【アップ】男山教会2023年5月7日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年5月7日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=UPn3XI5mXHY&feature=youtu.be


【アメーバブログ】

聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。

ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12802570449.html



前奏

招詞

コロサイの信徒への手紙 3章1~4節

頌 栄

たたえよ、主の民[こ改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問34

「聖霊なる神さまの恵み」

こどもさんびか

ひかりのことになるため [改121(1節)]

牧会 祈祷

讃 美 歌 188番

聖書

ヘブライ人への手紙11章23~31節(新約P416)

出エジプト記2章11~15節(旧約P95)

説 教

「キリストのゆえに

~モーセの苦難と出エジプト」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌  258番

使 徒 信条

聖餐式

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄 541番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


讃美歌188番(歌詞付)讃美歌188番「みかみのことばよ」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=fPpFXJHG_b4


1

み神の言葉よ きよきふみよ

こよなきかしこさ なににたとえん

2

さまようときには たえぬひかり

かわけるときには きよきいずみ

3

いのちのかてなる まことのマナ

天なるくにへの 代々のしるべ

4

昼にはみちびく 雲のはしら

夜にはかがやく ほのおの雲

5

わが主よ みむねを しめしたまえ

かくれし奥義を 解かせたまえ


讃美歌258番 Japanese Hymn No.258 【とうときみかみよ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=0FCI63s1NZg

(ブログを見て下さると歌詞を閲覧できます)



2023年5月7日 礼拝説教 中心聖句


キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。

ヘブライ人への手紙11章26節


ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。

出エジプト記2章15節


はじめに

キリストの苦しみによって慰めを分かち合う今日、聖餐に共にあずかる。

「信仰によって、モーセは生まれてから三ヶ月間、両親によって隠されました」とは、神の特別な備えによって、エジプト王によるヘブライ人男児殺害の命令下で、モーセの命が守られたこと(出エジプト2章2節)。実に、レビ人の両親は「その子の美しさを見、王の命令を恐れなかった」。死を前にして、ステファノは、「この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれた」(使徒7章19,20節)と弁明した。ヘブライ書において先には、「イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者」(3章3節)と証明された。ここでは、モーセの苦難と、同胞の人たちのエジプトからの脱出が、「信仰によって」実現したことと、その事実が、証明される。

「信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで」とは、モーセが、「一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見て、この「エジプト人を打ち殺し」たことが同胞同士の争いを仲裁しようとした時、モーセに対する非難の口実となったばかりか、ファラオからも追われる身となって、ミディアンの地に逃れた事(出エジプト記2章11~15節)。「信仰によって」モーセは「はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝にまさる富と考え」たと、苦難の僕となられたイエスが、油注がれたまことの王、約束の救い主であった、との「信仰によって」モーセの苦難が説き明かされる。「与えられる報いに目を向けていたから」。それは、今や、苦難と死に勝利された、キリストのおられる天の祝福と喜び。「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去」った。「目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたから」。

「信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけ」たとは、初子の死の災いを、小羊の血を塗ったイスラエルの家を、主が、過ぎ越された事を思い起こすもの。今や、過越の食事において、表されたことが、十字架の死と苦しみを忍ばれた、イエス・キリストにおいて、神の恵みの契約と救いの実現をしるす誓い(礼典)として制定されたこと(出エジプト12章、マタイ福音書26章28節)。この神の約束と実現の中、モーセが、「小羊の血を振りかけ」た、言わば、同胞の人々の罪を洗い清めた、と言う。それは、神の小羊となられた、イエス・キリストの恵みゆえの証明。「信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死」んだ(出エジプト14章)。わたしたちは、「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」(フィリピ1章29節)と信じるとき、わたしたちが求めるべきは、天の賞与(同3章14節)。

おわりに

エリコの城壁を7日間回った人々(ヨシュア6章)、娼婦ラハブ(同2章)も、モーセと同じ「信仰による」。たとえ無名の人々、異邦人であれ、キリストのゆえに、その信仰は、天の祝福を望むものとして証明される。賛美される御方は、主。



(Mynote)

二〇二三年五月七日(日曜日)、今日は聖餐式で、教会で兄弟姉妹共に礼拝と聖餐式を守れた事を神様に感謝する。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム 問三四』

