第九章
第九章
「ああ、お顔をもう少し右へ向けていただいて……そう、そのままじっとしていて下さいね……」
クランは木馬の上で居心地悪そうにしていた。真昼の光が青い瞳を透き通るような色にしている。
クランは広場で会ったミケルのモデルを務めていた。そこは工房の中庭だったが、通りからものぞくことができる。クランの珍妙な雄姿は通りがかりの者の目をひいた。
木馬と言っても木枠の上に古めかしい木製の鞍を載せただけのものだ。伝説の英雄ダファネアの仮装をして腕には張りぼての鷲を付けていた。
腰に『鷲の目の剣』と『鷲の目の杖』に見立てた棒きれ二本が差してある。
王国の聖剣と聖杖、これは普通の人間は目にすることができないものだったから、作り手が想像するよりほかはない。
「おい、まだかかるのか。尻が痛くなってきた」
クランは思わず顔をしかめて文句を言った。朝からずっと木馬にまたがったままだ。
「もう少しですから、御辛抱を……」
カラゲルはニヤニヤ笑いを浮かべ、中庭の隅で見物を決め込んでいる。
「クラン、宿賃を稼ぐためだ。尻の痛いのくらい我慢しろ」
「そんなことを言うならお前がモデルをやれ」
「ダファネアと言ったら女に決まっているだろう。男がやるなら敵役の闇の王の方だ」
「そういうことなら、こいつでお前を成敗してやろうか」
クランが腰につけた木剣に手をやると、ミケルが筆を持った手を振り回した。
「ああ、ちょっとじっとして下さいって。衣装が乱れるでしょう」
駆け寄ったミケルは柔らかな布地でできた上着の裾を直した。
クランとカラゲルは顔を見合わせて苦笑いした。草原や森を駆け巡るには上品すぎる衣装を嘲笑ったのだ。
ミケルが勤めるレオナ工房は広場の裏通りの城壁沿いにあった。あたりには似たような工房が並び、祭りの準備もあって職人たちが忙しそうに働いていた。
焼き物工房では露店で売られる土産物の茶碗にダファネアの鷲や王宮の尖塔の下絵を描いていた。『死者の日』の行列用の衣装や仮面を作っている工房もある。
馬車を作る工房の前庭に大きな車輪が転がしてあるのは山車を組み立てるためだろう。
レオナ工房は普段、左官と彫刻を得意としていたが、祭りが迫ると山車や神輿に載せる石膏の人形作りに励むのが例年のことだった。
「いやあ、クランさんのおかげで、今年はうちの工房の人形が王都一の評判を取れそうですよ」
ミケルは木枠に張った厚紙の上に筆を走らせていた。人形とは言うが、等身大以上の大きなものを作るつもりで下絵にも力が入っている。
ミケルは口が達者なだけでなく腕も達者なものだった。工房のずっと年上の職人たちも、その力量には一目置いていた。
近所の子供たちがミケルの足元に群がっていた。
「ねえ、あの人、本物のダファネアなの」
「ああ、そうだよ。あの青い目を見てごらん」
ミケルは子供たちをからかうつもりで言った。
「お菓子くれるんでしょ」
「お菓子くれるのは、お祭りの仮装行列の人たちだろ。あの人は本物だから、こっちがお供えしなくちゃ」
「なんだ、つまんない」
子供たちはばたばたと駆け出して、工房の外へ出ていった。
それと入れ違いのように若い娘とその父親かと見える初老の男の二人組が工房の前を通りかかった。
「ほら、見て。ダファネアですよ。すごくきれいな人。目が青いわ。きっと『イーグル・アイ』でしょうね」
娘は金色の縁取りがある純白の長衣をまとっていた。まだ二十歳前らしく、ほっそりと小柄な身体つきをしている。髪はつややかな黒で、工房が並ぶ界隈には不釣り合いな白くしなやかな指先が美しい。
「いや、あれは行列の山車に乗せる人形のモデルでしょう。目が青いからと言って『イーグル・アイ』とは申せません」
