メリーゴーランド

寝袋男

「どうしたの?」

彼は振り返って、心配そうな顔で私を見つめている。

「乗りたくない」

急激に思い起こされる幼少期の記憶。

「メリーゴーランドだよ?皆好きだ。怖いの?」

彼は無邪気に笑う。その幼さの残る顔に今は嫌悪感を覚えてしまう。

「帰る。」

なんとなく遊園地に足が伸びなかったのは、絶叫マシーンに乗せられるのが嫌だからだと思い込んでいた。なんで忘れてしまっていたんだろう。

「待ってよ」と彼に声が聞こえた。腕も掴まれた気がする。

でも今はそれどころじゃない。一人になって思い出したい。

私は彼を振り切って、園内でも人気の少ない広場のベンチに腰を下ろした。

あの時の事を想い起す。年齢は定かじゃないが誕生日だった気がする。

私は父に連れられて遊園地に来ていた。最初は抱きかかえられていて、父の襟に掛かっていたサングラスが胸に当たって痛かったと記憶している。父の髭も時折私をチクチクとくすぐった。私ははしゃいで、色んなアトラクションを指差した。父は何処へでも連れて行ってくれた。そして、その最後がメリーゴーランドだった。

父は「ビデオで撮ってあげるから、乗っておいで」と微笑んだ。

私はひとりで乗るのが少し不安だったけど、他の子も皆一人だったから、頑張って乗ることにした。上手く馬に乗りあがれなくて、係員さんが手伝ってくれたと思う。

そして、煌びやかな照明と陽気な音楽と共に、メリーゴーランドは動き出した。徐々に速度が上がっていく。馬はその冷たい体を上下させる。周りの子たちの歓声が聞こえる。私は必死に捕まって、父を探した。父はビデオカメラを片手に手を振っている。そして私の名を呼んだ。木馬が揺れて、世界が回る。また父が消える。現れる。消える。現れる。その繰り返し。


