鬱ゲーのチュートリアルボスには修羅場しかない

@Arabeske

導入編

第1話


 そう、か。


 ここは、あの華々しい本編から、十二年前の世界で。

 そこで、俺は。


 極貧、細目、不細工。

 デブで、臭くて、卑怯。

 三白眼。歪んだ唇。惨たらしく垂れさがった二重顎。

 

 人の弱みを握り続けて成金になり、

 似合わないパープルのジャケットと黒のシャツを、

 垂れさがった腹に纏い、カネと弱みで女性を脅しつけて囲う。

 

 主人公たちにとって議論の余地のない小悪漢で、

 主人公たちに弄ばれた上に、影主に、何の容赦もなく殺される。

 

 本編開始25分、

 プレイヤーに操作方法を教えるためだけの、

 ほんの少しの歯ごたえがあるチュートリアルボス。


 主人公、月宮雫には1000を超えるファンアートがアップされているのに、

 ファンアートどころか、紹介記事すらも残されない、ただの踏み台。


 是枝俊也。


 それが、

 俺、なんだ。


*


 ……なる、ほど。

 

 細目で、不細工で、デブ、か。

 髪は不潔に垂れさがっている。

 美容室どころか千円の床屋にすらいったこともないのだろう。


 確かに、ファンアートが残りようもない。


 父親は典型的な毒親。

 無職で、酒に溺れ、暴力を振るう。


 親戚に頼る人間もいないどころか、父親と合わせて鼻つまみ者だ。

 学校では教師も含めてあらゆる生徒から公然と虐められている。

 人を信じる性格になれというほうが無理だろう。

 金銭にガメつくなり、人を脅すことでしか関係をつくれなかったのも無理もない。


 ただ。

 まだ、十四歳。


 すべての事件が起こるよりも、ずっと前だ。


 この世界が、本当に『Archetyp』の世界だと言うなら、

 俺は、の名前を知っている。


*


 虐められたまま、筋肉を鍛えて逆転し、

 毒親や虐めっ子達に報復する、みたいな夢物語を唱える奴がいる。

 

 絶対に無理だ。

 その間に、毒親や虐めっ子が、

 骨を折らずに、殺さずに済ませるわけはない。


 現に、俊也の身体は、あらゆる箇所に打身や痣がある。

 設定集上、部活に入っていた形跡はない。

 酒に溺れながら高鼾で寝ているアル中の父親と、虐めっ子によるものだろう。

 

 極貧の俊也少年は、万札どころか、千円札すら滅多に見たことがない。

 自販機のコインを漁って金を探していたフシがある。

 それすらも父親に暴力で強奪され、ワンカップ大関に形を替える。


 ここから脱するには。

 まず、俊也の異能を、活かすしか、ない。


*


 ……。


 人の目を盗み、近隣の街の盛り場、駅を廻る。

 学校から離れているとはいえ、立派に補導される時間だ。

 補導員も、警察も、一切信用できない。

 

 本来、俊也は、

 純然たるDV被害者であり、保護されるべき者だ。

 容姿が、せめて人並みでありさえすれば。

 

 人を頼れるような状況であれば、ここまで捻じ曲がってはいない。

 誰かを頼れるような環境にあれば、

 チュートリアルボスなんかになるわけがない。


 集めに集めた自販機の釣銭。

 なぜか入っていた1円と5円を含め、

 手元の全財産、僅か381円。


 ……。

 初手が、

 すべてを、決める。


 この家を。

 呪われ、閉じ込められた俊也の世界を、出る。


*


 SU〇CAのデポジットすら払えない全財産。

 震える手で、切符を買う。

 

 東京で良かった。

 他の都市ならば、運賃が高くて辿り着かない。

 

 鉄とアルミと手垢にまみれた犯罪の跡が、

 綺麗な、すべすべした切符に代わる。

 なぜか、泣けてくる。

 

 いや。

 まだ、はじまってすらもない。

 

 片道切符が、まだシンプルな自動改札に滑り込んでいく。

 吐き出された切符を掴み損なわないように掴み、

 つぎはぎすらないダメージジーンズのポケットに滑り込ませる。

 

 電車の車窓が、ゆっくりと動いていく。

 世界を変えるための、最初の一歩。


 躰が、震えている。

 たった四日間の暮らしだけでここまで怯える。

 それが十四年も続いたのだから。

 

 擦り切れたズボンの膨らみを、

 最期を自分で決められることを支えに、

 乗車率の高い車両の中で、ひとり、歯を、食いしばった。


*


 『精神壊乱事件』

 

 影主の雇い主に繋がる事件を捜査してしまい、

 ラスボスの虎の尾を踏み、不遇の死を遂げる。


 いまは、その、二年前だ。

 だから、まだ、殉職はしていない。

 なら、この家に、住んでいるはず。

 

 ただ。


 広瀬昌也。

 

 名前だけは、分かっている。

 でも、顔は、分からない。

 

 設定集でも、顔は、出てこない。

 主人公、月宮雫シスターズの参謀にして時季外れのツンデレ姉御、

 広瀬涼音の父親だということだけしか。

 

