今日、吉日、シフォン日和

ふわふわくまは、いつも妄想をしている

ふわふわくまさんと私

「もう、つらいよ」

制服姿で、足を抱え込む。

べッドに放り込まれた通学バッグ。

夜風で揺れる、レースカーテン。

月光を受けて、なぜか様々な色を放つサンキャッチャー。

崩れたポニーテールから落ちてくる、何本もの髪。

部屋の隅で、私は大事に彼女を抱きしめた。

中の綿がはち切れそうになるほど抱きしめた。

頭の中がごちゃごちゃで、何もかもが私の心を押しつぶす。

瞳を閉じても、あの景色が浮かんでくる。

あの言葉が浮かんでくる。

嫌だ。

心がギュっとされるたび、彼女を抱きしめる。

そのとき、何かが腕の中でもぞもぞと動き出した。

どこか懐かしい声が聞こえる。

「苦しいよ~」

涙でぬれた顔を持ち上げると、想像もしないことが起こっていた。

大きく息をのむ。

 

「グラフは、こう書けるからー」

彼女はひとり呟きながら、手を動かす。

勉強をするときも、本を読むときも、寝る時も一緒だ。

こんなに私のことを愛してくれる彼女が、一番大好きだ。

いつか、動けたら。

あなたと一緒にしゃべれたら。

私は世界一幸せな、ぬいぐるみになれるのに。

 

華奈(かな)ちゃんは、ある日落ち込んでいた。

(どうしたの?)

扉から見えたのは、暗い顔だった。

ふらふらと歩いて、バッグをドサッと置く。

扉を静かに閉じると、私をそっと持ち上げる。

そして、ギュッと私を抱きしめた。

「もう、つらいよ」

ブラウスから漂う、柔軟剤と、少し汗ばんだにおい。

たまに顔を上げては、もう一度顔をうずめる。

私の頭に、ポツンと冷たい何かが落ちてきた。

(涙、、、)

私の肌に涙が落ちても、つたることはなく、染み込んでいく。

けれども、冷たい気持ちが伝わってきた。

華奈ちゃんは、さらに私をギュっとした。

綿がはち切れそうになるくらい、ギューっと抱きしめられた。

「苦しいよ~」

気づいたら、声を出していた。

華奈ちゃんは顔を持ち上げて、私を見つめた。

「あ、少しだけ鼻が赤くなってる」

私は手をチョチョイと動かして、華奈ちゃんの鼻に触る。

華奈ちゃんはあっけらかんと口を開けて、目をぱちくりさせていた。

信じられないというように、何度もほっぺをつねってる。

「いや、まさか、ね?」

そんなことないよ。と、しゃべってみた。

「華奈ちゃん、華奈ちゃん」

ついに華奈ちゃんは、ほっぺをつねるのをやめた。

すると、私をひょいっと持ち上げて、目の高さを合わせた。

華奈ちゃんの、きれいなブラウンの目。

吸い込まれるようにきれいな瞳が、うるりと光った。

「シフォ。ついに、話せたね」

華奈ちゃんは震える声で言った。

 

話せるようになってから、はや一週間が過ぎた。

シフォは私が考えていたような性格だった。

いつもほんわかしていて、「なぁに?」と、かわいらしい口調でしゃべる。

きれいな空色の瞳は、しゃべれなかった時以上にキラキラしていて、私をじっと見つめてくる。

歩くとちょこちょこと効果音が付きそう。

わたあめみたいな見た目に、シフォンケーキみたいにフワフワな触り心地。

シフォと名付けたのは、それが由来だ。

「よし、きれいに焼けた」

帰宅した後、私は試作のクッキーを焼いてみた。

家のオーブンではたくさん焼けないが、小さい物ならいくつでも焼ける。

オーブンから取り出すと、きれいに黄金色に染まったクッキーが視界に入るとともに、少し香ばしいクッキーの香りが、私の鼻をくすぐった。

鉄板から出来立てのクッキーをお皿に移す。

きれいな丸の形、雲の形に、花の形。星の形に、ハートの形、そしてくまの形が盛り付けられる。

クッキーを冷ましている間、私はアイシングの準備をしていると、ポリッと音がした。

誰かがクッキーをかじっているような音。

皿のほうに目を向けると、そこにはシフォがいた。

その時点で、何かを悟る。

口の周りにはクッキーのかけら、右手にはかじられた跡があるクッキー。

「シフォ?」

その声を聴いたシフォは、肩をびくりと震わせる。

それからゼンマイ仕掛けのおもちゃみたいに、ギギギとこちらを向いた。

シフォの目は丸くなっていた。(もともと丸いけど。)

