第3話
11月も下旬になると外の空気は肌寒い。社内も暖房で温められるが、総務部としてはなるべく光熱費を押さえたいと思うもの。総務課長の三浦と経理課長の下鳥は暖房費の予算について声をひそめず大きな声で話し合っていた。これは他の社員達に対しての牽制なんだろうな。お前等暖房を節約して使え~って圧力をかけているって事。
総務部の人員達は皆、三浦と下鳥から顔を背けるようにして仕事に没頭しているか、誰かと立ち話をしていた。
約一ヶ月前、マーケティング課の課員が四名不遇な事故により亡くなった。誰が亡くなろうと会社というのは毎日同じ業務が続いていく。立ち止まって悲しんでいる暇など無い。それが組織というもの。俺も人事の仕事で忙しいんだ。
でも、亡くなった人員の穴埋めの為に職安に求人募集はだしているものの、まだ応募者は来ず、未だ欠員が埋まってはいない。マーケティング課で募集だしたのが悪かったかな。ただでさえマーケティング課の欠員補充率は高いから、職安で仕事探しをしている人も頻繁に求人票がでている会社の部署は警戒するだろうし。
「横内課長」
「何だい?どうしたんだい。」
「欠員補充の件なんですが、募集内容をマーケティング課でなく他の部署で募集してみたらどうかなって思って。」
「どうして?」
「いえ、マーケティング課で職安に求人票だしても未だ応募者こないでしょ?ただでさえマーケティング課の求人はよく出るから警戒されているのかな~って。なので別部署で応募かけてみたら誰か応募してくるんじゃないかな~って・・。」
「ふ・・む。じゃあマーケティング課の穴埋めは他部署からの異動でまかなえってことかい?」
「そうです。」
「分かった、部長に相談してみるよ。」
「はい、ありがとうございます。」
我ながら名案だと思った。そして数日後には総務部長の原口から許可が下り、募集内容を変更することとなった。営業課への営業事務の仕事での求人募集をすることになった。恐らくだが、原口部長も頻繁な人員補充は快良く思ってなかったんだろう。原口部長と横内課長はさっそくマーケティング課に異動させる人員を誰にするか話し合っていた。
そしてさらに数日後。横内課長からマーケティング課に異動する人員の決定を告げららた。意外とあっさりと俺の提案が受け入れられて良かった。
「マーケティングには営業課の川原さんが異動することになったよ。」
「川原さんですか、他は?」
「後の二名はまだ未定だけど、とりあえず川原さんが行く事になったよ。彼女ならお局の溝渕さんとも上手くやれるだろうし。」
「判りました。ではさっそく辞令をだしますか?」
「ああ、僕の方から営業部の部長の山岸さんとマーケティング課長の亀井さんに伝えておくよ。その後正式に川原さんに辞令をだすから12月早々には異動してもらうことにするよ。」
「判りました。」
営業課の川原さんは26歳の女性で、性格は人なつっこい性格をしている。男子社員受けも良いがその人なつっこさから女子社員達からも好感をもたれており、彼女ならお局の溝渕とも上手くやれるだろうし、なにより岩瀬に対しても辛辣な態度はとることは無いと思う。
12月に入り川原がマーケティング課に異動になった。急遽決定し、間髪入れずに異動だから川原にとったら青天の霹靂だったと思う。でもそれも人手不足のマーケティング課の為だ、川原には是非新しい部署で新しい雰囲気作りに励んで欲しい。
そして12月も下旬になると職安に募集をだしていた求人にも複数名の応募があったと連絡がやってきた。案の上、募集部署が変わると求職者側も安心したみたいだ。面接やら採用の合否の決定やらは来年になりそうだが、さっそくその旨を山岸営業部長へ報告に向かった。
営業部のフロアに足を踏み入れた途端、女性の怒鳴り声が響いてきた。
声の主はマーケティング課所属の西村ちなみだ。その西村がどなりつけている相手はなんと岩瀬だった。
「”知りません”じゃないわよ。コレ、アンタがやったんでしょ?」
「違います。私が処理した書類ではありません。」
「はぁ?違いますって・・あんた以外誰がこんなミスするの。」
