第十九話

「カンナ、結婚してくれ!」


「嫌よ」


 こうやってカンナに振られ続けて一月ひとつきが経とうとしていた。


 はじめてカンナを見た時に感じた印象は、“可愛そう”だった。

 事前に、勇者が魔王封印に難色を示していると聞いており、しかも俺よりも年下の少女だと言う。

 勇者に選ばれるだけあって、普通のか弱い女の子じゃないことはわかっていたが、天幕に入ってきた女の子は、小さくて線も細くとても弱く見え、想像以上に“女の子”で、少し緊張して怯えた姿に“可愛そう”だと思えた。

 なのに、数分後にはその認識が吹き飛んだ。


 気に入ったらしいチョコレートを土産に持たせると言うと、満面の笑みで喜び、金の話に飛び上がって反応する現金な子で、弟思いの優しい女の子。


 短時間に目まぐるしく変わる表情に言葉に、俺の知らない“自由”を感じた。


 飾らない言葉。

 感情そのままの表情。


 何も取り繕わないそれは、いつも感じる他者―――臣民と王族との距離が、見えない壁が、在ってないような物に感じさせた。

 同じ空間なのに、線引されてきた部屋の壁が取り払われ、空間を自由に行き来できたような。


 なのに、不安はないか?と聞くと、そこから一言も話さなくなり、俺は、思い通りにいかない現状に何とも言えない苛立ちを感じる。

 なぜ、苛立つのかわからないが、俺の意思抜きにしても、どうしても勇者には、魔王城に向かってもらわねばならないので、外堀を埋め、逃げ道をなくそうと頭を働かせた。

 そうすると、苛立ちは少し軽くなり、手筈を整え、勇者の家に向かう道中、ここ最近で一番心が弾んでいるのを感じた。


 家の警護や、山羊の世話、石垣の補修。

 有無を言わさず、王都へ向けての馬車に勇者とその弟を乗せると、カンナは俺を悔しそうな目で睨む。

 苛立ちはなくなり、悔しそうなカンナを見ると、なぜだか意地悪な気持ちになった。

 意地悪と言っても、困らせたいわけじゃないし、泣かせたいわけでもない。

 なんだろう。

 悔しそうにするカンナを見ると、悔しそうにさせたのが自分だという事実に、何とも言えない満足感を感じるのだ。


 幼い頃から培った、顔に張り付いた王子様然とした笑顔でカンナに微笑むと、その度に悔しそうだ。


 何度目かの悔しそうな顔に、ああそうだ、普通はこうやって微笑めば、令嬢達は頬を染めると言うのに、カンナは俺に何の色情も感じていないのだと、令嬢達とのを知った。


 そうすると、俺の方が悔しくなった。

 頬を染めたいと思った。


 弟のロンと三人で王都の観光をする。


「カンナ殿、ここは人が多い。はぐれないように手を繋ごう」


「あ、そうね。ロン、こっちいらっしゃい」


 笑顔で優しく微笑みながら手を伸ばすと、あっけなく俺の手を取り、反対の手をロンと繋ぐ。

 おいおい、普通は王子様に手を繋がれたら、恥ずかしげに遠慮しつつ頬を染め上げてくるんじゃないのか?

 カンナは、何の感慨もなく弟にそうしたように俺とも手を繋いでいる。


 豪華なドレスを贈り、侍女が支度ができたと呼びに来たので、カンナの部屋に赴く。

 明るく元気な黄色のドレス姿のカンナ。

 城の侍女たちの技術を集結した結果を纏ったカンナは、薄く施された化粧で、ほんの少し大人びて見えて、まともに真っ直ぐ見たその顔は、貴族の子女と言われても遜色ないほど整っていた。


「綺麗だ‥‥‥」


 思った以上に、カンナが綺麗で思わず出た言葉は本音だった。


「でしょ!あたしって顔は良いってよく言われんのよ!ドレスなんてはじめて着たけどけっこう重いのね。お嬢様達は大変ね。あたしは今日だけだからお姫様になった気で楽しもうと思うの!見た目だけはお姫様に見えるかな?言葉遣いは直せないけどさ。どう?見える?」


