第三十九話

 小さい時、寝物語で母さんが聞かせてくれた勇者の物語は、ワクワクとしたもので、男の子らしく、勇猛な勇者に淡い憧れを感じていた。

 父さんが、勇者モドキと呼ばれ、たくさんの人に迷惑をかけたことで、勇者の子孫かもしれない可能性に辟易した。

 騎士見習いとなり、仲間と切磋琢磨し、魔境での先輩騎士の姿を身近で見て、いつか魔王を勇者が封印しに行く間、辺境の地を護り切ろうと自身に誓い、まだ見ぬ勇者へ、同じ護る者として、不敬にもちょっとした仲間意識を持ちつつ、尊敬の念を抱いていた。


 そして今、僕は思う。

 勇者とは――不幸そのものではないか、と。


 手元にあるのは、僕の不幸な結末を決定づける文書。




 聖剣を光らせてしまい、勇者となってしまった僕は、流れ込む勇者達の情報に混乱しながらも、子息の遺体の一部と遺品の入った麻袋を担ぎ、無事に傭兵斡旋所まで戻ることが出来た。

 僕が行って帰って来るまで、おそらく一睡もせずに待っていたと思われる青い顔をし、重症を負いながらも運良く、いや、運悪く生き残ってしまった護衛と、長く仕えてきたのだろう老齢の従者が同じく青白い顔で僕を出迎えた。

 僕の背負う麻袋を見た瞬間目を見開いてから、二人共グッと唇を引き結び「有難う御座いました」、と声を震わせ礼をする。

 中身を確認して貰えるまで、随分と時間がかかった。

「若様っ‥‥」

「坊ちゃま‥‥」

 二人が漏らす、もうその呼びかけに応えることの出来ない子息の呼び名が僕の耳に届く度に、あの日――母さんと弟が死に、僕が父さんを殺した日――から動こうとせず、固く閉じていた心が、外側から氷が砕けるように表面を刺激する。思い出しちゃいけない感情を呼び起こしそうで、怖くなり逃げたくなったが、成果物の確認は立ち会いが必須のため、呼吸を乱さないようにすることだけでも精一杯で、永遠と続きそうな時間に、早く終わってくれと願い続けた。

 ようやく確認の立ち会いが終わった頃には、れ流れ、無作法に僕を惑わす過去の勇者達の感情とも合わさり、とうとう平坦だった僕の心は乱れてしまい、もう戻りそうになく、いつ発狂するかわからないほど自制が効かなくなる寸前だった。


 立ち会い後は、すぐ帰れると思ったものの「情報屋から報告書が出来上がっている」と、また違う別室に案内され渡された報告書には、僕の息の根を止めるかのような、奴らのその後がつづられている。

 逃げていた領主夫妻と、弟が身代わりにされた領主の息子は、僕が今いる隣国ではなく、母国内で、勇者がなかなかな現れないことで凶暴化した魔物に運悪く遭遇し襲われ、つい最近死んだと書かれていた。


 もうこの手で復讐は――叶わない‥‥。


 過去の勇者の多くと同じように、僕は生きる意味を失った。

 勇者とは――不幸そのものではないか。


 勇者だから――不幸なのか。

 不幸だから――勇者となるのか。


 結末を知ったからには、情報屋への依頼はここで終わる。

 依頼達成の手続きをし、最後の支払いを終えると、稼ぐ意味も同時に失ったのだと知る。



 この世に家族は一人もいない。



 混み合う傭兵斡旋所から重い足取りで出て、数歩進んだところで声を掛けられた。


「報告書読んだか?」


 灰色のくすんだ外套がいとうに身を包み、どこにでもいそうな、それでいて影の薄そうな男が僕の顔を覗き込むようにしながら聞いてきた。

 昨日までなら、警戒し、言葉を選ぶだろう僕も、今の状態ではそれも出来なく、抵抗もせず応える。


「ああ‥‥」


 人の少ない傭兵斡旋所の壁沿いまで無抵抗な僕は背中を押される。


「家族のかたきだったんだろう?」

「‥‥」

「普通は、情報屋の調査員が依頼者にこうやって直接会うことはないんだが‥‥いろいろ哀れでな」

「‥‥同情‥ですか」

「そう、だな。でもそれだけじゃ‥ないのかもな‥‥」


 そう言って「これを必ず読め」と、封のしてある封筒を押し付けるように渡された。

 反射的にそれを受け取ると、質の悪いガサガサとした肌触りの封筒は、見た目よりも厚みがあった。

 ぼうっとその封筒を眺め数秒、視線を上げた時には、もうその男の姿はどこにもなく、横を通り過ぎていく傭兵達や、この国の兵士達の足音が嫌に響いて聞こえ、その大きく耳障りな音から逃げるように、僕は借りている定宿じょうやどへ急いだ。




