phase1 かみさま

 人は生まれる場所を選べない。

 なーんて言葉、どっかしらで聞いたことがある。聞いたことが……と言うか、文字で読んだと言うべきか。ともかくとして桃色と水色の髪色を持て余している私は一人、きったない部屋でぼーっと天井を見ていた。

 大学へ退学届を送付してからと言うもの、特に何かをしたいわけではなく、ただただスマホをいじってはベッドへ投げての繰り返し。あんなに楽しかった動画も次の投稿が来ない、そのため今ではすっかり退屈だ。

 これからのことを考えると、バイトとか入った方が良いのはわかっているが、どうにも身体が動かない。いや動きたくないが正しいか。

 私はまたスマホを拾い、ロックを解除する。いくつかの動画アプリとSNSのアイコンが目に入る。そういえばSNSも確認しなくなったなぁ。そう考えアプリをタップする。タイムラインにはかつて交流していた人と、アーティストが各々何かを投稿している。


「げ、いつの間にこんな感じに」


 かつてしゃべっていた同級生は何かを勧誘する人になっていて、投稿のコメント欄は『詐欺師』『ねずみ講』『人間関係の切り売り』などすごいことになっている。

 人間、簡単に変わってしまうのは重々承知だが、半年でここまで変化するもんかね。

 嫌な現実を見てしまった私はまたスマホをベッドへ投げようとして思い立つ。

 そうだ、一応成人はしているし、お酒でも飲んでみるか。

 善と欲望は急げ。そう言わんばかりに私はベッドから身を起こし、スマホを適当にポッケへ詰め込み、パーカーとコートを着てからまたサンダルで外に出る。足にすーっと冷たい空気が入り、ぶるっと身体を震わせる。

 外はすでに暗く、夜になった下層はまた宴会を始める。あちこちで乾杯の音が聞こえてきていて、バカ騒ぎが始まる。私はそんな下層の騒ぎを避けつつ、普段食料品を買っている場所へ足を運ぶ。下層にはコンビニなんて存在しない。その代わりにコンビニのような店はあちこちで点在し、互いに商売競争をしている。互いが互いの悪口を言っているが、別に仲が悪いと言うわけではなく、一緒になって酒を飲みすぎて次の日急遽閉店ってのも見たことがある。

 行きつけの店に到着し、引き戸を開け、中に入るとすでに客が一人。


「タバコ、安くなんない?」

「ならん。なるわけねぇだろがい」

「あっちじゃ、3円安かったぞ?」

「3円? あっちがどっちを指してるんだい? 馬鹿言うんじゃないよ。そら帰った帰った」


 タバコを求める客と、店主のおばちゃんが値段交渉をしていた。たった数円ぽっちでも安くなるならと交渉している人は多い。

 ……いやまぁ私も人の事言えないけど。


「おば……お姉さま。グレフルのチューハイ、でっかいの4本!」

「下手なおべっかはいらないよ。グレフルのどれ? 強いの? 弱いの?」

「強いの!」

「今年二十歳になったからって、そんなにたくさん飲むもんじゃないよ。ほら会計」


 レジの数字を見て私はスマホを差し出す。すぐに会計の音が鳴り、商品が手渡される。


「羽目を外しすぎないようにね」


 と背後からおばちゃんがそんなことを言う。私は。


「なるべく気を付けまーす」


 と返し、そのまま店外へ出た。サンダルをぺたぺたと鳴らしながら道を歩いていると、道の途中で何が起こっているのかはわからないが、人だかりができている。正直日常茶飯事なので、人だかりのすぐそばに座り、さっき買ったグレープフルーツのチューハイ……の強いやつの缶を開ける。ぷしゅっという音とともに柑橘系の匂いが香ってくる。

