精神の怪物と裸の巨人

「……まさか、日本であなたと話すとは思いませんでした」

「え、敬語?」

「いけませんか?」

「生きている内は全員現役で、尊敬する選手は亡くなった人だけだって」

「敬意を払うくらいはしますよ。それに値する選手だと思いますから」

「そうかなあ?日本でやってた頃はもっと尖ってたんじゃない?あんな感じでいいよ」

「尖り続けられるのって才能だなって」


 玲は外でのトレーニング中に思わぬ人物と遭遇した。そしてそれは、その人物にとっても想定外の遭遇であった。

 大峪奨。ロサンゼルスフェニックス所属の、元祖二刀流選手。投打においてプロという最高峰のレベルで両分野が球界屈指という域に高めた怪物。玲が出てくるまでは、彼こそが史上最高の選手と名高く不世出と称された。

 玲が出て以降も優れた精神性と高い実力は評価され続け、野球選手の手本といえば大峪と言われている。玲に関しては、あまりにも規格外で憧れになりようがないという理由もあった。

 そして玲が敬意を抱けるほぼ唯一の選手だ。尊敬こそしないが、その精神の高潔さとタフさには敵わないと認めている。それだけは逆立ちしても玲は彼のようになれないと断じた。

 素で性格が悪い玲と対照的な、根っからのヒーロー。それが大峪奨という男だった。


「すみませんね。今年一年休みなのって、俺のせいみたいなところありますんで」

「何言ってるの、思いっきり被害者じゃん。何も悪いところないんでしょ」

「ええ。俺個人は非はないですよ。やり過ぎたってだけです」

「活躍するのにやり過ぎるってことはないんだけどな」


 『そんなこと言ってみてー』と苦笑いする奨。

 東郷玲を奨が評すならば、100年以上先の未来からやってきた野球選手だった。

 100年前と現代では同じ野球でも細かなルール等が変わっているが、何よりも違っているのが選手のレベルだ。

 100年前の名選手、二刀流の始祖として大峪と比較されてきたベイビ・ルーズがもし現代のメジャーでプレーしたら活躍できるか、という問答が度々挙げられることがある。

 そして凡その選手や野球評論家の答えは無理、不可能と返って来る。

 その理由は単純に選手の平均的な技術力と身体能力の向上だ。研究されたトレーニング法の確立や共有、栄養学の発展はそのまま選手の能力の向上に繋がっており、時代を経ることにつれてパフォーマンスは向上し続けている。

 大峪奨はその最たる象徴と言っていい。欧米人と比較して平均的に小柄であるはずの日本人でありながら、欧米人を凌駕する体躯とパワーを現代のトレーニングの末に得て。現代野球の技術の粋を染みつかせた体は、技術と力を両立させた怪物となった。

 現代野球の特異点にして到達点、それが大峪奨。

 ……そして東郷玲は、その今よりも100年以上先の未来の野球の特異点だと奨は思っている。

 その未来なら、玲と同じような選手は決して珍しくならないはずだと信じている。


「……悪いな、俺たちが下手糞なせいだ」


 今の選手を代表して、奨は詫びる。

 もしここに全世界の野球選手がいたのなら、奨がそう言うのを誰も止められないだろう。奨以外に誰も言えないし、奨が言うのならば納得ができる。

 それだけ、玲とその他の選手とは実力に大きな開きがある。


「初めて対戦してボロ負けした時、俺はただはしゃいでたよ。それ以降も対戦して負けても、まだまだ先があるって喜んでばかりだった。でもやっと、この前の事件で気づかされた。周りはみんな、お前を恐れてた。俺は周りをみないまま、俺のことしか考えてなかった」


 たった一人で全試合ずっと投げ続ける投手なんて恐怖でしかない。投げる球全てストライクにし、三振するなんて絶望でしかない。打席に立って勝負をすれば、全てホームランにする打者など悪夢そのものだ。

