第六章

第六章


 街道が岩山の尾根を越えた時、草原のただなかに王都が見えてきた。

 小高い丘を囲むように長く城壁が築かれている。雲の上からでも見れば王都は正六角形を成しているのが分かっただろう。

 蛇のようにうねって枝分かれした川筋のきらめきのほとり、王都は絶対的な聖性を帯びていると見えた。

 王都は王国の聖地であり、最も精霊の繁きところとされていた。『紺碧の都』と呼ばれ、建物は青いタイルで飾られていた。丘の頂上に向かってその青は濃くなり、紺碧の諧調はそびえ立つ王宮の塔でその最も深い色彩に達するのだった。

 精霊だけでなく王国の民の行き来も激しい。普段からあらゆる部族の集まる場所ではあるが、秋分の祭りとなれば王都の人口は十倍にも膨れ上がった。

 遊牧を生業とするテン族が草原を越えて羊の群れを追って来るのが見えた。

 祭りの期間に食い尽くされる肉の量はすさまじい。テン族の白い天幕が城壁沿いにいくつも見えた。その周囲に仮の木柵をめぐらして屠られる羊を囲ってあるのだ。

 祭りが最高潮に迫る『死者の日』の行列まであと七日。空は晴れ渡り太陽は頭の真上にあった。

「祭りには間に合ったようだな。セレチェン」

 あれが王都かとカラゲルは馬上に身を乗り出し、目を輝かせていた。

「私たちは祭りにやって来たのではない。王のお召しがあったからだ。王にお会いしたら村へ帰るのだ」

「そうかたいこと言うなよ。祭りを見物して帰って何がいけない。なあ、クランも見たいだろう」

「うむ、これまでにない長旅だった。ハルを休ませてやりたい」

 クランは手綱を握ったままの左手でハルの首の横を軽く撫でてやった。

 右手にはオローを据えている。狩りに行く時と同じ姿だが、これから向かう先は草原や岩山とは正反対の世界だった。

 セレチェンは何も答えず、しだいに近くなってくる王都の姿に何事か考えこんでいる様子だった。

 王都へ近づくにつれ旅人の姿も増えていった。

 徒歩の者、騎馬の者が街道を埋め尽くし、馬車も多く見られた。幌のかかった荷台からは浮かれた歌声が聞こえてきた。

 駱駝を引いているのは王国の南から来た者たちに違いなかった。一商売してやろうというつもりだろうか、瘤のある背中に籠を付け荷物を満載している。籠の一つに小窓があって、そこから小さな子供が二人顔を出していた。

 旅人の中にはブルクット族の刺青や猛々しいオローの姿を興味深げに眺める者もいた。長らく王都でブルクット族や鷲使いを見ることはなくなっていたのだから当然だ。

 街道を進んでいく三人の目に高くそびえ立つ城門が迫ってきた。乾いた石造りの城門は厳めしく城外と城内をへだてていたが、重厚な木製の門扉は大きく開かれていた。

 城門の左右と上部には衛兵の姿が見えた。村へやってきた使者たちと同類の下卑た顔つきはならず者の素性を露わにしている。

 三人は無遠慮な衛兵たちの視線を浴びながら城門をくぐった。

 王都の門には王国を成す各部族の名がつけられていた。三人が入った北側の門はあたかも彼らを迎えるかのごとくブルクット族の名が冠せられていた。

 その他、サンペ族、テン族、ナホ族、スナ族、カナ族、メル族の門と合わせて七つの門があった。ただし、ブンド族の門はない。

 生まれてこのかた、我が部族の村しか知らないカラゲルとクランにとって城内は目くるめくような人の多さだった。あらゆる部族の装束が行き来して混沌とした色彩の渦を成している。早口に交わされる言葉、人いきれで空気まで息苦しく感じられた。

