夢を見る裸の巨人

 ────夢を見ている。そう自覚したのは、割とすぐだった。

 気づけば俺は、マウンドに立っていた。

 見覚えのある球場。かつていた、東京ウォーリアーズの本拠地東京ドーム。

 身に纏っているものは東京ウォーリアーズのユニフォーム。見渡せば試合中で大観衆が見守る中で、始まったばかりなのか一回の表の守備からであった。

 キャッチャーで座るのは、随分前に引退したはずの引佐良。まだまだやれたはずなのにさっさと引退してブルペン捕手に引っ込んだ、ニックの師匠。

 対戦相手はオリオンパンサーズ。バッターは一番打者の嘉村啓二。

 ……強烈な、既視感デジャヴ。俺のデビュー戦、初年度の開幕戦にあまりにも状況が酷似していた。

 ベンチにいる面子の顔ぶれも。観客の応援も。空気の温度も自分のコンディションも。全て全部、知っていた。

 ……だが一つ違っていたのは、舐めた球を投げ込めば打たれると確信している己の勘。

 俺にしてみれば嘉村という打者はまるで脅威ではなかったはずだ。それはデビュー直後のこの状況であっても変わらなかった。

 全身の毛が逆立つ緊張感。リトルリーグ以来、味わっていなかった感覚。

 ────毛ほどの油断も全て捨てて、全力で投げ込んだ。


「……やっべ、楽しい」


 当時出せた自己最速169km/hを惜しみなく解禁し、変化球も制限なし。打者によっちゃ、左投げすら解禁し、絶対にしないアウトコースの球すらも投げた。

 それでも三球三振とすらいかず、0点になんとか抑えたものの、俺の球にバットを掠らせたヤツすらいた。

 たった1イニング投げただけだっていうのに、この疲労度。投球による汗よりも、打たれるイメージが離れない精神的疲労による冷や汗の方が余程多い。

 けど楽しい。超楽しい。野球やってるって感じが滅茶苦茶する。


「行くか」


 バットを持って打席に立つ。

 いつものように予告をする気になれない。

 投げ込まれた球を……打つ!


「やっべっ!」


 ボールを打つバットの感触がいつもとまるで違う。打球は内野の守備こそ抜けたが、センターの前に落ちる。

 全速力で一塁まで走り、止まる。

 ……俺が、この俺がただの単打か。

 打席に立って勝負されれば、必ずホームラン打ってたこの俺が。


「初打席初ヒット、おめでとうルーキー」


 ファーストを守っている選手にそう祝われた。


「……ええ。ありがとうございます」


 そうだ。ヒット打つことすら、本当は凄いことなんだ。

 そんな当たり前なことすら、俺は忘れていたというのか。

 この後、後続の打者の援護もあり俺は本塁に帰還。

 ベンチに戻れば、選手みんなが俺を歓迎していた。


「よくやった東郷!」

「打てるじゃねえかお前!やるなあ!」

「足も速ぇし、盗塁いけんじゃね?」

「バカ、ピッチャーだぞ。俺の眼の黒い内は走らせねえよ」


 その後の試合は、始めてヒットを打たれたりしたり、凡退したり。けれども今まで一番楽しい時間を過ごしていた。

 結局どうにかこうにか抑えきり、試合に勝った。


「東郷、インタビュー」

「え。俺がですか」

「ルーキーが抑えきってヒットも打ってんだ。当たり前だろ」


 そう言われて、ヒーローインタビューのお立ち台に上がる。

 マイクを渡されて、何を言おうかと考えるとふと浮かんだ。


「この舞台は、俺のガキの頃から夢見た世界でした。とびきり凄い選手たちがいて、あったかくて応援してくれるファンたちがいて。いつかここでプレーしたいって思いのままここに来ました。そして夢はそのままの形で、実現しました。本当に、ありがとうございます。ただそれしか言えません」


 一礼すると、ドーム中の観客から拍手が送られ包まれる。

 至福。ただ、それのみに俺の心は占められていた。






 「…………ああ。いい夢だった」


 そして今日も、嘘みたいな現実に目覚めた。






「咲はさ、どんな夢を見る?」

「夢?いきなりね」

「今日の朝、良い夢見て目覚めが良くてね。ちょっと聞いて欲しくて」

「夢自慢?いいわ、聞いてあげる」

「ありがと」


 そして今日見た夢の内容を咲に話した。

 打たれたり空振ったり凡退したりした、あったかもしれないデビュー戦のもしもの内容を嬉しそうに喋る俺に、咲は疑問に思っていた。


「普通、いつもの玲のように全部三振にしたり全打席をホームラン打ったりした方が嬉しいんじゃないの?」

「レベルが高いんだったらな」

「……そういうこと」

「そういうこと」


 日本のプロ野球も、メジャーリーグも。現実のそれは俺にしてみれば小学生のリトルリーグと一緒に試合しているのとさしたる違いはない。

 俺はただ、俺と対等に野球がしたかった。甲子園までの頃はともかくとして、プロに入ってからは高い実力の環境の中で試合ができると期待を胸に抱いていたのだ。

 しかしそれは叶わずプロを追い出され。そしてメジャーですらも、実力差から命すら脅かされている現状だ。


「プロになった時から野球でやりたいことは変わらない。高いレベルの野球がしたい。それだけなんだ」


 肌がひりつくような、勝てるかどうかもわからい化物みたいな連中と、バチバチに試合がしたいのだ。

 培った全部を使い潰して、全力を絞り尽くして、それでもなお勝てないかもしれない相手。そんな相手が、プロにいることを信じた。

 俺が野球に求めていることは、それだけだ。それだけしかないんだ。


「……ねえ。メジャーが再開したら、また続けるの?」

「おう」

「私は、本音としては本当は続けて欲しくない」

「どうしてだ?」


 本当に、言いたくなかったという顔をする咲。


「夢の話。私まだ、夢に出るの。あなたが撃たれたあの日のこと。もし当たったところが悪くて死んじゃってたらって。ずっと夢に見てる」


 あの日のことか。もしも死んじまったらっていう悪夢を、咲は見てるのか。

 俺のことを失いたくないという心と、俺の好きにさせてあげたいと願う心が、鬩ぎあっているのか。


「知ってる?あの事件、もう全然進展ないんだよ。黒幕はまだまだ絶対にいるはずなのに、来年になったらまた……」


 ああ知ってる。どこまで根が深いのかわからないけど、俺を排除したいと願っている人間は思いの他多いらしい。

 結託していたオーナーやらは所詮はトカゲの尻尾でしかなかったようだし。MLB運営のコミッショナーはマジな顔で俺の特別殿堂を検討し始めだしているとか。

 で、特別殿堂になったらなったで余計な恨みを買うだろう。面倒臭いことにな。


「大丈夫。どうにかなるって」

「でも……!」

「俺は、死なない。大丈夫だって」


 根拠のない勘だけど。この勘を頼りに生きてきたんだ。だからきっと大丈夫。


「んっ」


 不安を覚える咲に、キスをする。

 ちょっとはこれで、落ち着いてくれるといいんだけど。


「……本当、ズルいよね。玲は」

「知ってるだろ。俺、性格悪いんだよ」


 再び、唇を合わせる。

 こうして咲と一緒にいられることは、俺にとっては夢も同然なんだよ。

 だから死なねえし、死ねねえ。この夢だけは壊させない。

 絶対にな。



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