「・・・。」
岩瀬は西村のあまりの気迫に怯え俯いてしまっていた。マーケティング課の他の課員達は一斉に沈黙し、西村と岩瀬のやりとりに耳を澄ませている。そして他人のフリを決め込んでしまっている。
「大体アンタ生意気なんだけど。ちょっと顔がいいからって気取ってんじゃないよ。アンタ程度の顔なんて沢山いるし、私から見ればアンタなんてドブスにしか見えないんだから。」
おいおい何もそんな風に言わなくてもいいじゃないか。それに『ドブス』だとかいくらなんでもただの悪口でしかないし、それにどこをどう見ても岩瀬がブスになんて見えない。明らかに行き過ぎた叱責だ。亀井課長の方をチラリとみると、何か言いたそうにチラチラと西村の方を見ていたが結局は西村の言いがかりともとれるパワハラを注意出来ずにいた。これは俺が行くしかないな。
「西村さん、ちょっといい?」
俺が声をかけると西村は気まずそうな顔を一瞬して振り向いた。
「・・・源さん・・なんでしょうか。」
西村としては総務の人間が見ていたとは思っていなかったのだろう、俺が自分に声をかけた理由を察しているぽい。
西村は少しおどおどした様子で近寄ってきた。一応自分が岩瀬に因縁をつけていた自覚は有ったのか。
「もの凄い剣幕で岩瀬さんを怒鳴っていたけど、一体どうしましたか?」
「はい・・・、この新商品のお菓子の説明書なんですが、内容が間違っていたんですよ。」
「これは岩瀬さんが間違えたんですか?」
「はい、そうだと思います。」
「『思います』って・・、岩瀬さんが間違えた確実な証拠はないんですね?」
「証拠はありません。ですが、岩瀬さん以外に間違える人はいないと思います。」
「証拠が無いのに犯人扱いしたんですか?人間誰だって間違える時がある。ベテランの人でもこういう単純ミスをする時があるのになんで岩瀬さんがやったと決めつけたんですか?」
「だって・・岩瀬さんみたいな新入社員ならこういう間違いをしやすいし・・・。」
「マーケティング課にはつい最近川原さんだって異動してきたでしょう。いや、別に川原さんがミスした張本人とは言わないけれど、証拠も無いのに勝手にミスした犯人扱いをしない様に。」
「はい・・わかりました。」
西村は不満そうなしかめっ面をして自分の席に戻ってパソコンをいじりだした。ま、俺だって実際は誰がミスしたなんて知らないけど、一応行き過ぎた叱責には目を光らせとかないと。岩瀬の方を見ると、すでにその場から立ち去って居なくなっていた。もしかしたらトイレにでも行って泣いているのかも知れない。
俺は山岸営業部長に自分の要件を伝えると、真っ直ぐ総務に戻った。
その日の午後、俺は渡辺と共に社員食堂に向かっていた。その時、西村とすれ違った。西村はパンパンに膨らんだ鞄を持ち、資料の束をクリアファイルに入れて小脇に抱えながら忙しそうにしていた。
「西村さんこれから外出?」
「あ、源さん。そうなんですこれから取引先にこの新商品のサンプルと説明の資料を届けに行くんです。これで相手先が納得してくれたら、次は商品のパッケージのデザインを決めなくちゃ。」
「そう、気をつけてね。」
「はい、行ってきます。」
西村は忙しそうに社外へと出て行った。
「西村はああいう時は素直で可愛らしいんだけどな。」
「ああ、さっきの岩瀬を怒鳴り散らしていた時は凄かったですよね。総務の方まで怒鳴り声が聞こえてきましたもん。」
「なんだか仕事のミスを責めていたっていうよりは、美人に対するいじめにしか見えなかったよ。」
西村が歩き去って行った方向に目線を走らせると、白い紙が落ちていた。近寄ってみてみるとそれは新商品に関する資料だった。
「これもしかしてさっき西村さんが持っていた資料の一部かな?」
「あぁ、多分そうですね。急いでいたから落としちゃったんでしょ。俺ひとっ走りして西村さんに届けてきましょうか?今ならまだ追いつけるし。」
「いや、俺が行ってくるよ。お前はメシ食ってこい。」
「じゃ、お願いしますね。」
「・・・あっさり身を引いたな。」