「イエス様が成し遂げて下さった救いは、どの様にして私達のものと成るのですか?」

「私達は自分の力で救いを手に入れる事は出来ません。ただ聖霊なる神様の働きに依って、救いは私達に与えられ、私達のものと成ります。」

〈公同礼拝〉

『ヘブライ人への手紙』(第一一章二三〜三一節)

『出エジプト記』(第二章一一〜一五節)

この二つの箇所は、モーセの苦難と、それによる神様の恵みと導きが現されたエピソードが記されて居る。

モーセの両親は当時の世情を恐れ、モーセを三ヶ月の間、人目から隠した。モーセの家族は王の命令を恐れなかった。世情を恐れたのは、パロ(エジプトの王であるファラオ)の娘の子と言われる事を拒み、それによる人の世界での栄華を避け、それによる人の世界での驕り高ぶりを恐れたのである。

人の世界で栄華を受ける事と、神様から直接栄華を受ける事は、両天秤では計れない。「二つの主(あるじ)に仕える事は出来ない」という言葉の通り、神様の御命令は時に、人の世界での教えや栄華・名誉から掛け離れて居る事がある。これが又、信仰に生かされる事に繋がる。この信仰に生かされる事の恵みは、老若男女を問わず、貧富の差を問わず、全ての人に平等に与えられる。当時の遊女であったラハブが救われた事にも、その信仰による救いの姿が現れて居る。

信仰とは確かに信じる事に尽きるものだが、それ以上に「神様から与えられる恵みと報いを知る程に信じる事」に大事が在り、その姿勢により更にその人の信仰の力が成長させられる。

モーセは「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富」と考えた(『ヘブライ人への手紙』第一一章二六節)。詰り人の間での富でなく、モーセは神様と自分の間に約束された富、神様と人の間に約束された報い・栄華を望んだ。そしてモーセは信仰によって、エジプト王の怒りも恐れず、エジプトを立ち去った。昔から人には神様の姿が見えない。聖霊の姿も特定の人にしか見えなかった?詰り「見えない存在(神様)を見える存在」の様にして見、その姿勢の維持に信仰の強さがあると考え、その姿勢の維持を忍耐し貫いた。

またモーセは同時に、エジプト人がヘブライ人を激しい労役に就かせ鞭で打ち続けるのを見、「左右を見回し、人の居ないのを見て、そのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した」(『出エジプト記』第二章一一節〜一二節)。

そしてモーセは又次に、ヘブライ人同士が互いに争って居るのを見る。そして悪い方のヘブライ人に向かい、

「あなたはなぜ、あなたの友を打つのですか?」

と問うた。すると言われた彼はモーセに、

「誰があなたを立てて、我々の司、また裁判人としたのですか。エジプト人を殺したように、あなたは私を殺そうと思うのですか」

と答えた。

これを聞いてモーセは恐れ、「あの事がきっと知れたのだ」と思った。

詰りモーセは、殺人の罪が科されて居た罪人である。これが世間に知られるところとなり、モーセはファラオから命を狙われた(これは律法による裁きの為に)。それからモーセはそのファラオの前を逃れる様にエジプトを立ち去り、ミデヤンの地に行き、そこに在った井戸の傍らに腰掛けて居た。モーセにはこの様に、世の中に於いて最大とも言える罪が科されて居た。

神様はそのモーセを遣わし、エジプトの地から奴隷を導き出す頭(かしら)とされた。それからモーセのエピソードによく知られる十戒を始め、「海(紅海)を乾いた土地を通る様に渡る」(『ヘブライ人への手紙』第一一章二九節)等の奇跡が与えられ、導かれる事になる。

神様から与えられる恵みや報いと同じく、凡ゆる試練も人にとっては大きな恵みに在り、その試練はモーセに与えられた様に、その後の奇跡の形で導き・喜び・救いに変えられて行く。その様に導くのは神様である。

ラハブにしても娼婦として生活して居り、当時、娼婦は凡ゆる人から蔑まれる立場に在った。しかし神様の導きと救いにより、その後、「不従順な者共と一緒に滅びる事はなかった」(『ヘブライ人への手紙』第一一章三一節)と、その立場や人々の評価・非難を問わず救われた。これはマグダラのマリヤにも同じく言えようか。



【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


「こころの時代 ―心を失わずに生きる」

THE DAILY with Arthur Hollands 2023/05/12

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Ap5XdsJY2m8


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


【DTM】金曜ロードショーより「Friday Night Fantasy」Covered by eX

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=wCDiRGUTfq0


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)







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