第三十三話

「お前、もうとおだろう。四日後の朝、迎えに来るから砦で見習いを始めろ」


 一月ひとつきぶりに帰ってきた父さんに突然言われた事に、ぽかんとしてしまう。


「砦?‥‥見習い?」

「我が家のご先祖様は、あの勇者ニール様だからな。勇者の血を引くお前は、その力をかつての恩人たる領主様の為に使うべきだろう。十から騎士見習いになれるからな」

「え‥僕は、騎士になるの?」


 たまにしか家に帰らず、殆ど話したこともない父さんから、突如騎士見習いになれと言われた。


「はっ!当たり前だろうっ!」


 声を荒らげた父さんは、僕を睨むと視線を母さんに向け、威圧的に怒鳴る。


「おい!お前、何で言い聞かせてなかったんだ!我が家の男児は、騎士になるに決まってるだろう!勇者ニール様の血を引くんだぞ!なぜ、当たり前の事を言い聞かせてないんだ!子育てはお前の仕事だろうがっ!」

「っ‥‥申し訳ありません。旦那様‥‥」

「ふんっ。俺は忙しいんだ。手を煩わすようなことを二度とするなよ」

「はい‥‥、旦那様」

「わかれば良い。おい、部屋に戻っとけ。勇者ニール様の子孫としてもっとしっかりしろよ。わかったか!」

「‥‥はい」


 肩の震える母さんを慰めたかったが、部屋に戻れと命じられ、抗う事も出来ず弟が昼寝している部屋に下がる。

 あの怒鳴り声で、弟が起きて怯えていないか心配になったが、すぅすぅといつも通りの穏やかな寝息で、まずはホッとする。

 母さんは大丈夫だろうか。

 狭い家の中、壁は薄い。父さんの苛立つ声は聞こえるが、さっきのように荒らげてはいない声に、まだ大丈夫だろうと思うしかなかった。


「勇者の血かぁ‥‥」


 殆ど家にいない父さんだが、たまに帰ると、確かにご先祖様である勇者ニール様の話をよく口にしていた。

 勇猛であった、と。

 魔王を封印した後は、恩人たる領主様と共に、この地の平和を守り続け、若くして亡くなったのだ、と。

 何百年以上も大昔の話で、本当に直系のご先祖様かもわからず、ニール様の来歴の詳細もわからず、ただ、勇猛であったと、声高らかに語る父さんの話は、ただの御伽噺おとぎばなしの一つくらいにしか聞いていなかった。

 しかも、領主様にどんな恩義があったかも父さんからは聞いたことがない。多分、知らないのだろう。

 勇者ニール様より、先祖代々引き継いできた聖剣だと言う、父さんの腰にいつも在る剣も、本物かどうか僕にはわからない。


 わかるのは、抵抗しても意味がなく、父さんの言う通りに、四日後に砦に連れて行かれるということだけ。


 今の僕には、将来どうなりたいだとか特にない。というより、考えたことがなかった。

 可愛い弟との生活に満足していて、優しい母さんもいる。

 だから、今の現状が幸せで、未来のことは、ちょっと先の出来事、明日は弟と何して遊ぼうかとか、そのくらいしか考えていなかった。

 それなのに、僕の将来は、既に決まっていて、きっと変えることは出来そうにない。


 騎士って戦うんだよね?

 父さんも騎士だと、昔母さんが言っていた。


 ‥‥父さんみたいになるの?