 一口飲んでみると、なんだか甘味とケミカルな味がごっちゃになっている味がした。特別美味しくもない。

 4本は買いすぎたかな……なんて考えながら飲んでいると、だんだんと視界がぼんやりとしてくる。

 そういえば、何も食べてなかったかも。ついでにおつまみでも見繕ってもらえばよかった。

 ぼんやりとする視界でそんな風に考える。すると、目の前にいつの間にか人が立っていた。ここらで見かける顔だ。


「嬢ちゃん、こんなところで飲んで、なにしてんの?」

「酒デビュー」

「大事な酒デビューをこんなところで済ませていいのか?」

「いいんでしゅ」


 どうやらおじさんは私の貴重な初飲酒を憂いているらしい。まあ言いたいことはわかる。けれど、今誰かとこの体験を共有したい気分ではない。


「ひとり酒ってのをたろしんれる」

「すでに呂律が回ってないじゃないか……ほら、おじさんが運ぶよ」


 そう言って、目の前の人間が手を差し出す。

 まだ一人で飲みたいなーなんてことをぼんやりと考えていると、その手を誰かが払う。


「おりょ?」

「…………」


 そこにはいつぞやに見かけた修道服の女性。なんだか目に殺気が込められているような。

 私はこの前のお姉さんの大立ち回りを思い出す。人間が簡単に回転したり、気絶させられたりしているところを。

 これはいけない。


「すとっぷ、すとーっぷおねーさん。まだなんもされれないからぁ!」

「……ツレか?」

「いえ、酔った女性に何かしようとしているみたいだったので」


 彼女はあくまで冷徹に言葉を続ける。私はお酒を飲みながらお姉さんに言う。


「ここで飲んでるわらしがわういんだって、ねぇ? おにーさん」

「ああ、まあな。この通り、何もしてない」

「だったら……」


 お姉さんの目が細くなり、おじさんの手を取る。そこには見慣れない色の切手が握られていた。


「せめてクスリくらいは隠してもらわないと」

「……これは自分用だ」

「そう? ならいいけど」


 言うが早いか、お姉さんは切手をかすめ取り、おじさんの口の中へ突っ込む。

 直後、おじさんの容態が変わる。さっきまで普通だったのに、突然大泣きし始めたのだ。

 その様子にお姉さんは。


「……なにこの即効性」


 と呟き、そのまま去ろうとする。私は慌てて声をかける。


「おねーさん!」

「…………なにか?」


 お姉さんは心底面倒くさそうな顔をしながら振り返る。修道服に火傷痕。そして眩しい白髪。

 私は色んな言葉をこねくり回し、必死で言葉を紡ぐ。


「一緒に飲んでくれない?」


 そう言って、お酒を差し出す。傍から見てみればひどく滑稽な光景だっただろう。こんな下層でお酒を飲もうだなんて怪しいにもほどがある。

 しかしお姉さんはため息をつくと、私からお酒を受け取る。


「少しだけだから」


 そう言って、プルトップを開ける。ひとつだったグレープフルーツの香りがふたつになる。外のがやがやは相変わらず、私は少しだけぐーっと缶をあおる。


「ぷはーっ」

「……いつもこんなお酒を?」


 彼女もごくごく飲んでいるが、あまり美味しそうな顔をしていない。私は彼女の問いに。


「ううん、今日が初めて。飲酒も初めて」

「初めてでこんなものを? もうちょっといいのもあるでしょう?」

「ううん、いいんだ。こーんくらいで、いいんだぁ」


 私はさらに缶をあおりながら揺れる視界の中で忘れていることを思い出す。

 名前だ、そういえば名乗っていない。

 私はのそのそと動き、手っ取り早く自身を証明するもの、学生証を探す。しかし当たり前だが学生証なんて持ってきていない。家のいつもの場所に置きっぱなしだ。まあいいや。


「身分証明できるものがないけろ、わらしの名前はぁ、坂本さかもと蔵持くらもちすもも~。苗字2個あるように見えるけど、真ん中のはミドルネームってやつ~」

「……モ、モ……っ」


 桃? 私の髪色か? ぼやける視界の中、修道服のおねーさんを探す。そこにはひどく動揺しているおねーさんの顔が。

 あれ? なんか私余計なこと言ったかな?


「おねーさん?」

「なんでもない。うん、なんでもない。長い名前だなって思っただけ」

「だよねぇ。蔵持なんて親のせいだかんねまったくー」


 おねーさんはなんだか複雑そうな表情を浮かべていたが、すぐに自身の腕をめくり私に見せてくる。そこにはタトゥーが刻まれている。

 揺れている視界では何が刻まれているのかは読めない。


「たーとぅー?」

「私の名前はデイアネイラ。よろしく」

「はい、よろしくぅ~」


 私はそう返事し、また缶をあおる。そんな私の姿を見たからか、彼女は一気に缶をあおぎ中身を飲み干す。


「おお~」

「やっぱ酔えないか。もう1本もらうよ?」

「どぞどぞー」


 そう言って私は缶を彼女へ渡し、彼女はプルトップを引いた。



 *ぷしゅ。



 炭酸が抜ける音を聞き、私は冷やしたコップに缶の中身を注ぐ。カラフルな猫がパッケージのビールがグラスの中へ並々と注がれる。


「お前は?」


 小型のパソコンを触っている詐欺師に一応声をかける。すると予想通りの答えが返ってくる。


「小夜ちゃんあんまりお酒飲めない」

「そうだったな……っと」


 中身を注ぎ終わり、缶を机の上へ置く。今日も調査を行っていたのだが、思っていた以上に下層の『物流』は狂い始めているようだ。まだ下層全体の調査までは行い切れていないが、すでに切手型は数百枚、アンプル型も二桁は出回っている。これからさらに物は増えるだろうし、希釈または模倣したまがい物を拡散する輩も出てくるだろう。

 そうなる前に生産元を叩きたいところだが、想像以上に足取りを掴むのが難しい。防犯カメラの確認を部下に任せているが、尻尾すらも見せてくれないだろうからあまり期待していない。


「詐欺師」

「なぁに~?」

「あのクスリ、ちょっとおかしくねぇか?」

「おかしいと言えばおかしいねぇ……」


 百々村はパソコンの蓋を閉じ、大きく伸びをする。


「ちょっと人間を破壊しすぎかなってのはあるかもね~」

「歯がスカスカになるだの皮膚が腐るってのは見たことあるが……中身が出るってなんだ?」

「ね」

「服用してすぐに感情を剝き出しにし、大暴れ。しかも一件や二件ではない」

「脳みその組織をばかすか壊すのはいつもどおりっぽいけど、身体自体が拒絶しているように見えるねー」


 そう言いながら百々村は窓へ向かい、夜空を眺め始める。彼女の表情はいつものような軽薄さはなく、どことなく悲しげな表情が見て取れる。何を考えているのかなんて私にはわからないし、わかったところで重荷を背負えるわけではない。


「どうかした? 小夜ちゃん可愛い?」

「言動がぶさいく」

「あっ、ひっどーい」


 私はグラスに注いだビールを一気に飲み干す。大量の泡と風味が食道を駆け巡る。


「もう1本いくか」

「飲みすぎて寝坊しないでくださいよぉ~?」

「どっかの詐欺師にいつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃないからな。そこそこで止めとく」

「ひっど~い!」


 詐欺師の言葉は無視して、私はまたもカラフルな猫がパッケージになっているビールを開け、空になったビールをゴミ箱へ投げ入れた。



 *カランッ。



 カランッとゴミ袋に満載の缶を鳴らしながら私は店の外に出る。大量のトマト缶を使う都合、何回も外へ運ばなくてはならない。それだったら普通のトマトを使えばいい話なのだが、調理会計清掃諸々を一人でやる都合、トマト缶は一番効率が良いのだ。

