第八章

第八章


「王の都合を聞くだと。番兵長ごときがどうして王と話ができるというのだ」

 セレチェンは憤懣やるかたないという様子だった。

「セレチェン、いい加減諦めて宿屋探しに専念しようではないか。もう七軒も断られたのだ。まさか王都で野宿するなんてことにならないだろうな」

 カラゲルもさすがにうんざり顔だった。

 セレチェンの心づもりでは王都に着けば王宮内に滞在できるはずだった。王の客なのだから当然のことだった。そのあてが外れて宿屋探しをしているのだが、祭りの時期にそう空き部屋があるわけもない。

 三人は王宮から引き返して外郭地域までやって来ていた。人がごった返す中を馬で宿探しをするのは容易なことではなかった。

 ここはどうだと入ったのは城壁ぎわの安宿屋だった。

「部屋はもういっぱいだよ。どこもかしこも相部屋でぎゅうぎゅうなんだ。他をあたってくれ」

 宿屋の主人は気の毒そうな顔もせずに言った。若い男だが客の応対で疲れ切っている様子だ。

 セレチェンは不機嫌に黙ったままだし、クランはオローに構っているばかりなので、カラゲルが頑張るしかなかった。

「そこをなんとかならないか。屋根裏部屋でもいい」

「そんなものはないね。まあ、馬小屋なら空いているけど」

 若主人は冗談半分でそう言ったが、カラゲルは食いついた。

「馬小屋か、よしそれで行こう。馬三頭に鷲一羽、それに人間三匹で泊まるぜ」

「えっ、ほんとにそれでいいのかい。まあ、そう言うなら。でも、宿賃は普通の部屋と同じだけもらうけどいいかね」

 その時、何を言っているんだと若主人をどやしつけた男がいた。男は鷲の刺青のあるセレチェンに頭を下げた。

「この方を誰だと思っている。ブルクット族の長老セレチェン様じゃないか。申し訳ございません。失礼をお詫びいたします」

 頭を下げた男は若主人の父親でウエスと名乗った。

「この宿屋の裏に私が隠居所にしている小屋があります。どうか、そこをお使いください。あまりきれいとは言えませんが馬小屋よりは遥かにましですから」

 若主人は父親からブルクット族だの長老だのと言われても事情を飲み込めない様子だった。

 こんな安宿に部族の長老がやって来ることなどありえないことだった。カナ族やメル族など裕福な部族の長老や族長は王都に広壮な別宅を持っていたりするのだから。

 ブルクット族というのも、若い主人には耳馴染みのない名前だった。ブルクット族は追放された部族で王都では忘れ去られようとしていた。

 しかし、若主人の父親であるウエスにとってブルクット族は忘れがたい存在だった。セレチェンは王の血脈を守った二人の英雄のうちの一人。まさに王国の歴史に名を刻むべき人だと、ウエスは思っていた。

 ウエスはぼんやりしている息子に馬から荷物を下ろせと言った。

「長旅でお疲れだ。俺は小屋の片付けをするから」

 ウエスの大声を聞きつけて若主人の女房も顔を出した。

「片付けなら私がやりますよ。お父さん、また腰を悪くするといけないでしょ」

 若主人はまだまごまごしていた。

「小屋を貸してしまったら親父はどこで寝るんだい」

「お前たち夫婦の部屋があるだろうが」

「親父、俺たち新婚なんだよ」

 女房が若主人を怒鳴りつけた。

「あんた、お客さんの前で何言ってんだい。もう、みっともないんだから」

 若主人は慌てて宿屋の表へ出て行った。外はもう日が暮れかけていた。

 隠居所はそれなりの広さがあり寝台は二つあった。ウエスの妻は昨年亡くなったばかりで部屋の片側には小さな祭壇があり、香炉からほのかな香りが漂っていた。

 寝台はセレチェンとクランが使い、カラゲルは床に敷布を敷いて寝ようと決まり、三人はようやく王都に落ち着くことができた。

「我が宿へセレチェン様をお迎えできるとは、まことに光栄の至りでございます」

 あらためて頭を下げるウエスに、セレチェンは笑顔で答えた。

「いや、そのようなおおげさなことではない。こちらこそ感謝せねばならん」

 セレチェンがカラゲルとクランを紹介すると、ウエスはカラゲルの稲妻の刺青とクランの青く澄んだ瞳、そして威厳のあるオローのたたずまいにますます畏敬の念を抱いたようだった。

