うさぎの星

 鼻の当たりがくすぐったくて、カラスマははっと目を覚ました。目の前が真っ白だ。

 もしかして僕は死んでしまったのかと、カラスマはまた気を失いそうになって、でも随分と頭が重いように感じた。

 顔を触ろうとすると、モフっと手触りのいい毛並みの感触。

「う、うさぎだぁ」

 両手でそのうさぎを持ち上げた。

 鼻を小刻みに動かす白い毛並みに真っ赤な瞳のうさぎは、次の動作で手をすっとすり抜けて船の外へ出ていってしまった。

 ハッチは開いていて、あれ、マリアはどこへ行ったのだろうか。

 立ち上がって船の外は出ると、そこは一面の草原だった。空はまるで夕暮れのような橙色で、草はそれに反射して黄金に輝いていた。

 そして、そこらにいる白い毛並みのうさぎが、ぴょこぴょこと楽しそうに跳ねている。

「あら、カラスマ、起きたのね」

 後ろから近付いてきたマリアは、やはり一匹のうさぎを抱きかかえて小走りをしてきた。

「何かね、私たち不時着したみたいなのよ 」

「そりゃ、大変だね。ここは、月じゃないんだよね?」

 てっきりうさぎがいるのだから、月なのかと思ったが、しかし、僕たちは月とは別の方向に進んでいってしまったんだから、ここが月なわけは無かった。

「早く船に乗って、月に向かおう」

「それがねぇ、もう動かないのだわ」

「なぜ分かるんだい?」

「あの人がねぇ、教えてくれたのよ。とても親切で、うさぎにも好かれている人なのよ」

 マリアが指さした先にいたのは、ハット帽で顔を隠して、仰向けに寝転がった背広の男だった。

「おおい、ライムさん、カラスマが起きましたよ!」

 手で輪っかを作って大きな声でマリアが呼びかけると、男は帽子を手で取り上げて体を起こした。

 そして立ち上がりこっちに近づいてくる。

 遠かったから小さく見えたけれど、しかし、近付いてみるとなんとも大きな人で。

 多分、百九十センチはあるのでは無いだろうか。

「やあ、初めまして。私は、ライムと申します」

 背と同じく大きな手を差し出した。

「カラスマと言います。どうぞ、よろしく」

 僕が手を握ると、大きな手は優しく、力強く僕の手を包み込んだ。

「なあ、カラスマくん。君たちは月に行くんだね?」

「はい、そうです」

「ここはねぇ、月からは少し離れてしまっている場所なんだよ。だから、ここは僕達のように話せる生き物が居ないんだよ」

 辺りには、たしかに、僕らとうさぎ以外見当たらなかった。

 そしてどうやら、このライムは、ここら辺に詳しい人のようだった。

「私は、ちょうど朝に近くの大きな町のある星に行こうと思っていたんだが、君たちも連れて行ってあげよう。そこへ行けば、月へも行けるはずさ」

「本当ですか! それはどうも、親切にありがとう」

 カラスマは嬉しくなって、空の色のように顔を赤くして、うさぎのようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「あと、あと三時間、迎えの船が来るはずだから、少し待っていてくれ」

「明日なんじゃないんですか? まだ夕方じゃないですか」

 カラスマが不思議そうに聞くと、ライムも目を丸くして、その後にああそうかと頷いた。

 そして、真っ赤な空を指さして笑った。

「これは、地上で言うところの「夕方」では無いんだよ」

 ライムは背広のポケットから小さく折りたたまれた布と、糸を取り出した。その布を広げると、どうやら骨組みがあって、それは凧であった。

 凧の骨組みには、本当に小さい、少しばかりの瓶が括り付けられていた。

「そうれ、見ていてごらん」

 ライムは凧をひょいと投げると、それはぐんぐんと上に上がっていった。

 優に三十メートルは越えたであろう高さになった。

「ちゃんと見ておくんだよ」

 ライムは笑って言う。手元でクルクルと糸を伸ばして言って、するとあるところで、ぽすっと空に穴が空いた。

 凧は見えなくなって、空中から糸が垂れている状態になった。

 そして、カラスマとマリアが口を開けていると、「それ」とライムは糸を思い切り巻き始めた。

 また空に穴が空き、糸を手繰ってライムに引き寄せられる。

 そして手元に凧が来ると、ライムは急いで瓶に蓋をした。

「何が何だかさっぱり分かりません」

 マリアがそう言った。

「その瓶に何が入っているんです?」

 背の高いライムの持つ瓶は、二人には見えなかった。

「これを見てご覧」

 ライムは屈んで、凧から取った瓶を人差し指と親指でつまんで二人に見せる。

 その瓶には、真っ赤なもくもくとした何かが入っていた。

「この星の雲は、赤く光っているんだよ。一日中ね。だから、まるで一日中夕方のような景色なんだよ」

 二人はその雲をまじまじと見つめた。

 こんなものを見た事は、無かった。

「この星は一年中曇っているから、外からは中がどうなっているのか見えないんだよ。だから私は、雲の下を観察しに来たんだ」

 そうしたら、君たちが落ちてきたんだよ、と笑った。

 カラスマは恥ずかしくなり、「ごめんなさい」と謝るが、ライムは首を振った。

「まさかの子たちと接触できるなんて、私はついていたよ」

 その言葉の意味が二人には理解できなかったが、ライムは構わずに瓶をポケットにしまった。そして、後ろの船を見上げた。

「君達が乗っている船は変わった形をしているね」

「これは、変なんですか?」

 カラスマが問うと、ライムは首を振った。

「私は船乗りじゃあないから、なんとも言えないけどね。とても大きいし、こんな形のは、見た事がないなぁ。それだけに、壊れてしまってここに置いていくのは残念だよ」

 船に近づく。冷たくなった船に手を当てて、寂しいような顔をした。こうして見ると、確かに、ライムよりふた周りほど大きな船である。

 中は思ったより狭いのになぁ。

「まあ、それはいいとしても。お腹が減ったろう?」

 ライムはふたりにご馳走を振る舞った。

 うさぎは、その三人を遠くに見つめ、静かに眠った。

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