続ぬかるみ

阿賀沢 周子

第1話

 美也の後を追ったわけではないが、駅前通りへ出ると、角の所に白いワンピース姿があった。ビルの影になった暗いところにいる。駅前通りに向かって立つ後ろ姿は、細身のせいか言葉使いや態度からは想像できない心悲しい雰囲気があった。 が、竹村の姿を認めるなり、一緒に歩くのが当然とばかりに竹村の横に来て顎を上げる。 

「どこへ行くか決めてから歩きましょ」

 腕を組んできて当然のように言う。

 確かに、出会いの場としてさっきのカフェを設定してあったのだ。離れるためには「それではこれで失礼します」とかなんとか付き合う気がないことを美也に伝える必要がある。そのあとで小林に「悪いが」と返答して終わりにすることになるか。

「大通公園へでも行きますか」 

 リュックを背負い直すふりをして腕をほどいた。通りではもちろんどこかの店に入って、あの調子でまくしたてられるのは嫌だった。

「大通公園で何するの?」

「さあ。散歩ですよ」

「さあって何よ」 

 始まった。竹村は急ぎ足で大通りへ向かった。早歩きでは大きな声は出せないだろうと歩調を落とさなかった。これでは散歩とは言えない。 

 振り向いて美也の様子を見ると、少し遅れている。足元はヒールの高い華奢な靴だ。あれで急がせるのは酷か、と少し歩を緩める。

「天気がいいのですから、6月の宵を楽しみましょう」

 散歩といえるぐらいの歩調になった。 駅前通りは地下歩行空間の建設の関係でリニューアルされてきれいになって長いが、中央の樹は昔の街路樹に比べるとまだまだ若く、重厚感がなくて物足りなさを感じてしまう。 

 ビルの一階にはいるカフェやレストランのイルミネーションが目立つ時刻になってきた。竹村は、夕方灯る明かりを見ると気持ちが温かくなる。他の人もそうなのだろうかと、美也に聞いてみたい気がしたがやめた。返事を想像できる気がする。

『暗くなってきたら電気をつけるのは当たり前でしょ』とかなんとか。

 美也は竹村の歩みにまたも遅れ始め、信号のたびに追いついてくる。話す余裕もないのか、足元を何度も見ていた。 

 北一条通の交差点を渡っていると、「待ってよ」とリュックをぐいっと引っ張られた。のけぞりそうになって後ろを向くと、美也が竹村のリュックについていたストラップのコアラのぬいぐるみを握っている。妹がオーストラリア旅行の土産に買ってくれたものだ。ちぎったのか。

「足が痛いの。ゆっくり歩いて」 

 右足を少し引いている。交差点を渡りきったところで、美也が竹村の腕に再び手を通してきた。手にコアラを握り、足が痛いのか少し体重を寄せてくる。

「こんな靴履かなきゃよかった。いつもはスニーカーだから」

「そう。スニーカー履くんだ」 

 少し意外だ。ドレッシーな格好がよく似合っているから、いつもこうなのかと思っていたからだ。 大通ビッセの前を通る。週末だからか若者のグループが多い。

 美也がコアラを顔に近づける仕草をした時、胸のふくらみが竹村の肘に触れた。美也を見るが気にならないのかコアラを弄んでいる。自分の肘の肌が意識の頂点に立つ。もう一度触れてほしいなどと考えている自分が情けない。 


 大通公園に着いたので、取り合えずすぐそばのベンチへ向かう。3丁目の角のケヤキの大木の下だ。美也はベンチの上をティッシュできれいに拭って座った。人半人分離れて竹村も腰かけた。美也が離れた腕が肌寒い感じがしている。 

 右のハイヒールを脱いで足を組んで、ドレスの下の足先を撫でさする。ストッキングのせいでよく見えないが、血が滲んでいるようだ。小指の付け根のあたりだ。踵にも手をやっている。ストキングに穴が開いて皮がむけていた。どうすればよいのかわからなかったが、声をかけた。

