第三十一話

「リアム大丈夫か?」


 ウィルが、背合わせで魔物を警戒しながら背中越しに問いかける。


「あ‥‥ああ、大丈夫。大丈夫だよ」


「何か困っていることはないか?悩んでいることはないか?」


「大丈夫」


 最近、ウィルにこう聞かれることが多くなった。

 心配をかけている自覚はある。でも、話せない。僕が、死のうとしているなんて。


 思い出すのは、王城から出立する時の兄上の顔。

 僕が勇者に選ばれた時は、みんなと同じように喜んでくれていたのに、あの時は何か無理をした顔をしていた。

 もしかして、僕が知らないうちに、勇者となった僕が当主となる話が内々にされていたんじゃないか。今まで考えもしなかった想像が頭を締め、勇者クラウスの感情に共鳴するように僕の気持ちを追い詰める。


 僕は、生きてきてこんなに悩み、考え続けたことがない。

 いつも、ウィルが僕を導いてくれた。僕が生きていく道を、先回りして整えてくれる。真っ直ぐに、今、ここに至る道を。ウィルだけじゃない。婚約者も両親も兄上も、城にいるみんなが僕の道を真っ直ぐに引いてくれていたんだ。

 だから、悩むようなことがなかった。困ることもなかった――ただ、幸せだった。


 襲い来る魔獣や魔物の群れが一段落した。

 見通しの良い、荒れ果てた荒野の一角に陣取り、見張りを立てて休憩を取る。


「ウィル、立派な勇者とはなんだろうか?」


「え?うーん、今のリアムは立派な勇者だと僕は思うよ。強くてかっこいいし。文句無しで立派な勇者だよ」


「そう‥‥なのかな」


「うん。後は、魔王城での務めを果たせば、完璧な勇者さ」


 勇者の最後の務め――か。

 それは、魔王の討伐すること、だ。

 勇者達が、途方もなく長い歴史の中で達成できながった悲願。目を瞑って意識をに向ければ、我先にと、僕の頭の中と心にたくさんの勇者の無念が押し寄せる。


「ウィル、僕は――の務めを見事果たして見せるよ」


 魔王は、僕が必ず――討つ。



 なのに、僕はご先祖様である勇者クラウスと同じく、最後の勇者にはなれなかった。


 殆どの勇者の記憶は、魔王を封印するまで、またはその後もうしばらく続き、そこで途切れる。

 でも、この後の道を示してくれるように、ご先祖様の勇者クラウスの記憶は続く。

 行きより早く、約八ヶ月かけて帰り、城では魔王封印と勇者一行の凱旋を祝う宴が催された。

 そして、領地へと戻る。

 夕方、領地の我が家の城に辿り着き、疲れを取ってから明日の昼、一族で食事をしながら祝い、数日後に領地で大々的に祝う予定らしい。


 ご先祖様の記憶が、僕を導く。


「あった」


 真夜中、ご先祖様の勇者クラウスの時代の本館、今は旧館と呼んでいる堅牢な建物の裏側にある井戸近くの小さな草地で、小さな白い花を見つける。

 気配を気にしながら、音を立てないように慎重に土を掘り、五本ほど根ごと抜き取る。

 用があるのは、花ではなくこの根、だ。

 井戸の横の桶に残っている水で、根に付く土を丁寧に落とし、根の部分だけ千切り取る。

 この一見雑草にしか見えない花が、ご先祖様の時代から変わらずここに根を張り続けてくれたことに安堵した。

 記憶の中の勇者クラウスと同じように、布でそれを包み、ひとまず懐に入れた。

 そして、記憶を辿る。


 勇者クラウスも僕と同じように、夕方この城に帰り、次の日に一族で祝う予定だったようだ。

 その祝いで、勇者クラウスは、尊敬して愛してやまない兄上を差し置いて、次期当主を命じられるだろうと、心を痛めている。

 きっと僕も同じ道を辿るのだろう。

 当主になんて興味もないし、僕はウィルと立派な騎士になると小さい頃に誓ったし、婚約者も立派な騎士になれるようにずっと応援してくれていた。

 なのに、勇者になったばかりに、なりたくもない当主になり、当主に相応しい兄上を差し置くなどっ‥‥。

