12 入れ替わったドジっ子、整う

「あっ!」


 王都の一角にある魔法薬の研究室。つまずくものなど何もない真っ平らな床の上で、足をもつれさせた私は抱えていた様々な材料が宙に浮くのを見た。そして、前のめりに倒れる私の目の前で、放り出されたうちのいくつかが鍋に落ちるのも、それはもうしっかり見ていた。


ボファン!


 同僚であるキールの混ぜていた鍋の中身が、私のドジにより大量の煙を噴き出して爆発した。刺激臭に包まれ、頭が割れるように痛み、視界がグルグルと回る。ゲホゲホとむせる自分の声がやけに低いなと思った次の瞬間。


「ジェシカァァァァ……!」


 怒っているには高い声で胸ぐらを掴んできたのは、だった。


「てんめぇ……この……ドジ! いや、ドジじゃ済まねぇ……何してくれやがんだ人の魔法薬にぃぃぃぃ……!!!!!」

「ひぇぇぇぇ、ごめん! ごめんんんん……って、え、待ってこれ声ひっく、てか、え? 私? えええええ??!?!?!」


 想定外の材料が混ざった魔法薬は、私たちの精神をまるきり入れ替えてしまったらしかった。嘘でしょ。


「元の身体に戻す薬ができるまでこのままって……いつまでかなぁ……キールぅぅぅ」

「クソが……俺の顔してベソベソすんじゃねぇ!」

「キールこそ私の顔でそんな怒んないでよぉ……うう……」

「お前も少しは頭使え! 曲がりなりにも研究所の職員だろうが! ってかよォ……」


 キールがすっくと立ち上がり、腕や脚を曲げ伸ばしする。それからめちゃくちゃに顔をしかめ、私をにらんだ。


「お前の身体、クソすぎ」

「はァ?!」

「俺もそろそろメンテする時期だし、ちょうどいいや、オラ、ついてこい」

「なになになに……っ!」


 手首を掴まれたかと思うと、ぐいと引き上げられる。立ち上がると私を自然に見下ろしてしまうくらいにキールの身体の方が大きいのに、いつもの自分よりも身体が軽く感じた。

 スタスタ歩いて行ってしまうキールの後を慌てて追い掛ける。その駆け足も、なんだか楽しくなるくらいに足が軽かった。


 王都の中でも貴族御用達ごようたしの店が立ち並ぶ区画。普段であれば絶対に足を踏み入れない場所だ。

 貴族の方々は徒歩でなんか移動しないから、歩いているのは私たちだけ。横を走る馬車からの視線が痛い。

 キールは何も気にしないみたいに歩いているけれど、時々つまずいて転びそうになっていた。


 何の看板も出ていない建物の前でキールが立ち止まる。扉の横に付いた呼び鈴を鳴らすと、中からエプロン姿の女性が出てきた。


「はい! あら、キールさん。と、お連れ様?」

「あ、あの……!」

「色々あって中身が入れ替わった。俺がキールだ」

「えぇ? 魔法薬のせい? 大変ねぇ」


 入れ替わり、なんて突拍子もない出来事なのに、女の人はサラリと受け入れている。すごい。


「こいつの身体クソみたいにガッタガタだから、念入りにやってほしい」

「あらあら、それじゃキールくんの身体の方は新人ちゃんの練習に使わせてもらおうかな」

「ああ、それでいい。とにかくこの身体だ。こんなんじゃ元に戻す薬の調合にも集中できねぇ」

「分かったわ、それじゃ貴方はこっち。リリちゃーん! こちらの男性、練習台になってくれるってー!」

「えっ、あ、はーい!」


 奥から若い女の子が出てきて私を案内してくれた。少し緊張していたみたいだったけど、ベッドにうつ伏せになると丁寧な手つきで肩から腰からマッサージをしてくれる。

 私が気持ちよく施術を受けている最中、別の部屋から私(キール)の悲鳴が聞こえ続けていた。


「すっっっごかったわ! ジェシカちゃん、貴女、元の身体に戻ってもここ通わなきゃダメよ! 優先して予約取れるようにしておくから、定期的に来てね?!」

「そ、そんなに……」

「なんで俺がお前の代わりに痛い思いしなきゃなんねーんだ……さっさと元に戻るぞクソがっ!」

「はひぃ!」


 それから私たちは必死で新薬を作っては失敗し、作っては失敗し、そうしてようやく、薬が完成した。


「戻ったーーーー!!!!」

「はぁ……」


 しばらく視線が高かったから、こっちの視線が本来の自分のものにも拘わらず何だか違和感があった。

 でも視線以上に大きな違いがあって。


「身体、かっる」


 全身が、めちゃくちゃ軽い。まるで羽根でも生えたみたい。思わずぴょんぴょんしていると、バシンと背中を叩かれた。


「身体バッキバキ。姿勢もわりぃし、そりゃコケんだろ」

「おお、それじゃあこれで私もドジ脱却?!」

「どーだかな」


 キースは腕をぐるぐる回し、自分の身体を確かめるみたいにしながら自分の作業場へと戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、入れ替わっている間に知った意外と筋肉質な身体を思い出して恥ずかしくなった。


(いやいや、なに意識してんの!)


 誤魔化すように駆け出した私は、何もない床で滑ってコケるのだった。

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