僕らの仕事場
臆病虚弱
本文
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「すみません、以後、気を付けますので……」
「まず謝罪するという姿勢は大変宜しいのですが、気を付けるというのは主観的な物言いと言えますね、具体性に欠きます。謝罪をするのならその『気を付ける』の中身を詳らかにしてもらいたいのですが。どのように今後気を付けるのでしょうか、具体的な方策を述べてください」
はきはきと聞き取りやすく、それ故に冷たく鋭い言葉が返ってくる。彼の感情のない瞳と表情はその言葉の鋭さをより高め、僕の心の凍傷を抉ってゆくようだ。
――
「あんなぁ、資料無くすって、ガキの使いやあらへんで? どうなっとんねん? 社会人として。ああん?」
「す、すみません。今後は資料の取り扱いには十分注意して、メモをした付箋をモニターに……」
「そういうことと違うねんっ、今後のアレコレはまず誠意見せてからなんよ。なあ? 誠意が大事って何遍言うたらわかるんや? こうしてる間も時間は経ってんねん、早うしてくれんか? スケジュール押して先方に謝るのはワシやで? そこ分かっとるんよなあ? ええ?」
「も、申し訳ございませんっ!」
床に頭をこすりつける。ああ、この人も、僕はやっぱり苦手だ。部屋中が震える様な声。叩きつけられたことで爆音を鳴らすデスク。ワックス塗装された床の冷たさ。僕は何度これを味わうのだろう。
全く性格も指示も違う二人の上司。勿論それぞれの役職は別だけど、やっぱり指示で混乱することは多く、入りたてで仕事に慣れない僕は失敗も多い。そして、失敗すれば一方はドヤドヤと天地が震わされ、また一方は僕の首元にするりと冷たい刃を差し込む。仕事は増えて、でも残業はできなくて……。僕は入社早々、懸案だらけの状況へと陥ってしまっていた。
「ハァ……」
「おやおや。その様子じゃあ、また絞られたようだねェ……。今度はどっちだい?」
自分のデスクで肩を落とす僕に、後ろから同僚の二兎さんが話しかけてくる。ここの部署はあまり話しかけてくれる人も少なくて、孤立しかけている僕によく話しかけてくれるいい先輩だ。彼はいつものようにそのにこやかな笑みで僕を見ている。
「はい……。今度は藤田岡さんです。許してはもらえましたが……。やっぱり効きますね……」
「はっはっは! そりゃ災難だ。あの人は激情家だからねェ。対処は大変だ」
二兎さんは藤田岡さんの名前を聞き少し機嫌よく笑う。彼はどうも藤田岡さんの話となると冗舌と言うか、調子が良くなる。交流しているという話は聞かないが、彼自信による冗舌な『噂話』の中では藤田岡さんの名はよく出てくる。
「でも藤田岡さん、昔は高圧的な上司に反抗するタイプだったんだよな。自分が指導側に回って何が『必要』か、知っただけで。俺はあの人のそういうところに惚れ込んでついて行こうと思ったんだよ。実際、フォローしてくれることもあるからな」
「え? そ、そうなんですか……?」
あの雷の化身のような藤田岡さんが? 僕は耳を疑った、だが、彼は語り続ける。
「ああそうだよ。俺も一緒に仕事をしたのは少しの時期だけなんだが、藤田岡さんが今のポジションに着く前の前任者はもっと苛烈な人でね、それこそ必要の無い粗探しに心血を注いで、部下をシバいてなんぼの爺さんだった。だが、それは違うと藤田岡さんは真っ向からその爺さんと戦ってね。俺も助けられたよ。その時を知っている俺にはよくわかる。藤田岡さんの指導、アレには妥当性と愛がある」
妥当性……。確かに、この業界のマナーを何も知らない僕に教えるという意味では荒っぽくても大事なことなのかもしれない。僕にもミスをした非もあるワケだ。言われてみれば藤田岡さんの根本の部分や深い部分などは僕はあまり知らない。連日の業務の疲れや忌避感から少々僕にもコミュニケーションを回避している節がある。
僕は、理解しようとしていなかっただけなのかもしれない。
