蘇生聖女の逆襲
ににしば(嶺光)
第1話 蘇生聖女ジョアナ
「おまえはただの道具に過ぎん。ずっとこの聖堂で、怪我人を待てばいい」
うまれてこのかた、私はずっとそんな人生だった。
聖シルバー王国では、度重なる争乱が国内外に巻き起こり、いつも救護院や薬屋が怪我人にあふれていた。
そして、聖女たる私がいる、この王国中央聖堂も。
聖女は聖堂の特別祈祷室にいる。
いつもそこには、王国の軍の服を着た怪我人が運び込まれている。
そして、私は杖を持ち、祈る。
「天の光よ――――」
祈祷室に光があふれると、やがて怪我人たちは次々に起き上がってくる。さっきまで意識もなかったのに、走り聖堂を出て行くものもいる。これしか、私にできることはない。いままで生きてきて、これしか、知らない。
「やはり、救護任務において、最もすばらしい成果を上げるのはジョアナ様のお力だ。いつもありがとうございます」
軍のとある隊長は、ある日わたしに礼をした。数十人の軍人たちを、健康で元気な状態に戻したあとだった。
「いや、しかし絶大な力ですな。あなたなら、きっと死人すら蘇生できてしまうかのようだ」
わたしはぽかんと口を開け、しばらくその軍人を見つめた。
「どうしたのですか」
「いえ――」
すぐ口をつぐみ、いつもの笑顔、いつもの挨拶で相手を送り出す。……長くやっているつもりだが、あまりあのように褒めてくれる人はいない。特に、最近は。
「なんでもありません、これからも気をつけて、天のご加護がありますように」
「は、はあ」
それに――なんだか、さっき、なぜか言葉に不思議な感じがした。蘇生?まさか、そんなことができたら、それは……。
「聖女ジョアナ、か」
「おい、様をつけろよ」
「あー?」
部屋の扉を閉める直前、さっきの人たちの声がした。王国軍の人たち。
扉が閉まっても、薄い壁からは声がはっきり聞こえてきた。
「あれほどの力がありながら、なぜ人々に知られず、あんな独房のような場所でのみ働かされているんだ」
「あいつは、われらが国と軍だけの機密事項なんだ」
「あいつ?……聖女様では?」
「かまわん。みな、わが王国軍が屈強なおかげでようやく生きながらえているに過ぎん。聖女とて、ただ軍の備品のようなものだ」
「なんてことを――」
声を荒げた若い軍人は、それきりうめき声をあげると、しゃべらなくなった。
「先輩に逆らうな。せっかく目をかけていたのに……少しでも、気を抜くなよ。おまえはまだおれの一階級下にすぎないんだぞ」
「うう……」
「大丈夫ですか!?」
そこで、わたしは思わず飛び出していた。
傷ついた人間を見るのは耐えられない……まさに聖女らしい性分だ、とはよく言われていたが。
わたしは殴られたらしき軍人さんを、すぐ祈祷室に引きずり込もうとした。が、手が足りない。思わず周りを見る。誰か……。
しかし、目をとめた人は、この状況でも手を貸す様子はなく、かわりにまっすぐこちらを見ていた。
「あ、あの」
「部屋に戻れ、ジョアナ」
見張りは冷徹な目で、すでに私を見つめていた。私の腕をつかみ、ひねり上げる寸前で止めている。
「いたた……すみません」
殴られたらしき軍人は、しばらくうめいていた。が、先輩に蹴られ、しぶしぶ起き上がった。
殴られたらしき軍人さんは、一度こちらに目を向けて、わたしに一礼。そしてさっさと角を曲がっていった。
「おまえも、もう行くぞ、特別救護員ジョアナ・リーネット。」
わたしはいわゆる聖女――といわれることもまあ、あった。が、ほかにも、軍からは特別救護員という役職名を与えられていた。
わたしの職場、生活圏は固定されており、この特別祈祷室と、その横の個室のみだった。ほかの場所へ行けることは、原則、ない。外出は休日も禁じられていた。それに、休日出勤となる日もしょっちゅうだった。休む間もない労働の日々。
実質、軍に監禁されている、ともいえるのかもしれない。
「聖女さま!救護任務です!次は28人!そのつぎは35人です!」