 それから四日後、僕は、この国の城にいた。

 勇者としてではない。

 勇者と共に魔王城へ同行する一員として、だ。


 たまたまの偶然なのか。

 それとも必然だったのか。

 僕が勇者となり聖剣を光らせたのは、ちょうど正午頃で陽が高く眩しく照っていた時であり、誰も立ち入れないほど魔獣や魔物の湧く魔の森の奥深くに僕が一人でいた時だった。

 だから、聖剣を光らせた勇者が二人いることを知る者は――誰もいない。


 僕が聖剣を光らせたのと同じ時に、もう一本の聖剣を光らせたもう一人の勇者は、今僕の滞在するこの国隣国の伯爵家の令息だという。

 人々の希望に呼応するように瞬く間にその情報は広がり、日を跨がぬ内にこの辺境までとどろいた。

 次の日、傭兵斡旋所経由で連絡を取ってもらい、僕は、子息の捜索を依頼してきた貴族に、勇者一行に参加したいがどうにかならないか、と願い出る。

 その貴族は、直接は会ってはいないのだが、実はこの国の相当に権力のある貴人だったらしく、その日の晩には、僕が勇者一行に加わる許可を、従者からの連絡を受けてすぐに集合場所である王城へと、用意してもらった馬で向かうことが出来た。


 各国から最高峰の戦力が集う。

 集められた勇者一行の面々は、誰しもが隙がなく、自信と使命感に燃える堂々たる振る舞いで、幼い頃に想像した姿そのものだ。


「よろしく。共に勇者を支えよう」

「これからよろしくな。頼りにしてるぞ」


 次々と一行の面々と握手を交わしながら挨拶をする。

 僕は、ほがらかにそれに応える。


 あの日から、感情の籠もらなかった僕の顔の表情筋は、最初はなかなか言う事を聞かず、自分でもわかるほど引きってはいたが、徐々に強張こわばりも薄れていくのを感じる。

 友好的に、聞きに徹し、余計なことを話さず答えず、短い相槌を繰り返しながら、決して目立たないように溶け込むように僕は微笑む。


 僕が勇者だと露見していないとわかった時、正直なところ、この世界が滅びようがどうでもよかった。

 その時の僕は、奴らを見つけ復讐することこそ生きている意味であり、それ以外の全てがどうでもいいことだったからだ。

 常に流れ込む過去の勇者達の意志や記憶に感情と、僕を勇者へと仕立てようとするそれらに混乱はしていたものの、流されるほどの感情の起伏がなかったのだ。

 その後の情報屋による報告書、亡き子息を想い悲しむ彼の臣下の様子に、蓋をしていた感情はあっけなく僕の心をかき乱した。

 でも、だからと言って、勇者になる気は起こらなかった。


 僕と同じように、不幸に突き落とされ、生きる意味や希望をなくした多くの勇者達は、苦悩しながらも最期には、正義感や使命感で、自身の命を捧げようと決意していた。

 でも、僕と過去の勇者達彼等、彼女等には、決定的な懸隔けんかくがあった。


 僕が勇者だと誰にも知られていない。

 僕以外にもう一人勇者がいる。


 過去の勇者達は、誰一人として例外なく、勇者になった瞬間に、勇者だと知られていた。

 過去、例外なく、勇者になるのは一人だった。


 故に、僕は勇者になることを自ら選ぶことができる。

 例えそれが、この世界が滅びる選択だとしても、選ぶ権利を僕は有していた。

 もう一人の勇者に、決定的なが有ることを知っていたとしても――選ぶ権利を僕は有して、いた。

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