 夜も更け始め、酔っ払いが本領発揮をする時間。さっさと家へ帰らないと、自分の身に何が起きるかわかったもんじゃない。足早にゴミ捨て場へ向かう。すると、ゴミ捨て場に何かもぞもぞと影が動いている。気味が悪いなと考えながらも、私は近づく。たまに酔っ払いがゴミ捨て場を布団にして寝ている場合もあるので、こういったことには慣れている方だ。

 そっと近づきゴミを捨て、さっさとここから逃げてしまおう。

 そう考えた時だった。目を凝らしてみると、小さな……女の子の姿があった。身にまとっているのは手術着を連想するような白い服。髪の毛は薄い水色で、瞳は金色に光っている。


「……ぬぉっ!? なんだってこんなところニ!?」


 思わずそんな声が漏れてしまう。とっさに考えたのは少女の保護、次に出てきたのは正体不明の彼女を保護するのか? という自身に対しての防衛本能。

 ゴミ袋を真下へ置き、少女の顔を覗き込む。すると、目の前の少女は少しだけ動き。


「…………損傷、軽微」


 と呟く。私は真下へ置いたゴミ袋を手に取り、ゴミ捨て場へ捨て、少女の目線と合うようにしゃがむ。

 少女はぼーっとした表情で私のことを観察している。私は恐る恐る日本語で彼女に尋ねてみる。


「あー、その。大丈夫?」

「大丈夫、とは。カリンが正常に稼働できるか、という質問でしょうか?」


 彼女からの返答は日本語だった。私は唾を飲み込みながら、続けて彼女へ尋ねる。


「まあ、そんなとコ。あとキミのご両親はどこにいるのかナ?」

「第一の質問に関する回答は、はいです。カリンは正常に稼働しております。思考ルーチンも運動能力にも異常は見られません。第二の質問に関しては……」


 少女はほんの少しだけ間を置いた後、言葉を紡ぐ。


「カリンには父親と母親に該当する存在は居ません。一番近しいものは……創造主です」


 両親がいない、いるのは創造主。親に言わされているのか、真実なのか。今の私には判断しかねるが、ただひとつわかるのは、彼女に関わると面倒なことに巻き込まれてしまうことだ。数年この人工島の下層部に住んできたから何となくわかる。

 これはトラブルのにおい、だ。

 しかし私の脳内にある光景がちらつく。病衣、酸素マスク、たくさんの管。それを私は……。


「キミの名前は? かりん? でいいのかナ?」


 私は自分でも気が付かないうちに自分の上着を彼女へ着せていた。放っておくなんてできるわけがなかった。少女は私が着せた上着を触りながら。


「はい、カリンの名前はカリン、です」


 そう言ったあとじーっと私の顔を見つめている。

 このまま店に持ち帰ったら、誘拐になってしまうのかな?

 なんて的外れなことを考えながら、私はカリンの手をそっと握る。その手はとても冷たくて、本当に生きているのか、わからないほどだった。ずっとゴミ捨て場に居たのだろうか? だとしたら凍死してもおかしくなかったのかもしれない。


「私の名前はフランカ。フランカ・ヴァンツェッタ」


 私は自分のことを名乗りながら、カリンの手を引く。彼女は小さな歩幅で私についていく。とても可愛らしい。

 店に持ち帰ったらとりあえずお風呂へ入らせよう。ゴミ捨て場に居たんだ、それなりに匂いがついてしまっているはず。それから彼女に服を与えないと。

 頭の中でいろんなことを考えながらカリンと歩く。すると、カリンは一瞬だけ止まり、顔をくしゃくしゃにする。何か不満でもあったか? 一瞬だけ不安に襲われたが、すぐにその不安は払拭される。



 *へくちゅ。



「おや可愛い」


 薬物中毒者ジャンキーたちの宴会カクテルパーティーから抜け出した私はフランカの店でアーリオオーリオを食べていた。絶えずお金が足りない私だが、昨日泊まった家にそこそこの現金が置かれていたので、拝借した。今はいつもより懐が温かい。他人の体温で、だが。

 んで、そんな財布に余裕がある私の目の前に居るのはなんとも可愛らしい少女。少しウェーブがかかっている髪の毛は薄水色で今は2つ結び、瞳が透けるほどの金色、服はフランカのものを借りているのかぶかぶかしており、履いているものもぶかぶかのサンダル。これもフランカが履いているところを見たことがある。

 フランカ曰くゴミ捨て場で拾ったらしい。子猫か何かだろうか? 確かに可愛さだけなら子猫相当だが。


「カリンのくしゃみ、可愛くないです」

「そうかな? 私にはとても可愛く見える」

「うれしくないです」

「おおっと、これは手厳しい」


 私はわざとショックを受けたようなポーズを取りながら彼女の様子を確認する。彼女は一挙手一投足見逃さんばかりにしっかりと私のことを見つめている。

 本当に不思議な子だ。まるで人間的ではない。


「えっと、カリン。だっけ? 君は何者だい?」

「カリンは、カリンは、何者でもない。カリンは……なんでしょうか?」

「禅問答?」

「こーらーオウジ!? ちっちゃい子いじめるナ!」

「悪い悪いフランカ。ちょっと物珍しかったもんで」

「物珍しいならあんたも負けてないでショ!」

「ははっ、それもそうか」


 私はジャケットの内側から今朝拝借してきた健全な方の煙草を銜え、火を探す。


「フランカー。火ぃ。コンロー」

「バカ、飲食店のコンロで煙草の火をつけるバカがどこにいるかネ?」

「あー、ライター」

「ないよ」

「マッチ」

「ないよ」

「そんなー」


 私は少しだけしょんぼりとした気分になりながら、煙草を口から離す。誰か火を貸してくれる人間はいないかとちらりと周りを確認するが、客はほとんどおらず、いつも絵を描いている絵本作家くらいしか店内にはいなかった。