「あはは。見える見える。お姫様だよ」


 捲し立てるように喋るカンナは、見た目が本当に綺麗なお姫様なのに、口を開けばで、思わず笑ってしまった。

「ふふん」と、得意げに胸を張るカンナは、とても自由で、眩しく見えた。


 だけど、ふとした瞬間に、カンナは幾度となく表情を無くす。

 何の感情も欲も無くしてしまった作り物の人形のようになる。


 何も考えていないのか。何かを考えているからこそなのか。


「あたし達、親戚もいないんです。せめてあたしの他に家族がいたら‥‥‥心置きなくのに‥‥‥」


 庭園の東屋で、頬に涙を伝わせた後のカンナのその言葉に、ゾッとした。

 歴代の勇者達は、もれなくその使命を果たし、魔王を封印し生きて帰ってきている。

 この子は、自分が死ぬ可能性を感じているのか?!

 俺は、勇者は当然、魔王を封印できるものだと思っていたし、今までの常識として勇者が負け、死ぬ可能性なんて微塵も感じていなかった。

 そうだ、この子は、兵士でも騎士でもない。

 山羊を飼い、弟の面倒を見ている普通の女の子なんだ。

 戦うことを専業とはしていない女の子。

 なのに、この細い肩には、人類存続の責任がし掛かっている。

 魔王という強大な敵に対して、恐怖を抱くのは当然だ。

 戦いとは、常に死と背中合わせのものだ。

 一瞬の油断は、兵士だろうが騎士だろうが死を招く。


「陛下、ムーアの代わりに私を勇者一行に加えて下さい」


 カンナを部屋に送り届けた後、緊急の先触れを父上に出して、執務室で頭を下げた。


 元々俺は、勇者が魔王城に魔王を封印して帰ってくるまでの間、黒の地から出てくる魔獣や魔物を討伐する騎士団の指揮を取ることになっていた。

 それだって立派な果たすべく使命であり、王族の責務だと思っているが、あの細い肩だけに背負わせたくないと思った。

 死を恐れるカンナと一緒に背負ってやり、生きて帰る道筋を共に作ってやりたいと思った。



 魔王城への長い旅路で、共に戦うカンナとの共闘は、何とも言えない開放感と今までに感じたことのない充実感を俺に味あわせた。

 カンナは強い。

 俺が守らなくても安心できる強さに、共に並んで背中を預け合う日々の戦い。

 カンナのどこに死を恐れる要素があるのだろうか。

 俺も、勇者一行に引けを取らない強さがあると自負しているが、カンナの強さはそれ以上だ。

 なのに、幾度となく見せるあの表情を無くす瞬間を見る度に、死を恐れる彼女に不安になった。


「姫は強えなー!魔王も一撃じゃないのか?」

「あったりまえでしょ!あたしは勇者だもの。魔王なんて一撃よっ!」


 勇者一行の誰しもが、カンナの、勇者の強さに傾倒し畏怖する。

 彼等の軽口に、魔王を全く恐れていない軽口をいつも返すカンナ。

 カンナは、本当は死ぬ可能性を考えていない?

 なのに、日々を過ごす内に、あの時言っていた「」という言葉の意味が、死ぬことを前提としているような不安が俺を襲った。

 根拠はない。

 なのに、何故かわからないがそんな不安が湧く。



 カンナは、明るくてよく喋る。

 ある日、いつものように二人でいろいろと話しをしている最中に、俺の話になった。


「っつ!それより、王子様の恋愛って大変そうね!そう言えば、婚約者いないんだっけ?お城でたくさん貴族のお嬢様見たけど、みんな綺麗ね!あたしなんかよりよっぽどお姫様よ。レオは選びたい放題なんじゃないの?」


「そんなことないよ、良くも悪くもあの子達は大人しい平和な世界のお姫様だ。それよりも私は―――」


 俺は―――


 絶妙な合間で「姫ぇーレオぉー飯だぁー」と呼び出しがかかり、ハッとする。

 俺は、何を言おうとしていた?「俺は―――カンナが」そう言葉を続けようとしていたことに気付く。

 俺は、カンナに好意がある、のか‥‥‥?