「そんなこと分かってますよ、センセイ。『イーグル・アイ』なんて伝説でしょう」
どうやら男の方は父親ではないらしかった。こちらも純白の長衣を着ているが、質素な粗布でできたものだった。腰のあたりを革紐でくくって、そこへ短剣を差していた。粗布とは言え上品なもので、二人とも身分の高さがうかがえた。
「いや、伝説と一言で片づけることは……」
中庭の隅にカラゲルの姿を見た男は、おや、という顔になった。目元の稲妻の刺青に視線が引きつけられている。
男は娘とともに工房の中へ入ってきた。あたりの職人たちがかしこまった様子で後ずさった。男はそれを手で制し、クランの方を見ているカラゲルに近づいた。
「失礼だが、あなたはブルクット族の者か」
男に声をかけられたカラゲルは稲妻の刺青のある目の端をそちらに向けた。
「ああ、そうだ。顔にこんな絵を描いてあるのは我が部族だけのようだな」
「稲妻の刺青があるということは族長の息子だろう。族長のウルはお元気か」
今度はカラゲルが、おや、という顔になる番だった。
「親父を知っているのか。まあ、元気と言えば元気だが。知っているだろう、例の鉱山のゴタゴタで参っているよ」
「コルウスだな。王宮から手配されている。まだ行方が知れないか」
「うむ、あいつは我が部族を追放された者だが、放っておくわけにもいかないだろう。といって、ならず者一匹探すには王国は広すぎる」
「そうか……そういえば、セレチェンはどうしている」
セレチェンの名前を聞いて、カラゲルはいよいよ怪訝な顔になった。ウルを知っているだけでなく、セレチェンとも親しいらしい。
「セレチェンなら一緒に王都に来ている。王から親書だとかで丁重極まる呼び出しをくらったものでな。下手をすると親父の代理に火あぶりになるかもしれんな」
カラゲルは粗布の白い長衣を眺めて尋ねた。
「あんた、いったい誰なんだい」
「私はユーグだ。セレチェンとは昔の馴染みでな」
「ああ、あんたが、あの……」
カラゲルは話にのみ聞いていた人物を目の当たりにして妙な気分になった。セレチェンの荒野の物語の登場人物が目の前にいる。
「俺はカラゲル。ラサ荒野の話ならしょっちゅう聞かされている。なあ、クラン、お前も聞かされているだろう」
クランが横を向こうとすると、ミケルが、じっとしてと声を上げた。クランは前を向いたまま答えた。
「飽き飽きするほど聞いた。夢に首のない王妃が出て来るくらいにな」
ユーグの側にいた娘が小さく悲鳴を上げた。中庭の空気は凍りついた。
ユーグが木馬の上のクランを見上げた。横顔に部族の刺青はない。
「この人は……ブルクット族ではないようだが……」
カラゲルが気軽な調子で答えた。
「クランだ。俺の連れさ。我が部族一の鷲使いだぞ」
カラゲルの褒め言葉など無視してクランは返した。
「おい、お前が私の連れだろう。勝手について来たくせに」
カラゲルはユーグに向かって言った。
「セレチェンはクランを王に会わせるつもりだ。『イーグル・アイ』だと言ってな」
とっさにミケルが口をはさんだ。凍りついた中庭の空気にハラハラしている。
「いやあ、祭りの日に伝説の勇者が現れるとはめでたいことですなあ」
クランは口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「そんなことを言うのはお前くらいだ。村では不吉だの何だのと気味悪がられているのだぞ」
「こんな美女を気味悪がるとは、国の人たちもどうかしてるね。いっそ王都へ引っ越して来たらどうです。劇場にでも出たら人気が出そうだ」
カラゲルがミケルの言葉に茶々を入れた。
「おい、本気か。モデルをやるだけで顔を赤くしているような奴が、どうして舞台など出られるんだ」