 食べるもの食べたら外へ行こうかな。

 なんて考えている時、カリンが私に向かって疑問を投げかけてきた。


「おうじ? 名前?」

「私かい? 時には太宰、時には樋口、時には夏目。正体は王子霧絵だ」

「おうじ、きりえ」

「そう、覚えておいてくれ。記憶するの苦手なんだ」


 私はそう言い、アーリオオーリオを口へ頬張る。とっくに冷めているが全然おいしい。支払いを済ませて、ツケにしていた分を返済してそれから……。とこれからの身の振り方を考えていると、私の体を小さな手がペタペタと触っているのが見える。


「身体に落書き、たくさん」

「落書き、まぁうん落書きだな」

「オウジまた増やしたノ?」

「増えてない増えてない。今まで通りだよ」

「切り取り線、炎、蜘蛛……」

「赤裸々にタトゥーを明かさないでくれ、ある意味トップシークレットなんだから」

「トップシークレット」

「そうそう。一緒に寝た子じゃないと……」

「オウジ!」

「あい゛だ!?」


 ごんっという音と共に目の前に火花が散る。どうやらフランカが固い何かで私の頭を殴ったようだ。


「教育に悪いったらなイ!」

「そんな、人のことを不健全だなんて」

「あんたは動く不健全なんだかラ」

「聞き捨てならないな!? ……いや、別にいいか」


 私はずきずき痛む頭を触りながら、残りのパスタを口へ放り込む。カリンはというと、私とフランカの一連のやり取りを見て目をパチクリさせてる。私は手をひらひらとしながら。


「ああ、気にしないでくれ、ある意味いつも通りだから」

「いつも、通り」

「そう、いつも通り」


 私は口をジャケットの袖で拭き、財布を探しながら言葉を続ける。


「ああ見えてフランカは情熱的……」

「オウジ……っ」

「あ、やべ」



 *ダンッ。



「聞いてくださいまし!」

「なんまし?」


 甲高い声にウチは辟易としながら聞き返す。彼女は転入初日に喧嘩を売ってきたあの女……こと財前ざいぜん。ここ数日はおとなしかったのだが、なぜか今また絡まれてる。

 ウチに絡んできた財前を見てか、西園がウチの隣に立つ。にこーっと笑っているように見えるが、目がぜんっぜん笑ってない。


「西園さん、違いますの」

「何が違うんですか?」

「本当に違うんですの!!」


 彼女は頭をぶんぶんと振りながら否定をする。ウチはため息を漏らしながら西園に一言。


「大丈夫」


 と言う。西園は不服そうだったが、すぐに自席についた。

 転入初日こそトラブルに見舞われたが、ウチのために怒ってくれたお嬢様……西園金糸雀のおかげで表面上は平穏無事に過ごせている。裏で陰口を言われているのかもしれないが、ウチが感知していないならそれはそれで良い。隠れてコソコソされる分にはそっちの方がいいからだ。

 ここ数日この学校で過ごしていて、何となく肌で感じたのは、一般的な学校と同じでお嬢様学校にもカーストが存在すること。もちろん表面上は皆平等な顔をしているがその実、家柄とか成績とかにこだわっている生徒は多い。だからどこの生まれとか、どんな過去を過ごしてきたのかを知りたがるらしい。

 ちなみに西園はぽやぽやした鈍い人間かと思いきや、あんなんでも全教科の成績も良いらしい。人は見かけによらないというか、なんというか。


「で、財前殿。何をわたくしめに聞かせていただくんですか?」

「これですわ!」


 ウチの適当な敬語を無視して財前はスマホをウチの机の上に置く。そこにはいつもウチが見ているSNSが。


「何? ウチのアカウントでも特定した?」

「違いますの! ここ! 見てくださいまし!」


 そろそろからかうのやめるか。

 そう考えながら、財前が見せてくる画面を見る。そこにはアカウント名『かみさま』の四文字が。なんとも胡散臭い名前だ。


「この『かみさま』がなんだって?」

「このアカウントにお願いをすると、叶えてくれる。そんな噂聞いたことないですの?」

「ないですの」

「ないですの!? うちの学校ではこの話でもちきりですのよ!?」


 そうなの? とばかりに西園へ目くばせしたが、彼女の視線は丸っこい鳥……シマエナガのイラストへ注がれている。なんてこったい。ウチは頭を軽く掻きながら。


「そんな都市伝説今日日あり得る? SNSで願い事を言って叶うなんて言ったら、今頃世界は平和そのものだよ」

「それは、そうですの……」


 財前はあからさまにしょぼんと肩を落とす。夢を壊すようなことを言ってしまったか。ウチは気まずさを紛らわせるため、『かみさま』のアカウントをタップする。そこには120万件投稿と見える。

 いやっ、SNSの廃人!?

