第40話 今ならまだ

「今日もよく遊んだな」

「わふ!」


 ボール投げに引っ張り合いにと、十分満足するまで遊んでもらった自覚はあるので。ここは元気に返事をしておく。

 勝てなくて悔しいと思うことと、目一杯楽しむということは、別物だから。


(とはいえ、今日はさすがに疲れたからなぁ)


 適度に汗を流したエドワルド様が、いつものように浴室へと向かうその姿を。

 軽く足を拭いてもらった私は、今日は途中で見送ることにして。


「エリザベス? 疲れたのか?」

「わふぅ」

「そうか。なら私が戻ってくるまで、談話室でゆっくりしているといい」

「わふ」


 許可が下りたので、案内してくれるマッテオさんの後ろについて、談話室へと向かった。

 その道すがら。


「よくやってくれました。エリザベスのおかげで、エドワルド様の体調がとてもよくなりましたよ」

「わふ!」


 マッテオさんが、私のことをものすごく褒めてくれる。


「睡眠が足りていないせいで、執務の効率が落ちていることにも気付いていらしたようですから」

「わふぅ……」


 つまり、今までは本来の力を発揮できていなかったということだろうか。

 言われてみれば、確かに最近忙しそうにしている姿をあまり見ていない。

 フォルトゥナート公爵邸に来たばかりのころは、山積みになっていた執務室の書類たちも。ここ最近では、量が減ったような気がする。


「正直な気持ちを言ってしまえば、これからもエリザベスにはエドワルド様のお側にいて欲しいくらいなのですが」

「ふぅぅん」

「そうですね。それはあまりにも、私の個人的かつ一方的な意見ですから。気にしないでください」

「わふぅん……」


 さすがにそれはちょっと、と思った私の声の微妙なニュアンスを汲み取って、マッテオさんはそう言ってくれるけれど。


(この場合、大人しい大型犬なら誰でも抱き枕になれたりするのかな?)


 そんな風に考えて、自分で悲しくなってしまった。

 私ではなくても務まるのであれば、本来はそのほうが誰にとっても都合がいいはずなのに。

 それを、寂しいと思ってしまうのは。


(ちょっと、エドワルド様やお屋敷の皆さんのことを、知りすぎちゃったのかな)


 人の姿に戻ってしまえば、当然ここに私の居場所はない。本来であれば、それが普通の形であるはずで。

 違和感なんて、なかったのに。


(他の犬が可愛がられて、エドワルド様と一緒に寝て抱き枕になってるのって、ちょっと……)


 想像すると、自分でも驚くほどの悲しみと嫉妬が心の中に湧き上がってくる。

 これ以上長くここにいては、さらにその思いが深くなりそうで怖いのに。同時に、この場所を誰にも譲りたくないと思ってしまっていて。


(私、犬じゃないのに)


 そもそもこのままずっと、犬の姿でいるわけにもいかないのだから。いつかは、さよならしなければならないのに。

 そのことを考えたくないと思ってしまうのは、やはり彼らを知りすぎてしまったのだろう。

 マッテオさんの言葉を聞いて、嬉しいと思う気持ちも確かにあったくらいには。

 ただ、それでも。


(やっぱり私は、人間の姿に戻りたいから)


 どちらかを選べと言われたら、今ならまだ人間の姿を選択する。選択、できる。

 だから、こそ。


(早く、元に戻る方法を見つけ出さないと)


 これ以上、ここから離れがたくなってしまう前に。

 このまま一生犬の姿でもいいと、私が思い始めてしまう前に。


「先ほどの私の言葉は、気にしないでください」

「わふ……」

「エドワルド様がお戻りになるまで、ゆっくり休んでいてくださいね」


 ブラウンの瞳を優しく緩めながら、私にそう伝えてくれるマッテオさんだけれど。


(きっと、本心だったんだろうなぁ)


 だからわざわざ「気にしないで」なんて口にしたのだろう。

 その言葉に、嬉しさと寂しさの相反する二つの感情を抱きながら。談話室を出ていくマッテオさんの、後ろ姿を見送る。

 そうして、いつもの女性の使用人と二人。言葉を交わすでもなく、ただ部屋の中でエドワルド様を待つだけの時間を。

 私はソファーに体をうずめて、寝て過ごすことにしたのだった。





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