外出恐怖症
小狸
短編
僕が外出することに恐怖を抱くことになった点に対して、言いたいことは山ほどあり、またそれに付随する過去の感情なども多種多様に渦巻いているので、ここでは敢えて触れないでおく。触れたとて意味がないからだ。今流行りのリモートワークかと問われることもあるけれど、生憎僕は仕事をしていない。病気のため、市の支援金や国の支援制度を受けて生きている。皆の血税で生きているのである。そんなことを考えると、どうして自分は生きているのか、もっと生きるべき人がいるのではないか、などと考えを巡らせてしまって、非常に良くない。故に、『意味がない』と言った。そういう「現実の厳しさ」みたいなものは、皆々は日々の生活で痛感しているだろう。小説は厳しくはあっても、醜くはあってはならない、というのが僕の持論である。だからこそ、僕が外出に恐怖を抱いている原因については、ここではこれ以上言及しない。
さて。
三度目の主張になるが、僕は外出に恐怖を抱いている。
それはひとえに、周囲の人が信用できないからである。
例えば電車に乗ったとしよう。そうなると、必然的に、駅に到着してドアが開いていない間は、電車内は密室空間である。その中で、自分が殺される可能性というのを、僕は拾ってしまうのである(「可能性を拾う」という言葉は本来ない、僕は造語症でもある)。
分かっている。
分かっている、つもりだ。
鉄道会社の躍進も相まって、都心の電車には監視カメラが設置されるようにもなった。『お客様同士のトラブル』も減少傾向にあると思っているのは、僕だけではないだろう。
しかし、僕は、その可能性をどうしても考慮してしまうのだ。
自分の隣にいる人が、発狂したらどうしよう。
隣の車両の人が、刃物を持ってこちらに来たらどうしよう。
周りの人間全員が、誰も助けてくれなかったらどうしよう。
僕が死んでしまったら、どうしよう。
死ぬのは怖い。
だからなるべく死の危険からは忌避したいと思っている。
たかが電車に乗る程度の日常生活的行動をするだけでここまで考えてしまうのだから、どうしようもない。
そして何より僕は、周囲の人より、見知らぬ他人より、僕のことが信用できていない。
精神的な病状、と、それ以上はここでは言及しないでおこう。
薬で何とか抑え込んで無害化しているけれど、僕自身が、そうなる可能性だってあるのである。
これに関してははただの強迫観念でも妄想でもなく、立派な病状である。
外気を吸い、太陽の光を浴びることは、確かに人が生きる上で重要なことである。
それでも、そんな生きる上で重要なことすらままならない自分は。
本当に人間なのだろうか、と。
時々思ってしまう。
(「外出恐怖症」――治療継続)
外出恐怖症 小狸 @segen_gen
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