「そうか……。僕はまだこの職場のこと全然わかってないんですね。……そうだ、慧音さんにも先程、同じことでお叱りを受けたんですけど。僕、あの人のこともよくわかってなくて」
「ああ、あの人ね。あの人もなかなかの古株なんだけど、一時期『育休』で離脱してたんだよね。人妻さんなんだよな。丁度君が来たくらいに戻ったんだったかな……。まあ慧音さんは昔の同僚からは藤田岡さんの良きライバルにして戦友として有名。先に話した元上司の爺さん、慧音さんにはあまり𠮟責とかはなかったんだが、彼女は藤田岡さんの直談判で現状を知って、これは良くないと藤田岡さんに協力してね『追い出し』に一躍買ったんだよ。……正直俺もそれまでは二人、犬猿の仲だったと思ってたんだが、なんだかんだ双方をリスペクトしてたことがわかったね」
「ええ? あ、慧音さんって既婚者だったんですか……。それに、二人にそんな過去があったなんて……」
僕はあの二人に関わりがある事すらも知らなかった。やはり日も浅く、交流も少ない僕は彼らのことを全く分かっていなかった。これはあまり宜しくないことだ。この職場になれるためにも、少しでも情報を得なければならない。
目の前の二兎先輩は笑みを浮かべ続けながら、話を繋ぐ。
「まあ、新参にはなかなかわからないよね。他にもわからないことあったら俺に訊いてよ。分かってる限りは教えるからさ」
「ありがとうございます、ええと、じゃあ……」
「おい、もう昼飯の時間だぜ? お二人さん」
声の方を振り返ると隣の鄙野先輩がデスクを立って僕らを見ていた。
「おっと、もうそんな時間か鄙野さん。今日はどこのラーメンを?」
「ん。今日は少し遠出して××町の『麺とるじぇん』だな。じゃあ」
毎日ラーメンばかり食べているとは思えない華奢な鄙野さんはそう言って手を挙げ、振り返る。だが、少し間をおいて、彼はその長い前髪の奥にあるのであろう目で僕を覗くと、一言、『忠告』する。
「お前も災難だが……。まあ、体で覚えるほかないからな、がんばれよ」
「?」
僕の困惑も気に留めず、彼はふわりと身軽な様子で部屋を出て行く。……一体何の忠告なのだろうか?
「さあ、俺たちも食べに行こうぜ。食べながら個々のアレコレを教えるよ」
二兎さんは立ち上がってそう言う。僕は鄙野さんの忠告への疑問を振り払うように、彼に続いて言う。
「じゃあ、勉強代としてここはおごりますよ」
「ええ? そこまではいいよ。先輩としてむしろ、おごらせてくれよ」
先程の鄙野さんの言葉のせいか、彼の笑みにはどこか引っ掛かるものがあったような気がした。
―――――
「おう、仕事終わり時間あるか?」
二兎さんから話を聞くようになってから一週間後、僕は同僚との飲みにも参加するようになり、仕事も心なしか円滑に進んでいるように感じていた。そんな矢先、藤田岡さんからそんな提案が突如としてなされた。
「え、あ、はい」
「そんな、かしこまらんでええねん。んじゃ、飲み行こか」
やはり二兎さんの言うように、藤田岡さんは愛のある人なのだろう。日々の叱責のフォローか、それとも成果を評価してくれるのか。僕の胸は自分でも予想していなかったほどに期待に踊った。
それから外での仕事をササっとやっつけて、僕は仕事終わり、藤田岡さんと合流した。どうやらサシ飲みのようで、向かったのは彼の行きつけのBAR。
雑居ビルの二階に昇り、重々しい扉を開いた先には間接照明の効いた雰囲気の良い店内が広がっている。藤田岡さんはバーテンダーに手を少し上げ挨拶すると、案内されることもなくずかずかとカウンターの席に座った。僕もそれに続き彼の隣に座る。
「ああ、ワシはいつものでええわ。コイツには適当に」
「はい」
バーテンダーはそそくさと酒を用意する。藤田岡さんはショットグラスに注がれたストレートのウォッカを、出されるなり、一気に飲み、僕の方を向く。
「すまんなぁ、いきなり言って付き合ってもろて。最近は君も同僚と馴染んできたんやろ? お忙しい身分やないの?」