 そして各投稿に大量のコメントがくっついている。それを確認すると『告白が成功しますように』みたいな微笑ましく痛々しいのから、『くそ教師が死にますように』という痛々しいのまで幅広い投稿が見られる。おそらくコメントをしている側も本気で信じてコメントを残しているわけではなさそうだ。アカウントの概要には、『願いを叶えようと思ったものには追ってダイレクトメールでご連絡します』との文字。どこまでも胡散臭い。


「で、そんな学校で大人気のかみさまがどうかしたの?」

「普段はこのアカウント、姿を見せないんですの」

「姿を見せない?」

「はい……、名前を変えているのか、非公開にしているのか、わからないのですが……」

「ああもうごめんって、言い過ぎたからいつもの調子に戻って!」

「……ぶー」


 財前はスマホをしまい唇を尖らせる。すっかり拗ねてしまったようだ。ウチはまたため息を吐き出す。


「面倒なお嬢様はモテないよ」

「ちくちく言葉を吐く人もモテませんの」

「それは、そうかも」


 そう返すと財前はおかしそうに笑いながら、自席へ戻る。そうかそろそろ授業開始の時間か。

 私は出しっぱなしだった教科書とノートをまとめ、机の上で整える。



 *トントン。



「んぁっ」


 眩しい。痛い。ひっくり返りそう。胃が熱い。後頭部に紐をくっつけて引っ張られているような変な感覚に襲われる。

 何もかもが最悪な目覚め、こんな目覚めの悪いことなんてある? ベッドから動こうとするが、全身が痛いわ、寒気がするわでなかなか動けない。何とか体を横にして、状況を把握する。

 どうやら私は外で酒を飲んだ後、何とか無事家へ帰ったらしい。この部屋の汚さはどう見ても私の部屋だ。そして視線の先、何年もまともに使っていないキッチンに人影が。


「李、起きた?」

「……あー、えー……あーっ、デイアネイラさん」

「よかった。記憶は飛んでないみたいだね」


 記憶、飛んでない。

 私は昨日起こったことを思い出そうとする。酒買って、路上で飲んで、デイアネイラさんに助けてもらって、それから、それから……。


「あ゛ー……なにしてたっけ?」

「……私の名前だけ覚えていた感じ?」

「そうかも……ぬぇぇ……頭いてぇ……気持ち悪ぅ……」

「だと思って味噌汁とかお粥を作ってる」


 さっきから聞こえるトントンって音は、彼女が調理をしている音か。

 私はスマホを探そうとするが、それすらもだるい。体を動かすのもだるい。これが二日酔いってやつなのかな……。


「あんな悪酔いするお酒を一気に飲むからこうなるんだよ」

「飲む前に忠告してほしかった」

「出会った時にはもう飲んでいたじゃん」

「たしかにー」


 私はそんな軽口を返すが、ずきんずきんと脈打つように頭が痛む。二日酔いって単語は大学時代によく聞いた言葉だったが、いざ自分がなってみると確かにこれはつらい。


「できるだけ水分をとって、吐きそうになったら素直に吐くように」

「えー吐くのやだ」

「恨むんだったら大量に飲んだ自分を恨んで」

「あきらめろってこと!? うぐぅ」

「そういうこと」


 無慈悲な宣告に私は頭を抱える。もう二度とこんなに酒を飲むものか。そう誓わざるを得なかった。


 しばらく調理をしていたデイアネイラさんは、調理が終わったのか、小さく「よし」とこぼし、台所から離れる。ずいぶんと使ってなかったキッチンだったが、彼女の手によってお味噌汁とお粥が完成していた。普段だったら飛びつくところだったが、今はそんな余裕はない。


「さっきも言ったけど、余裕が出たら食べること」


 彼女はそう言い、外へ出ようとする。


「待っ……」


 思わず私は「待って」と言いそうになった。けれど、私に彼女へ向かって「待って」なんて言う権利なんてあるのだろうか。そう考えると言葉に詰まってしまう。私の声が聞こえたのか、デイアネイラさんは止まる。

 そしてゆっくりと振り返ると、デイアネイラさんは呆れたような声で。


「酔っぱらっているときも同じこと言われた」


 そう言って、彼女はベッドのところまで来てくれ、私の近くに座ってくれる。


「……今度はいつまでいればいい?」


 優しい声色になんだか安心してしまう。

 記憶はないが、きっと酔っぱらった私も同じように安心したことだろう。


「酔いが醒めるまで?」

「もう醒めてはいるでしょ」

「……だぁね。じゃあ夜まで」

「はぁ、わかったわかった」


 デイアネイラさんは微笑みながら、自身の修道服からスマホを取り出す。どうやったらそんなにぼろぼろになるのかわからないほどぼろぼろのスマホをフリックしている。

 何か文字を打ち込んでいるのだろうか?

 トン、トン。と規則正しい音が続く。



 *トンッ。



「ほら見てくださいまし! この量!」

「うわぁ……熱心にまとめてる人間っているもんだねぇ」


 毎日の清掃の時間。ほとんどは掃除作業員によって清掃がされるこの学校だが、一応清掃の時間はある。とは言っても、ほとんどが自分の机周りを掃除するに留まるため、結局のところ自由時間に近い。そんな清掃の時間に財前は再びウチに『かみさま』についてスマホを突き付けて来た。そこには『かみさま』が今までやってきたことを全てまとめている熱心な人間のブログがあった。閲覧数もそこそこあるようで、コメントも……あー、すごい賑わっている。

 内容を言うのに憚られるほど討論の花が咲いているとだけ言っておこう。

 財前はウチとついでに西園の顔色を窺いながらスマホを見せている。ウチが言うのもあれだけど、すごく不器用だ。


「財前サン。そんなに無理矢理話題を作らなくていいんだよ?」

「無理矢理話題なんて作ってませんわよ!?」

「こーえ、声が上擦ってるから」


 ウチは苦笑いしながら財前にそう返す。転入初日のあれは……まぁ自己防衛の一種だったのかな? と今では思う。彼女と過ごしてから三日も経っていないが、化けの皮……メッキ? が剥がれてきている。

 事の顛末は、転入生のことを知りたい、先生に聞いたらどうやら訳ありだった、それで慌てた……みたいな感じだろう。

 今の彼女から悪気を感じない。人の化膿している心の傷に土足で踏み込んだのは事実だが、西園が思いっきり頬を叩いたせいでウチは怒る気力も失せている。それにウチは特別視もしてほしくない。それをどうやって伝えたものか。