 ウエスは以前、城門近くのブルクット族の衛兵詰所へ仕出しの食事を運んでいた。見回りのセレチェンの姿も何度も見かけたと言った。

「すると……あの羊肉のシチューはあなたが……」

 目を細めて言うセレチェンに、ウエスは嬉しそうな顔になった。

「よく覚えていらっしゃいますね。そうです、私が作って女房が詰所へお持ちしておりました。よかったら後でお持ちしましょうか。食堂は騒々しいですから」

「ぜひ頼みたい。懐かしい味だ」

「あの頃の王都はよかった。ブルクット族の皆さんの雄姿は忘れられません。あれこそ真の戦士だ。今はならず者の傭兵が大きな顔をしているのです」

 セレチェンが王の親書で王都へ呼び出されたことを言い、番兵長とのやり取りを説明すると、ウエスは苦い顔になった。

「しるし、と言いましたか。セレチェン様、この頃、王都では何をするにも袖の下が要るような始末でして」

 ウエスはまるで自分が恥ずかしいことをしたかのような口ぶりだった。

「なるほど、賄賂を欲しがっていたのか……」

 セレチェンはようやく気付いた顔で苦々しい表情を浮かべた。

 かつてセレチェンが王都にいた頃から王宮はあらゆる陰謀術数の巣と化していた。しかし、セレチェンはその手のことに一切関わりを持たないようにしていたせいで、思わせぶりな仕草や遠まわしな言葉に慣れていなかったのだった。

 ウエスはセレチェン以上に苦り切った表情で言った。

「恐れ多いことながら、シュメル王はあまり下々の暮らしにはご興味がおありにならないようですな。この頃は下っ端の役人や衛兵が当たり前のような顔をして賄賂をせびっております」

 そこへ若主人の女房が茶を運んできた。

「お父さん、あまり大きな声を出さないでくださいな。誰に聞かれているか分かったもんじゃない」

 女房は卓の上の茶碗に湯気の立つ茶を注ぎながら、ひそひそ声で言った。

「お客さん、この王都ってところは油断もすきもありゃしないんですよ。王様の悪口なんか言ったら密告されて衛兵どもにしょっ引かれてしまうんです。火あぶりにされたくなかったらカネを積まなくちゃならない。たまったもんじゃありませんよ」

 聞けば女房はナホ族の出で、去年、あの宿駅の連中のように祭り見物に来て王都に居着き、この春に若主人と結婚したのだと言う。

「私の国じゃ賄賂なんて聞いたこともなかった。第一、暮らしていくのに金なんかそれほど要りませんでした。ここじゃ、何でも、カネ、カネ、カネって。王都じゃ、金儲けの上手なメル族が幅を利かしていますよ。麦の穂を摘んだことすらないくせに」

 ウエスは息子の嫁をなだめるように言った。

「それは仕方ないだろう。ここは食べ物にしても何にしても金で買うしかないんだからな。お前の夫やその父の私はメル族の出だと言うことを忘れないでくれ。さあ、もういいから、お前はあっちへ行っていなさい」

 女房は同年代のカラゲルとクランに笑顔で会釈すると小屋を出て行った。

 セレチェンが引き留めて、ウエスも卓の前に座った。

「宿屋などをやっておりますと、いろいろな噂話を耳にすることがあります。なんでも、王国の南部ではメル族の隊商が襲撃されることが増えているとか。森の中や山越えなどはよほど注意しないといけないようです」

「盗賊たちはどんな連中なんだろう」

「それはさまざまで。盗賊と言えば、ならず者、追放者と相場が決まっておりましたが、この頃はれっきとした部族の民などもおりますし、ナビ教くずれの魔導士まで。つい先日はウラレンシス帝国の者が捕まったことがありました」

 はじめ、ならず者、追放者と聞いて、息子のコルウスのことを思ったセレチェンは表情を曇らせたが、ウラレンシス帝国の名を聞くと驚きの目になった。

「ウラレンシス帝国だと。はるばる砂漠を越えて来るというのか」

「砦が廃止されてから、そんなことになっているようです」

 それまで黙って聞いていたカラゲルが口をはさんだ。

「俺は親父に言ったことがある。各地の砦を荒れ放題にしているのは部族の恥だとな。それをジャルガめ、下手なことをして王に謀反を疑われたらいけないと反対したのだ」

 かつて王国はブルクット族の砦で守られていた。砂漠の向こうの大帝国に目を光らせていたのはブルクット族の戦士軍団だった。

 しかし、王都を追放され、王の庇護を失ったブルクット族は砦からも退去するしかなかったのだった。

 セレチェンはカラゲルの稲妻の刺青に目を当てて言った。

「ジャルガの言うことも間違ってはいない。我らの部族には疑われるに足る戦力がある。むやみに動くことはできないのだ」

 王がブルクット族の力を恐れているのは事実だった。一囚人に過ぎないコルウスの反乱が重大視されているのは、そのせいに違いなかった。

 男たちがあれこれと話し合うのをよそに、クランは塩味の茶をすすりながら暮れかかる窓の外に目を向けていた。

 がらくた置き場になっている裏庭の一角に黄色い花が地を這うように広がっていた。王国の至る所で見られるミアレの花だ。

 ブルクット族の村の外にあるクランの天幕の前にもミアレが一面に生えていた。陽光を映したかのような黄色い花の広がり。その向こうには見渡す限り草原が広がり、きらめく川筋が見えた。ベルーフ峰から吹き下ろす風は冷たく厳しかったが空気は澄んで清らかだった。

