顔面タトゥーの香多岐(かたぎ)さん

渡貫とゐち

第1話 転校生の刺青事情。


「ねえあの子の顔……」

「大きな刺青タトゥー……え、本物? シールとかじゃなくて?」

「女の子なのに、顔の半分も刺青を入れるなんてなに考えてるの……?」


 香多岐かたぎ風香ふうかは、大雑把に言えばいわゆる転勤族だった。

 父と母の仕事の都合で、というよりは、ただの飽き性なだけだが。

 ひとつの土地に長くいることができない性分で、一年も経たず別の土地へ引っ越してしまう。

 当然ながら、自由奔放な両親の後を、ひとり娘である風香もついていくことになり、学校を転々とする生活が続いていた。


 北海道から沖縄まで。

 東北、関東、関西、四国、九州と、一通りの土地は訪れたはずだ。

 全国制覇とは言えないが、主要都市はきちんと押さえていた。旅行をしても味がしなくなってしまったが……、言い換えれば転校そのものが旅行と言えなくもなかった。


「風香ちゃんは、次はどこにいきたい??」


 父と母から愛されていないわけではなかった。逆だ、溺愛されている。

 娘の大事な顔の半分に刺青を入れたのは、娘のためを思って、だ。両親からすればオシャレのためのメイクと同じ感覚で、刺青を入れたら可愛くなると信じて、善意で刺青を入れたのだ。

 実際、海外では褒められたし、現地の友達には認められた。

 風香の個性として受け入れられていた。


 だけど日本では……刺青を怖がって誰も近づいてこなくなった。

 そういうイメージなのだ。


 刺青を入れている人は怖い人、もしくは、刺青を入れる人間性を理解できなくて距離を取る人が大半だ。

 刺青が入っているというだけで、ろくに話もせずに危ない人だと決め付ける。そして自分の世界からはじき出す……それは周りにとっての自己防衛なのだ。


 問題が起こってからでは遅いと分かっているから、事前に問題を回避する。それによって傷ついている人がいることには目を瞑って。



 日本の学校では転校を繰り返し、風香はいつもクラスに馴染めなかった。

 同級生には避けられるし、先生たちも風香のことを腫れ物のように扱う。


「メイクで隠しなさい」と言われて刺青を目立たなくさせるメイクをしても、効果があるのは午前中だけだ。午後になればメイクは落ちてしまい、刺青が見えてくる。

 ……化けの皮が剥がれたように、刺青のことを知らなかった子も、風香の刺青を見れば目を逸らす。関わり合いたくないと言うように。


 ……風香はずっと、ひとりぼっちだった。

 結局、一年も経たずに転校してしまうから、馴染めなかったことでお別れがまったく悲しくなかったのがよかったけど。



「あ、そだ。風香、また転校することになったから」

「うん。分かった。今度はどこにいくの?」

「東京。戻ることになるね。懐かしいんじゃない?」

「そうだね。……同じ学校じゃないよね?」

「さすがに違うわよー」


 顔面タトゥーはよく目立つ。だから古い知り合いと再会すればすぐに思い出せると思うが、それが互いに嬉しいことではないと風香は分かっている。


 積もる話なんてない。

 だから知った顔に会っても覚えていないフリをするのが一番いいのだ。


「……お母さん、刺青、消せないんだよね?」

「消せるよ。痛いけど」

「…………どれくらい痛いの?」

「大げさに言うなら出産くらい」

「………………やらない」

「大げさに言ったから本当はそこまで痛くはないと思うよ?」


 肩の刺青を消す時に、父親が痛みで苦悶の表情を浮かべていたことを覚えている。

 外国人に混ざっていても違和感がないあの屈強な父が険しい表情で「うぁ……っ」と声を漏らすほどの痛みが待っているとなると……。

 しかも風香の場合は顔だ。もっと痛いに決まっている。


「やらない」

「そっか。可愛いから残してた方がいいと思うよ」

「でも……みんな、怖がるの。転校したらまた私に怯える生活が続くって考えると、学校なんかいきたくなくなるよ……」


「嫌になったら転校すればいいじゃない」

「そうやって逃げ続けていたら、逃げる場所がなくなっちゃうかもね」



 重い足取りで転校先の学校へ向かい、職員室を訪ねる。

 生徒たちの登校時間とはずらしている。刺青については遅かれ早かればれるとは思うが、転校初日以前に騒ぎになることは避けたかったのだ。

 念のため、車で送ってもらった。

 新しい制服に袖を通した風香は、既に事情を説明しているとは言え、職員室に入った途端に教師たちのぎょっとした表情――同時に『面倒な生徒がやってきた』とすぐに分かる眉をひそめた表情に辟易する。