「薬局で絆創膏でも買ってくるか」

「こんなとこで貼れっていうの? ばかじゃない」

「歩いて帰れるならいいけど。タクシー拾う?」

「あー。頭にくる。ワンピーにするかどうか悩んだのよね。初対面だからっていいかっこし過ぎた。あなたみたいな人のために、靴ずれまでして。タクシーで帰れって言われて。ばかみたい」 

 竹村だけを罵っているわけではなさそうだ。返す言葉が見つからない。心の中をそのまま声にしている。口と気持ちが直通状態。噓はつけなさそうだ。わかってくると扱いやすいかもなどと考える。しかし、腹の中丸見えの口の利きようが、好きになれない。 

 公園の噴水のイルミネーションが水の高さや音に連動して瞬いている。暮れの公園は久しぶりだ。仕事が遅くなると、コンビニで夕食を見繕って帰り、家で飲み喰いして寝るだけになる。会社と自宅の往復だけだと、小さいころから見慣れた公園も非日常の空間に思えてくる。 

 さてどうするかと美也に目をやる。美也も噴水を見ている。先刻ビルの影で見せていた心悲しさを全身に纏っている。口ほどにきかんきでもないのか。

「今日のために、このワンピースもハイヒールも新調したのに。きっとあなたもいいとこ見せようとおしゃれしてくるかもと。思い込んだ自分がバカ」

「こういう出会いは初めてなんだ。普段のままのほうが気取らなくてくていいかと思った」

「今考えたら、その通りだと思う。帰るわ。タクシーで」

「家はどこだっけ」

「北大裏。北高の近くよ。竹村さんはどこに住んでいるの」 

 全く普通の会話もできるんだ。内心驚いていたが、口調に出さないように気を付けた。そう簡単に気は許せない。 

 薄暮の中、テレビ塔がくっきりと夜空に浮かんでみえる。時刻は5時半。夕風が少し冷たく感じる。半袖の美也が寒げに見える。目の前を作業着の集団が通り過ぎた。どこかの現場が終わったのだろう。

「僕は東区。通り道だから送っていくよ」

「そうしてくれると助かるわ。あんまりタクシー使ったことないから」 

 美也は靴を履くとき顔をしかめ、恐る恐る立ち上がった。倒れそうにもならず、足を踏みしめて確かめているようだった。さっきと同じように腕を組んできた。並んで歩き始める。普通のカップルのように見えるだろうと思った。回り道になるが歩く距離が短いので北大通でタクシーを捕まえることにした。

「このストラップ、直して返すね」

「いいよ。妹に直してもらうから」

 竹村がタクシーに手を上げる。黒いミニバンタクシーが止まった。

「最初に北高。次に美香保公園へ」 

 ドライバーは何も言わずに出発した。時計台の前を左折したので樽川通へ出るのだろう。美也はコアラを握ったままだ。

「竹村さんは独り暮らしなの?」

「ああ。実家は札幌市内だけど、仕事の関係で時間がばらばらだから、親の負担にならないように職場の近くで独り暮らししている。君は?」 

 なんで聞く、深入りしない方がいい。知る必要ないじゃないか。いや、ただの会話だ。内心のざわめきに落ち着かない。

「一人。実家は道外だから。今の住宅は研究室に近いから楽なの」「研究室って」

「北大の院の助手しているの」 

 そういえば小林がそんなようなこと言ってたかも。美也の剣幕の強さに押されて、完全に忘れていた。そう、兄弟そろって優秀で高学歴とかって言ってなかったか。美人だということにしか注目していなかった。自分とは合わないのが当たり前だ。凡人の自分とは格が違い過ぎる。 思い出して気分が楽になった。断る理由が、普通になったからだ。『ちょっと価値観が合わない』よしそれでいこう。 

