第19話 モノクル
翌朝、まずはサンセリテさんと別れることとなった。
アトリエに四人が集まる。
「サンセリテさんのご家族は…」
「いない…と言うと嘘になるね。我が国の捕虜というかたちで地下牢獄にいることになっているよ」
セルメントは申し訳なさそうに「実際にはもう…」と目を伏せる。
ラフィネさんが火葬を始めようとしたところで、「あの」とセルメントが呼び止めた。
「私にやらせてもらえないでしょうか」
マッチの箱をラフィネさんから手渡され、彼女に火をつけるその表情は優しかった。
「安らかに眠れ、サンセリテ。いずれ僕もそちらへ行くから」
炎が大きくなる前に、ラフィネさんが部屋の中空に炎と彼女を浮かせた。
そのままアトリエで昨夜保留にしていた契約内容を話し合う。
どんな作品にするか彼女の要望は具体性に欠けていて、ただ「私が先に死んだ時、作品を贈る相手のセルメントが日常的に使える物にしてほしい」としか書かれていなかった。そこでセルメントにも〝よく使いそうな物〟について案を挙げてもらいながら、何枚もさらさらとデッサンを書き上げるラフィネさん。
あとは作り始めるだけ、という段階になると「彫る作業を手伝いなさい」と少しだけ仕事を任せてくれた。
おもちゃ屋で木彫りはやったことがあったけれど、骨でも上手く出来るかな。失敗してしまったらもう元には戻せないし、新しいものを用意するということもこの仕事に限っては不可能だ。その人の遺骨は、唯一無二のものだから。緊張で震える手に汗をかくが、何とかラフィネさんの指導のもと順調に作業を進めていく。
彫りの作業を終えて、丸椅子を壁に寄せ背を預けるように脱力する。全神経を指先に集中させたせいで、これまで行って来たどんな作業よりも疲弊した。
「お疲れ様です。初めてにしては上出来ですよ」
骨は硬く、そのせいで簡単に折れたり割れたりしてしまう。集中力と絶妙な力加減が必要で、おかげで全身に変な力が入って今はもうクタクタだ。
予定していたよりも骨が余ったのを見て、ラフィネさんは作品を入れるケースも作ると言い出した。
「僕が手伝えることは…」
居住まいを正して申し出てみるものの、「これ以上やったら腱鞘炎になりますよ」と止められてしまった。代わりに傍で作業を見させてくれた。見ることも勉強の内だと、僕は気を取り直して作業する彼の傍に椅子を寄せた。
僕があんなに時間をかけて彫ったカモミールの模様も手際よく掘り進め、子気味いい音が耳に心地いい。
「あと仕上げだけなので、お二人に伝えてきてくれますか」
アトリエを出ると、セルメントはとても険しい表情で部下さんと話をしていて、声をかけるタイミングを完全に失ってしまった。
そんな僕に気がついた部下さんの視線を追うかたちで僕と目が合ったセルメントは眉をハの字にして苦笑した。
「すまない、少し国の話をしていたんだ」
「いえ…。最後の仕上げに入ったので、完成まであと少しかと」
「わかった。…スヴニール、話し方が元に戻っているよ?」
微笑みでそう返された。目は笑っているけれど、まるで今のは見なかったことにしてくれと言わんばかりの凄い圧だ。
一体何を話していたんだろう。ただごとじゃなさそうな雰囲気だった。
「完成しましたよ」
ラフィネさんはアトリエから颯爽と出てくると、トレイにかけたレースをふわりと取った。白手袋をした手で作品を手に取り、セルメントへ渡す。
「素晴らしい完成度ですね。予想していたよりもずっと」
彼は受け取ったモノクルを光にかざした。
「彫られているこれは何の花だろう」
「カモミールです。スヴニールが掘ったものですよ」
「とても繊細だ…メルシィーラフィネさん、スヴニール」
僕もラフィネさんより一回り小さな白手袋をはめて、セルメントにケースの方も渡した。彼はそのケースにもまた感動したように感嘆を漏らしていた。
「では契約通りのお支払いを」
ラフィネさんはセルメントの身分と、最近依頼が全くなかったことから、かなりの額を要求していた。それにも関わらず、セルメントは気持ちだと言ってその倍近くを支払うと申し出たのでまた卒倒しそうになる。
「口止め料ですか?」
鋭く指摘するラフィネさんも、彼がそれを受け取るとわかっているセルメントもにこにこと微笑み合っていて恐ろしい。
「嫌だな、ムシュー。本当に気持ちですよ」
流石は一国の王子様、そこら辺の抜かりはないようだ。
ラフィネさんだって別にお金をもらわなくても二人がここへ訪れたことを誰かに告げ口したりはしないだろうに。でも「もらえるものはありがたくもらっておきましょう」とは十二分に言いそうな人だ。
きっとセルメントはそういう世界で生きて来て、こういったことが当たり前なのだろう。
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