 また始まった、と、溜息が漏れた。

 そもそも刺青を入れている自分が悪いというのは分かっているが、何度も経験していると毎回別の人とは言え、慣れてほしいと思ってしまう。


「転校生の香多岐風香です。担任の先生は――」


「こっちだ、香多岐」


 無精ひげを生やした禿頭の先生だった。

 刺青が入っていなくともそういう迫力がある先生だった。ベテランに見える……。風香のような訳あり生徒を新人や中堅に任せるには荷が重いと判断したのだろう。

 若い教師に経験を積ませるため、にしては障害が大き過ぎるのか。


 黒スーツの禿頭教師が再確認した。


「顔の刺青は消せないんだったな」

「メイクで誤魔化すことはできるんですけど、午後には落ちてしまいますね……。朝は母に任せているのですけど、母の技量があってこそなので……。私の腕だと、誤魔化せないです」

「そうか。できれば隠してほしいが、無理ならそのままでもいい」

「いいんですか?」

「消せないなら仕方ないだろう。気にしないでいい」


 気にするのは周りだった。そして気にした周りが風香と距離を取り、馴染めなかった風香がひとりになるだけだ。

 ……一年もしない内にまた転校するのだから、がまんするのは少しだけ……。また、そういう生活が始まると思えば、それだけだった。

 慣れてしまえば気が楽だった。


「困ったことがあれば先生に頼りなさい。一応、刺青には理解がある方だ」


「……あの、先生は、あっち側の人だったりするんですか……?」


 前提として、風香はあっち側ではない。

 よく勘違いされるが、ファッションとしての刺青であって、決意表明ではないのだ。


「はっはっは、そんなわけあるかい。ちゃんとした教師だよ。憧れはあるが」

「憧れですか?」

「おう。任侠映画が好きなものでな」


 担任に連れられて、二年生の教室へ向かう。道中、すれ違う清掃員の人に二度見された。顔に刺青が入っていることを最初は見間違いだと思うのだろう。

 やっぱり、刺青を入れること自体は珍しいわけでもないが、顔に入れるというのは滅多にないことなのだ。


 ――ただのファッションなのに。

 小さい頃はそう思って不満に思っていたけれど、成長して色々と見聞きしている内に、顔に入れたのは失敗だったなと思うようになった。


 風香も、メイクで隠す時以外はなかなか鏡で自分の顔を見れなくなってしまったのだ。刺青が入っているだけで、本人のイメージが固まってしまうから。

 日本人にとって刺青は、まだやっぱり怖い人のイメージで……。


 風香自体が怖い人でなかったとしても、怖い人と繋がっているかもしれないと思わせてしまえば、人との距離を詰めるのは難しくなる。

 これまで出会った同級生たちは、距離を詰める前に壁を作られてしまうから。



「ここだ。私が紹介するから、呼んだら入ってきなさい」


「はい」


 教室に入っていった担任が「今日は転校生がきてるぞ」と話し始めた。

「ちなみに女の子だ」と言うと、男子生徒が盛り上がった。

 風香は視線を下げて、申し訳ないな、と思う。期待を上げれば上げるほど、顔面タトゥーはマイナスにしかならないから。


 自分が教室に入った時の空気感は何度も経験しているから分かっている。

 顔面タトゥーは、大半の生徒にとっては受け入れられないものだから。


「入ってきなさい、香多岐」


「――はい」


 風香は、覚悟を決めて教室に入る。



 やはり、教室内はしんとしてしまった。

 風香の顔の刺青を見て、だろう。広がる動揺、戸惑い、嫌悪。


 風香の容姿はお世辞ではなく整っていると言える。ふんわりとした印象の美人だ。

 亜麻色のロングヘアは、毛先まで手入れが行き届いており、以前、比較的仲が良かった女子の友達に褒められたこともある。

 ……仲良しではなかったので気遣った可能性もあるが……。ただ、オシャレに詳しい母親の手入れなのだ、少なくとも雑で、間違った方法ではないはず。


 目を引くような美人の、顔の左半分には大きく刺青が入っている。目を引き、目が離せなくなったところで強い印象を与える。厄介なのがその印象が「怖い」なのが問題だったが。


