動することだ。」


ルナはその言葉を受け流しながらも、内心では苛立ちを感じていた。イ・ジンソクのような古参幹部たちは、父のやり方に従い続け、改革に反対している。彼らは利益と権力に固執し、ジェハン財閥を守るためには腐敗をも見過ごしてきた。


「取締役会で話すことは決まっているわ。」ルナは毅然とした態度で言った。「ジェハン財閥を清算し、新たに生まれ変わらせるための改革を進める。それが私たちのビジョンです。」


イ・ジンソクは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに冷ややかな笑みを浮かべた。「そのビジョンが通るかどうかは分からないが、君の情熱は感じている。だが、全てが君の思い通りにはいかないことを理解しておくべきだ。」


そう言い残し、彼は静かに部屋を後にした。


ルナとテジュンは、彼が去った後の重い沈黙の中でお互いを見つめ合った。二人の間には、これから訪れる戦いへの覚悟と恐れが入り混じっていた。


「どうする?」テジュンが再び問いかける。


ルナは力強く頷いた。「私たちはもう後戻りできない。ジェハン財閥を変えるのは、今しかない。」


そして、兄妹は静かに歩き出した。ジェハン財閥の改革は、今まさに始まろうとしていたが、それがどれほど過酷な道のりになるかは、まだ誰にも分からなかった。

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