 珍しく、恋愛結婚を推奨している我が王家。

 それは、政略で決まった婚姻で過去幾度となく悲惨で悍ましい血で血を洗う争いにより、過去の王族が已むを得ず取らざる得なかった苦肉の策だ。

 本来なら、王家の権力を確固たるものにするためにも、他国のように政略が望ましい。

 だが、それにより王妃や側妃の嫉妬や、世継ぎ争いでの権力闘争など、感情を疎かにした結果が齎したものは、血で真っ赤に染め上げたものだった。

 曽祖父の時代から、流石に王侯貴族としてのある程度の常識での範囲だが、恋愛結婚を推奨し、王族の家族仲という絆を重視し、王族の結束を固める方針を取ることになった。

 今のところ、その試みは功を奏し、嫁いでくる妃の家の後ろ盾は区々まちまちだが、王家の結束強化により、国内の安定と、貴族達の目に見える争いが少なくなった。

 父と母の仲は、子供の俺が見ても辟易とするくらい仲睦まじく、兄も婚約者を溺愛しており、皆口を揃えて、恋愛とは、愛とは、と俺に、どんなに良いものかを語る。

 だが、俺にはその感情がわからなかった。

 家族への愛情はある。

 だが、異性への愛情がどういった感情かは、今までよくわからなかった。

 令嬢達が俺に向ける秋波しゅうはも、知識として理解しているが、俺はそういったものを異性に感じない。

 感じなかったのに―――カンナに対して、好ましいと思えるような色めきそうな感情が少なからずある、ようだった。


 これは、恋愛感情なのか?


 いやいやいや、カンナだぞ。

 聖剣を振り回す時の口は、そこらの傭兵よりも悪い。「クソ」とか、「くたばれ」とか、女の子が言いそうにない言葉を平気で口走りながら、嬉々と討伐数を競う女だ。

 唯一の女のくせに、むさ苦しい男達の中で平気で雑魚寝しているし、なんなら時々いびきをかく。

 こうして日々を過ごす内に、気心がしれてしまい、むしろ女だと認識できない時だってあるのに、俺はカンナに好意を‥‥‥。


 なんだか認めたくない。


「あー、それあたしまだ食べたことないお菓子だわ!一つちょうだいよ、ハンスさん!」

「姫は相変わらず甘いもの好きだな。ほらよ」

 パク。もぐもぐ。

「うっま!」


 傭兵のハンスが、手づから菓子をカンナの口元に運ぶと、それにパクリとカンナが食いつく。親鳥から餌を待つ雛鳥のようなその行為にさえ、自分でも思っても見ないほどの怒りを感じた。


「今日は久々に数が多かったわ。足が限界よ」

「姫は、よく頑張ったもんな。ほら」

「ヒューゴさんありがと。助かるわ」


 帝国の軍人であるヒューゴに背負われ、運ばれていくカンナ。沸々と怒りが湧く。


「おっしゃああああああ!討伐完了っ!さっすがあたしっ!」

「お疲れー姫。あ、顔に魔獣の血が付いてるぞ」

「デクスター、ありがと!」


 魔道士のデクスターが、カンナの頬に右手を当て、親指で血を拭う。

 それに、ニッコリと微笑み、礼を言うカンナを見て、思わず俺の取った行動はこうだ。


「姫っ!水で顔を洗え!行くぞ!」

「え?レオ!もうっ、言われなくても洗うってばぁ」


 気付いたら、カンナの肩を抱き、デクスターを睨みつけていた。

 ああ、駄目だ。俺でも流石にわかる。これは、そう―――嫉妬だ。

 俺は、カンナの周りに男がいるのが気に食わなくなっていた。


 だが、これは果たして恋愛感情なのだろうか?

 独占欲だと兄上なら言うだろう。

 だが、独占欲は、異性以外に、例えば極端に言うと、物にだって感じる欲望だ。

 嫉妬と言えど、男女のアレではない。恋愛ではない何かしらの独占欲に伴う嫉妬ではなかろうか。

 今思えば、認めたくない俺は、様々言い訳を並べ立てて、恋愛感情ではない、と自分に言い聞かせていたのだと思う。


 でも、そんな抵抗は一瞬で跡形もなく吹き飛んだ。


 魔族に刺され足蹴にされ吹っ飛び、ぐったりと横たわるカンナを見た瞬間、血の気が引いて、世界から色が消えた。

 カンナの死を、死の可能性を目の当たりにして、ぐちゃぐちゃな感情がぐるぐると廻り、どうしようもない苦しみが俺を襲う。

 カンナを守れなかった自分が許せない。

 カンナを失いたくない。カンナのいない人生なんて死ぬよりも辛い。

 俺の命を捧げてカンナが助かるのなら、喜んで命を差し出そう。

 何よりも、誰よりも、己よりもカンナが、俺の唯一なのだと確信した。


 魔道士が治療魔法で俺の腕の中にいるカンナの傷を癒やす。

 魔道士は多々いるし、俺も魔道士ではあるが、治療や回復魔法は“素質”のある聖職者以外に使えない。残念な事に俺にはその“素質”がなく、カンナの傷を癒やすことが俺には出来なかった。