準備をしていた手を止め、シフォのもとまで歩く。

「いや、あの」

目をうろうろ動かしながら、言い訳を言おうとしている。

私はシフォが持っていたクッキーをつかみ、それをシフォの口に突っ込んだ。

余計に目をぱちくりとさせている。

「食べ途中のクッキーなら、食べちゃえばいいのに。急いで食べたって、私の込めた思いが味わえないでしょ?」

シフォは口をもぐもぐと動かして、(同時に鼻も少し動かして)ゆっくりと味わう。

ゴクンと音を鳴らして、嚥下を確認する。

「どう?」

真剣な目で、シフォに味の感想を尋ねる。

「どうって、もちろんおいしいに決まってるよ」

当たり前というような顔をして、私を見つめてくる。

その一言で、ほっとした。

なんだか、体にかかっていた力が抜けたみたいだ。

シフォの手を取り、クッキーの粉を払って言った。

「シフォも一緒に、アイシングしない?」

シフォは私の顔を見上げる。

瞳をきらっと輝かせ、頬のあたりがほんわかピンク色に染まる。

「いいのっ⁉」

「いいよ。一人でアイシングしても面白くないし、一緒にしない?」

「やったぁ!やろうやろう!」

鉄板の横に並べられたアイシングは、赤、白、オレンジと、様々な色がポリエチレンの袋に詰められ、それぞれの色を発している。

アイシングがシフォの手につくと取れなくなるので、ビニール袋を手にかぶせた状態で、アイシングをした。

「クッキーは誰かにあげるの?」

シフォは丸のクッキーを手に取り、水色のアイシングを持っている。

「うん。お父さんとお母さんと、あと宏(ひろ)」

「宏って、だぁれ?」

真っ白なアイシングを持っている手の力を、一瞬抜きそうになった。

「宏のこと、知らないの、、、?」

「うん」

「宏は私の幼馴染だよ」

「そっかー」

シフォの目は、クッキーを見つめていた。

しばらくの沈黙が起きて、私はまた、シフォにしゃべりかけた。

くだらない会話を交わしながらアイシングをしたので、山のようにあったクッキーがあっという間になくなっていた。

残りは二枚。

「私とシフォの分もクッキー取っておいてあるけど、どうする?」

アイシングも残り少ない。

シフォは二枚のクッキーを掴み、私の方をクルリと向いた。

「余ったなら、今二人で食べちゃおうよ。そうしたら、お互いにアイシングクッキー、プレゼントしない?」

可愛らしく首をかしげて、私を見上げた。

そんなポーズしなくても、シフォは可愛いのに。

「いいよ。じゃあ、残りのアイシングを使いきろっか」

「うん」

それから二人で残りの二枚のクッキーをアイシングした。

私はアイシングで、丸いクッキーにシフォを描いた。

シフォはというと、何かぐちゃぐちゃと描いている。

そういえば、シフォはまだ人間でいう、子供みたいなもの。

動けるようになった頃は、まだ足もおぼつかない感じで歩き、手も器用に使えなかった。

なぜか口だけは達者だったけれども。

今はすべてが無理なく行えるようになり、アイシングを入れたポリエチレンの袋でも、掴むことができている。

それでもシフォはぬいぐるみなので、消しゴムなどは掴みにくそう。

アイシングは上手に掴めているので、本当は書けるはずなのだが、まぁ、そこはおいておこう。

じっくりと時間をかけて、お互いにアイシングを完成させた。

「華奈ちゃんの可愛い!食べるのがもったいないよ」

私が描いたのは、丸いクッキーの上に、私のちびキャラとシフォが手をつないでいるイラストだ。

「シフォはどんな絵を描いたの?」

「シフォはね、、、」

シフォのアイシングを見る。

そこには、曲線が少しずつふにゃっとなっている、シフォの似顔絵だった。

「華奈ちゃんは、シフォのことが大好きでしょ?だからね、シフォを描いたの!かわいいでしょ?」

目をキラキラさせて、アイシングのアピールをしてくるシフォが、たまらなく可愛かった。

「うん!とってもかわいい!」

 

