アフリカゾウが行く

月光壁虎

第1話 願った象の身体

 気がつくと僕は見渡す限り白の不思議な空間に漂っていた。


 あれ、ここは……?


 確かさっきまで激務に追われていたはずじゃ……。


「――椎名泰造よ」

「はいっ、お呼びでしょうか」


 謎の声に企業勤めで身体に染み付いた応答をすると、目の前に座禅を組んだような姿勢のおじいさんの姿が揺らめくように現れる。


「そう、そなたじゃ。激務の末に力尽きて、誠に気の毒であった」

「力尽きて、って……。僕は死んだのですか?」


 僕の質問に謎のおじいさんは重々しくうなづいた。


「というか、あなたは誰ですか?」

「ほっほっほ、わしは魂の輪廻転生を司る神じゃよ」

「輪廻転生の神様、ですか」


 聞いたことあるぞ、確か魂が死んだ後別の肉体に宿されて再び生を送るって、それが輪廻転生だって。


「うむ。そなたは欲に溺れず勤労の限りを尽くした」

「は、はあ」


 欲に溺れずって、ただそうする時間がなかっただけなんだけどね。


「その結果限界を超えて死んでしまわれた。それが不憫でな、そなたに再び生を謳歌するチャンスを与えようと思う」

「生き返れるってことですか?」

「うむ。これは百年に一つの魂でしか許されてないことなのじゃ、幸運に思うといいぞ」


 僕はその幸運に与れたわけか。


 だけど神様は難しい顔をしてこう告げる。


「……しかし元の世界でというわけにはいかぬ。元とは異なる世界に転生することになるが、それでもよいか? もちろん言葉は問題なく使えるようにするぞ」


 違う世界ってことか。

 うーん、言葉の問題はなさそうだけど……。


 とはいえせっかくチャンスをくれるっていうんだ、それに乗っからない手はない。


「分かりました。それでお願いします」

「おお、すまぬのう。では泰造よ、そなたから何か希望はないかの? 可能な限り叶えた上で転生させようと思う」

「希望ですか……。そうですね~」


 うーん、とりあえず次の一生では間違っても仕事漬けにはなりたくないなあ。

 でも生きていくには仕事をして少なからず稼がないと……待てよ。


「あの神様、次なる生って必ず人間としてじゃなければいけませんか?」

「そうとは限らぬぞ。望むなら動物でも植物にでも転生させてやれる。まあそれを望むものなどほとんどおらぬが……」

「それじゃあ僕を象として転生させてください!」


 僕が頭を下げてお願いすると、神様は目を丸くした。


「象とは、そなたの世界に存在するという動物のことか?」

「はい! 僕、転生するなら象がいいです!」


 動物だったら働かなくても自分の力で生きていける。

 その中でも一番大きくて強い象なら、天敵とかに襲われて命を落とすことも少ないはずだ。


 何より小さい頃動物園で見た象のゆったりした動きが、今この瞬間思い浮かんだ。


 森でもサバンナでもいいけどそこで悠々自適にスローライフを謳歌する、僕はいいと思います。


「……そうか、そなたの希望は分かった。だけど本当によいかの? 動物であることはすなわち人間社会から外れるということじゃぞ」

「はい! 願ってもないことです!!」


 こっちは社会の歯車としての人生を全うさせられたんだ、次くらいはそこから解放されたいと思うのはおかしいことだろうか?


「――分かった、そなたの望み叶えてやろう。それでは達者でのう」


 神様がそう言ったのを最後に、僕の意識もだんだんと薄れていった……。



 ん、んん……。


 意識が覚醒して目を開けると、そこはどうやら森の中だった。


 普遍的な木の葉をたくわえた広葉樹の間を飛び交う鳥たちのさえずりが耳に心地いい。


 それとちょっと肌寒い。ここは熱帯じゃなさそうだね。


 さてと、僕は本当に象になれたのかな?


 ちょうどよく足元にあった水たまりをのぞいてみると、そこには巨大な象の顔があった。


 長い鼻と大きな耳、それから丸太のように太い四肢と巨大な胴体。


 間違いない、僕は象に転生したんだ!