 それが、この王都では同じミアレの花と言っても城壁と建物の間のじめついた裏庭にはびこるつまらぬ草としか見えなかった。クランはすっかり退屈しきっていた。

 ウエスはセレチェン相手に長広舌を振るっていた。

「王はならず者を衛兵にし、部族の民を軽んじていらっしゃる。王宮での族長会議が開かれなくなって何年になります。七年ですぞ。以前なら、この祭りの時期は族長会議の時期でもありました。大勢の供回りを従えた各部族の族長の姿はそれはそれは壮観なものでした」

 どこか遠くを見るような目をしていたウエスは急に声をひそめて言い出した。

「これはあくまでも噂ですが、メル族やカナ族の有力者たちは独自の族長会議を持とうとしているという話です。いくら金の力があると言っても、そんなことが許されるものでしょうか。私は王国の結束が緩んでいるような気がしてならないのです。部族の結束なくして王国がどうして成り立つのです」

 ウエスはどうやらセレチェンがこの現状をどうにかしてくれるのではと期待しているようだった。

「ところで、セレチェン様。ユーグ様には、お会いになりましたか」

「いや、城門で門前払いではな。もう長いことユーグにも会っていない。なんでも、ミアレ姫の師傅になっているとか」

 カラゲルやクランもナビ教祭司ユーグの名前はよく知っていた。若き日のシュメル王を守って王国の南、荒れ野を彷徨った話はセレチェンから何度も聞かされていた。二人の頭の中でその話はすでに伝説、もしくはおとぎ話に近いものになりかかっていた。

 カラゲルは師傅とは何だと尋ねた。

「身分の高い人の教育を役目とする者のことだ。ユーグはナビ教の神官だ。王家の師傅はナビ教神官の務めと決まっている」

「あのイカサマ坊主の仲間ということだな」

「ナビ教は我らブルクット族と同じ立場だ。二十五年前、シュメル王によって王都を追放され、ナビ教は王の庇護を失った。しかし、すべてのナビ教祭司が堕落したわけではない」

 ウエスはセレチェンだけでなく、ユーグにも期待するところがあるらしかった。

「ユーグ様はたいへん立派なお方と聞いております。王もユーグ様のおっしゃることなら耳を傾けられるそうで」

 ユーグ様のところに使いに参りましょうかと聞くウエスに、セレチェンはかぶりを振った。

「今度の旅はユーグに会うためのものではない。我ら部族は目下、微妙な立場だ。迷惑をかけることになるかもしれぬのでな」

 かわりにセレチェンは自分たちがここに泊まっていることを王宮の番兵長に知らせてもらいたいと頼んだ。番兵長が言った通りに王へ取り次ぎをしてくれたなら、使者が来るにちがいない。

 ウエスは明日の朝一番で知らせて参りますと答えて、小屋を出た。

 カラゲルはウエスを見送ってから言った。

「なかなか頑固そうな親父だったな。歳を取ると、やれ天下国家がどうのと言い出すのが面倒だ」

 クランは自分で二杯目の茶を注ぎながら笑った。

「お前も砦のことを言っていたじゃないか。面倒なのは年寄りじゃない。男という種族だ。男どもはみんな自分が王様だと思っている。なんでも思い通りにしてやろうと必死だ」

「なら、女のお前は何だ。王様でなければ姫さまか」

 茶碗を口元に運びながらクランは窓の外を見た。

「いや、私は空を飛ぶ鷲だ。王都は空が狭くてつまらん」

 セレチェンは卓に肘をつき、何事か考え込む様子だった。

 カラゲルが尋ねると、宿賃が心配なのだと言い出した。

「なんだ、路銀ならジャルガが十分過ぎるほど持たせてくれたと言っていたじゃないか。金が足りないなんてことになったら部族の恥だからとな。見栄っ張りのジャルガらしい言い草だ」

 ジャルガは王と対面する時のために服まで新しいものを用意して、セレチェンのものはもちろんクランの分まで持たせていた。

 かつて王宮に出入りしていた経験のある長老ジャルガは一種の貴族意識を持っていた。草原を駆ける戦士または猟人としてのブルクット族とは別に王宮貴族としてのブルクット族もあるのだという考えだ。

「俺は勝手についてきたのだ。自分の分の宿賃くらい払うさ。街道の宿駅でもそうしてきただろう。それでも足らないか」

 セレチェンは軽くかぶりを振った。

「ジャルガも私も王都に寄り付かなくなって長い。あの城壁のところの露店、それに広場の商店の店先を見たか。私が知っていた頃の値段の十倍ほども高くなっていた。これではとうてい……」

「そうか。祭りのせいもあるしな」

「それだけではあるまい。二十五年のうちに王都の市民の気風が変わってしまったのだろう」

 カラゲルは、そんなものかなという顔だった。

「宿屋の親父はいい人だが親切につけ込むのも気が引けるな。そうだ、クラン。ここはひと稼ぎしようぜ」

 退屈しきっていたクランは椅子の背を止まり木にしているオローへ目をやった。

「うむ、オローと狩りに出て獲物を売るか。しかし、こんなところの連中は狐など食うだろうか。それとも毛皮を売るか。いや、兎なら……」

 カラゲルはクランの顔を右から左からと眺めまわしてから感心したように腕組みして言った。

「……ふうむ、なるほど、これが王都ではお美しいお顔というのか」

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