渡辺は苦笑いをしつつも一人社員食堂に向かった。さて、俺は今から走って西村にこの資料を届けに行かなければ。社外にでると俺は西村の後を追った。今日は雲一つ無い快晴だった。
大通り沿いの信号の手前で西村をみつけた。西村は横断歩道を渡っていた途中だった。今声をかければ間に合うかな。
「おーーい、西村さ・・」
全てを言い終わらないうちに西村が宙を舞ったのを見た。勢いよく突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされて。
あれ?おかしいぞ・・?信号の色は青だった筈なのに、いつのまにか赤に変わってるるぞ?なんで?西村が道路に倒れてピクリとも動かないぞ。今の状況は一体なんだ・・?俺は今一体なにを見せられたんだ・・
路面に横たわりピクリとも動かない西村の体を、思考停止して何も考えられない脳みそでその姿形を認識しながらも周囲の通行人達の悲鳴や叫び声が遠くに響き渡っていたかと思ったその時、俺の意識はそこでプッツリと途切れた。次ぎに意識を取り戻した時俺は病院の待合室にいた。そして俺は三浦課長と横内人事課長と亀井マーケティング課長に取り囲まれていた。
「大丈夫か源君。」
「俺はなんでここに・・?」
課長達は顔にしわを寄せ神妙な面持ちで俺を見つめていたけれど、俺は状況が飲み込めずにいた。
「源君、君は今少し錯乱しているだけだ。」
「無理もないさ、あんな現場を目撃してしまったんだから。」
「源くん・・・。」
課長達の顔を少しボーッと眺めていたら先ほどの記憶が走馬灯の様に蘇ってきた。・・そうだ、西村さんに落とした資料を届けよと追いかけていたら・・いたら・・・西村さんが・・・目の前で・・・・
「あ・・あ・・に、西村さんは・・・」
課長達は一斉に表情を曇らせ顔を背ける。
「西村君は・・・残念ながら亡くなったよ。」
「そ、そ、そんな・・・なんで・・俺の目の前で車に跳ね飛ばされて・・・ここは病院で・・」
「落ち着け。今、原口部長が警察と話しをしている最中だ。君も警察に状況を詳しく聞かれれると思う。話せるか?」
周囲を見渡すと、少し離れた所で原口部長と立ち話をしていた警察官が俺と目が合うとこっちに近寄ってきた。
「具合はどうですか?少しお話できますか?」
「はい・・。」
ここからの記憶はうろ覚えでしかない。警察官からの質問は全てありのままを答えただけだが、俺自身脳が考えるのを止めてしまっている状況であり、なんだか現実味が感じられない。夢を見ているような気分だった。
警察官からの質問が終了すると原口部長達が再び一斉に俺を取り囲み色々語りかけてきたけれど、俺の意識はそこで途絶え気がついたら病院のベッドの上に横たわっていた。
窓の外をみるともうすでに夜になっており、夜空には綺麗で大きな満月が光輝いている。時計を見るともうすでに夜の20時近くだった。ヤバい!家に帰らなければ。
妻の若菜に電話をかけると若菜は直ぐに電話に応答した。怒ってなきゃいいけど。
「もしもし!?」
「あ、若菜?ゴメン!俺。今病院にいるんだけどさ~」
「うん知ってる。会社の原口部長さんから連絡もらったよ。大変だったみたいだね。」
「うん・・そうなんだ・・これから家に帰るよ。」
「無理しないで。今夜一晩病院に泊まっていってゆっくり休んだら?」
「大丈夫、今から帰るから。」
電話を切ると、俺は退院手続きをして急いで帰路についた。くそっ!今日はなんて一日だ。目の前で人が死ぬのを目撃してしまうなんて・・・。しかもそれが同じ会社の人だなんて・・。
次の日、出勤すると同じ部署の人達がわらわらと集まってきた。皆、口々に“大変でしたね”と口々にはやし立ててくる。でも、その言葉を気に留める余裕なんて今の俺には無い。ただ、ただ昨日のあの目の前で西村が跳ね飛ばされる光景が何度も蘇ってくるだけ。
「源君、もう大丈夫?大丈夫ならちょっといいかな。常務と副社長が昨日の事件について詳しく話し聞きたいって。」
「はい・・・。」
やはりというか、役員連中は昨日の西村の事故事を直接俺から聞き出すつもりらしい。俺が目撃者なんだから当然と言えば当然なんだけど、話すことは殆ど無いと思う。俺が西村が落とした書類を届けようと後を追いかけたら西村がトラックに跳ね飛ばされただけ。それ以上の事は何も判らない。ただの交通事故としか言葉が見付からない。