そこへ、また伝令兵がやってきた。28人では、一度には特別礼拝室に収まらない。続けざまにもう一組か……。
わたしはすぐに部屋に戻り、怪我人たちのための寝床を直し始めた。新しいものに取り替える暇もない……。とにかく急がないと。
「はやく怪我人を運んで!準備を始めます!」
「あ、あと、さらに追加で42組が救護依頼中です!ちょっと立て込んでますが……」
「え、何があったんですか!?もう大聖堂の入り口まで、余ってる部屋にみんな詰め込んでおいてください!大祭壇を使用します!」
そんなことをなんども繰り返し、また一日が過ぎていった。
これが、わたしの日々……。なにもおかしなことはない、はずだが、すこし苦しい気がするのは、なぜだろう。
つかれた。
わたしはこの日々に、ぼんやりとすることが多くなっていた。
救護のための祈祷をはじめたのは、5歳くらいのころだろうか。
いきなり厳しい先輩に叱責される日々が始まり、わたしはわけもわからぬまま、いつしか聖女としての人生をはじめていた。
今までに何回、窓の外に春が来たかは、あまりわからない。でもそろそろ、潮時を感じる……。
夜。
王城の片隅の一室では、いまだに明かりがついていた。
「……聖女に休息を?まだ若いのに、もう音をあげたのか。」
「まあ、今回はさすがに……。ついにこのたび、激務により昏倒され、職場真横の自室にて療養中とのことです」
聖シルバー王国軍・総合管理部。そこでは深夜でも、忙しそうな人々が話していた。
「しかし、王国軍の戦いにはあの聖女は重要だ。休養させるにしろ、長くは――」
そこへ、伝令が駆け込む。
「敵襲!西94地区の防壁にて常駐軍が戦闘へ!ほかすでに18以上の隊が出撃中!西にて交戦中のスチール国軍です!」
管理職員は大きくため息をついた。
「またか、もうこれ以上はもたないが……もしあの聖女がいなければ、もう全軍撤退し、白旗を揚げるほかないかも知らんな」
「そんな……」
助けないと……助けないと……。
だめだ、私が倒れては、たくさんの人が……。
いつのまにか、わたしは特別祈祷室の横の個室に運ばれていた。
自分を癒やす祈祷をしたかったが、祭壇にはとうてい、向かえそうもなかった。
「どうすれば……」
動かない首を回さないまま、横目で隣の部屋の明かりを見つめる。
すると、その明かりが不意に消えた。よく見れば、明かりの前に、誰かが立っている。
「ジョアナ」
「先輩……」
「あなたは、この国の光だった。しかしいまは失われかけている。こんなところで潰れている場合ではない」
「こんな、ところ?とは……?」
人々を助ける、その繰り返しが、こんなところ、ですまされるとは言えないだろう。しかし、それを言ったのは、私に仕事を教えた、ほかならぬ先輩だった。
幼少からわたしの聖堂でのふるまいをきっちりたたき込んだのは、この方、シルバー王国聖堂の先輩だ。彼女はゆっくりと言った。
「シルバー王国の行軍は壊滅的だ。いずれ王国は滅ぶだろう……しかし、傷ついているのは軍人だけではない。巻き込まれた一般市民は、ここやほかの救護施設にたどり着くこともなく、多くが放置されている」
「そんな……」
「あなたはゆっくり休みなさい。いつか、あらゆる人を癒やせるように……」
そうか。軍の人のみならず、民間の人も苦しんでいる。もっと多くの人を救えるようにならないと……。
すると、突然轟音。
同時に部屋が大きく揺れ、徐々に怒号や武器の音があちこちから近づいてくる。先輩は扉を閉めて、暗い部屋で息を殺す。わたしも身をこわばらせて、息を潜めていた。
「聖女はどこだ!こんな野蛮な国を生かすためだけの野蛮な女はすぐに狩れ!」
「イオ!」
先輩はこっそり、誰かの名前を呼んだ。駆け込んできた誰かは、すぐにベッドから私を抱えあげて、どこかへと動き出す。どうやら、若い男性?のようだ。
「あなたは……見張りの?」
「じっとしてろ」
揺れの中、急に視界が明るくなる。わたしの部屋にこんなに明かりを入れるには……まさか、窓を開けた?
