第5話 粗暴なオルサバトル
「着きました」
そう言ってポレは降下していく。
地上からだと遠くに見えたが、空を飛んでいけば案外すぐに着いた。
眼前に大きな城が建っている。外壁はほとんど暗闇に溶け込んでいたが、所々に置かれているランプの明かりが幻想的に照らしていた。
入り口の門は開いてあり、大きな石の橋が架かっていた。
ポレが地上に降り立つと僕は急いで体から離れた。
「さぁ、こちらです」
ポレはこちらの顔も見ずに足早に先へ歩き出した。
「あっ、ちょっと待って」
僕は初めての飛行で、ちょっとした浮遊感の余韻が体にあった。それを感じながら足早に後を追った。
高くそびえる城を囲うように広間ができていた。ランプの火はそこにはなく、暗く鬱蒼としていた。
「ここに人……じゃなかった、仲間は住んでるのかい?」
僕がそれとなく尋ねると、ポレは首を横に振った。
「いいえ。ここは全部空き地です。もし商人がいたら賑わってくれそうなんですが」
「じゃあ、仲間はみんなこの城に?」
「そうです。数えるほどしかいませんから、中にいても数日顔を見ないなんてことは、ざらにあります。つまり好き勝手出来るわけですね」
ポレはそう言いながらこちらに笑顔をみせた。なにか言いたそうな感じだ。
「何か問題でも?」
「なにせここは物がないですからね。みんな暇を持て余しているんですよ」
ポレの答えははっきりしない。なにか隠し事というか、言いづらいことがあるみたいだった。内輪でもめ事でもあるのだろう。僕には関係ない。
ポレは城の大きな門を開けた。ゴゴゴと重厚な音が鳴る。中から青白い明かりが漏れ出した。
「おお……」
僕は感嘆の声を漏らした。まず明るい。中央につるされたランプだけでここまで明るくできるのは特殊なものなのだろうか。
魔王の城といったら、もっと暗く、おどろおどろしく、岩肌のごつごつしたものを予想していたが、ここはおもちゃ箱をひっくり返したような非現実感がある。
部屋のつくりは単純で、あっちに階段があり、こっちに通り道がありといった具合だ。そして僕に非現実的な感じを思わせるのは、部屋のいたるところに張り巡らされた芸術品の数々だ。壁一面には無数の絵画が、置かれた家具一つ一つがぐねりと曲がった輪郭をしていて、見てるだけで頭が狂いそうになった。
「あぶない!」
と、不意にポレが何かを避けるように、僕の身体にぶつかってきた。
僕は彼女の身体に押され、横に倒れた。
「はあああ!」
その瞬間、上からブンッと残像が空を切る音が鳴った。
あぶなかった。あと少しで頭を真っ二つにされるところだった。なぜなら、そこには、大剣を振るった女が立っていたのである。
赤みがかった長い髪、水着のようにきわどい服装、しかし胸の装甲は厚そうだ。その見慣れないコスプレのような姿に、僕は一目でポレの仲間だと察した。人間離れした美貌と華がある。
その女は冷徹な目で、倒れている僕を見下ろしていた。
僕のそばにはポレがいる。だから気が動転するようなことはなかった。落ち着いていた。大丈夫だ、殺されはしない。これは何かの勘違いだ。この大剣の女は、見知らぬ僕に驚いたのだろう。
脳の処理は高速で、そう自分に訴えていた。
「オルサバトル。落ち着いて。彼はラスタ様のお婿さんよ」
「なに!」
ポレは僕を立ち上がれせてくれた。僕は尻をさすった。痛かったが、怪我はなさそうだ。
オルサバトルと呼ばれた彼女は眉をひそめた。
「どういうことだ。なぜ二人でいるんだ。説明してくれ」
「いいですか。彼の名はエース。私は帰り道に偶然見つけたので、連れてきたんです」
オルサバトルは困り果てた様子で、肩をすくめる。
「あー、もう一回言ってくれ。私にはさっぱりだ。もう何もかもわからん」
お手上げな様子の彼女に、ポレはゆっくりと言い聞かせるように説明をした。とても丁寧に。顔を近づけて、声を張って。まるで年寄りを補導するおまわりさんのように。
「いいですか。あなたはここでお婿さんが来るのを待っていたんですよ」
「そうだよ。私はずっと、ここにいたのだ」
「そこで、私は仕事で王国に行ってましたね」
「そうだ」
「それで、城の外で私は偶然、彼と会ったんです」
「ムム」
オルサバトルは真剣な顔で考え込んでいた。その様子を見て、僕は一人小さく笑ってしまった。彼女たちのやり取りが妙に馬鹿っぽくて、僕は緊張の糸が切れてしまったようだ。
「もうお分かりですね?彼はあなたが待っていたお婿さんなんです」
「うーむ、なるほどな」
オルサバトルは前に組んでいた大剣を腰に差し、改まって僕に謝罪してきた。
「申し訳ありません。私はてっきり闖入者かと」
「分かってくれたならいいよ」
僕は笑顔で許した。どうやら彼女はけんかっぱやい性格らしい。しかし、気性が荒いというわけではなさそうだ。佇まいや言動だけは、凛々しいし、落ち着いている。それだけに少し頭が弱そうなのが、ギャップで笑いを誘う。僕は笑ってしまったが、僕も以前は笑われる側の人間だったのだ。だから彼女に対して罪悪感を感じてしまった。戒めの意味も込めて僕は彼女に真摯に向き合っていきたい。
「では、エース様」
「エースでいいよ。様って言われると、調子が狂うんだ。ポレもね」
自然と笑顔が出る。もう僕は彼女たちに心を打ち解けていた。僕が魔王の婿という特別な立場であるせいなのもあると思うが、彼女たちは親切で、悪い人じゃないということが分かった。気も合うのかもしれない。厳密には人間ではないのかもしれないが、それでも、こんなに身近に感じて人と話せたのは久しぶりの経験だった。
「エース。彼女はオルサバトル。魔王ラスタ様の側近で、私の上司です。これからは彼女が案内しますね」
ポレが彼女を紹介し、オルサバトルは頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
僕は気前よく返事した。元来、人当たりがいいとは言えない独善的な性格の僕だったが、こんな美女たちに囲まれて、ちょっとした期待に胸を躍らせていた。彼女たちは僕の言うことを何でも聞いてくれるのではないか。僕を婿にしようとする魔王とやらも、きっと絶世の美女にちがいない。最初は人の形すらしない、化け物を想像して、やけ酒をあおったが、今は男らしい下心が僕の背中を押しまくる。
「その前に、オルサバトル。報告書を渡しておきますね」
「よし。見よう」
(報告書?)