 城門内には大きな広場があった。城壁に沿って露店が並び、反対側には衛兵の詰所と馬小屋があった。広場の真ん中には、草原では見かけない樹木が緑の枝葉を広げていた。

「おい、こんなところにもブンド族がいるぞ」

 カラゲルが指さす方を見ると樹木の下で曲芸を見せている一行がいた。宿駅にいた連中とは別らしい。

 玉乗りをしているのはまだ十歳ほどの少年だった。その横には自分の背丈より高い竹馬に乗った少女も見えた。鼓と笛で囃している男女はその両親だろうか。

「ブンド族は王国のいたるところにいる。珍しくはないぞ」

 セレチェンがそう言った時、少年が玉から転げ落ちた。そのあおりを食ったわけでもなかろうが竹馬の少女も転んだ。観客から落胆したような声が上がった。

 子供たちは気を取り直して、それぞれ曲芸を再開したが、なにやら危なっかしい様子に見えた。

 樹木の脇に井戸があり、そこにはシャーマンがうずくまっていた。宿駅で出会ったシャーマンと違い、こちらは男だった。ビーズ飾りのついたフードを目深くかぶり、目元にかかった房飾りの間から心配げな表情を見せている。

 鼓と笛が懸命に囃し立てていた。何者かへ助けを求めているかのようなせわしない調子だ。

 その時、妙な音がして鼓の皮が破れた。シャーマンが立ち上がり、一行へ声をかけた。大急ぎで荷物をまとめ、見物客たちの見ている前でその場を去ろうとしている。

「おい、どうしたんだよ。これからってところだろうに」

「一度や二度、失敗したからってだらしねえぞ」

 客たちが騒ぐのも気にせず、ブンド族の一行は人垣をかき分けて城門へ向かって行った。

 シャーマンがクランの脇を通った。すれ違いざま、シャーマンはビーズの房の間から目を上げて言った。胸元の鏡が暗い。

「精霊が答えぬ。何かあるぞ」

 ブンド族たちは人の流れに逆行して城門を出て行った。

「おい、クラン。あのシャーマン、何と言ったのだ」

 カラゲルも不審に思ったのか、クランに尋ねた。

「精霊がどうとか……よく分からないが……」

 セレチェンがやや目つきを険しくして言った。

「ブンド族は精霊とともにある部族だ。その芸も精霊の加護のもとにある。それが精霊が答えぬとあれば、うまくいかないのも道理だ」

「なんだと。失敗を精霊のせいにしているだけではないのか」

 カラゲルはフンと鼻で笑うと、あたりを見回した。

「それにしても、これが『紺碧の都』なのか。白茶けたレンガの建物ばかりだが」

「それはもう少し先に進んでからだ。このあたりは百年ほど前の継承戦争の時に城壁を築いてできた外郭地域だ」

 そこへ二人組の衛兵がやって来て、旅の一行へ怒鳴り声を浴びせた。

「こら、馬でそんなところに立ち止まるんじゃねえ。さっさと行け!」

「まったく祭りとなると田舎者が増えてしょうがねえや」

 むっとした顔のカラゲルをセレチェンがうながして、三人は馬を進めて行った。

 まずは王都の丘の頂上にある王宮を目指さねばならない。

 埃っぽい外郭地域を抜けると、道の先にまた城壁と城門が見えてきた。こちらには青いタイルの装飾があり、入口は美しいアーチを描いていた。

 城門をくぐると、それまでの乾ききった街並みとは打って変わった美しい街区が目に入った。

 建物はどれも青と白のタイルで装飾されていた。

 タイルはモザイク画を成しているものもあり、雲や月、樹木や花、馬や羊や駱駝などの家畜、魚や鳥や獰猛そうな野獣の輪郭を描いたものも見えた。