 勇者であることを忌々しく感じると、記憶の中の勇者クラウスも同じように忌々しく感じていることに少し気が楽になる。


「おはよう、リアム」


 毎朝、僕を起こしてくれるウィル。

 の務め――魔王討伐を果たせなくて、ウィルを見る度に、情けなくて申し訳なくてうまく笑えない。


「おはよう」


「今日は、一族総出で祝いだよ。みんな広間に集まるから、それまで部屋にいてね。僕が迎えに来るから、立派な勇者として堂々とかっこよく登場するんだ。あ、聖剣も忘れずに帯剣してね。わくわくするよ。楽しみだね、リアム!婚約者様もいらっしゃるからね」


 ウィルは、とてもとても嬉しそうだった。

 僕の面倒を見るために一行に加わってくれた。

 勇者一行の中で、一番弱かったのがウィルだ。だから、何度も命の危機に見舞われたし、怪我も一番多く負った。都度、聖職者が治療してくれていたが、僕はいつも気が気じゃなかった。

 ウィルの「おはよう」で、やっと日常に触れた気がして、じわじわと胸になんとも言えない気持ちが広がる。


「ウィル、ありがとう」


 絞り出すように感謝を告げると、ウィルは少しキョトンとして、笑顔でにこりと笑った。


 正装をし、帯剣し、迎えに来たウィルの足音を感じ、布に包んだ根を口の中に放り込む。

 ――勇者クラウスと同じように。

 ウィルと共に、広間の前の扉の前に立つ。


「扉を開けるよ」


 そう、ウィルが声を掛ける。

 扉が開くと同時に、口の中の根を奥歯で噛み砕き、一気に飲み込む。

 ――勇者クラウスと同じように。


 扉が開かれ、一族の歓喜の声と昼間の柔らかい光で少し眩しく、目を細める。

 口の中の根から出ただろう苦みを感じると共に、全身に鈍い痺れと吐き気が込み上げた。

 一歩進んだところで、立っていられず片膝を着く。

 ――勇者クラウスと同じように。


 おかしい。

 この根を飲み込めば、あっと言う間に毒が回り死ねるのではなかったのか?

 体の感覚から、ありえないほど苦しいが、これは死を確実に招く程のものではないことが直感でわかった。

 同時進行で辿っている記憶の中の勇者クラウスも同じように感じている。

 勇者クラウスが、その時考えている事が同時に流れ込む。

 そうか、勇者となったことで、常人よりも毒に対する耐性が上がっているらしい。


 時間をかけると、聖職者が来て、解毒してしまうかもしれない。

 記憶の中の勇者クラウスと同じく、短剣に直ぐ様手を伸ばす。

 我が家では、正装時には剣と家紋付きの短剣を帯剣する決まりだ。ご先祖様の時代からなんだな、と頭の片隅で少し感心する。


 そして、勇者クラウスと同じように、僕は、首元で勢いよく――短剣を引いた。


 遠のく意識の中、目を見開くウィルと目が合った。


 勇者クラウスの後悔が流れ込む。

 それは、死んだ後の兄上の気持ちを考えるとつらいこと。

 父に母、残していく家臣達への謝罪。

 政略だとは言え婚約者になったばかりの令嬢への申し訳なさ。


 ああ、なんでご先祖様はもっと早く僕にこの後悔を共有してくれなかったんだろうか。


 リアムは、死ぬ間際になって、はじめてがいることを知った。

 なんでもっともっと考えなかったんだろう。


 僕が死んだら、ウィルは悲しむだろうな。

 ずっと一緒だと言ってたのに、先に行くし、自害なんてことしたんだ。

 これは、裏切りだ。

 僕はウィルにひどいことをしたのだ。

 婚約者も泣くだろうな。

 愛らしい人を泣かせたくなかったのに。


「‥‥ご、めん――」



 自害した勇者リアムは、一族により、しばらくして病死として隠匿された。

 ――勇者クラウスと同じように。

 そして、同じように立派な勇者だったと語り継がれる。

 ――勇者クラウスと同じように。

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