そして、父は消えた。


メリーゴーランドから降りて見渡しても、父は見当たらない。

そんなわけないと周辺を走り回ったが、何処にもその姿はなかった。

トイレに行ったのかもしれないと、メリーゴーランド前のベンチに座って待ったが、父が戻ることはなく、係員に保護され、母が迎えに来た時には私は泣きじゃくった。

それから母に色々と説明をされて、今思えばそのどれもが嘘なのだろうけど、父は私の生活から薄れていった。

小学校高学年くらいの時には、きっと父は死んだのだろうと思い、母に何かを尋ねることもなくなった。

その後も母の努力の甲斐あってか、私はあまり不幸を感じずに生きてきた。

そして私は父を忘れて、ここまで来てしまった。

母は父に対して何ら言及してこなかった。悲しんでいる姿こそ、父が消えた当初には見た事があったが、愚痴を漏らしたこともない。

つまり、母は父を恨んでなどいないのだろう。

母は、父がなぜ消えたのか、その真相を知っているのだろうか。

私はベンチから立ち上がると、急いで遊園地を後にした。


「あら、今日来るって言ってたっけ?」

リビングにいた母が驚いた顔で私を見上げる。

「ごめんね急に。あの、お父さんの事なんだけど。」

母の唇が堅くなり、こめかみが少し動く。目元が少し怖い。

「あの人が、どうしたの…?」

「今日、遊園地に行ったの。友達にメリーゴーランドに乗ろうって言われて、それで、思い出した」

「そう、そっか」

母は湯呑に視線を落とす。

「とりあえずお茶淹れるから座ってよ」

母は私を椅子に座らせてキッチンに向かった。私はテレビの電源を切る。

「そういえば、もうすぐ誕生日ね」

母が急須と湯呑の載った盆を持ってテーブルに戻る。

「そう、いよいよ成人だよ」

「あっという間ね」

母が遠い目をして微笑む。

「良い子に育って本当に良かった」

母が私の手を握る。母の手は温かい。それでも何故か今日は他人の様に感じる。

「あの、それでお父さんの話、聴かせてくれる?」

「じゃあ正式に成人したら、教えてあげる。約束。」

「あと数日じゃん!今教えてよ」

「あと数日なんだから、我慢して。私も準備しておくから」

そう言って母は目を細めて笑った。


17年だ。17年、その行方を追ってきた。

捜索願は勿論、知人の探偵の手も借りて、方々を探し回った。

しかし見つからない。こんなことは考えたくもないけど、死だってとっくの昔に覚悟している。しかしその望みすら叶わず骨すら見つからない。遺留品さえ。

あのメリーゴーランドで、何が起きたというのか。

もし生きていれば、20歳だ。思い浮かべるだけで涙がこみ上げてくる。

一緒に頑張ってくれた妻も、もうそばにはいない。

俺一人で必ず探してみせる。俺のただ一人の娘なのだから。


彼女を"こちら"に連れてきて17年、その歳月はとてもとても長かった。

"母"としての自我も芽生えてしまう程に。

あの子を"捧げる"というのは、非常に心苦しい。

しかし、私はその為に存在してきた。

私の”仕事”を全うしなければならない。

人間年齢で成人を迎えた日、彼女は"供物"としての”適正”を得る。

彼女が選ばれてしまったことは、彼らの世界では不幸と呼ばざるを得ない。しかし仕方のないことだ。霊体が肉体へと姿を変える日に生まれ落ち、主が供物を吸うその年に成人を迎える。私に悲しんでいる時間はない。


「良かった、無事見つかって」

涙目の父親が泣きじゃくった娘を抱きしめている。

僕と先輩はそんな感動の再会を見つめていた。

「先輩って迷子となると随分血相変えて走りだしますよね」

先輩は親子が歩いていく後ろ姿を眺めながら、ぽつぽつと語りだした。

「俺がここに勤めだした頃さ、見つからなかった女の子がいたんだよ。それ以来俺もその子の事を気にかけてニュース追ったりしてたんだけど、結局見つからなくてさ。遊園地って、外界から隔たった楽しい場所だろ。柵があるから表には出ないだろうっていうか。係員の目もあるから無条件に安心って言うかさ。そういう盲点や死角のある場所って、実は変な奴からすれば穴場だと思うんだよ。だから親御さん達は、スマホなんかに夢中になってないで子供ちゃんと見とけって思うわけよ」

先輩の視線を追うと、ベンチに座ってスマホを弄る母親、駆け回る子供というまさに例としてうってつけのサンプルがいた。

「そういえばこの遊園地に怖い噂あるの知ってます!?」

「いんや、知らないね」

「なんでも、元々この遊園地が立つ前、如何わしい新興宗教だか研究機関だかの施設があったとか言われてて。この遊園地って僕が来てからだけでもちょこちょこ変なことあるじゃないですか。昔の遊具が突然現れたり、入園記録のない子供が迷子になってて親が見つからないとか。全部神の呪いか、研究されていた別世界が原因じゃないかって、ネットで見かけましたよ」

「あほらしい。仕事戻るぞ。俺はあの親子注意してくる」


私の誕生日。

私は母との約束をすっぽかして電車に揺られていた。

あの日母は「約束」と言いながら目を細めて笑った。

母が目を細めて笑う時は、私に目を見られたくない時なのだ。

嘘をついている。どうして嘘をついたのかは分からない。

そんな不可解な態度に対しての苛立ちを抱えて、私は遊園地に向かっていた。

今日、メリーゴーランドに乗ってみようと思う。

乗ったからと言って、何かが起こるはずもない。

だけど、何か重要なことを思い出せるかもしれない。

私はアーチをくぐって遊園地に入る。

そしてメリーゴーランドへと向かった。


「お久しぶりです。」

声のする方に向くと、あの時一緒に娘を探し回ってくれた係員が立っていた。

「ここに来て、どうにかなるわけじゃないのは分かってるんだが…」

「丁度17年前の今日ですよね。忘れません」

鼻の奥がツンと痛くなる。絶望的な状況の中で、娘の事を覚えていてくれる人がいるというだけで、胸の奥が温かくなった。

「あの時のビデオも持ってきたんだ。丁度こうして」

時代遅れのビデオカメラを構える。

モニターの中でメリーゴーランドが回りだす。


メリーゴーランド。

煌びやかな照明、陽気な音楽。

冷たい木馬が揺れて、世界が回りだす。

いないはずの父を探す。

回る。回る。回る。


あの子は来なかった。

それで良い、と私は思った。

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