 それも特に巨大で雄々しいアフリカゾウに。


「やった~!」


 願いが叶って嬉しくなった僕は、長い鼻を高々にあげた。


 輪廻転生の神様、本当に象として転生させていただき誠にありがとうございます!


 ……それでも普通に喋れるんだね。

 やったーなんて言っちゃってるし。


 四肢を動かしてみても問題はなさそう。

 二足から四足になっても違和感はないなあ。


 そんなことを考えてたら、大きなお腹から重低音が鳴り響く。


 お腹空いたなあ。

 そうだ、象なんだからそこらにある木の葉を食べればいいじゃないか。


 試しに鼻を伸ばして木の葉を取ろうとすると、ペパーミントみたいな清々しい香りが鼻腔をくすぐる。


 器用に動く鼻先で摘み取って口に運ぶと、今度は口の中がペパーミントの味わいで一杯になった。


 おお、木の葉うまい!


 次は隣にある赤みがかった木の葉に鼻を伸ばすと、今度は唐辛子に通ずる刺激的な香りが鼻を突く。


 その木の葉も口に運ぶと、案の定唐辛子の強烈な辛みが口に広がった。


「うわっ、辛いぞう!」


 何だこれ、めちゃくちゃ辛いじゃないか!


 慌ててペパーミントの香りがする木の葉をまとめて頬張り、辛みを中和する。


 ふー、死ぬかと思ったぞう。


 そっか、匂いでだいたい味が分かるんだ。

 確か象って犬の倍以上も嗅覚が優れているって話を聞いたことがある。


 それは本当だったんだ!


 それから僕は近くにある木の葉っぱを匂いで探りながら、食べられそうなもので腹を満たす。


 そうしているうちにこの日はもう暗くなってしまった。


 ここから僕の新しい人生、いや象生が始まるんだ。


 夜は寝て過ごそうと横になってみたわけなんだけど、森の地面って小石とかが転がっていて痛いんだこれが。


 結局立って休むのが一番楽で、そのままウトウトしながら時々木の葉をむしって小腹を満たしつつ夜を過ごした。


 異世界の太陽が昇って明るくなったところで、僕は食べ物を求めて移動することに。


 昨日だけで食べられそうな周りの木の葉を食べ尽くしてしまったからね。


 森の中だからまたすぐ美味しい葉っぱが見つかるだろうと思ってたけど、認識が甘かった。


 犬を超える嗅覚を駆使して探ったところ、周りの木の葉は不味そうな匂いのものばかり。


 その中で食べられそうな葉っぱを探し当てるのだけで一苦労だよ。


 お腹が全然膨れないまま歩くこと少し、僕はきれいな水をたたえる湖に行き着いた。


 ちょうど喉が乾いてたところなんだ、これはありがたい。


 湖面に長い鼻を下ろして水を勢いよく吸い上げたら、途中でツーン!とした痛みに苛まれる。


 ううっ、これは痛い!


 ……思い出した、象は鼻で吸い上げた水を途中で口に運んでた。


 幼少期に動物園の象を見た記憶を頼りに、僕は鼻で吸い上げた水を口に注ぐ。


 これなら不快感もなく喉を潤せるね。


 何度も鼻で水を吸い上げて喉の乾きを潤したところで、僕は続いて湖に足を踏み入れた。


 ふうっ、水が冷たくて気持ちいいぞう。


 巨体を転げたり鼻で吸い上げた水をシャワーの要領で身体に吹き掛けたりして、僕は水浴びを楽しんだ。


 ついでに生えてた水草も食べられることが匂いで分かったので、それもモシャモシャと食べた。


 身体もきれいになったし、そろそろ次の場所に移動しよう。


 そう思って湖から上がった時だった、足を伝って何かの振動をいくつも感じ取った。


 どこか慌ただしくて不自然に統率の取れた振動、何だろう?


 振動の発信源に向かって歩みを進め始めると、程なくして誰かの悲鳴が耳に届いた。

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