事故の事を思い出すのは嫌だけど上の命令とあれば行くしか無い。俺は思い足を引きずるように副社長室に向かった。
「・・・これが僕がみた事の全てです。」
目撃した事故をありのままに話したけれど上役達は眉間にシワを寄せて沈黙するばかり。
「・・・そうか判った。もう行っていいよ。」
「はい、失礼しました。」
北澤副社長は少し不機嫌そうだった。恐らく警察から知らされた事以上の内容が聞けなくて不満なんだろうな。でも、俺だってこれ以上は何も判らない。ただの不幸な事故だったとしか言えない。
はぁ・・あと数日で年越しだというのになんということだ。こんな気分では正月どころじゃない。
深いため息をついていると渡辺が寄ってきた。
「源さん、大変でしたね。」
「いや・・本当に大変なのはマーケティング課の奴らだよ。特に亀井課長なんて課員が事故で亡くなったなんて落ち混んでいるんだろうに。」
「さっきマーケティング課の様子みてきたんですが、まるでお通夜状態でしたよ。流石にここ数ヶ月間の間に課員が立て続けに五人も死ぬなんて異常ですから。」
「だよなぁ、立て続けに五人も同じ課員が不慮の事故で亡くなるなんてさ。亀井課長じゃなくても胃が痛いよ。」
「ですよね。他部署ではマーケティング課は不吉だって陰口叩かれているくらいですからね。」
”マーケティング課は不吉’だというのは俺だってただの噂だとは思えない。普通同じ部署の人間がここ数ヶ月の間に五人も不慮の事故で死ぬなんてありえない。誰かが意図的に殺したのなら話しは判る。でも明らかに全て不慮の事故なのだから。
「各部署の部長課長達は正月休み中も交代で日替わり出勤が決まったらしいですよ。」
「こういう事があったんだ、仕方がないだろうな。でも社長や副社長は別なんだろ?」
「その通りです。社長や副社長親子は優雅に正月休みを取るらしいです。でも部長や課長達は不足の事態に備えて出勤だって。」
副社長は社長の息子なので、やはり社長と同様の扱いを受けている。こんな時くらい未来の社長らしく会社や従業員に対する責任感を見せてほしいものだがそれは無理な話なんだろう。自分の事しか考えていない副社長は従業員の死よりも家族と過ごす時間を優先させたいのだろうが、それは出勤を強要された各部署の部課長だって同じなのに。
「部長達も大変だな・・・。」
「ですね。」
年が明け新年の初出勤は社長の訓示で始まった。
「昨年悲しい出来事が立て続けに起こりました。会社にとってもご遺族の方々にとっても大変な悲しい出来事です。私も大切な社員を亡くしてとても悲しい。私にとって社員全員実の家族と同様に貴重な存在なのだから。それは副社長も同じ気持ちです。」
少し白々しい社長の訓示が終わり、全員それぞれの持ち場に戻るために散らばっていた道すがら、横内人事課長に呼び止められた。
「源君」
「はい、なんでしょう」
「実はさっそく欠員補充をしなくちゃいけないんだ。西村さんが亡くなったばかりで心苦しいけど、会社を回すためには人員も必要だからさ。ただ、上の連中は西村さんの後釜を社内の異動で済ませるかどうかで話しがまとまっていないらしいんだ。だから、とりあえず欠員補充の手配だけして採用が決定したらどこの部署に押し込めるかどうかが決定する事になりそうだ。」
横内課長は深いため息をついた。
西村が事故で亡くなってから二週間も経っていないというのに、それを忘れるかのようにもう次の人員を探さなきゃならないのだから、嫌な役目だと思っているのだろう。下手したら周りから冷たいと思われる事だってあるからだ。
「ということで職安の方に新規採用の募集だすように手配頼めるかな。」