クランは横目でカラゲルをにらんだ。
「誰の顔が赤いんだ。作り物の木剣でも、お前の頭をかち割るくらいはできるぞ」
その時、白い長衣の娘が声を上げた。
「でも、ほんとうにきれいな瞳です。まるで宝石のようですね」
あたりはまたしんと静まり返った。クランは居心地悪げに鞍の上で座り直した。
カラゲルが娘をからかうように言った。
「いや、お嬢ちゃんもなかなかきれいだよ。もっと大人になったら、お嬢ちゃんも木馬に乗ってモデルをやるといい」
中庭はさらに静まり返った。ユーグが咳払いして言った。
「こちらの方はミアレ姫だ。シュメル王の一人娘でいらっしゃる」
あたりの視線がカラゲルに集まった。ミケルが必死に目で合図を送っている。早く謝れということだろう。
クランは木馬の上から、これは面白いことになったぞと高みの見物を決め込んでいた。
カラゲルは一瞬、真顔になったが、すぐに薄く笑みを浮かべた。木馬の木枠にもたれかかると、クランの腰につけた聖剣をいじりながら話し出した。
「そうか。しかし、俺は王その人であろうと、王の血脈であろうと頭を下げる気はない」
聖剣の次に聖杖にも触れたが、つまらん、という顔で棒きれから手を離した。
「二十五年前、シュメル王によって我がブルクット族は王都を追放された。それ以来、王の庇護なく我が部族は独立した道を歩んできた。親父や長老どもは王から親書が来たと大騒ぎして、俺などもこうしてのこのこやって来たが……それには俺の心づもりがあるのだ」
目元に生来のはねっ返り気質を露わにしたカラゲルは木馬から身を起こした。
「もし、長老セレチェンが一言でもシュメル王に媚びるようなことを口にしたら、俺がこの稲妻の刺青にかけて叩き斬ってやる。親父や長老どもは王都に返り咲いて、ブルクット族を昔のように貴族にしたいらしい。つまり、姫さまやユーグ、あんたたちのようにな。しかし、俺は御免だ」
中庭は静まり返っていたが、カラゲルの言葉とたたずまいは王都に荒々しい草原の風を吹き込むようだった。
「ブルクット族は王がどう思おうと戦士だ。王都を追放されても関係ない。たとえば、砂漠の南からウラレンシス帝国が攻め込んで来たら、王の命令があろうとなかろうとブルクット族は出陣する。部族は王の家来でもなければ奴隷でもない。王国の命そのものだ。我が部族は王に仕えてなどいない。王国の大地に仕えているのだ」
王家を挑発していると取られても仕方ないカラゲルに、ミアレ姫は真正面から言葉を返した。
「王家は王国の部族の民を家来扱いになどしません。ましてや奴隷などと。『王は自らを空しくして善き力の車輪を回す者たるべし』と言います。王の血脈はむしろ部族の民に奉仕するためにあるのです。王家もまた、王国の大地に仕えているのです」
ミアレ姫の体内に流れる王の血脈。それが、カラゲルの稲妻の刺青に対峙していた。
英雄ダファネア以来の『王の血脈』は、女を通じて伝わるものとされていた。
王の血脈を伝える姫がいずれかの部族から婿を取る。その婿が王となって王国を統治する。そうやって王家の権力を絶対化せず、各部族の均衡を保ってきたのが部族共同体たるダファネア王国の歴史だった。
王の血脈はあくまでも女である王妃の側にある。王妃は大地であり、王はそこに生える大樹である、という例えもあった。
世俗の権力は王にあるが、聖なる権力は王妃にあると言ってもいいだろう。王妃は王国の精霊につながる至上のシャーマンだった。
にらみ合いの様相を呈し始めたカラゲルとミアレ姫に、ユーグが静かな口調で割って入った。
「カラゲルよ、古き部族の血を継ぐものよ。お前の言う通り部族は王国の命だ。しかし、その命に形を与えているのはダファネア以来の王の血脈だ。つまり、部族が命なら、王の血脈は体だ。二つが相まって王国を成している」
