影を追う青年

譜久村 火山

第1話

 男の前をスーツ姿の大人たちが群れを成して通り過ぎていく。彼らの姿を車窓越しに見届けた男は携帯電話を取り出した。

「ねぇ、休みの日くらい大学から離れようよ」

 助手席に座る女が言った。

「ちょっとー、聞いてる?」

「これが終わったらな」

「これって何よ。久しぶりのデートなのに、全然かまってくれないじゃん」

 女はそう言ってあざとく頬を膨らまして見せたが、男の視界には入らなかった。

 そんなことよりも男は慌ただしくスマホを操作し、学生時代からの友人に電話をかける。

 しかし一度目のコール音が鳴り終えるより先に、通話が切られてしまった。

 見ると女がスマホを取り上げている。鋭い眼光で男を睨んでいた。可愛らしいメイクも意味を成していない。

 さらに女は男の方へ足を延ばしてきたかと思うと、勝手に車のアクセルを踏みこもうとしてくる。

「分かったから」

 男は女を宥め、音の無い溜息と共に車を発進させた。


 梶井達也は用意されたパイプ椅子に身を沈め、頭を抱えた。私立向影学園の第一会議室は、現在学校の方針を決定する理事会の最中である。理事は梶井を含めて五人。

 梶井の横に座る現校長、谷崎寛は梶井と同じく眉間に皺を寄せていた。谷崎校長は梶井よりも十歳ほど上である。とはいえ理事の中では若い方で、まだ四十代のはずだがその皺は深い。

 反対側に座る元PTA会長、嵐山武子はパニック状態と言って良い。厚化粧の奥に隠れた瞳は狼狽し、着飾った真珠のネックレスは玩具のように揺れていた。

 それほど、学校の経営は窮地においやられているようだ。

 その時、廊下の方から仰々しい足音が聞こえてきた。それはまるで巨大化した蟻の群れが、人間を襲いに来たかのようである。

 会議室の入口をノックする音が響いた。

「失礼します」

 開いた扉から、スーツ姿の男たちが続々と登場する。中にはサングラスをかけたものもいて、某テレビ番組のハンターさながらだった。

「誰だ、君たちは」

 突然大勢の大人が押し寄せてくれば誰だって混乱する。谷崎も例外ではなく、先頭のハンターもとい、スーツに向かって声を荒げる。

 スーツは最低限の動きで谷崎の方を見たが、発言に対しては無視をした。その間にもスーツの人数は増え続け、会議室が黒く染まっていく。

 梶井も態度こそ乱さなかったが、頭は急速に回り始めていた。ある程度予想をしていたことではあったが、こんなに早いとは。見張り役は何をやっていたのかと、ポケットにあるスマホを睨む。だが取り乱してはいけない。

 こういう時は、冷静に観察することに限る。梶井は深呼吸をすると、スーツ姿の大人たち、それから理事の面々を見渡す。だが大した収穫はなさそうである。強いて言えば理事長の白髪が黒染めしたのか、普段よりは灰色がかっていることくらいだった。

 仕方なく梶井は何が起こるのか見守ることにする。

 やがてスーツが全員会議室に入り、会議室が飽和した。すると、先頭のスーツが口を開く。

「それでは予定通り、視察を開始させていただきます」


 体育館。様々な部活で賑わうアリーナに、異物が入り込む。汗と青春が詰まった空間に、スーツ姿の大人たちが侵入した。そのうちの一人が、近くに居た女子バドミントン部に声をかける。

「このラケットは自分で買ったものかな?」

 突然現れたサングラスの男に怯えたポニーテールの女子は、持っていたラケットを生贄のように差し出した。

「は、はい。イオンにあるスポーツ用品店で、あの二階にある………」

 しどろもどろになる女子生徒を無視し、スーツはコートの中に足を進める。先ほどまで練習していた生徒たちが退いた。スーツは気にせずコート中央までやって来ると、落ちていたシャトルを拾う。シャトルには羽がほとんど残っていなかった。

 スーツはそれを見て、タブレットに何かを打ち込んだ。

 また補習中の教室にも別のスーツが現れる。スーツは教室の後ろに立ち、教師の授業を聞いていたかと思うと徐に手を挙げた。

「先ほどあなたは、下線部の意味を答えよとおっしゃいましたね。では私からも一つ。この授業の意義をお答えください」

 そう言われた先生はリンゴのように顔を赤くした。生徒たちは隠れて笑った。

 さらにスーツは、誰もいないはずの空き教室にも足を運ぶ。するとそこには二人の生徒がいた。一人の生徒がもう一人の髪を撫で、今にも熱烈なキスが行われようとしている。

 スーツはそれを無表情のまま見届けた後、咳払いをした。二人がスーツの存在に気づき、慌てて距離を取る。

「あなた方は二年五組の生徒ですね?」

「そうだけど、なんだよあんた」

 男の方が答えた。

「どうにも二年五組の教室が異様に不便だと聞いたので、詳しく話を伺いたいなと」


「視察とはどういうことですか?」

 谷崎が長机を叩いた。正面にいる理事長とその横の元校長、来間誠を睨みつけている。

 理事長は谷崎が突然大声を上げたことに驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻す。来間に至っては、猿のような顔に気味の悪い笑みを浮かべたままだった。

 それを見て梶井は、あのスーツ達が来ることを理事長たちは知っていたのだと理解する。

「どういうことって言われてもねぇ」

 理事長は歯切れが悪いまま、来間に同意を求める。そこで梶井の携帯に電話が掛かって来た。

「失礼します」

 梶井は廊下に出ると、すぐに電話に出た。相手は学生時代からの古い友人である。


「遅いじゃないか。事前に対処出来るよう、お前に見張りを頼んだんだぞ」

 梶井からそんな小言を言われた男は、口を尖らせる。

「だってよ、彼女がどうしてもケーキを食べたいって聞かないんだ」

 男の横でショーケースを眺めていた女が言った。

「ねぇ聞いてるの?」

 男が手で電話中だとアピールすると、女は分かりやすく表情を暗くした。

 どうやら女の声が通話に入ったらしく、電話越しに梶井の溜息が聞こえてきた。

「それで、どうだったんだ?」

「間違いない。うちの大学だよ。今朝、スーツ姿の職員が揃っておたくの学校に向かった。目的は当然、あんたの高校を乗っ取ることだ。買収して、附属校にでもしようとしているんだろう。今時どこの大学も、生徒数を確保するのに必死って訳だな」

「一応聞いてみるが、附属校になったとして、お前のとこのお偉いさんはうちの運営方針を尊重してくれたりはしないのか?」

「淡い期待は捨てた方が良い。どこの附属校も一律して、ばっちりうちの色に染まっている」

「授業料免除の制度だけでも残せないか」

「無理だろうな。どうせ高校を買い取るなら、そこでも金儲けをしようと考えるのがうちの大学の大人たちだ」

「ありがとう、助かったよ」

 そう言って梶井が電話を切ろうとする。

 その時、横で女が言った。

「問題。この中で私が一番好きなケーキは何でしょう」

 そう言って女がショーケースの中のショートケーキやら何やらを指差し、一番・二番と番号をつけていく。

 そこで男は電話を切ろうとしている友人に、慌てて尋ねた。

「つかぬことを聞くが、好きな数字はなんだ?できれば一から四の間で答えてくれ」

 すると梶井からすぐに返事が返って来る。

「俺は数字なら何でも好きだ。つまり答えは一から四の全てだな」

「ありがとう。感謝するよ」

 通話を切ると男は、店員に一から四のケーキすべてを注文した。すると女は今日一番の笑顔を男に向けたのだった。


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