営業課にはすでに渋沢という女性の中途採用が決まっている。営業課からマーケティング課に異動になった川原の後任だ。前職はどこぞの会社のコールセンターに勤務しており、非常に良く通る美声の持ち主だと面接を担当した渡辺が言っていた。入社予定は来月二月からだ。ただ、この女性は営業課への採用であって西村の後任ではない。西村の後任は横内課長の言うとおり、総務部長や役員達は社内での異動で済ますかどうしょうか揉めているってことだから、きっとそうなるんだろう。以前営業課から異動になった川原が今のところ問題無く平穏にマーケティング課に勤務しているので、恐らく今回も別部署からの異動ということになるのだろうが、それでも異動で人が抜けた部署の穴埋め補充は必要なのだ。
しかし、欠員が一人決定したけれど、また直ぐに別の欠員がでるなんて外部からみたら明らかに社員が定着しないブラック企業に見えるに違いない。
職安の職員から、また同じ会社からの求人募集ですかという目で見られる身になってくれ。
「はい、判りました。新年早々なんですが、職安への求人掲載は営業の部課長に欠員補充の了承をとってきてから手配します。」
「頼んだよ。」
横内課長は心苦しそうな顔をした。
営業部のフロアに到着するとマーケティング課の課員達は誰も言葉を発することなもくもくと作業に打ち込んでいた。同僚達が立て続けに亡くなったのだから無理はない。でも、誰が亡くなろうと、どんなに欠員がでようと会社を動かすためには前を向き働いて貰うしか無いんだ。そうだ、俺も西村の死を目の当たりにしてしまったけれど、前を向くしかないんだ。一瞬フラッシュバックで西村が交通事故に遭う場面がチラついたが、それを無理矢理打ち消した。
そしてふと、マーケティング課に目線を投げかけると、岩瀬美月が目についた。相変わらず美人だけどやはり浮き出ているように見える。周囲の課員達が背景と化し岩瀬だけが背景から浮き出ているようにしか見えない。ひときわ目立っていると言うべきか。なんという存在感。
でも俺にはその光景がなぜだか異様に見えた。
「源さん」
「・・っつは、はい。」
急に女性に声をかけられてビックリして振り向くとそこには川原がいた。
「源さん、マーケティング課になにかご用ですか?」
「えっ・・あ・・うん、そうなんだ。実は欠員補充の件でね。川原さんも大変だったね。急に西村さんが亡くなったから。」
「はい・・・」
川原は表情を曇らせると俺の腕を引いてマーケティング課から見えない場所に引っ張り込んだ。内密の話しをしたいのだろう。
「実は西村さんの事なんですけど、課のみんな岩瀬さんが殺したんじゃないかって噂してるんです。」
「ええ!そんな訳無いだろう。西村さんは俺の目の前で・・いや交通事故で亡くなったんだから。そんなのただの根拠の無い誹謗中傷じゃないか。岩瀬さんに対して失礼だよ。そう事言うのは止めなさい。」
「そうなんですけど、変だと思いませんか?」
「何が」
川原はさらに表情を険しくして俺の目を直接見ないようにうつむき加減になった。
「・・・だって変じゃないですか、浅川さん、宮崎さん、百瀬さん、河辺課長・・そして今度は西村さんですよ!?みんな岩瀬さんにキツくあたっていた人達ばかりなんです。西村さんなんて、岩瀬さんに罵声を浴びせかけたその日の内にあんな事になって・・」
確かにそうだけど、西村の件は岩瀬が仕事でミスしたからの叱責なんだろうし。でも言い方がかなりキツかったのは事実なんだよな。
「西村さんが岩瀬さんに怒っていたのは仕事でミスしたからじゃないかな。確かに言い過の面はあったと思ったけど。」
「違うんです!」
「違うって何が?岩瀬さんが西村さんに怒られていたのは仕事のミスに対してに聞こえたけど。」
「そのミスは岩瀬さんのミスでは無かったんです。」
あの時西村はなぜあそこまでムキになって岩瀬を責めていたのだろうか。やっぱり美人に対する嫉妬もあったのかな?『だって・・岩瀬さんみたいな新入社員ならこういう間違いをしやすいし・・・。』あの時の西村の言葉が思い出される。確かに岩瀬がミスした証拠は無いと西村も言っていた。でも、岩瀬がやっていないという証拠も無いはずだ。
「元々あの案件は別の人達の担当だったんです。西村さんも判っていたはずです。なのになぜか担当外の岩瀬さんの所為にして。」
「なんで西村さんはそんな事を・・・。」