 突き刺さる視線にはもう慣れているので、風香はなんとも思わなかった。

 機械的に自己紹介をして、無難に終わらせる。


「というわけだ、仲良くしてやってくれ。刺青のことは気にするな。そこにあるだけだ」


 雑な対処だった。でも、長々と事情を説明され、同情を誘うよりはマシだった。

 教師の言った通り、刺青なんてただそこにあるだけなのだから。


 刺青に意味を作り、それで怯えているのは他人の勝手だ。

 だから好きにしたらいいけれど……やっぱり、それで嫌な思いをして困るのは風香だった。

 私は無害です! くらいは言っておくべきだったかもしれない。


「香多岐の席は、空いてるそこの――って、石条いしじょうはどうした?」

「遅刻じゃないっすか? 連絡もきてませんし……」


 近くの席の男子生徒が答える。教師は眉をひそめ、「そうか……ただの寝坊で遅刻ならいいが。事故にでも遭っていなければいいがな――」と、その時だった。


 教室の扉が開いて飛び込んできた男子生徒がいた。

 転がり込んできた彼は、制服がボロボロで、穴だらけだった。

 かけているメガネも壊れていて、レンズなんて大半が割れてしまっている。伊達メガネよりはまだ意味がある度が入ったメガネだが、ほとんど意味などないだろう。


 フレームは曲がって、レンズの破片が少しもないくらい、くっついているだけだ。

 視力の助けにはならなさそうだ。


「せ、セーフ……? いや――ち、遅刻ですか!?」

「石条……お前、どうしたんだ?」

「寝坊です!」


「ズタボロの制服の方だよ。あと怪我だ。血は、止まってるが……事故に巻き込まれたか?」

「急いだら階段でこけました。途中で止まらず全段転がり落ちてから自転車と衝突したら……このざまです」

「とにかく保健室へいけ」

「でもっ、遅刻しちゃう……」

「もう遅刻だから諦めろ」


 そんなぁ、と崩れ落ちる男子生徒が、痛む膝に顔をしかめた。


「う、」

「あの……大丈夫?」


「まあ、これくらいなら……って、誰だ? 知らない声だ」

「転校生。香多岐風香、……です、よろしく」

「ああよろしく。俺は石条で――あいてて、」


「石条、いいから早くいけ。それとも先生が運ばなきゃダメか?」

「大丈夫っす。じゃあ、保健室にいってきます」

「ひとりで大丈夫か?」

「大丈夫ですよ」


 全身ズタボロの石条は、足を引きずっているような歩き方で保健室へ向かっていった。

 本人は大丈夫と言ったが、大丈夫にはとても見えず……、不安になった風香が名乗り出た。


「あのっ、私、付き添いますか!?」

「転校生、保健室の場所、分かるのか?」

「あ……」


「気持ちだけ受け取っておこう。――おーい、保健委員。あいつの付き添いをしてくれ。送るだけでいいから」


 仕方ないなあ、と立ち上がった男子生徒が石条の後を追った。

 名乗り出たものの役に立てなかった風香は、肩を落としながら指示された自分の席に座る。


 隣の空席は、石条、という男子生徒の机だろう。


「(……あの人、初対面の私を相手に、躊躇がなかった、よね……?)」


 遅刻しそうで焦っていたにせよ、至近距離で顔を見たのにまったく刺青のことなんて目に入っていないみたいに……。

 香多岐風香のことを、刺青というフィルターを通して見ていなかった。


 香多岐風香、本人だけを見てくれていた……そして、「よろしく」と言ってくれたのだ。


「……変な人」


 くす、と微笑んだ彼女の優しい笑みは、顔の刺青に邪魔されて誰にも見えていなかった。




 …続

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