その地鳴りは誰よりも轟く

 開幕戦以後、プロ野球は東郷玲の蹂躙劇と化した。

 同じ高校生たちが競う甲子園よりも遥かに過酷な才能と実力の極みが集ったプロの世界で。投げれば必ず三振に抑え、打てば必ずホームランにする……そんなフィクションで語るにも憚れるような選手が出てしまったのだ。

 先発で試合に出れば決まって完投。全打者を三振に終わらせて誰一人としてバットにボールを掠らせたことはない。

 そして打席に立てば確実にホームラン。その上他チームにとって、玲と勝負をしないという選択肢は既に潰されていた。


『この舞台をね、夢見てた時期があったんだよ俺にも。……返せよ、俺の夢を。期待を』


『全プロ野球選手に告げる。こんな糞ガキに言われっぱなしにされたくないなら、俺の鼻っ柱をへし折って、俺の夢を拾って集めてこい。以上!!』


 開幕戦のヒーローインタビューは各所に大きな波紋を広げて話題になった。

 生意気で不遜なルーキーを非難する声と、プロ野球への失望に同情する声。そしてそんな不甲斐ないプロ選手を糾弾する声。

 そして日が経ち試合を消化していく度に、東郷旋風は勢いを増し続けている。積み重なる勝利と記録は、世間の注目度を上げ続ける結果となっている。

 、表向きには夢見たプロという世界のレベルが想像以上に低く失望したルーキーと、その生意気な鼻を明かしたい全てのプロという対立構図が出来上がってしまっている。

 故に、プロ側が逃げることは許されない。前代未聞を重ね続ける玲によって、プロ野球人気は天井知らずに高騰し続ける。そんな話題の台風の目である玲を相手に逃げることは、プロ野球は死んだと揶揄されてもおかしくないことだ。

 正々堂々と、真っ向から東郷玲は打ち倒さなければならない。そういう風潮が出来上がりつつあった。

 プロ野球の意地は、力は、たかが二十歳にもなってない小僧に劣るわけがないと信じているがために。

 世間の関心は試合の結果如何よりも、玲との勝負にフォーカスされていった。

 ……そして、七月。プロ野球例年の風物詩、オールスターゲームが訪れようとしていた。






 オールスターの人気投票に、投手部門でぶっちぎりの一位に東郷玲。

 そんな見出しのスポーツ紙を放り捨て、俺はの一室に設けられたトレーニングルームで、マスコットバットを手に素振りをする。

 素振りといっても、普通のそれではない。一振りに、五分以上の時間を費やすゆっくりとしたもの。

 骨、血管、神経、筋繊維、臓器、はては体内の水分の一つ一つに、意識を巡らせる。自分の体が自在に動けているかの確認。

 それを五回繰り返した時点で、俺の全身は珠の汗まみれになる。

 チームがやるぬるい通常の練習では汗一つかかないと自負している俺だが、全身の細胞を意のままに動かそうとすれば半端じゃない疲労感に包まれる。


「……ったく、たった五回でこのザマか」


 もっと先へ、もっと上へ。究めて突き詰め、極限へ。

 たかが、全て三振にしている程度で終われない。たかが、全打席をホームランにしている程度で終われない。

 風呂場でシャワーを浴びて汗を流しながら、血管に流れる血の流れを意識する。

 流れ落ちる湯と汗の滴が、ゆっくり流れていくのを感じる。

 ──タキサイキア現象。命の危機に陥ったりした時にスローモーションに感じられるようになる、今際の際の力だ。

 それを俺は自在に扱えるようになっているが、たかがスローモーション程度だ。は見えはしない。


「……もっとだ、もっと」


 ……だが、これ以上どうやっても遅くならない。

 自分の才能の無さに嫌になり、舌打ちする。


「下手糞」






 東京ウォーリアーズにおけるヒエラルキーは現在、東郷玲を頂点にして順に監督、ヘッドコーチ、コーチ、選手となっている。

 自身の登板間隔をに指定させ、登板すれば必ず完封するまでマウンドを降りない。登板しない試合の戦術や選手の起用方法、選手の育成・人事にすら口出しする始末だ。

 玲の暴虐を許している理由はただ一つ。どうしたらいいのかわからない、という一点に尽きた。

 口だけの新人なんて腐るほどいた。前評判だけの天才なんてすぐに消えていった。本物しか生き残れないのが、プロという世界だ。

 だが東郷玲に関しては例外の極みとしか言いようがなかった。

 オールスターを前にした時期の時点で既にシーズン本塁打記録をとっくの昔に更新し、打点王もほぼ確定している。

 投手としてもヒットはおろか、四球で塁に出すどころか球を前に飛ばすことすら許されていない。当然、勝利数と奪三振数はトップを独走し防御率も0だ。

 未だ、アウトはなく。走者になったことも走者を背負う経験もなし。

 たったプロデビューから数か月で。プロ野球史上最強の選手に名前を挙げられる領域に立っているのが、東郷玲という人外だ。

 そしてそんな人外を相手に、他の選手たちは逃げることが許されていない。

 世間の注目はいかに玲が記録を重ね続けるかに集まっている。

 それだけでなく、連続本塁打、連続奪三振、無失点回数……天井知らずに増える記録の数々を、止めるようなことが許さない世間の風潮は、玲の出場試合だけでなくプロ全体に蔓延していっている。