それから家族用のクッキーをお皿に取り上げ、宏のプレゼント用をラッピングした。

私とシフォしかいないリビングで、クッキーを食べた。

「甘くておいしい!」

「砂糖の量がうまく調節できたみたいだね」

私とシフォ。

二人でかじるクッキーは、いつものクッキーよりもおいしく感じられた。

 

今日からまた学校だ。

週末明けの月曜日は、やっぱり嫌い。

特に朝が一番大変だ。

アラームが鼓膜を震わせ、私の脳を動かす。

私の左ではシフォがゆっくりと立ち上がり、目をこする。

シフォがアラームを止めると、私はまた眠りに入ろうとするが、シフォに起こされる。

初日はおなかの上をジャンプして起こしたらしいが、シフォが軽くて柔らかいので、起きることはなかった。

けれどもそれを学んだシフォは優秀だ。

次の日の朝、私の手を掴んでベッドから体ごと引きずりだそうとしたのだ。

それには抵抗できなくなり、ベッドから落ちた状態から立ち上がるようになった。

今日のシフォも同じように、私をベッドから引きずり落とす。

手が床につきそうになったところで私は体を起こした。

大きな瞳でじっと私を見つめて、シフォは私のパジャマを掴む。

「おはよう、華奈ちゃん」

「ん、おはよ」

私とシフォは同じタイミングで大きなあくびをした。

「着替えないとね」

「うん」

視界がまだ定かでない私は、ゆっくり立ち上がる。

はたから見れば、生まれたばかりのパンダみたいだ。

顔を洗い終え、私は制服に着替える。

シフォは端切れで作られたワンピースを着た。

スカートをはき終え、着るのにてこづっているシフォを手助けた。

「腕は通した?」

「うぅん。ふぇも、まへが」

「じっとして」

頭を服に通すと、スポッと音がするように、シフォが顔を覗かせた。

「ありがとう」

「じゃあ、朝ご飯食べてくるね」

「うん」

 

華奈ちゃんが部屋から出ていった。

シフォはまとめられている本を引っ張り、椅子に上る。

それから机の上にある教科書やペンケースを引っ張った。

音を立ててバサバサッと落ちる。

シフォはそれを通学バックに入れる。

「よし。これでいいかな」

何もやることがなくなったシフォは、華奈ちゃんのベッド上でコテンと座った。

向こう側の壁に飾ってあるイラストに目を向ける。

それは、五歳くらいの子がクレヨンで書いた絵だった。

人と思われしき生き物と、くまが手をつないでいるイラストだった。

シフォはその絵を瞳に焼き付けた。

今、していることは、このことなのだと。

三十分ほどした後、華奈ちゃんは部屋に帰ってきた。

行く準備ができたらしい。

華奈ちゃんはふぅっとため息をついてから、私の方を見た。

「じゃあ、行ってくるね」

「うん。行ってらっしゃい。華奈ちゃんのこと、いつでも待ってるよ」

「ありがとう。行ってきます」

ため息をついていた時に浮かべていた表情から、弱々しい笑顔をのぞかせた。

シフォは、やっぱり心配だった。

部屋の扉がぱたんと閉じた途端、玄関前が眺められる窓の前まで走った。

昨日までの明るかった表情が暗くなり、足の動きが衰えていた。

「華奈ちゃん」

シフォの目には、悲しい様子が映っていた。

 