「あ、ここ、4階……!」
わたしはかすかに言った。言い終わる前に、わたしの体は重力を一瞬忘れた。気が遠のく。
しばらく、激しい揺れ。
低い声や剣戟が響く喧噪は、近づきすぎることなく、やがて遠のいていく。運ばれているであろうあいだのことは、ただそれだけを覚えている。そうしてぼんやりとするなかでは、しばらくはあらゆる感覚が消えうせていた。
「……あれ?」
目を覚ますと、見知らぬ場所だった。物心ついたころから、王国中央聖堂の決まった場所にしか出入りできなかったから、外のすべてはほぼ見知らぬものばかりなのは当然かもしれないが……。体が痛い。
「これは……?」
一面、緑だ。風に優しく揺れる小さなものたちは、それぞれにわずかに色が異なる。
わたしは身の回りの不思議なものたちを、興味深く触れてみた。今までに触れたことがないような、薄くやわらかい感触。
「たやすく触れるな」
「見張りの人?」
わたしはあたりを見まわした。緑の静かな風景は不思議なパターンで広がるばかり。見張りの人は見つからない。
「あの――」
わたしは立ち上がろうとして、少し向こうの緑の中に誰かが倒れているのに気がついた。気がつくが否や、わたしは叫んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
その人は、見張りの人だった。
足や背中にかなり深い傷を受けているようだ。怪我人。すぐに癒やさなければ……しかし。
「祭壇は……」
「あるわけないだろう。ここは国境付近の山だ。」
見張りの人は言った。
わたしはいつも特別祈祷室の祭壇でしか、祈祷したことがない。
こんな……森?のなかでは、きっとたしかに祭壇は見つかりそうもないだろう。というか、森というのは、どんな場所なのだろう。あたりの静寂は、不思議な小さな音が混ざり合い、なにかを語りかけているようだった。
「美しい……?」
わたしは、不思議とそうつぶやき、ひざまづくと祈りはじめていた。
しばらくすると、いつしか閉じたまぶたの奥で、いつも探している光が見えた。
「あ、これは……!」
もしかしたら、こんな場所でも、祈祷はできるのかもしれない。
そのとき。
「そこにいるのはだれだ!」
低い声が、鋭く森の向こうから響いた。見張りの人が、小さく背後で言った。
「逃げろ!絶対見つかるな!」
でも、見張りの人は動けないようだ。見捨てる気にはなれない……。
迷ってしまい、うろたえているうちに、気配は近づく……。そして、あっという間に、わたしの目の前には、さっきの声の主が立っていた。
「なんだ、おまえら」
「あなたは?」
「この山の管理のものだ。さっき侵入者があったと聞いて……軍人ではないようだな」
「この山は、たしか……ベルグ山か。ならば、隣国の管轄のはず……」
見張りの人が言った。わたしは首をかしげた。
「それってどういう意味ですか?」
「かくまってくれ、我々はシルバー王国から亡命中だ。協力してほしい」
「……なんだと?」
驚いた様子の山の管理者は、見張りの人を見つめた。
「ならば、ついてくるがいい……ここはまだ安全だ。いつまでかはわからんが」
それを聞くと、見張りの人は緊張の糸が切れたように脱力していた。
わたしは、「少し待ってください」と管理者に声をかけると、ひざまづいて祈りはじめた。ここに祭壇はないが……。
集中していると、なんとかまぶたの裏に、光は降りてきていた。
軽々と立ち上がった見張りの人を見て、わたしは安堵の息をついた。
「驚いた。シルバー王国には、まだこんな力があったのか」
山の管理者は感心したようにつぶやいていた。
わたしは微笑んだ。見張りの人は、「しまった」とつぶやいた。
「もしかして、ジョアナのこの力を知られると、まずかったか……」
「『聖女』といった者がいるという噂は、平和な頃には聞いていた。シルバー王国と我が国に正式な国交はなかったが、聖女目当てに旅立とうとする者もいた。しかし、開戦する寸前、王国からは、『聖女は死んだ』との声明があった……。生きていたとはな、聖女ジョハナ。」
「あ、ジョアナです」
わたしが言ったとたん、見張りの人はさえぎった。
「いや、聖女は死んだ」
「え!?」