 道端で名前を聞き込むには、

 是枝俊也の三白眼はあまりに人相が悪く、

 浮浪者同然の身なりは、ただ警戒を招くだけ。

 

 公園に子どもがいなくて良かった。

 百パーセント、不審がられ、虐められるだろうから。

 

 これは、賭けだ。

 影主に使い潰されないための。


 真人間の道を歩む可能性を微かに持つ、

 闇の中の、たった一つの、極細の糸。

 手繰り寄せられなければ、地獄が待ち構えている。

 

 緊張からなのか、

 是枝俊也の性能なのか。

 

 腹が、空かない。

 小さな公園の、ヘドロのような水を飲むだけで

 命が繋げる気になれる。

 

 顔の痣を、一度、撫でる。

 あの日々に比べれば、

 待つことなど、なんだというのか。


*


 ……日が、暮れていく。

 

 ここで、野宿だろうか。

 誰かに、通報、されるのだろうか。

 それなら、そのほうが良いのかもしれない。

 

 いや。

 広瀬昌也が、出てくるとは限らない。

 

 この身なりと、この容姿では、

 彼以外なら、誰も同情しない。


 ごく普通に住所地を聞かれ、調べられ、

 ただの不細工で不要領な家出少年として、あの家に戻される。


 間違いなく、状況は悪くなる。

 

 児童虐待の調査が入った後、

 あの毒親は、より激しく虐待をするようになった。

 

 待たなければならない。

 待てるなら、何日でも待ちたい。

 

 でも。

 通報されてしまったら。

 他の人に逢ってしまったら。


 ……熟慮すべきだったのだろうか。

 取りえる方法を、吟味すべきだったのだろうか。


 どうやって?

 あの乱雑な、暴力の溢れる生存環境の中で、

 何を、どう考えれば良かった?

 

 初手は、最善手だった筈だ。

 シナリオ上、これしかない手段だった。


 シナリオを逆手に取ろうにも、

 不細工な、同情を集めづらい、

 デハブだらけの無力な中学生のことなど、歯牙にも掛けない。

 あっさりと、潰されるだけ。

 

 彼だけが。

 二年以内に殺されてしまう広瀬昌也だけが。

 

 でも、

 それも、もう

 

 

  「おい。」

 

 

 ……。

 ぁ。

 

 「生きてる、か。」

 

 ……この、声。

  

 「どうした、家出か。」

 

 オーディオブックで、ラジオドラマで流れていた声。

 ぶっきらぼうで、暖かく、落ち着いた、大人の声。


 やばい。

 泣きそう、だ。

 カッターを取り出さなくてほんとうによかった。

 

 いや。

 ここで。

 こここそが、一世一代の勝負だ。


 舐められないように。

 なるべくなら、上に立つように。

 

 考えろ。

 選べ。

 言葉を、手順を。


 「……

  広瀬昌也警部補で、いらっしゃいますね。」

 

 黄昏に、古びたコートが似合う。

 小さく、暖かな眼が、戸惑いに揺れる。

 

 「お、おう。そうだが。

  なんで、俺を。」

 

 「是枝俊也と申します。

  貴方個人に、保護を求めたく参りました。」

 

 訝しむ顔を浮かべた。

 歴戦の刑事らしく、疑いの目を向けてくる。

 それでいい。

 

 「私は、貴方が捜査されている、

  精神壊乱事件に関する情報を持っています。」


 「……なん、だと?」


 眼の奥の暖かさは無くなり、

 刑事一流の鋭い目つきが覘く。

 身体の奥底から呼び覚まされる激しい恐怖。


 しかし、

 空腹と、生への凄まじい渇望が克服する。


 「このままでは、貴方は、殺されます。

  涼音さんは、一人になってしまうでしょう。」

 

 歴戦の刑事も、娘の名前を出されると、

 裂帛の目力に、躊躇いが生まれる。

 

 あぁ。

 涼音、いっぱい愛されてるじゃないか。

 それを早く知らせてやれれば。

 

 「……お前、何者だ。」

 

 疑いは、より深まってしまった。

 でも、もう、無視できなくなっている。

 力を込めて、細く、皺の刻まれた双眸を見据える。

 

 「……望みは、なんだ。」

 

 いまだ。

 関心を、引き寄せろ。

 

 「貴方の保護下に入ること。

  それだけです。」

 

 「なぜ、俺なんだ。」

 

 「貴方が、真の刑事だからです。

  悪を膺懲し、弱きを護る。」


 だから、殺される。

 頭のてっぺんから腐敗していく組織に。


 「……。」

 

 考えて、る。

 そして、広瀬昌也は、聖人だから。

 

 「……嘘っぱちや出まかせ、ってワケでもなさそうだな。

  いいだろう。話くらいは聞いてやる。」


 考えてしまったら、懐に入れてしまう。

 この甘さが、二年以内に、広瀬昌也を殺す。


 「……

  ありがとう、ございます。」

 

 いまは、この甘さにこそ、縋らなければならない。

 毒親から、虐めから、

 なにより、影主に囚われる運命から、逃れるために。

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