巨人の再降臨
玲と咲が正式に夫婦となり、いくつかの月日が過ぎた。
体を鍛え、配信をし、時たまテレビに出て、咲と共に式場の選別をし、咲の家事の手伝いをし、咲と体を重ねる……。そんな変化の少ない、それでいて穏やかで、平和で、満ち足りた日々を過ごしていた。
……いつか東郷玲が野球選手だったことすら忘れ去られる。記憶は薄れ、記録だけが残り、世間の時の流れに隔離されたこの家で、自分たちは取り残されていくのだろうと玲は思う。
それで良い。このままがいい、このままでいいと、玲は思った。
……たとえそれが、束の間の休息であったとしても。
季節は巡り、春の前。平穏無事の変わらない生活していた玲と咲の二人。
……その平穏は、一本の電話から崩されることとなる。
「もしもし。────。はい、はい……なんですって?」
電話の相手は贔屓にしていたテレビのプロデューサー。結婚以後、テレビの仕事をあまり受けなかったが、このプロデューサーの持ってくる番組だけには乗ってきた。
バラエティ色が強い番組や対談番組といくつか出たが、今回の内容は毛色が違っていた。
「ええ、まあ。今も現役の力は出せますが。本気ですか?──本気と。わかりました。では、断る理由はないんで受けます。では」
電話を切ると、一つ溜息。
引退して一年以上経つというのに、未だに野球選手としての東郷玲を求めている人間がいる。その事実に、喜んでいる自分がいることに驚いている。
──死なない限りは現役で、野球選手は一生野球選手だと自分で言ったことを思い出す。
「仕事の電話?」
咲の言葉に玲は『ああ』と返事をして──。
「現役復帰だ」
日米親善頂上試合。オープン戦前に行われる、前年度にプロ野球で日本一を獲った球団と、メジャーリーグでワールドチャンピオンを獲った球団が激突するエキシビションマッチだ。
玲は二年目に出場する権利を得たが出てはいない。ペナントレース全試合に出場して勝つことだけに力を注いでいたために、開幕戦より前の試合は出ていない。
……それを目的として来日してきた前年度ワールドチャンピオン、ニューヨークソルジャーズと、玲を欠いても健在だと証明して日本一を獲った東京ウォーリアーズの試合に、東郷玲が呼ばれた。
普通なら引退した選手に試合に呼ぶというのは解説の仕事が主だ。だが、玲の場合は違っていた。
──試合前の余興、日米打者18人切り。
日本史上最強選手東郷玲と、日米連合の18人による全十八打席勝負。
この話を聞いた時は、流石の玲も正気かと思った。
引退した選手が現役の選手を相手にこのような催しをするなど、前代未聞もいいところ。
……だがこれは、ニューヨークソルジャーズ側からのリクエスト。是非とも東郷玲と対決がしたいという願いからだった。
日本プロ野球における、最新にして永遠の神話。
そして、東郷玲ならこの挑戦状を断らないということも予期している。生きている選手は生涯現役と吹いた以上は絶対に。
背番号89の、どこにも属さない無地のユニフォームを纏い、東郷玲は再びマウンドに立つ。
「教えてやるよ。たかがブランク置いた程度で、勝てる俺と思うなよ」
キャッチャーは引退後にブルペン捕手になった引佐。『引佐以外に俺の球を受けきれるヤツはいない』と玲が指名した結果だ。
投球練習で引退試合の始球式ぶりに球を受けた引佐は、ミットから伝わる玲の球の感触を受けて驚愕する。
──ブランク?とんでもない……現役よりも精度が上がっている。
「かかって来い」
最初は東京ウォーリアーズ。玲の古巣であり、そして支配下に置いたチーム。
監督の戸張五郎も未だ現役であるが、玲がプロに現れて以降一気に老け込んで覇気がなくなり、玲の引退以後も事実上の神輿でしかなくなっている。
今では選手の自主性を重んじた実力主義を敷いているのも、玲がいた影響が残っている証左である。