「いやいや、隠さなくても、さっきのを見ればもうわかった。やがて正式に、われらがアロイ連合国が、シルバー王国の聖女の身を預かるだろう」
「なんだと……それは、いったいどういうつもりで……」
見張りの人はなにやら怖い顔をしている。よくわからないまま、わたしは首をかしげた。
山の管理者は言った。
「シルバー王国聖女の身柄を預かれば、シルバー王国に強く言うことを聞かせられるだろう。そうできれば、きっと連合国本部は戦 乱を止めるように、王国に働きかけてくれるだろう」
「つまり?」
私が首をかしげると、見張りの人――イオは言った。
「ようは、あんたがいれば、シルバー王国は戦争を止めてくれるはずで、連合国本部があんたを預かったら、そう言ってくれるはずだとさ。たぶん。」
「そうなんですね、でも……」
わたしはうなずいた。ならば、はやく連合国の人たちにお願いしないと。でも、少し引っかかる。
「本当にうまくいくでしょうか」
「たぶん、だよ。シルバー王国のことだ、もしかしたらやめない場合も……」
「まあ、連合国本部もどう出るか、素人にはなかなかわかるもんじゃないが」
「よくわかりませんね」
わたしは森の風景をながめながら、斜面をくだった。底の薄い室内履きでは、とても固いでこぼこした部分があると足が痛い。長いローブもしょっちゅう引っかかるため、裾を少したくし上げて縛った。すると、さっきまでローブのすそを絡めていた枝?が、足に刺さる。ちいさな傷がいくつもできても、いちいち歩みを止めていてはらちが開かない。
「本部にあんたらの身柄を渡す前に、そこの山小屋で待っていてほしい。数日すれば、返事も来るだろう」
山の管理者は言って、ある一点を指し示した。
「あれは……三角?」
「山小屋だといってるだろう。あそこに入って待つんだ。」
イオがつぶやくように言う。わたしはぼんやりした頭で聞いた。
「つまり、部屋があるんですか?」
「はぁ……」
なぜかため息をつかれた。とりあえず、謝った。
「すみませ……あっ!」
そのとたん、バランスを崩した私は、山の斜面から転がり落ちた。視界が揺れて回り、いきなり天地が入れ替わる。悲鳴を上げて、わたしはしばらく呆然とする。
「山、こわい……」
「まだ疲労が残っているようだな。寝込んでいる最中に連れ出したんだ、無理もない」
「いえ、そんな、わたしは……」
立ち上がろうとした私は、体に力が入らないことに気づいた。長い労働の日々がたたっているのは間違いない。それでも、緊急事態により特別救護指令が来ることはしょっちゅうだったし、無理に体を起こすのは慣れていた。
「よいしょ……っと」
わたしはよろけながら斜面を降りた。山小屋に着くと、床にへたり込んだ。するとそのまま、眼前の風景が暗く、遠くなっていった。
誰かの声がする。私を連れ出した見張りの人と、もう一人……。
「――シルバー王国は聖王国を名乗る、周囲に鎖国したままの国でした。しかしあるとき、周囲の国々に『聖なる裁き』と称し、開戦を宣言。次々と隣国へ襲いかかり、われらがアロイ連合にもその魔手をのばしたのです」
「シルバー王国はさまざまな国を一気に敵に回したのですね」
「はい、周囲の国々はシルバー王国の突然の蛮行に、協力して立ち向かおうとしました。しかし利害の不一致や継戦する意志の不足から、いくつかの国はためらい、やがてシルバー王国に攻められている国々だけが前線のみで対処することが多くなりました。ゴールドオーラ帝国、プラチナ皇国は、いくつかの国を挟み無傷なため、いまだ動きはありません」
「われらがシルバー王国はなぜ……止めないのでしょうか……」
「聖王国として周囲を糺弾する姿勢は、聖女が生まれた年から強まっています。聖女ジョハナを得たシルバー王国は、その力により、さらなる権力を有するべきだと考えているようです」
「ジョアナが……原因?まさか、そんなことで?」
「ジョハナ様は、強い力をお持ちだと聞きます。人知を超えた力は、シルバー王国を惑わしたにちがいありません。」
「そんな……。」
わたしは目を開いた。
いつしか、またベッドに横たえられていた。少し固く、冷えている。
かけられた毛布をたぐり寄せ、その中で身をよじり、頭を抱えた。
――私が原因?