 運転手が「どこで止めます?」と聞いてきた。美也が北工の手前を折れてくれと返事をした。現れたのは古い集合住宅だった。2階建てで4世帯が入る建物が数棟ならんでいる。

「あなたも降りて」 

 命令口調だ。

「なんで。このまま帰るよ」

「困るの。コアラの修理をして返したいから。借り作るの嫌なの」  運転手が、後ろを向いて「どうするんですか」と聞いてくる。 仕方なく「清算をお願いします」と財布を出した。

 ここからなら自分の部屋までたいした距離じゃない。運動がてら歩いてもいいだろう。 


 下りて美也の後を付いていく。右足は今は少し引くどころではなく完全な跛行になっていた。住宅のかたまりの一番奥の部屋だった。美也がカギを回して扉を開けると、古い木製のドアが音を立てた。

「いやなドア。いっつもこうなの。帰って来たのを回りに知られまくる」 

 まくるって何。潤滑スプレーを使えば解決するじゃないか。

「中に入って。すぐ直せるから」 

 外で待つといったが、周りが見ているからいやだと譲らない。仕方なく中へ入った。一階は1LDKで、平凡な造りだ。美也に促されて居間のソファに腰掛けた。置いてある家具も調度類も、色あせて古いものばかりだ。若い娘の部屋らしきものは一つもない。例えば・・・すぐには思いつかない。 

 美也はキッチンの方へ行った。少しして、道具が入っているらしきブリキの缶を持ってソファの下に座った。ストッキングは脱いでいた。いつの間にか踵に絆創膏が貼ってある。

「リュック」

「えっ。リュック」

「何コダマしているのよ。ストラップの根元を頂戴」

 あわてて、リュックのナスカンからストラップを外して渡した。ストラップは切れていない。美也はコアラ側のリングが伸びて外れたんだとつぶやいている。ブリキの箱から先の細いラジオペンチを出し、さらに缶の中を探している。 何か見つけたようで、ペンチを使ってストラップとコアラをつなごうとして俯いた。セミロングの髪の分かれ目に襟足がのぞいて、白い肌が際立つ。

 竹村は急に起こった身震いを隠すために足の位置を変えた。なんで急に震えが出たのか理由がわからなかった。目をそらして部屋の片側を占めている本棚を眺めることにしたが、背表紙の文字に集中できない。視力の問題ではない。目に焼き付いた白い肌のせいだった。目をつむり頭を振って残像を追い出す。

 踵に乗らないように少し足をずらして座って、一心に作業をする美也を、あらためて眺めると、やはり白くて細い指が細かく動いている。色の白い骨細の人。見た目はとても華奢。

「できたわ。二重リングにしたからもう大丈夫だと思う。」

「ありがとう」

「こちらこそ悪かったわ。壊すつもりはなかったの。なんだか顔が赤くなっているけど」

「そんなことありません。もう帰ります」 

 竹村はしどろもどろになり、コアラをリュックのナスカンに戻し、立ち上がった。

「お茶でも飲む?」

「いやいいです」

「夕食でも食べにいく?」 

 誘ってくるんだ。美也が普通の女性に見えた。腹は減っていた。しかし止めた方がいいに決まってる。

「近くに、おいしいスープカレーのお店があるの。今日は外食のつもりでいたから、家には何もないしお腹が漉いたわ」

「足痛いでしょう。それに白い服、カレーがつくとやばいでしょ」「着替えてくるから待っていて。足はスニーカーにするから」 

 美也は返事も待たずに二階へ上がっていった。まじかよ。またどやされるだけだって。やめた方がいい。このまま部屋から出ていけばいいんだ。別に「明日早いから帰る」とでも声かけて。そう思いながら竹村は立ったままだ。

 "パンを踏んだ娘"はアンデルセンの童話だ。カフェで口ずさんだ人形劇のフレーズがよみがえる。♪パンを踏んだ娘…。あれは最後にどうなったんだっけ。


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