ユーグは粗布の長衣に穏やかな威厳をにじませていた。セレチェンよりいくらか若いが、短く刈った髪には白いものが混じり、その言葉には重みがあった。
「それにセレチェンのことも、お前は誤解をしているのではないか。もうずいぶん長い間、セレチェンに会っていないが、あの者は王に媚びるような男ではない。鷲の刺青にふさわしい真の戦士だ」
カラゲルの心の中を荒野の風が吹き過ぎた。本当のラサ荒野など見たこともないカラゲルだが、セレチェンの話で知っている。
ユーグとセレチェンは陰惨な陰謀にまみれた王宮から若き日のシュメル王とその母である王妃を王国の南、ラサ荒野へ脱出させた。すべては、『王の血脈』を守るためだった。しかし、荒れ野でも血は流された。王妃は名も知れぬ賞金稼ぎの刺客に殺された。
王国の決まりによれば、王の血脈を伝える者が男しかいなければ当然ながら婿は取れない。その男子がそのまま王となる。
シュメル王は暗殺、謀殺の果てに、ただ一人残された『王の血脈』だった。十五歳の孤独な少年シュメルはそのようにして王になった。
しかし、王家の男子がそのまま王になった時には必ず国が乱れるというのは、王国の歴史が伝えていることだった。そして、シュメル王の治世もその予感とともに始まった。
少年王シュメルが最初に発した命令は、殺された母王妃の首を探せということだった。王妃の首は賞金稼ぎに持ち去られ行方不明になっていたのだ。そして、その行方はいまだに杳として知れぬ。
カラゲルはこうしたことをすべてセレチェンの口から聞いていた。カラゲルはナビ教の祭司だというユーグに尋ねてみたいことがあるような気がした。しかし、今はそれをどう表現したらいいのか分からなかった。
カラゲルが口を開こうとした時、クランが木馬の上から声をかけてきた。
「おい、カラゲル。お前、顔が赤いぞ。むきになるな。王の前でもそんな顔を見せるつもりなのか……ミケル、もう出来ただろう。見せてみろ」
クランは腰にさげた棒きれをかたかた鳴らしながら鞍から飛び降りた。張りぼての鷲は腕にくっついたままだ。
皆はミケルが描いた下絵の前に集まった。カラゲルが感心したような声をもらした。
「こいつはよく描けている。顔もクランにそっくりだし、木枠の木馬が立派な馬に変わっているではないか。だけど……何かおかしいな……」
クランは達者な筆さばきで描かれた鷲を指さした。
「鷲が小さすぎる。こんな鷲で『闇の獣』が狩れるものか」
「仕方ないでしょ、本物の鷲なんか王都ではめったに見られないんですから。どうして、あの鷲を連れて来てくれなかったんです」
ミケルが愚痴をこぼすと、カラゲルがおどけた調子で答えた。
「馬鹿いえ。オローはオローで別料金だ」
「えっ、そんな。ブルクット族の人も意外とがめついですね」
「こいつめ、なんてことを。よし、分かった。俺たちの宿屋へ来い。オローを描かせてやろう。ユーグ、それに姫さま、あんたたちも来るかい。セレチェンもそこにいる」
ユーグは驚きの表情になった。
「宿屋だと。宿屋に泊っているのか。道理で私の耳に入らぬわけだ。王の親書を持っているなら、王宮の客間に泊まれるはずだが」
カラゲルが袖の下をせびった番兵長のことを話すと、ユーグは苦い顔になった。
クランが張りぼての鷲を腕から引きはがしながら言った。
「宿屋探しには苦労した。あやうく馬小屋で寝る羽目になるところだったぞ」
ミアレ姫はクランが衣装を脱ぐのを手伝っていたが、顔を上げて目を輝かせた。
「まあ、馬小屋。ちょっと面白そうですね」
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