向こうでイオとだれかが話しているのは、もうみな聞こえていた。
わたしは、シルバー王国を狂わせてしまったのだろうか。この力が、争いを――?
連合国にてしばらく過ごす日々は、とても心安らかとは言えなかった。生まれてこの方、祈ることしか知らなかったのに、わたしはもう、なんだか自分がおぞましかった。
「ジョハナ様、大丈夫ですか」
「だ……大丈夫、でしょうか」
「あなたのことですから、あなたがお決めになってください……」
私が生活するのを手伝ってくれる施設の方は、困ったように眉を下げた。
連合国の人々は、わたしをジョアナではなく、ジョハナと呼ぶ。同じ名前を呼んでいるのは間違いないうえで、地域によるすこしの発音の違いにすぎない……そうだが、やはりわずかに気になる。まあ、口にはしないが。
「連合国本部は、わたしのこと、なんておっしゃってましたか?」
「わたしはただの手伝いなのでわかりません。しかし、あなたのお連れの方が、もう聞いているころだと思います」
「イオが?イオはどこに?」
「この宿屋の一つ下の階におられます」
わたしはイオの部屋に連れて行ってもらった。宿の部屋で療養していたため、亡命中に自分を守ってくれていた人の部屋の位置すら知らずに過ごしていた。そんな自分を少し恥じる。
「ジョアナか。もう体はいいのか」
「わたしの体調は……それより、近況を聞かせてください」
「あー……」
イオは割り切れない表情で、わたしを気遣うように見ながら言った。
「シルバー王国は、アロイ連合国に攻め込むことにしたらしい。やがて、あの山を越えて、軍が攻めてくる」
「そんな!」
わたしは椅子から立ち上がった。周りの人をいまさらながら見れば、たしかに表情が沈んでいる。わたしは急ぎ借りている外套をつかんで階段へ向かう。
「ジョハナ様、どこへ」
「早く行かないと、アロイ連合国が巻き込まれてしまう!わたしが悪いのに、あなた方を巻き込むわけにはいきません!」
「でも――」
わたしは急ぎすぎて足がもつれ、階段を転げ落ちた。イオが焦った様子で駆け下りてくる。
「わたしはいいから、はやくわたしを国境へ。シルバー王国になんとか止まってもらわないと」
「しかし……!」
わたしはイオに懇願した。半狂乱だった。イオもわたしも、焦りでもはやよくわからない感じになりながら、国境へ向かった。
とにかく、馬車でベルグ山へ。
その際、山へ向かう道のりの間に、さまざまな人々を見た。
みな、豊かには見えず、しかし不幸でもなさそうだった。自然の恵みのなかで、高望みせずにあるがまま生きる……、それはできる限りの、無理のないもの。その地のおそらくは、一般的な暮らし。それらは、いまにも戦争というものにより、軽々しく踏みにじられようとしている……。今だけは、全くそうは見えないのに。
『傷ついているのは軍人だけではない。巻き込まれた一般市民は――』
聖堂の先輩の言葉が、断片的に浮かぶ。彼らがあの軍人たちのように、傷つけられるのは、それは、私にはあまりにも――。
ベルグ山にて、また山小屋の管理者の方に山小屋に入れてもらった。私はシルバー王国軍に伝令を送ってもらい、私がここにいる、と伝えてもらおうとしていた。
「シルバー王国に戻って、それでどうする。以前同様、王国は攻めこみ続けるはず。なにも変えられはしないが?」
イオは問う。わたしは頭を抱えていた。
「そう。わたしは……わたしは、このままでは何も変えられない……このままでは、ただの災いの種でしかない……」
策はなかった。わたしは伝令を待つ間、ふらふらと山を登っていた。すると、ベルグ山の斜面は、小さな白い四角い何かを抱えていた。
「あ、あのとき転んだ、あの岩……?かしら、これは?」
わたしはそれを見た。白いそれは、馴染み深い見た目で、私を吸い寄せた。シルバー王国中央聖堂、我が家ともいえるそこの、祭壇によく似た形と色合い。