「何か共有できる話題を探してくれたんだよね」

「そっ、そんなこと、ない、ですわ!?」

「だから声上擦ってる」


 今度は笑ってしまった。何だか滑稽に見えてしまったからだ。ウチは椅子に座り直しながら。


「いつも通りで良いよ。今の財前、変な感じだし」

「変な感じって……」

「初日のあれは若気の至り? で片づけようとしてんの。転入生にする態度じゃなかった、それだけ」

「それだけって」

「最初でやらかして、西園にビンタされて、やっと思慮不足だったって気が付いたんでしょ?」


 ウチの言葉に財前は口ごもる。そんな財前に言葉を付け足す。


「初日から今までのこと、全部なしなし、またやり直し、それでいい? あんたはウチの昔話をほじくらない。ウチもあんたをこれ以上いじめない。これで終わり!」

「良いんですの?」


 財前は非常に不安そうな表情でこちらを見ている。初日のアレはどんだけ見栄を張っていたんだ。半ば呆れながらウチは言う。


「良いの。それで」


 その言葉を聞き、財前は少しだけ顔を明るくする。まったく……転校して数日だってのに、なんでウチがこんな交渉人ネゴシエーターみたいなことしてんだ?

 呆れながら改めて財前のスマートフォンを覗く。そこには『かみさま』の偉業一覧と称したブログが表示されている。

 曰く、『かみさまは、法で裁けない人間を裁き、浄化してくださっている。声なき被害者を救済する偉大な人間』とのこと。リストを眺めていると、ニュースにもなった人物がちらほら、政治家だったり弁護士だったり、芸能人だったり。ただ読んでいるとなんか変な感じがする。何て言えばいいのか……。


「これって本当に悪いことをした人です?」

「のわっ!?」


 いつの間にか、ウチの隣には西園が居た。興味津々と言った表情でスマホを覗き込んでいる。一瞬、財前が怯んでいるのが見えたが、すぐに気を取り戻したのだろう。おほんと咳払いをし、言葉を続ける。


「ええ、まだ警察が対応できないような案件も、この方がされている……らしいですわ」

「噂レベル?」

「噂レベル、ですわ」


 現実だろうが、創作だろうが、このリストを作った奴はまともな死に方をしないだろうな……なんて考えていると、教壇に担任が立っているのが見える。

 そろそろ帰りのホームルームが始まりそうだ。スマホを財前へ渡し、椅子に座りながら、上履きの先端を床で調節する。



 *トントン、ツー。



 スマホをスクロールしながら今日もSNSを眺める。昼間は特に面白そうなコメントがなく、ダイレクトメールもほとんどがハズレ、しょうもない画像ばかり。今日は特に仕事はないかな~なんて落胆していた時。あたしの目に1つのコメントが目に留まる。


「ええと? 『お嬢様学校に通っている一人の生徒が嫌いです。いつも学園でいばり散らし、いろんな生徒をいじめ、さらにはその事実も忘れてしまう最低な女です。親から多くの愛と金をもらっているのに、品性下劣でどうしようもありません。長いこと近しい仲でしたが、我慢の限界です。いい子になるようにお願いできますでしょうか?』……はぁ、いいねぇ」


 そのコメントをすぐに確認できるように、ブックマークをしてあたしはスマホへ文字を打ち込む。もちろんそのコメントを打ったアカウントへダイレクトメールをするためだ。


「えーっと、名前と容姿とかの詳細情報をください」


 ダイレクトメールにそう打ち込み、送信をする。たまに冗談だったのか噓だったのか、ダイレクトメールの返信を寄こさない不届き者がいるけど、今回は五分ほどで返ってきた。

 普段は制服……上層のゼナイド学園の制服を着用、私服は基本ブランド物で固めていて、紺色を好んでいる。

 髪の毛は明るい茶色で、染めているわけではなく、地毛で明るい。

 ハーフのようで、少しだけ堀が深い造形をしている。

 活動範囲はほぼほぼ上層で、中層以下へ行くことはまずない。住所も同じく上層。

 夕方から夜にかけては、塾へ通っていて、制服で外出している。

 そして名前は……。


「特徴だけだとほかの方と間違える可能性があるので、何か目印をつけてください」


 そう打ち込みまたダイレクトメールを送信する。



 *ぴこん。



「……あら、永倉さんと長野さんはご一緒に帰られないんですって」

「そのふたりっていつも財前にくっついてる?」

「くっついてるって表現、あまり好きではありませんわ」

「そう?」

「彼女たちにも立派な名前と性格と過去があるんですから」

「それもそっか」


 放課後になり、ウチと西園、それから財前と他二人……えーっと、永倉と長野? 財前の塾までの時間に計五人でどこかで買い食いをしようとしていたのだが、どうやら永倉と長野は断ったらしい。お願いだからウチのせいで決別とかやめてよ。なんて、失礼なことを考えながら財前と西園の後ろにつく。落ち着いてじっと見てみると、財前も西園もルックスが良いこと良いこと。財前は綺麗な茶髪で、顔もきゅっと締まっているし、西園はほんわかとした雰囲気はあるものの、じーっと見ると、身長も高いし引き締まっている。シマエナガに似ていると転入初日は思っていたが、注視すると鶴もびっくりのシルエットの良さだ。

 ……やっぱりウチ浮いてね?

 なんて考えてしまう。

 そんな思考をぐるぐるしていると、後ろからタッタッタッと何かが走ってくる音が聞こえる。振り返ると、そこには財前にくっついていた……あー、どっちだ?