 そうしたモザイク画は戸口や窓のアーチを飾っているばかりか道が四つ辻になる石畳にも描かれていた。美しい装飾画を惜しげもなく踏みつけて雑踏が行き交っている。

「セレチェン、こいつはすごいな。青いタイルが目に沁みるようだ。しかし、どうしてこんなに町を飾り立てる必要があるのだ」

 馬上のカラゲルはあちこちへ物珍しげな目を向けていた。

「王都はかつて英雄ダファネアが闇の王を退けてから作られたものだ。つまりは神々のご加護のもとにある授かり物だ。それを美しく飾るのは当然のことだ」

「そういえば、我らの聖地のまわりも花で……」

 カラゲルが言いかけたところへ、セレチェンは口をすぼめて、シュッ、シュッ、と音をたてた。部族の禁忌を口にする者への警告の音だ。

 口を閉じたカラゲルは何もなかったかのように目を細め、顔を横へそむけた。こんな仕草は部族の者の身体に染み付いたものだった。

 石畳の道はしだいに広くなってきた。馬の上から振り返ると、自分たちがいくらか高所へ来たことが分かった。白茶けた外郭地域が見え、その向こうに緑の草原が広がっていた。

 やがて三人は大きな広場へ出た。ここは王都で最も人の集まる場所だった。人混みを避けて三人は広場の端を進んで行った。

 半円形の広場は周囲を商店が取り囲んでいた。城門近くのような露店ではなく、アーチを連ねた回廊に沿って立派な店構えが並んでいる。

 その一番奥に高くそびえているのはかつてのナビ教の神殿だった。

 王国各地にあった神殿の総本山とも言うべき大聖堂で、その正面はひときわ濃い青のタイルで飾られていた。王宮に近づくほどに街区の青いタイルは色を濃くしていくのだった。

 神殿を中央に大きく左右に建物と回廊が伸びる広場の様子は『王都の牝鷲』と呼ばれる優雅な光景だったが、今、そこに集う者たちの表情にはどこか殺気立ったものがあった。

 広場には松明の焦げくさい臭気が漂っていた。神殿の前に目を向けたカラゲルは驚きの声を上げた。

「見ろ、あの者たちを。火あぶりにされるのではないのか」

 石段の前に三本の丸木柱が立ち、そこに男二人、女一人が縄で縛りつけられていた。その前に見物人らしき人だかりができていた。

 セレチェンは鷲の刺青に深い皺を刻んで内心の苦悩を露わにした。

 ブルクット族が王都を追放された頃、王宮には粛清の嵐が吹き荒れた。

 ある者は拷問で、ある者はこうした火刑で死んだ。そのすべてはシュメル王の命によるものだった。

「まさか、いまだに公開処刑が行われているとは……」

「驚いたでしょう、旅の方」

 見ると、派手な赤い上着の男が馬上の三人を見上げていた。

 クランやカラゲルとそう変わらない年頃だが、顔に日焼けがないのは二人には奇妙にしか見えなかった。

「火あぶりの処刑が復活したのは去年のことです。シュメル王も相当な域に達していらっしゃるようで……」

 男は金色の房飾りのついた帽子のてっぺんを指でつついて見せた。カラゲルが鞍から身をかがめて尋ねた。

「あの者たちはどうして火あぶりにされるのだ。どんな罪状だ」

「さあ、詳しくは知りませんがね、広場で火あぶりにされるのはたいてい王への謀反のくわだて、さもなければ誹謗中傷ってやつです。部族のお方、王都には禁忌はないはずなんですが、最近では王その人が王都族の禁忌でしてね」

 男はふと口をつぐんだ。後ろを衛兵が通り過ぎたからだ。

「嫌な奴らだ。優雅さのかけらもない。そこへ行くと、そこのお嬢さんの青い瞳はまるで宝石のようです。王都の青いタイルは空の青を模したものですが、お嬢さんの瞳はまさに王国の空の色だ」