「どうにかしてください、天よ……わたしが無力なままでは……このままでは……」
いつしか、わたしは自然と祈っていた。幼少期から何万回も繰り返した気がする動き。流れるような形で。
遠くからは、どうやら、多くの人々の低い怒号が、足音が迫っている。もう、時間切れのようだった。
シルバー王国王城にて。玉座の間にて、王は難しい顔をしてつぶやいていた。目の前にはひざまづく部下の一人。その身なりはとても格調高い。
「聖女ジョアナは、アロイ連合国に行ったそうだな」
「はい、軍はすでに向けてあります、アロイ連合国をどんな目に遭わせてでも、聖女ジョアナだけは生け捕りに――」
「連合国は、知っているのか」
「は?何を?」
「聖女ジョアナの本当の力だ。あれを――」
「といいますと……さあ。本人にも、伝える者が居ないよう、厳重に管理されているため、知るのは我々だけかと」
「ならばいい。連合国はあまり、聖シルバー王国に敵対的ではなかった。このまま秘密を保てるならば、預けておくこともできよう。軍を監視につけ、逃がさんように、だが」
「王……。では」
「ああ、今回の侵攻は、示威行為に留めよう。それから、すぐに秘密裏に交渉をすすめよ」
「はい、王」
シルバー王国国王は、暗い玉座の間にて、虚空をにらむように見上げた。灰色の空を映す窓は、高くから王を見下ろしている。
「……すべてを制するのはわがシルバー王国だ。聖女は必ず、我が国の手におきたいが……。属国に預け、やがてゆっくり引き取っても、問題はあるまい……。しかし、必ずやすべての勝利は、我が国に約束されているのだ。」
ベルグ山にて。
祭壇に向かい、ジョアナは祈っていた。背後に迫る軍靴の音から逃げ、その後のふもとの惨劇から逃げるように。
そのとき、白い祭壇は、ゆっくりと輝きはじめていた。
「お願いお願いお願いお願い――ああ、そうなんですね」
ジョアナは、微笑んでいた。
そして、やがて見開かれたその目は、すでに現世を映していなかった……。
輝きながら、ジョアナの目の前の祭壇は、徐々に動き始めた。
「あなたは……?」
ジョアナは光に向かい、夢見がちにつぶやく。
いつしか、ジョアナの目の前には、白く輝く大小様々な武器を持った戦士たちがいた。
「――そう、古代の戦士さま?じゃあ、お願いします。あまり乱暴はしてほしくない、でも、どうかふもとの争いを、シルバー王国を止めてください」
白い光の戦士たちは、ゆっくりうなずくと、風のように山を下りていった。
一方、シルバー王国。
「死者がよみがえったぞー!墓から、やつらは出てきた!!逃げろ!!」
「王、お逃げください!」
王城内は騒がしく、人々が走り回っていた。廊下に出ていた国王は、窓の向こうを見やりつつ。ゆっくりつぶやいた。
「……1000年に一度の聖女、か。そう、あれは死者すらも蘇生する禁忌の力。あの聖女は本来人々がさらに畏怖すべき、怪物だ。その力を利用すれば……もう、この国は聖なる国どころではない。しかし、すでに我らはそれをいとわない。きっと聖女は、この力でシルバー王国を導くだろう。この力さえあれば――ん?」
廊下の窓から王が見る風景は、遠くの空まで見渡せるほど広々としていた。そのあちこちでは、光の柱に包まれた幻影のような亡者たち。彼らは城下町をゆっくりとさまよっていた。そして、その歩みは少しずつ、一点に集まりはじめている。
「……あの聖女は、言い伝えとは少し違った力を扱っているようだな。これはどういうことか……」
王は首をかしげ、ひげをいじった。あたりの臣下たちの悲鳴は、窓の外の光とともに大きくなっていく。
「まさか……。」