「あら永倉さん。そんなに急いでどうかしまして?」

「……財前っ、さん」


 急いできたのか、永倉は肩で息をしながら、財前に何か言おうとしている。


「永倉さん、深呼吸ですわ。吸って―、吐いて―」

「ざっ、財前、さん。これっ」


 永倉が渡してきたのは山吹色のリボン。さっきまで彼女が髪飾りとしてつけていたものだ。


「これがどうかしまして?」

「カバンにつけてっ、ほしくて……っ」

「何でですの?」

「それは……っ! その、転入生にうつつを抜かしているので」

「まぁっ!?」


 現を抜かしているって。

 ウチは呆れていたが、財前はすぐにカバンに永倉から差し出された山吹色のリボンをつける。こいつもこいつで律儀なやっちゃな。


「これでよろしくて?」

「はい、それ、で良いです。ではっ、私は、用事があるので」


 そう言うが早いか彼女は去ってしまう。

 なんだったんだ? 謎の行動にウチは疑問符を浮かべていたが、財前が一言。


「……あれは金雀枝さんに対して嫉妬しているのかしら?」

「なーんでさっ」


 もう勘弁してよとばかりにウチは項垂れる。そんなウチを見て、西園はくすくすと笑い、財前は「何か埋め合わせをしないと」と呟く。

 本当に、もう、勘弁して……。


「あっ、そうですわっ! 明日こそ五人で買い食いしたいですわ!」

「えー……絶対二人ともウチのこと快く思ってないって」

「そーれーは、わたくしがどうにかしますわ!」

「ぶきっちょなのに?」

「不器用なりにですわ!」


 そう言いながら財前は両手でスマホを操作する。何か文章でも打ち込んでいるのだろうか。

 とことん律儀だなぁ……なんて考えていると、返事が来たのか、財前のスマホから音がなる。



 *ぴこん。



 数分もしないうちに返答がくる。画像と共に。

 どうやら目印をつけたらしい。よっぽどこの女嫌われているんだなぁと考えながら、あたしはねぐらから外へ出る。今いる場所は中層の工事現場。本来の工期なら多数の人間が汗水垂らす現場なのだが、土地の所有者が謎の失踪を遂げてしまったため、工賃の支払いがなく、工事が滞っている。しばらくすれば人工島の管理部によって整理されるだろうが、しばらくの間、現場は放置状態になる……と考えている。まぁこの場所が使えなくなったらまた別の場所へ移るだけだが。

 あたしはフードをかぶりながら、道を歩き、上層へ至る道を探す。

 この人工島は大きく分けて三層に分かれており、人工島の管理部及び所謂いわゆる金持ちが住む層は上層、一般企業に勤めていたり、上層ほど金持ちではない人間が住む場所が中層、商業施設もこの中層に固まっている。そして金を持っていない貧乏人だったり訳アリの人間が暮らす場所が下層になる。

 それぞれ層の間には検問所のような施設があり、特に中層から上層へ至る道は警備が厳重だ。

 ただまあ、数日間ここで暮らしていたため、そのセキュリティを突破する方法は持ち合わせている。

 簡単に言ってしまえば、建物の側面を伝って登ってしまえばいい。監視カメラもいろんな場所に設置はされているが、監視網にも穴はあるのだ。

 あたしは周りを見て、人の視線やカメラがあたしを見ていないことを確認する。そしてあたしは建物の壁に手をつき、パーカーの紐を引っ張る。するとパーカーとズボンの色が壁と同化し始める。この服一式は数か月前に浄化した悪から押収したものだ。潜入をする際に便利で助かっている。小さな出っ張りや、窓の淵などを掴み、体を上へ引っ張り上げていく。10m、20m……どんどん中層の地面や建物が離れていき、やがて上層の建物が見え始める。潜入するのはこれが初めてではない。しかし、お金持ちしかいない都合上、パーカー姿ってだけで目立って仕方がないのだ。

 中層から登り始めてから二時間、やっと手足を落ち着ける場所へ到着した。

 周囲を確認してみると、そこは高級志向のスーパーマーケットや料理屋が並んでいる。人通りが多いところに出たか。私はパーカーのフードを整え、上層を歩く、上層のど真ん中にはさらに上へ至る建物があり、淡い光と航空障害灯の赤いランプがぼんやりと灯っている。あたしは周りの風景に溶け込みながら、浄化対象を探す。歩いていくうち、だんだんと大人の数が少なくなり、逆に学生の数が増えていく。ゼナイド学園が近いのもあるが、ゼナイド学園の周辺には学力向上目的の塾が山ほどある。どの塾もでかでかと実績を掲げ、入校を促している。

 どれもこれも水増しした噓っぱちの数字のくせに。

 心の中で毒づきながら、風景に紛れ、対象を探す。すると、前方から一人の女子生徒がずんずんと歩いているのが見えた。


「なんですの、なんですの!? 永倉さんと言い、長野さんと言い、今日は冷たいですのっ」


 プリプリと怒りながらその女子生徒はどこかへ向かっている。友達と喧嘩でもしたのか? そう考えふとカバンへ目を向けると。

 そこには、山吹色のリボンが。

 あたしは思わず笑みがこぼれてしまう。


 見つけた。

 見つけた。

 見つけた。

 見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見見■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。