「ただいま」

玄関から、華奈ちゃんの声がした。

それから階段を上る音が聞こえてくる。

さっきまで読んでいた絵本を閉じて、扉の方に目線を向けた。

「おかえり」

髪の毛を少し崩し、制服がよれよれで、肩を丸めた華奈ちゃんが帰ってきた。

シフォの近くに通学バッグを置くと、また部屋を出ていった。

手を洗いに行ったらしい。

シフォは立ち上がって、華奈ちゃんの通学バッグを開けた。

チャックのジジジ、という音と共に、バッグの中身が表れていく。

そこには、今日の時間割の予定通りに教科書とノートが敷き詰められていた。

シフォはある一枚のクリアファイルを取り出し、その中身を確認する。

今日の課題は、英語のプリントと、数学の問題集、それに来週までの理科の課題が描かれていた。

使う物を通学バッグから取り出し、華奈ちゃんの勉強机の上に置く。

最後にペンケースを取り出して、机の上に置こうとしたときに、華奈ちゃんが部屋を戻ってきた。

私服に着替えて、お気に入りのジュースとマグカップを持っている。

「シフォ~。聞いてよー」

華奈ちゃんはそれらを机の上に置き、シフォの前に正座で座った。

「今日クラスの人がさ~」

「うん」

シフォの前に紅茶を置いてくれた。

華奈ちゃんはどこからか出してきたお菓子の袋をパーティ開けする。

中に入っていたポップコーンが出来立てみたいに少しだけはねた。

「あんなことされたら、さすがに私も耐えられないよー」

ポンポンとポップコーンをつまんで、それを口の中に放り投げていく。

シフォはというと、一粒ずつポップコーンを味わう。

程よいしょっぱさが、舌の上で踊った。

「シフォは何してたの?」

その言葉を聞いた時、何を返せばよいのかと考えた。

「シフォは、誰もいないときにおせんべい食べて、絵本読んで、お外眺めて。そんな感じ」

「へー、楽しそう」

疲れた様子の声を上げる華奈ちゃん。

「誰もいないから、寂しいよ」

華奈ちゃんはパキリとペットボトルのふたを開けている。

シフォはマグカップに入ったココアを飲んだ。

ほんのりとチョコレートの香りが、口の中に広がった。

  

「あれ、シフォいない?」

私は部屋の扉を閉め、階段を下りた。

いつもお見送りをするのに、今日は現れなかった。

私はリビングにいるお母さんとお父さんに行ってきますを言った。

 

「宏、ちょっといい?」

「どうした?」

昼休みが始まって早速、私は宏の机に向かった。

「これ、昨日作ったから、宏にも上げるね」

「サンキュ」

そういって、マシュマロサンドが奪われる。

宏はこういう反応をする人だ。

いつものことだと思って、自分の席に戻った。

一瞬ガサゴソと通学バッグが動いたように見えたけど、気のせいか。

昼休みが終わり、5時限目の体育の時間になると、それぞれが教室から出ていった。

私もみんなと同じように教室から出ていく。

 

みんな、いなくなったかな?

シフォは華奈ちゃんの通学バッグから顔をのぞかせた。

人は、いない。

教室の電気は消されていて、陽の光だけが明かりだった。

シフォは華奈ちゃんの机に上ると、そこから見える景色を眺めた。

ただの机が並んでいる教室の光景だけれど。

それからシフォは肩ををぐるぐると回して、固まっていたところをほぐす。

「よし」

そのままシフォは机を伝って飛んでいく。

1個、2個と机を飛んで、ある人の席にたどり着く。

そこは、宏の席だった。

シフォは椅子を引き、机の中をガサゴソと探る。

シフォが探していたのは、ぷらすちっくびにーるに入ったマシュマロサンドだ。

何をしだしたかと思えば、シフォは包装紙を破き、それを口の中に放り込んだ。

とろける甘いマシュマロと、サクッとしたクッキー。

それがシフォの口の中でとろけて混ざり合って、素晴らしい味のハーモニーを奏でる。

「おいひい」

シフォは三個入っていたマシュマロサンドをたったの十秒で食べきってしまった。

その状態になって後で気付く。

宏の分を食べてしまったのだ。

「まぁ、いいや」

シフォはマシュマロサンドが入っていた袋を手に持ち、また先ほどと同じように机から机と飛び乗った。

華奈ちゃんの席に着くと、上手に華奈ちゃんの通学バッグに潜り、顔をひゅんっと入れた。

 

帰りのホームルーム。

目に映るのは、クラスの総務委員だ。

連絡事項が終わり、挨拶をして今日は終わった。

教科書をバッグに入れようとして気づいた。

「えっ」

そこにはシフォがいた。

私を見上げてやばいと焦った顔をしている。

視線をシフォの右手に移すと、何かを掴んでいた。

遠ざけよとした手を掴む。

シフォの右手を開くと、そこには宏にあげたはずのマシュマロサンドが入っていたビニール袋があった。

一度沸騰しそうになった思いを何とか抑え、バッグを閉めた。

宏になんて言おう。

必死に焦っている頭を回転させ、ピコン!と思いついた。

それを実行するべく、宏のもとへ行く。

宏は近くにいる男子と話していた。

「宏、ちょっといい?」

宏はしゃべっていた友達に「悪い」と言って、私のところに来た。

「さっき宏にあげたやつ失敗作だったから、勝手に取っちゃった。また今度渡すね」

急に何を話し出したのかと驚いた表情をして、まばたきを繰り返す。

「今日、昼休みにあげたのだよ」

納得いったようだ。

しかし、宏の様子を見ることができずに、スカートを掴んだ。

何も言わずに勝手に取り返すなんて、宏は私らしくないと思っているかもしれない。

「ごめんなさい」

恐る恐る目線を上げると、祐はいつもの表情だった。

その様子を見て、ほっとする。

「また今度、くれよな」

宏がそのセリフを言って、そっぽを向いた。

やっぱりひどいことしちゃったな、、、。

その場から逃げるようにして、私は机に戻る。

横にかけていたバッグを勢いよく掴んで、教室から逃げた。

 