 男にお嬢さんと呼ばれたクランは、わざとそっぽを向いていた。カラゲルが薄笑いを浮かべてその横顔を眺めている。

 赤い上着の男は言葉の調子を改めて言った。

「念のため申し上げておきますが、これは愛の告白じゃありません」

 我慢できずにカラゲルが大声で笑いだした。

「じゃあ、何のつもりだ。クランが美しいのは我が部族の禁忌だぞ」

「ご冗談を。ほら、あのダファネア像を見てください。お嬢さんの姿とよく似ているでしょう」

 広場の真ん中に台座に乗ったダファネアの石像があった。馬に乗り、腕には鷲、腰には聖剣と聖杖をつけている。凛々しい横顔がクランに似ていないこともなかった。

「ああ、あれはダファネアの像なのか。あんな細っこい身体つきで伝説の魔王と戦えるとは思えないが」

「あれは私が作ったんですよ。申し遅れましたが、レオナ工房のミケルといいます。あのダファネア像は私の代表作でしてね、まあ、王都の人たちの好みに合わせていますから、草原を駆け巡るにはちょっと頼りなく見えるでしょうが、そこへ行くと、お嬢さん」

 クランが切れ長の目を斜め下に向けてミケルをにらんだ。

「おい、お嬢さんと呼ぶのはやめろ。虫唾が走る」

「それなら、何とお呼びしたらいいでしょうね。伝説の『イーグル・アイ』とでもお呼びしましょうか。いや、まったくのところ、あなたは私にとって救世主のようなものです」

 ミケルは今、『死者の日』の山車に載せる人形を製作しようとしているのだと言った。

「言うまでもなくダファネア人形ですが、やはりモデルがいた方がうまくいきますからね。そこで、我が『イーグル・アイ』にモデルをお願いしたいのです」

 クランはもう一度、ミケルをにらんで尋ねた。

「……モデルとは何だ」

「分からないかなあ、モデルですよ。あなたにダファネアの格好をしてもらって、それを絵に描くんです。それを元に人形を……」

 クランは言下に断った。

「ちゃんとお礼はしますよ。いやほんと、たっぷりとね。これはうちの工房の腕を見せる絶好の機会ですからね」

「断る」

「どうしてです。たいして時間はかかりませんよ。さっさっさっとね、そのお美しいお顔と素晴らしいお身体を」

 クランが思わず腰の剣に手をかけようとした時、広場から荒々しい怒声が上がった。

 見ると、火あぶりの見物人同士が殴り合いを始めていた。周りの人間たちも止めるどころか、けしかけるような声をかけている。

 ミケルは苦い顔になった。

「おっと、また喧嘩だ。まったくタチが悪いや。人が殺されるのを見て興奮してるんだから」

 騒ぎはみるみるうちに大きくなってきた。処刑柱の上からは縛られた女が甲高い絶叫を上げていた。何を言っているのか分からない。

 広場はまさに狂気の色を帯び始めた。

 松明を持った黒衣の処刑役人が三人、神殿から出てきた。

 かつてダファネアを祀ったナビ教の聖所に今は死刑執行人が詰めているのだ。彼らは見物人の騒ぎを無視して火刑の焚き木に松明の炎を近づけた。

 もうもうたる白煙が三人の罪人を包んだ。女の絶叫はいちだんと高まった。二人の男たちはもう声を出す気力もないのか、ぐったりとうなだれているばかりだ。

 白煙はすぐに大きな炎に変わり、螺旋状に渦を巻いて燃え上がった。

 そこへ十人ほどの衛兵が駆けつけた。通報を受けて騒ぎを鎮めにきたのだろう。あたりの人間を突き飛ばすようにしながら喧嘩騒ぎのまっただなかへ突っ込んでいく。

 混乱はかえって高まり、逃げ惑う群衆がぶつかり合って倒れた。中にはダファネア像によじ登って難を逃れようとしている者もいる。

 広場の端にいるクランたちのところにまで焦げた煙の臭気が迫ってきた。馬が石畳の路上に浮足立ち、三人は手綱を握り直さねばならなかった。

 クランたちはセレチェンを先頭に広場を離れていった。後ろからミケルが大声で呼びかけた。

「私の工房はこの裏の道にありますからね。気が変わったら、お願いしますよ!」

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