だからこそ、ウォーリアーズの選手達はここで玲を打倒しなくてはならない。
東郷玲を史上最強の選手にしてしまったのは、紛れもなく自分たちの不甲斐なさからだったのだと。
「……甘ぇよ」
だが容易く、玲は三振に打ち取っていく。
投げる球は全て右腕の145km/hの球速に固定。その上で、変幻自在の変化球と精密無比のコントロールで打者全員を仕留めていく。
まるで、焼き直しだと。玲が初めてキャンプに合流した時に自分らと勝負した時と同じように圧倒している。お前たちはまるで成長していないのだと、絶望を与えている。
最後の戸倉大志も三球で打ち取られ、ウォーリアーズは九人連続三振の結果に終わる。
「次」
ウォーリアーズとの反対側のベンチ、ソルジャーズのベンチを見る。
玲に視線を向けられたソルジャーズの選手達は胸中を同じくする。恐怖を。
彼らウォーリアーズは決して弱くはない。何年も昔ならともかく、現代の日本の野球のレベルの高さはメジャーで活躍する日本人選手を見れば身に染みて理解できる。現にウォーリアーズの中でもメジャーで活躍できるだろう選手はいると見ていた。
そんな彼らが、あっさりと三振に終わっている。これはショーではあるが、真剣勝負だとわかっているがために、彼らは本気だったと同じ超一流の選手たちは言われずとも理解できている。
「──Jesus!」
打てない。打てない。全米最強のスーパースターが集った球団の打者たちが、ボールに掠りすらしない。
玲は投げる腕を変えて左腕に。そして球速を130km/h以下にして、全てストレートで投げ込んだのだ。
如何にコントロールが良くても、その球速のストレートでは打てない方がおかしいのがメジャーリーグというレベルだ。なのに、打てない。
緻密なコントロールを前提とし、ボールの回転の方向、回転数、キレ、ノビなどなど、ストレートの軌道を絶妙に操っている。
故、出来上がる三振の山。ウォーリアーズのリプレイを、ソルジャーズが体感している。
「
最後のバッター、アメリカ最強のホームランバッター、クレイグ・ホーンズ。前年度は62本のホームランを打った本塁打王である。
そんな打者に玲は130km/h程度の速度の球を投げる全く同一のフォームで──。
「──What?」
──170km/hの超剛速球をキャッチャーミットに叩き込んだ。
この時、クレイグは悟る。
東郷玲は、まるで本気ではなかったのだと。
二球目、172km/hの始球式で投げた世界最速を更新。クレイグは大きく振り遅れてストライク。
全く同じフォームで、同じ球種で、これほどの球速差を実現できてしまう。そしてそれを、自由自在にコントロールしきってしまえる制球力と無尽蔵なスタミナが共存してしまっている。
そんなことができてしまえば打てる打者などこの世に存在しない。
そうでなければ東郷玲は史上最強の選手などと呼ばれていない。
「F●●●!」
最後、175km/hを空振りし、最速記録を再び更新。
東郷玲が打者18人斬りを達成した瞬間に、球場は大歓声に包まれる。
実況席の実況は『東郷玲は未だ健在!東郷玲は未だ健在!』と興奮しながら連呼し、解説は何も言えなかった。
「Hey, Ray Togo!」
帽子を脱いで観客に一礼をした後にマウンドを降りようとすると、打席にいるクレイグが声をかけてくる。
『メジャーに来い!次は絶対に打ってやる!!』
『来てください、だろう?また今度な』
『勝ち逃げは許さんからな!』
まるで塾があるからと子供が遊びの誘いを断るように、メジャーの誘いを袖にする。
……だが玲自身、その時はそう遠くないと予感した。
どこまでいっても自分は野球選手で、この場所が好きなのだと。この場所を求め続けているのだと、納得させられた。
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