 僕が気になるのは、父さんみたいに騎士になると、家に帰れなくなり、弟となかなか会えなくなるんじゃないか、という不安。

 殆ど家に帰ってこない父さんのようになるのは――嫌だ。

 そう考えると、不安が一気に増していく。


「ねぇ母さん、騎士になると父さんみたいに家に帰れなくなるの?」

「え‥‥。そんなことはないわよ。騎士でも毎日家に帰っていらっしゃる方はたくさんいるわ」

「じゃあ、何で父さんは殆ど家にいないの?」

「‥‥。それは、特別なお役目があるからよ。だから大丈夫。アレクはまだ見習いだし毎日帰ってこれるわ」

「そう‥‥なんだ。はぁー‥‥よかったぁー」

「ふふ。アレクは父さんが家にいないと寂しい?」

「え?!全然寂しくないよ!弟も母さんもいるから!」

「そうね。ふふ、よかったわ」


 毎日帰れると聞いて、ひとまず僕の不安は払拭され、騎士見習いがどんなものかはまだわからないが、逃げられない現実を受け入れようと思った。

 だから、僕の目標は、どうせ騎士にならないといけないのならば、毎日家に帰れる騎士を目指す!事だ。


「母さん、僕、毎日家に帰れる騎士になれるように頑張るからね!」

「ふふ、そうね。応援しているわ」


 そして、この日から弟は新しい言葉を覚えた。


「きちー!きちー!」

「そうだよ、僕は騎士にならないといけないみたいだ」

「にぃしゃ、んー!きちー!」

「上手に言えたねぇ」

「ねぇー!」


 きっと意味はあまりよくわかっていないと思うけど、騎士になるためにあまり遊べなくなるんだと説明していたら、僕を見ると「きちー!」と言うようになった。

 舌っ足らずな言い方が可愛くって、この可愛い弟に会えない父のような騎士にならない為に、絶対に毎日家に帰れる騎士になろうと決意を固めていった。


 そして、父さんが朝早く僕を迎えに来た。


 まだ眠っている弟の頭を撫で、玄関に向かう。


「父さん、何時に家に帰れるの?」

「はぁ?まだ砦にも行っていないうちから、帰る時間を聞くとは情けない」

「ご‥‥ごめんなさい」

「まぁいい。そうだな、俺の時は日暮れ頃だったはずだ」

「そうなんだ‥‥」

「とにかく行くぞ」


 見送る母さんに手を振って、父さんの後を追う。

 思えば、母さんと離れて家から出るのは初めてだ。それに、父さんと二人きりになるのも初めてだと思う。あまり、嬉しくない。

 ずかずかと歩く父さんは、僕に構わずすごい速さで歩いていく。小走りになりつつ、付いて行くと、暫くして、石造りのどっしりとした砦が見えてきた。まだまだ距離がありそうだ。


 僕は、殆ど家から出たことがなかったから、見慣れない景色に少しワクワクしていた。


 母さんと来たことのある商店は、まだ戸が閉まっている。

 まだ朝早いからか、人が少ないが、忙しなく人々が動いて、見たことのない建物の前を通るたびに、僕の住んでいる家の周りとは、こうだったのか‥‥という驚きと、よくわからない少しの不安があった。

 砦までの道は、思ったよりも単純で、商店のある通りをひたすら真っすぐ進み、僕が「あれは何?」と聞いて、父さんが「初代領主様の像だ」と言う、茶色の男の人の形をした“像”というものを右に曲がり、ひたすら真っすぐに進んだところに砦はあった。

 遠目で見るよりも、ずっと大きい砦は、なんだか怖く見えた。


「俺の息子だ。今日から見習いに入る。ほら、挨拶をしろ」

「よろしく‥お願いします‥‥」


 砦の入口にいた幾人かに、挨拶をし、僕は初めて砦に入る。

 薄暗く、少しひんやりする廊下を進むと、やがて大きな広場のように草木のない地面が剥き出しの、四方を石壁に囲まれた大きな空間に出た。

 僕と父さん以外の人は誰もいない、静かでなんだか冷たく感じる空間に、少し怖くなる。


「ここで待っておけ。暫くしたら人が来るから、見習いに来たと言え。説明してある」

「う‥うん」

「勇者ニール様に恥じないよう立派に努めろよ」

「‥はい」


 それだけ言って、父さんはすぐにどこかに行ってしまい、一人になってしまった。

 陽はまだ昇り切っていないので薄暗く、父さんの靴音が遠ざかると、何も音がしない。


「はぁ‥‥」


 響くことなく僕の溜息は空間に溶け、更に怖さと不安が増すが、父さんの言う通りなら、待っていれば人が来るのだろう。多分‥‥。

 ずっと、小走りだったのもあり、少し足が疲れたので、地面に座り待つことにした。


 どれくらい待っただろう。

 そこそこな時間が経って、少し人の動きのある音もそこかしこで聞こえだした頃、誰かが来た。


 大柄で、父さんより背の高く年も取ってそうな、怖い顔をした男の人。

 僕を見て、少し目を細めて「ああ」と言うと、僕の方へ歩いて来てこう言った。


「お前が、あの勇者モドキの息子か」

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