白い光の亡者たちは、生者の軍も民たちも、まとめて畏怖させながら進んでいた。それは聖シルバー王国、アロイ連合国、ほか周囲の国々をも含めて、さまざまな地域にまで及ぶ出来事だった。
みな、各地付近の争いのあるほうを目指して歩き、生者の戦闘意欲をすっかり削いでいった。そして各地のシルバー王国軍が無力化すると、今度は王宮内に白い亡霊たちが現れた。
「なんと。このわしが……こんな……終わりになるとは。」
聖シルバー王国国王は、静かに目を閉じた。白い光が、玉座の間を包む。
「メタル大陸の争いは終結した。大陸の宗主国たるプラチナ皇国は、シルバー王国にあらたな王が現れるまで、大陸条約により、シルバー王国を管理する」
プラチナ皇国の使者によりシルバー王国に通達が出された。すると、そのすぐあとに、ジョアナはプラチナ皇国に呼び出された。
「ん?私何かしましたか?」
「いやしただろ、なんにせよ、いけよ」
「ひとりで遠出はちょっと……」
プラチナ皇国はのどかで、広い草原の向こうになだらかな山、さらに向こうに急峻な山が、と国土が広がっていた。ジョアナは連れられる合間、しきりに深呼吸していた。
「……なんでしょうか、わたしのような敗戦国の一救護隊員に」
ジョアナは伏し目がちに聞いた。
ジョアナたちが招かれた謁見の間。そこで中央のきれいな椅子に座った老人は、ゆったりと、寂しげに語り出した。
「シルバー王国に逃げたお前の母は、かつてはわがプラチナ皇国の姫だった。しかし、問題を起こし、捕らえられかけた。他国の者に絆されるとは恥としか言い様はないだろう。しかし、もはや責めることはできない。古い話だからな……彼女は、きっともういない……」
深々としわを刻んで憂う老人を前に、ジョアナはきょとんとした。横の男性に問う。
「……イオ、なんて言ったの、あの人?」
「ジョアナ……あんたは、この国の姫なんだよ。なんだかんだで、親があんたをシルバー王国に連れてったんだと、たぶん。」
「え?……え?」
ジョアナは大きく首をかしげた。
「お前は、祈りにより大陸中の亡者のなかから、共鳴するものに光を与える。お前と同じ願いをもつ彼らを、お前の願いのままに活動させられる。お前は代々この国に伝わる、そういった秘術の使い手なのだ」
ジョアナはうろたえた。すぐに横を見る。
「つ、つまり?イオ……?」
「だから、なんかさ、あんたは大陸中の死んだ人のなかから、気の合うやつらに力を与え、願いをかなえるのを手伝ってもらえるんだとさ。」
「なんで?」
「ここの姫だから。たぶん。」
「そ、そうなんですか?」
ジョアナはおどおどと聞きかえした。
「……そうじゃよ、姫。なんだか、うまくつたわったか、不安になってきたがな……。」
プラチナ皇国の最高統治者は、軽くため息をついた。それから、ゆっくり顔全体で微笑んだ。玉座とジョアナの間は駆けこんでもわずかに遠いくらいだったが、まるでなにも気にならないほどに、統治者の老人はジョアナにあたたかい笑みを向けていた。
「まあ、ようやくだが、故郷にお帰り、姫。」
「あの、わたし、姫という名ではなくて、ジョアナと申すのですが……にしても、なんだかこの国、居心地がいいですね。まるで大昔から住んでいたみたい。」
「あー、ジョアナ……姫?」
「すみません、こいつ、いや姫か、彼女は、聖堂からほとんど出たことがなくて」
「シルバー王国では、その力でこき使われていたのか。はは、それは傑作だ、プラチナ皇国の姫ともあろうものが……」
明るい笑い声が宮殿にこだました。やがてそこへ、ジョアナの笑い声が、そしてほかの者の笑い声が重なっていった。
やがて、統治者は言った。
「ジョアナ、おまえは自由だ。気が済むまでこの国中で、存分に学び、世界を知るがいい。」
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