「ただいま」

猛スピードで家に到着し、部屋にバッグを置いて手を洗う。

お母さんの「今日どうだった?」に対し、答えを返さないまま、早歩きで廊下に戻った。

また猛スピードで階段を駆け上る。

部屋のドアをばたんと開け、部屋にずかずか入った。

シフォが部屋の中央で座っている。

ドアを勢いよく閉め、私はシフォの前で座った。

「シフォ」

「は、はい!」

「あなた、宏のマシュマロサンド、食べたでしょ!」

「な、なんのことかなぁ?」

目を光の速さで泳がせている。

(ぬいぐるみなのに)汗も出ていた。

「シフォ。あれは、宏のために作ったマシュマロサンドなの。本人に食べてもらわないと、気持ちが伝わらないじゃない。また今度シフォにも作ってあげるから、今回はちゃんと反省して」

シフォは、ウルウルさせた瞳を伏せた。

「ごめんなさい」

こぼれるように出た言葉。

「よろしい」

 

「持ってきたけど、食べないの?」

「む」

「持ってきたけど、飲まないの?」

「む!」

「もう」

あれから2人で配信された動画を見ながらおやつを食べているが、シフォは一向に手を伸ばさない。

「シフォが好きなもの持ってきたけど、食べていいんだよ?」

「む!」

このやり取りを複数回繰り返し、動画の内容が何も頭に入ってこなかった。

「まさか、ふてくされてる?」

「む」

「私はシフォを、そんなぬいぐるみに育てた覚えはないけどなぁ~」

「む!」

「シフォ~?」

「む!」

「もう、いいや」

オレンジ色の光に目を細め、窓の方へと目を動かす。

茜色に染まった空が、暗い色に浸食されていく。

隣に見えるカレンダーは、夏休みの始まりを告げていた。


夏休みが始まった。

宏のマシュマロサンドを食べた事件から、まだシフォはふてくされている。

いい加減にしなよ、、、。

「よし、今日の課題終わり!シフォ、紅茶飲まない?」

「うん」

「持ってくるね」

階段を下りて、アイスティーを作る。

紅茶のパックから出る色が、筋を作って染まっていく。

二人分を作り終え、部屋に戻った。

「チョコも持ってきたよ」

「うん」

今日も今日とて、二人で動画を見る。

楽しそうに見てるのに、あんまりコミュニケーションを取ろうとしてくれない。

いつになったら、あなたのふてくされた虫は、収まりますか。

 