なんという事だ。岩瀬はその業務に関わっていなかったのか。それが事実ならば酷い話しだ。パワハラだ。他人のミスをなすりつけるなんて岩瀬に対する業務妨害だ。
「西村さんも岩瀬さんの事を快く思っていなかったから、責める理由が欲しかったんだと思います。ほら岩瀬さんモテるから・・。」
あの時のあの剣幕は美人に対する嫉妬だったのなら確かに理不尽な話しで、岩瀬にとった西村に対して憎しみや殺意を抱いてもおかしくはないだろう。でも、物理的に考えて岩瀬が西村を交通事故に遭わせるなんて事は絶対に無理だ。
「でも、それと西村さんの事故死は無関係だろう。滅多な事を言うもんじゃ無い。岩瀬さんに聞かれたら傷ついてしまうよ。」
「源さんは変だと思わないんですか?こんな偶然ってあると思うんですか?」
川原のその言葉にドキリとした。確かにそろいもそろって岩瀬に恨みを買った奴らがここ数ヶ月の間に5人も不遇な事故で死ぬなんて、あり得っこない。一体どんな確率ならばこんな事が起こるのか説明がつかない。
「私、岩瀬さんが怖い。」
「怖いって・・川原さんも岩瀬さんが嫌いなのかい?」
「・・・」
俺の問いに川原は俯いて黙ってしまった。何か言いたそうな感じもするけれど、これ以上は誘導尋問的になってしまうので聞けない。相手から本音を聞き出すにも強引な手口で聞き出すのはコンプライアンス違反になってしまう恐れがあるからだ。
「・・・から・・」
「え?」
「だって・・・」
「だって?」
「いえ、なんでもありません。失礼します。」
川原は何か言いたそうだったけれど、結局は言えずに逃げるようにマーケティング課に戻って言ってしまった。川原も岩瀬に対して思う事があるのだろう。
でも川原の言うとおり、これまで亡くなった社員達は全て岩瀬の恨みをかっていたであろう人物ばかり。その人物達は全て不慮の事故で亡くなっている。これも紛れもない事実だ。もしも仮に岩瀬に他人を呪う不思議な力があればこういったこともあり得るだのかもしれないが、そんな能力を持つ人間なんて存在するわけが無い。裏で何か細工をして事故に見せかけて殺したという方がよっぽど現実的だ。
今までも職場ではどうだったのだろう?岩瀬は履歴書によると何度か転職歴があったはず。あれほどの美人なんだから、どこの会社でもその美貌に嫉妬する女は後を絶たないはず。もしも、今までの職場でも同じような不可解な死亡事故があれば岩瀬が絡んでいるとしか思えないかもしれない。・・・でもどうやって?人間誰かから嫌がらせをされたら頭にきて、頭の中でそいつを懲らしめる妄想をする。俺だって嫌な奴らを頭の中で呪った事なんて何度でもある。岩瀬だったそうに違いない。特に身に覚えの無い言いがかりをつけられた後ならば尚更。
でも、いくら頭の中で相手を呪ったり、懲らしめる妄想を繰り広げたりしたとしてもそれを現実に実行するなんて岩瀬にはできっこない様にみえるし、ましてや頭の中で妄想しただけで人を殺すなんて絶対に無理だ。ただの人間には無理だ。
マーケティング課で仕事をしている岩瀬に視線を投げると、岩瀬は黙々とパソコンに向かっている。相変わらず岩瀬だけ他の奴らとは雰囲気が違う。他の奴らが霞むくらいの美貌を放ち、思わず目が釘付けになる。
川原の言葉に影響されたのか、確かにマーケティング課の連中は岩瀬を避けている様にみえる。それは女性達ばかりでは無く男性社員達もさりげなく岩瀬を遠巻きにしている様にみえた。
今の俺には岩瀬のその美しさが少し怖く思えた。例えるなら、禍々しい美しさという表現が正しい。今までだって美人なら会社に沢山いた。でもどの美人達も岩瀬が持つ雰囲気は持ち合わせてなかった、勿論性格がキツい美人もいたし、優しい美人もいた。でも、みんなそれぞれふんわりとした印象で岩瀬の様に恐ろしく感じる事は無かった。毒をもってそうな美しさと言うべきか。
『岩瀬さんが怖い』川原のこの言葉が頭の中で響き渡る。この“怖い”という意味は得たいの知れない者への恐怖なのかもしれない。
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