 今ではどんな状況であれ投手と打者の真っ向勝負がトレンド、敬遠忌避が暗黙のルールと化していた。

 誰かが、東郷玲を力で倒さなければならない。でなければプロの面目は潰れたままだ。

 各々、個人の力をつけなければならないと、誰に言われずともそう悟ったのだろう。

 そして商業的な面でも東京ウォーリアーズの、ひいてはプロ野球人気は絶頂を迎えていた。

 どれくらい記録が伸びるのか、と同じくらいに。誰がそれを止めるのかも話題になっていた。

 不遜な行動はそのまま実力に裏打ちされたものと証明されており、むしろプロが頑張れと言われる始末。絶対的なヒールと、それに向かう者たちの構図は昔から好まれる王道だ。

 誰が玲を打ち崩すのか。誰が玲を仕留めるのか。正々堂々とした勝負の果てのドラマを、ファンは求めているのだ。そしてそれが、正々堂々真っ向勝負の傾向に繋がっている。

 結果を残している上に利益を生む以上、親会社や経営陣、スポンサーも何も言わない。何も言えない。

 たった一人でプロ野球を引っ搔き回している玲を、誰もが静観するしかないばかりだった。


「とんでもねえもん抱えちまったなぁ……」


 東京ウォーリアーズ監督、戸張五郎とばり ごろうは悩ましく頭を抱えていた。

 このチームの中で東郷玲を人間扱いしている者はいない。畏れられる化物、あるいは奉られる神様扱いが常だ。

 玲が道を通れば、年齢経歴実績関係なく壁を背にして道を譲る。中には頭を下げる者すらもいる。

 人間でないのであれば、年下扱いする方が間違いだというのが共通認識になってしまっている。

 戸張は古い人間のため、この現状が馴染めない。

 現役も含め、年功序列でやってきたからこそ、18の小僧に大きい顔をされているのも気に入らない。

 ……だから玲が中二日のシフトにしろという無茶を言い出したのを、強く止めなかった。

 メディアからの批判覚悟で、ここで壊れてしまえとさえ思っていた。

 無茶をやって体を壊して痛い目を見れば、後悔して自分たちに従うはず。そう目論んでいた。

 ──だが、あっさりと。涼しい顔で滅茶苦茶なシフトをこなす玲を見た時、アレとはもうまともに付き合ってはならないと認めざるを得なくなった。

 さらに中二日で投げさせられているのは首脳陣からの制裁なのではないか、と記者たちに詰められた時に、玲が間に入って──。


『俺が希望したことですよ?それに、中二日って言ってもねぇ。たかが一日81球のキャッチボールと、バッセンしながらお散歩するだけですよ。それで疲れるとか……ねえ』


『監督には感謝してるんですよ。俺、負けるの嫌いなんで。俺が投げれば百パー勝てるの理解してくれてるから、わがまま聞いて貰えてるんです』


『一年目だから様子見で中二日ですけど、将来的には全試合先発して俺が投げられればと。そうすりゃ、全勝優勝だ。こんな夢のある話はないでしょ?』


 …………そんなことを宣う玲に、誰もが恐怖し、引いた。

 にとっては試合など、自分が出れば確実に勝てるものだと思われているものでキャッチボールとバッティングセンターでしかないという傲慢。でなければ中二日という無茶であるはずのシフトでは疲れようがないという根拠。

 そして最後に、東郷玲なら本当に全試合先発登板して全勝優勝を叶えてしまえるだろうという、予感以上に確かな確信。


「プロ野球を終わらせた戦犯になるぞ、俺ぁ……」


 そんなことになってしまえば、プロ野球はたった一人の選手に敗北を喫することになる。

 そして自分は監督としてその責任を負わねばならなくなってしまうだろう。


「とっととメジャーにでも行って貰わねえと……!」


 玲のFAなんて待ってられない。そうなる前にプロ野球は終わる。

 じくじくと痛む腹、手を見れば頭皮から抜けた髪がくっついていて、小さい悲鳴が上がってしまう。

 戸張五郎、68歳。玲を原因とするストレスによって、抜け毛と胃痛に大いに悩んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る