 神を感じると言う聖職者に俺のカンナの生死を一時的にも委ねることになり―――俺は初めて“素質”を与えてくれなかった神を呪った。

 癒やしの光が淡く飛散し、頬に赤みが戻りカンナの無事を確認し安堵の息を吐くと―――俺は初めて心からの感謝を神に捧げた。


「俺は君なしじゃ生きられない」


 俺の腕の中に感じる小さくて戸惑うカンナに、溺れそうなほど深い愛情と欲望が溢れる。


「君が好きなんだ。カンナ」


 皆と同じ「姫」なんてもう呼べない。

 俺のカンナ。

 俺だけのカンナ。

 魔王にだって、誰にだって、渡さない。



 その日から、時間のある限り、俺はカンナを口説いている。


「あ、レオってば、アレなんじゃない?パン屋のカミラさんが、恋愛小説の解説で言ってたわ。貴族のお坊ちゃんが平民に惚れちゃう話でさぁ、“おもれー女”ってやつよ!平民の女の貴族の令嬢にない感じが、おもれーって勘違いしちゃうやつよ!うん、それだわ!カミラさん情報では、“おもれー女”が“おもれー”のは、最初だけらしいわよ。だから、レオも勘違いしてるのよ。あたしって平民なのよ。しっかりしてよー、レオ」


「カンナは“おもれー女”じゃない、どっちかと言うと、危なっかしくて強くて可愛くて俺の愛おしい女だ。俺の勘違いでもない。俺は、カンナが好きなんだ。パン屋の話も恋愛小説の話だろ。小説と一緒にするな」


「危なっかしいって何よ!」


「姫ぇ、そろそろ落ちちゃえよ!王子はどうみたって本気だろ」

「そうだぞー姫。玉の輿じゃないか!羨ましいー」

「王子ほどの優良物件他にないぞ、諦めて王子様に嫁げばいいのに。勿体ねぇ」


「あーもう、うっさいわね!あんた達は口出さないでよ!」


 俺が、人目を憚らずカンナを口説くのと合わせ、尽力したので、ひとまず牽制は出来ただろう。

 例えそれが、寝起きで寝ぼけて転びそうになったカンナを偶然側にいた男がたまたま抱きとめたのだとしても、カンナに触れようとする輩は俺にとっての不埒者。後で呼び出し、力ずくでカンナに触れる意味を体に教え込んだ。菓子を強請る食い意地の張ったカンナに、善意で分け与えようとした俺のとっての狼藉者には、王族の権力をチラつかせ黙らせる。下心があろうがなかろうが、は虫だ。虫を排除するために使えるものは全部使う。

 カンナが俺以外のに笑顔を向けるのも嫌だ。

 俺以外の誰にもカンナを渡す気はない。

 そうして、数日で、皆がに俺の味方になってくれたのに、カンナは全く俺になびかない‥‥‥。

 王子の地位も、令嬢の頬を染めさせる顔の造形も、剣の腕も、魔術も、頭脳も、何もかもがカンナには意味をなさないらしかった。


 聖剣を持ち、素早く動き回り魔物達を狩る姿は、「クソ」だとか「くたばれ」と女らしからぬ口の悪さだとしても、俺には輝く聖剣と共に美しく舞う戦姫に見え、よだれを垂らし「ぐふっぐううううう」と言ういびきさえ、愛おしくてたまらない。


 俺の全てを掛けてカンナを護る。

 俺の全てを捧げてカンナを愛したい。

 だが、カンナに俺の愛は届かない。

 愛とは、こうも苦しくどこまでも甘いものだと初めて知る。



 それから三月みつき、あと一月ひとつきで、魔王城が見えてくるだろうと言う位置まで辿り着いた日、俺にやっと一筋の光が見えたのは、涙に濡れ、いつになくか弱いカンナを思わず抱きしめた時だった。

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