 *『いつも学園でいばり散らし、いろんな生徒をいじめ、さらにはその事実も忘れてしまう最低な女』



 黒板にそう書かれている。

 ウチは胃の中のものを吐き出しそうになる。最低だ、最悪だ。人生で二度と見るとこはないと思っていたのに。


「……っ」


 流石の西園もこの光景には言葉が出ないらしい。ウチはすぐに彼女の視線を遮るように立ち位置を変える。こんなもの、見ない方がいい。西園のためにも……財前のためにも。


「ウチ、ここでクラスメイトが入らないようにしているから、職員室に行って先生に、知らせてきて」


 ウチの言葉を聞き、何人かがうなずき、ぱたぱたと走っていく。こんな光景を見たもんだから、何人かは吐き気を催し、トイレへ駆け込んでしまった。

 当たり前だ、誰が好き好んで、クラスメイトの顔のなし死体なんて見るか。

 次は自分がこうなると思っていたのに、次こそは、ウチがこうなるべきだったのに……答えのない考えが脳内を駆け巡る。

 すると一人のクラスメイトがやってきて、教室へ入ろうとする。ウチはすぐに飛びつき言う。


「入っちゃいけない、永倉。絶対に入るな」

「え? なんで?」

「良いから、クラスメイトが全員教室の外に出てる意味を理解してって」

「? 意味がわからないです」


 ウチの言葉を無視して教室へ入ろうとする。すぐに止めようとしたが、彼女は教室の中を見てしまったらしい、一気に顔が色が悪くなる。

 そして、こう言い始めた。


「なんで……っ、軽い気持ちで投稿しただけなのにっ」


 その言葉を聞き、ウチは違和感を覚える。なんだ? まるで『こうなるのを知っていた』かのようだ。


「おい、あんた何をしたんだ!!」


 ウチは声を震わせながら永倉へ詰め寄る。

 すると彼女は視線を泳がせながら蚊の鳴くような声で言う。


「かみさまにお願い、した」

「は?」

「かみさまにお願いしたんです。財前さんが良い子になるようにって」


 彼女は震えながらウチから目をそらしながら言う。


「そ……その結果が、これ!? 顔を消されて、晒されるように、死んでるッ!」

「私だってこんなことになるなんて思ってなかった!! ただ痛い目に遭ってほしくて!!」

「痛い目に? 痛い目にってなんだよッ! 現にこうやって殺されてッ! もしかしたら怖いことをもっとッ! もっとッ! されていたかもしれないッ!!」


 許せなかった。許せるわけがなかった。だって、人間を。


「人間の、命を……なんだとッ、思ってるんだ、あんたはッ!!」

「金雀枝さん」

「直接手を加えず! 遠巻きに! あんたはッ!!」

「金雀枝さん!!」


 そんな声とともにウチはとんでもない怪力で身体を止められた。どうやら西園がウチのことを力づくで止めたようだ。引き留められたことによって、ウチの怒りのボルテージが少しだけ低くなる。


「……ごめん、西園。でもこれだけは言わせて」


 ウチは深呼吸して彼女を睨みつける。


「必ず報いは受ける。五年後、十年後、いつ起こるかわからない。けれどッ、あんたのその愚かな行いは、あんたの人生に大きく傷を残す。自分自身の、なッ、のせいで」


 そう言い切ると、彼女は号泣し始める。号泣? お前が? ふざけんな。

 ウチが西園を振り払うと、複数の教師が廊下を駆けてくる。全員が半信半疑と言った表情だ。ウチはその教師に向かって言う。


「できるなら、みんなをここから遠ざけた方がいい、です。財前が、その……可哀想だ」


 教師は一瞬疑問符を浮かべたが、教室の中を見た瞬間、絶句していた。

 そう、教室の中には、見るも無残に顔を消された財前と思わしき生徒が、黒板の前で宙吊りになっていたからだ。


「みんな、べ、別の教室……いや、体育館へ移動して、くれ。頼む」


 教師の弱弱しい指示によってウチらは移動を始めた。



 *キュッ。



 体勢を変えた鑑識の上履きが音を鳴らす。

 不可解だ。

 あまりにも不可解。

 短いスパンでこんなに殺人事件が発生しているのに、足取りの一つも取れない。この国の警察は優秀だ、世間ではなんだかんだ散々な言われ方をしているが、素人の殺人なんてまず逮捕される。状況証拠や防犯カメラなどを駆使し、足取りを明確にし、言い逃れができない状態で逮捕することだってできる。

 それなのに、この犯人はまだ捕まっていない。

 鑑識もひどく困惑しているのも聞いている。当たり前だ、痕跡が何もない、指紋どころか足跡すらも見つからないのだ。


「罪を漂白する、で、塩素と」


 教室に漂う死臭と混じるようにプールのあの匂いが漂う。吊るされた遺体は何度も洗われたようで、制服もくたくたになっている。

 財前香織、この学園の生徒の一人。昨晩は塾へ通い、受講している姿は確認されている。しかしその帰り道の途中に行方不明。その後、この教室に吊るされていたのが発見された。

 『顔が消された状態で』

 悪趣味だ、本当に、悪趣味だ。


「アンバーグラスさん」


 鑑識の一人が吐きそうな顔で私に声を掛ける。私はすぐに「外で話そう」と声を掛け、二人で教室の外へ出る。


「……死因は出血性ショック死、でした。制服に隠れていましたが」

「みなまで言わなくていい。制服の上からでもがどうなってるのかは、何となくわかる」

「はぁ……あとで資料にまとめておきます」

「わかった。あと君は……少し休んだ方が良い。あー」

「太田、です」

「ミスター太田」


 私が苗字を呼ぶと、太田は首を横に振り。


「これでもプロです。休むわけにはいきません」

「そうか、ではすまないが、続きを頼む」

「はい……」


 太田はそう言いながら、また現場へと戻る。

 私は言い表せぬ怒りが、お腹の底の底から沸々と湧き出してくる。被害者が若いからという浅はかな理由ではない。


「シスターデイアネイラの言う通り、こいつは殺しを楽しんでいる。エンターテイメントにしている」


 アカウント名『かみさま』それ自体は警察もとっくの昔に特定している。しかしいくら逆探知をしても最終的には別の殺人現場に放置されている携帯端末へ繋がってしまう。

 犯人は人の物を奪い、人の物で殺害予告をし、嬉々としてその投稿を続けている。


 これがだ、と言って。

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感情のカンパネラ 霧乃有紗 @ALisaMisty

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