「いえ、今日は大丈夫でしたし、藤田岡さんと飲めるならスケジュール開けますよ。みんな言えば分かってくれるでしょうし」
「そらよかったわ。いやなぁ? 今日は話があって飲みに誘ったんよ。このBARにしたのも、他の奴とかち合うたら嫌やからでな。特にあの慧音の阿呆と酒が入ってる時に会った日には、もう乱闘やでホンマ……」
「え?」
なんだか、想っても見ない冗談で少し面食らってしまった。それに藤田岡さんは苛立ちを隠さない様子でそう話していることからも、『本気』であるように感じられる。だが、二兎さんの話からすれば、彼らはかつての戦友。本気で仲が悪い筈がない。
「ああ? どないしたん。そんなハトが豆鉄砲くらったような顔して、ムカつくで」
「ああ、いや、スミマセン。ちょっと自分あんまり藤田岡さんと慧音さんの関係性を知らないもので……」
藤田岡さんは再び注がれるウォッカを飲み干し、僕に酒を勧める。
僕は頷き、バーテンダーが前に置いたテキーラのショットを飲む。
「……慧音はな、目の上のたん瘤や。昔っからワシより実力が低い癖に、上との政治はうまくやりよる。だからワシはアイツを出し抜かない限りはもっと上に行けんねん……」
そう言う藤田岡さんの瞳にはあの落雷のような怒号の際に見える、燃え盛る怒りが沸々と感じられ、僕だけでなくバーテンダーさえも威圧感に呑まれていた。
「せやから君はラッキーやで。ワシの方についていればうまい汁啜り放題、うまい酒もいい女も車も権力も、万事順調や。ワシの方に付いている限りは……な……」
そう言って彼はその燃え盛る怒りを瞳に宿したまま、ニヤリと不敵な笑みをこちらに向ける。その手に持っていたショットグラスは凄まじい圧力によって握りつぶされ、ガラスの破片は、彼の大型哺乳類の如く分厚い皮膚に阻まれ、傷つけることなく粉々に砕かれてカウンターの上に粉となって零れてゆく。
僕はそれを見て完全に悟る。この人は卓越した野心と、残酷な決断を併せ持つ、まさに『暴君』に相応しい人間なのだということを。
「まあ、そのこと覚えてくれたら今日はええわ。間違っても慧音のヤツや……自分でのし上がるような馬鹿な夢、抱かんことやな」
そう言うと藤田岡さんはカウンターにポンと金を置き去っていく。
彼が扉から出て行っても暫らくは部屋に残る威圧感が僕の身体を凍えさせた。
一体、何が起きた?
二兎さんが語った藤田岡さんと慧音さんの関係は?
戦友と呼ぶべき関係性に変化があったのか?
『お前も災難だが……。まあ、体で覚えるほかないからな、がんばれよ』
……鄙野さんが言った言葉が頭をよぎる。まさか二兎さんが嘘を? なぜ? 何のために?
藤田岡さんが去った後もしばらくの間、僕はバーカウンターで当惑と混乱の中で震えていた。
―――――
次の日、僕が会社に出勤すると部屋には慧音さんだけが待ち構えるように居た。僕は先日のこともあり少々身構え、挨拶をする。
「お、おはようございます」
「おはようございます。昨日、藤田岡さんとBARに行かれた件で一つお話があるのですが、お時間宜しいですか?」
慧音さんはいつものような冷淡な調子でそう語る。僕は図星を突かれたように動揺しつつも、返事をする。
「へ、あ、だっ大丈夫です……」
「そうですか。では単刀直入に話しますね。藤田岡さんに付くのは止めて置きなさい。あの人は部下を使い潰すタイプの人です。あなたも彼の感情的な叱責には辟易しているでしょう?」
大変だ。本当に彼らは、対立しているのかもしれない。それも真っ向から。それだからここの部署の人たちは業務中に関しては波風を絶たせないよう気を付けていたのか……。でも、だとすると二兎さんは一体何者なんだ? 彼は一体何の目的があってあんなことを……。
「……。返事がないということは不服であるということでしょうか?」
「いえっ! その、スミマセン。僕も混乱していて……」
その言葉を聞き、彼女は何かに気づいたように溜息を一つ吐くと、口を開く。
「二兎さんに何か、藤田岡さんや私に関する妙な情報を吹き込まれたようですね」
吹き込まれる?