次の日。

「体がだるいんだけど、体温測ってもいい?」

「どうぞ」

キッチンに立っていたお母さんに許可をとり、体温計を取る。

しばらくしてすぐに数字を表示した。

「38度⁉」

つい声が大きくなってしまった。

けれども声を上げて、すぐに体力を使ってしまった。

すぐにペタリと床に座り込む。

何事かとリビングにお母さんが来た。

「本当だね。もう夏休みだし、今日はベッドに入って休みなさい。明日病院に行きましょう」

「ありがとう」

私は水を冷蔵庫から取り出し、パジャマを着替えなおすと、また部屋に戻った。

倒れるように、ベッドにもぐりこむ。

「うー」

「華奈ちゃん?」

シフォが私のもとへ来た。

「ちょっと風邪ひいちゃったみたい。シフォに移しても悪いから、今日は勉強机にいてもらってもいい?」

「華奈ちゃん、、、。いいよ。窓開けようか?」

「あ、ありがとう。助かる」

シフォはとてとてと足を動かして窓を開けてくれた。

夏とは思えない涼しい風が、部屋に入ってくる。

「でも、やっぱり熱いな」

天井を向いて、意識がもうろうとしている頭を必死に起こす。

「氷持ってこようか?」

「下にお母さんがいるし、持ってきてくれると思う」

「そっか」

「それより、向こう行ってて。本当に移しちゃうと悪いから」

「わかった」

口をギュっとつぐんで、シフォは歩いた。

目を伏せて、どこか悲しげな表情だ。

私の指示通り、椅子に上って机に上って、ちょこんと座っていた。

時々こちらを見ては、元の位置へ顔を戻す。

トントンと扉のノックの音がし、「はーい」と返事をした。

「華奈。水と氷枕持ってきたわよ」

「ありがとう。こほっ、病院は?」

「あら、咳まで出てるのね。病院がね、午後に診察取れたから、2時になったら、病院に行きましょうね」

「わかっ、こほっ、た」

扉がぱたんと閉まり、私は再びベッドに潜った。

氷枕が心地よい気持ちよさで、すこしましになる。

頭の上の方で、急にぽてっと音がした。

そちらの方に目を向けると、そこでシフォが立ち上がっていた。

「華奈ちゃん」

いつもよりもトーンを落とした声で近づいてくる。

「ごめんなさい」

私の右隣に来ると、頭を下げた。

私の右ほおに水が落ちる。

シフォの瞳からこぼれた涙だった。

「シフォ、自分のために、宏の食べちゃった。そんなの、悪いってわかって、るのに、シフォ、やっちゃった。うっ、華奈ちゃんが、っ、だめって、怒るって、思って、たのにっ、やっちゃたっ、ごめんっ、なさぁい!うわぁん!」

私は震えているシフォの頭に手を伸ばす。

そっと頭をさすって、声をかけてあげた。

「よくできました。今度、代わりを一緒に作ろうね」

泣きじゃくっていたシフォの毛並みは、濡れた状態でべちょべちょだった。

 

シフォと出合ったのは、今から約10年前。

ある日、市が催していたワークショップに私とお母さんは出向いていた。

古着や怪しげな壺などが売られているなか、私はあるお店に目を付けた。

そこは、雑貨屋さんだった。

お店で売れ残ってしまったものや、寄付されたものが売られていたらしい。

木箱の中には、使い古された大量のおもちゃ。

プラスチックが色あせている商品が目に入る。

そのお店のワゴンに、『すべて500円』と書かれていた。

私は不思議とそのワゴンに体が引かれていった。

自分の意志で行こうとするなんて、なかったのに。

私の周りにも、同じ年頃の子供はいた。

けれども誰もが奇妙だと思って、そのお店に近づかなかったらしい。

そのお店で出会った彼らが、普段、自分の意見を言えずにいた私に、初めて勇気を与える始まりだった。

「おかあさん」

「なに?」

「こっちきて」

お母さんはその行動が以外だったらしく、私に促されるままついていった。

おもちゃなどが沢山積んであるワゴンの前にたどり着き、指をさした。

「どれか、買って」

お母さんはしばらく悩んだが、値段を見るなり、了承してくれた。

体がうずうずしていたのが解放され、ワゴンに飛びついた。

ほしい物、ほしい物。

沢山のおもちゃの中から、1つ、フワフワしたものが袋に入った状態でみつけた。

私はそれを引っ張る。

出てきたのは、きれいな丸い瞳に、ふわふわな毛並みの、ぬいぐるみだった。

いくらひっぱっても取れなくて、思い切って引っ張る。

ぬいぐるみを目の前に持ち上げて、じっと見る。

瞳がきらりと光る。

「―」

ふわふわとした肌触りが見える。

「ねぇ」

彼女を手に取る。

「―これ―」


「シフォとの出会いはね、こんなだったんだよ」

いまだに涙をためているシフォを私の膝の上に座らせて、シフォとの出会いを話した。

「私はあの時から、シフォのことを大切に思ってるよ。簡単に見放さないって、決めてるから」

言葉をひとつづつ紡ぎながら、いつものように頭をなでる。

シフォは見上げて、ウルウルさせた瞳で私を見た。

「ほんと?華奈ちゃんは、シフォを嫌いになったり、しない、、、?」

私はシフォを持ち上げて、ぎゅっと抱きしめる。

「嫌いになったりしないよ。私はシフォに、沢山の物を貰ったんだよ。シフォがいなくなったら、私も耐えられないもん」

シフォの瞳を私の目線に合わせて見つめる。

「だから。これからも仲良くしようね、シフォ」

いつの間にか、私の視界がぼやけていた。

昔のことを思い出してしまっただろうからか。

シフォは手を伸ばして、私の涙をぬぐってくれた。

「もちろん、シフォもだよ」





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