 東郷玲は、現代の野球選手にとってみれば野球の神だ。

 神に人は敵わない。ならば野球以外の場所で引きずりおろそうと考えて実行する人間の業の深さに奨は反吐が出そうだった。


「俺たちは、間に合うか?お前と野球が出来るレベルになるまで追いつけるか?」

「さぁ?」

「さぁって……」

「……まあ、と思いますよ」


 きっと近い。そう玲は信じている。

 少なくともメジャーリーグで特別殿堂にされることはないと思っている。


「一応、80になっても現役で投げれるってお墨付きはされてるんで。気長に待ちますよ」

「何それ羨ましい」

「これに関しては体質でしてね。他の誰にも真似できないですよ」


 玲の超人体質は鍛えれば鍛えるほどに筋肉は増していき、加齢による衰えはほとんどない。頑丈で怪我知らずの体もあり、生涯現役も不可能ではないのだ。

 長く、最前線で待つつもりでいる。自分が特別な選手でなくなる日が来るまで、じっくり腰を据えてその時を待っている。


「キャッチボールします?」

「やろう」


 グローブとボールを手に、玲と奨は距離を離してボールを投げ合う。

 キャッチボールをする二人は、声を上げて会話することはなく終始無言であった。

 ……それでも、二人にとってはこれで良かった。

 投げられるボールをグローブで受け止めるだけで、それは万の言葉よりも雄弁に伝わることがある。ボールをグローブに投げ込むだけで、どんな心の奥底の思いを仔細に伝えることができることがある。

 玲と奨は、そういう領域の選手たちだ。

 …………何球か投げ合って、お互いが頃合いと思って中断した。

 言葉も思いも尽くし合った。良い時間を過ごしたと、互いが納得し合った。

 二人が別れて、それぞれの練習に戻ろうとした時に。玲があっと思い出すように奨へと声をかけた。


「……ああ、そうだ大峪選手」

「なんだ?」

「あなたが球団内でどれだけ発言力があるかわかりませんけど、次のメジャーのドラフトで最上位に篤を……催馬楽篤を取ってもらえませんか」


 催馬楽篤。その名前を聞いて奨はすぐに思い出す。

 甲子園で東郷玲の再来とまで呼ばれた新時代の怪物。今は最後の年の甲子園を蹴って、メジャードラフトにかかるために野球留学でアメリカに来ていると聞いている。

 無論、ロサンゼルスフェニックスのスカウトも篤に注目していると奨は聞いている。しかしそれは、一選手でしかない奨の領分を大きく超えている。


「いやいやいや、そんなの俺の一存じゃ」

「俺が目をかけたって上層部に言えば、取らざるを得ませんよ」

「……あの噂マジだったの?」

「決して損はさせませんよ。俺に最も近い実力の、チームで二人目の二刀流選手。喉から手が出る程欲しいでしょうから」


 玲の話が本当であるならば、そんな選手はどのチームも欲しいに決まっている。

 現在のメジャーリーグは東郷一強。ラスベガスストレンジャーズが全勝無敗で終わるシーズンがずっと続いている。

 特に同じリーグで同じ地区のロサンゼルスフェニックスなら、尚更である。


「……わかった。俺から伝えてみる。約束はできないけどな。けど、それなら何も言わずにお前のチームで取れば……ああ、そういうことか」

「ええ。そういうことです」

「確かに、な」


 既にもう仕込みは終えているのだから。何も考えず、ただ大暴れをしていたわけではないのだ。

 新たに波紋を起こす一石を、既に投じている。


「篤だったらどこでも問題ないとは思うんですけどね。大峪選手なら安心預けられます」

「……お前、結構過保護なんだな。血も涙もないって言われてるのマスコミの演出か」

「知らないんですか大峪選手。悪いヤツは身内にだけ優しいんですよ」

「奨でいいよ。あとタメ語な。実力で勝ってから敬語で言わせてやる」

「お、言ったな?一度でもバット掠らせたらそうしてやるよ。ああ、俺をアウトにするでもいいよ」

「この野郎」


 そして、二人は別れる。

 ────奇妙な偶然による試合の外の邂逅は、結果的に玲と奨の二人に多くを齎したものとなった。



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