「それはどういう……?」
慧音さんは呆れたような様子で腕を組みつつ話す。
「彼はその……。どちらかと言うと藤田岡さん側の人間なのですが……。藤田岡さん自身も辟易しているというか。つかみどころのない人間です。具体的に言えば毒にも薬にもならない全く意味のない嘘を平然と並べます。藤田岡さんのことに関しては毒になり得るものも多いですがね」
「ええ……?」
そのことを聞いた僕は、二兎さんが僕に話している時の表情を思い出す。あの満面の笑み。その奥には何か計り知れないものを僅かに感じ取っていた、まさか彼は……。
「彼は恐らくですが……。ただ快楽と言うか、利己的な目的で自身の不利になり得る嘘を語っているのでしょう。何か目的意識や矜持と言うものはあるようですが、私にはわかりかねます。……仕事では欠かせない人材ですので部署を移すこともできませんし、そもそも移す合理的な理由もありませんからね……。厄介な人です」
僕はこの部署の人々のことが信じられなくなってきた。あの二兎さんがそんな狂気的な人物だったなんて。……確かに毎日ラーメンばかり食べている鄙野さんとかおかしな人はちょくちょく見てはいたが。
「……これでわかったでしょう、この部署の状況が。だからこそ、あなたには正しい選択をしてもらいたいのです。何が自分の命を長らえる選択なのか、客観的な見解を以て判断したうえで」
確かに、藤田岡さんはあの出来事で明らかな『暴君』であった。僕が信用していた二兎さんは謎の嘘を連ねていた。鄙野さんは初めからラーメンばかりのヤバい人だった。現状この部署で最も信用に足る人は慧音さんだ。僕に対する注意も理詰めの正論であり、正統な言い分ばかりだった。彼女の今語った注意も合理的で正しいと言える。
だが……。
「すみませんが、今ここでその返答をすることはできません」
恐らく彼女も、あの藤田岡さんに匹敵するほどの冷徹さを持っている。彼女が部下を使い捨てないという保証はどこにもなく、また、普段の言動からもそうした想像が容易にできてしまう。身の振り方は慎重にすべきだ。
「……そうですか。まあいいでしょう。ただ、『機会』はそう長く留まってはくれません。丁度『大仕事』も舞い込んでくる時期ですから」
彼女はその氷の刃のような忠告を僕に刺すと自身の部屋へと入って行った。僕の背にはヒヤリとした汗が伝っていた。
僕はこの部署で改めて立ち回りを考えなければならない。せっかく苦労して得た仕事だ。あの恐るべき暴君藤田岡さんや凍れる暗殺者と言うべき慧音さんは今まで以上の手練手管で僕や僕の同僚を懐柔したり、時には争わせるようなこともするのであろう。そう、ただでさえ、仕事が仕事なのだから。
「お、こんな早くに出勤とはやる気があって好いねェ」
二兎さんが出勤してくる。僕は少し身構えてしまったが、すぐにいつもの調子と言い聞かせ返事をする。
「た、たまたま早く来てしまって……。あはは」
「へぇ。そういえば、藤田岡さんもしばらく前までは朝早かったんだが、バンドの練習で今は少し遅いんだよな。中々パワフルなボーカルが特徴的なんだが藤田岡さんが書く歌詞のしっとりとした表現と、ベースの谷野さんが作り出す重厚な曲調が化学反応を……」
「おい、『
部署の扉が勢いよく開かれ、鄙野さんがそう叫ぶ。僕と二兎さんはすぐさま
道中、鄙野さんが状況を説明する。
「隣町の小学組のモンだ。鉄砲玉何十人か寄越してきやがった。たまたま藤田岡さんと俺と警備の奴らが三人居てな。今応戦してる」
「藤田岡さんがいるなら心配はいりませんが、お先に失礼しますよっ」
二兎さんはそう言って驚くべき速さで駆け、すぐに僕らを置いて正門へと駆けていく。僕らも少し急いだが追いつくことはできない。
僕らが正門に着いた頃、あの藤田岡さんの声が聞こえてきた。
「二度と逆らうなよ」
にこやかに笑いながら、彼は左手を開き、その手の中にあったくずのようなものを地面にぱらぱらと落としている。それは極限まで圧縮された人の頭蓋骨。彼はその強靭な握力により、敵方の鉄砲玉と思われる男の頭の骨を握り砕いたのだ。恐るべきパワーの前に周囲の鉄砲玉たちの幾人かは失禁し、恐怖から嘔吐する者もいた。
だが、それでも数名の無謀な男たちが上のものから預かったであろう
藤田岡さんは何事もなかったかのように平然とこちらを向き、手を振る。
「おう、やっと来たかワレ。遅いでホンマ。警備の奴らは足手まといやから引かせといたで。二兎の奴が誘導してくれとるから、ワシらは正面に専念するんや」
彼らが味方であるうちは心強い。味方であるうちは。
さあ、何はともあれ僕たちの仕事が始まる。この極道組織『集栄組』の掃除屋部署、年に一度の『大仕事』が。
僕は
蹂躙の開始だ。
硝煙と血煙が朝の空に漂う。
僕らの仕事場 臆病虚弱 @okubyoukyojaku
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