好きなこと

あんちゅー

これから

ただ、好きな事だけ。


人生の中で、そうあれたら良いと、恐らく誰もが口を揃える。


ただ、好きな事だけをして生きていけたらって。


音楽に料理、美術や文学、スポーツに研究なんてものまで。


家族や友人、大切な人と過ごして、大切な場所を見つけながら、大切を増やしていく。


それから他には、世界中を旅して、色んな人と出会って、色んな経験をして、自分を再定義する。


それだけ、たったそれだけで十分すぎるくらい十分に。


たった100年の人生はあっという間に終わってしまうのだから。


その100年は担保されていないのだから。


私達はその好きを、心の底から独り占めしたくなるのだ。


けれど、多くの人が分かっていると思う。


そんな事をしてるだけじゃ生活が出来ないってこと。


上手く好きを仕事に繋げられる人と、それから好きが仕事の人とかね。


そういう人達以外の、私達みたいのが自分の好きだけを使って生きていくことはとっても難しい。


在り方の問題。


捉え方の問題。


落とし所とか。


大人は折り合いをつけて生きてくんだよって。


年相応になりなさいって。


うっかりしてたら1人になるんだからね。


いい加減分かったから。


大人って面倒で、そんな面倒の一部であるのが何となく嫌で、でも私も例に漏れず大人なんだから。


何が違うのかなぁ。


見ててもよくわかんないんだよね。


同じ大人なのに。


なんだろ。


しっかりしなくちゃいけないのが、なんだか凄く悲しい。




ある時ふと思ったのは、以前とは違う考えを自分が振りかざしてるってこと。


歳をとって考え方が変わってく。


最優先だった事が変わって、自分の生活が作られていく。


新しい最優先に塗り変わった後も何となく気が付かない。


たぶんだけど、好きはきっと流動的で、まるで山に染み込んだ雨水のようなのだろうなと思う。


染み込んでから、形を決めず流れていって、染み込んだ先から染み出して、いつの間にか別の所へと流れていく。


そんな雨水を器に注げる人だけが、何かを好きであり続けられるのかも。


そんな生ものだからこそ、新鮮で嬉しくってたくさん欲しくなってくる。


いっぱい飲んだらお腹いっぱい。


次第に味が無いことが分かってくる。


だからこそ、最後に持ってるのは意地なんだと思う。


自分からカラカラに乾いて、その水がどうしても欲しい状況を作れば、私たちにだって、好きであり続けることは出来るんじゃないかな。


いや、多くの好きを自分のものにしている人達がそうなんだから。


平凡な私達は好きを消費していくしかないのかも。


そう思えると、それはそれで未来がなくって、とびっきり悲しいな。




いつまで出来るか分からないし、どこまでいけるか分からない。


大切にしたいと思っても、その大切が何も無い事ほど虚しいことはないなって。


流れてく好きをいつも受け止められて、それを飲んでるだけで幸せを作るには、私は何より貪欲にならなくちゃね。


私自身の好きでは足りないくらいに。


理性じゃ抑えらんないくらいに衝動的で、強くってさ、喉が渇いててさ。


私は飲み干しちゃうくらいに、ワガママに好きでやるよ。


センスも何も、関係ないくらい在り続ける為には、些細な事も飲み込めるくらいに大きく口を開けなきゃね。


楽しみだよね、これから。


笑いそうになるね、これから。


さあ、これからも頑張るよ。

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