ポレは提げていたカバンからペラ三枚の紙を取り出して渡した。
オルサバトルはその場でざっと目を通しながら頷いていた。
(彼女に任していいのか?)
僕は本当に彼女が内容を理解しているのか心配になる。報告書というのだから、彼女に判断を任せているのだろうが、果たして彼女が適任なのか気になる。さっきのやり取りからして、彼女はどうみても能筋な人だからだ。
「特に変わりはないな。よし」
そう言って、オルサバトルは渡された紙を小さく折りたたむと、あろうことか、その豊満な胸の間にしまってしまった。なんともうらやましい紙。
急に訳のわからないことを見せられて、なんだか二人が遠くに行ってしまった感じがする。僕は不安になって尋ねた。
「あのさ、報告書って、なんの?」
「ポレはスパイなんだ。……失礼、スパイなんです」
オルサバトルがあっさりと言った。
「スパイ!?」
驚く僕に、ポレが説明する。
「そうなんです。前にも言いましたが、我々は王国に攻められてはまずいんです。だから、時々あちらの情勢と言いますか、様子を伺って随時こうして報告してるんです。それに思想かく乱……とまではいきませんが、情報操作として、例えば、魔王がとても強く恐ろしい者だと噂を流したり。これは結構自信があるんですよ」
「へぇーそうなの」
僕は感心した。いろいろ苦労があるんだな。そこまでして仲間を守るポレの行動力、忠誠心に、僕はますます彼女が好きになった。
そこで一抹の不安がよぎる。
僕は王国から魔王を、その仲間もろとも滅ぼす役目を帯びてきている。それが心苦しい。僕の心の中で葛藤する。僕をぞんざいに扱った国王たち、それと打って変わって、彼女たちは種族が違うだけで、心は純粋だ、どっちが悪魔か僕は分からなくなってきた。
彼女たちは僕に魔王の婿として、救いを求めてきている。それが僕にはつらい。僕は無能だ。そのせいでここに送られた。魔王ラスタがどのようなものなのか僕は知らないが、病弱で、おそらく姿は彼女たちと同じように、人間と変わりないだろう。少しやましいが、僕はなんのとっかかりもなく、子種を仕込む。そして、一族を滅ぼすための、無能な遺伝子を残す。僕は王国より魔王たちの味方になりたくなっていた。オルサバトルのような曲者もいるがいるが、やっぱり僕は彼女たちが好意を持っていた。彼女たちになら人間の世界を任せてもいいのではないか。するとやっぱり僕は気が引ける思いがする。できることなら僕は子孫の繁栄などできない無能な遺伝子だとぶちまけたい。そうと知ったら彼女たちは僕を殺すだろうか。
「では、エース。私についてきてください。まず、魔王、ラスタ・バージニア様に会っていただきます」
僕が心で悩んでいることもつゆ知らず、オルサバトルは案内しようと踵を返した。
向かうのは部屋の中央にある鉄の籠。見上げると歯車が連なっている。どういう仕組みかわからないが、古めかしいエレベーターのようだ。乗ると、周囲を金網の柵が囲い、さらに視界を遮断する壁に囲まれた。
僕とオルサバトルを乗せたこのエレベーターは勝手に上へあがる。
しばらく沈黙が続いた。二人だけの空間で僕は少し気まずさを感じる。早くつかないかなと思いながら、ちょっとでも話を考える。聞きたいことは山ほどあるが、このタイミングで聞くべきなのか、どうなのか、必死に頭の中で選りすぐる。ちらりと横を覗くと、オルサバトルはただじっと前を見て動かない。
どうせならポレに案内してもらいたかったなと、そんなことを思う。
僕はふと、オルサバトルが佩いている大剣に目をやった。刀身がむき出しになっている。尖ってはいるが、分厚いため、切るというより、押しつぶす方が得意そうに思えた。刀身の真ん中には、赤い半透明な線が入り、装飾のように目立っていた。
「いやー、さっきは驚いたよ。急に切りかかってくるんだもん。――それ、どこで買ったの?」
僕は気まずい気が悟られないように、冗談交じりにさほど興味ない剣について聞いた。
「これですか。まあ、人間には、珍しいでしょう。これは魔界のものです」
ぼくはてっきり王国のほうで腕のいい職人が作ったものかと思っていたから、意外な言葉に食いついた。
「魔界?そんなところがあるの?」
「我々の故郷です」
「なら、わざわざ人間に頼らずに、向こうで繁栄したらどうなの?」
「強いものが弱いものを制す。当然の宿命でしょう」
なんか逃げられた気がしたが、ちょうど階に着いたらしく、これ以上追及はできなかった。
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