環境省が調査した統計資料によれば、二〇二二年四月一日から二〇二三年三月三十一日の期間の犬・猫の殺処分数は一万一九〇六匹となっています。これは一九七四年度の殺処分数一二二万一〇〇〇匹に比べて大幅に減少していることが分かります。

 殺処分減少の背景には、地域の動物愛護団体や個人で保護活動を行っている人たちの努力の賜物だったり、そもそも保健所の引き取り数が減少したことによる殺処分率の低下だったりが考えられるでしょう。

 それでも尚、平均すると一日あたり約三十三匹もの命が殺処分によって失われているのです。

 

 豚熱(CSF)というのはご存知ですか?

 豚コレラとも呼ばれますが、豚熱ウイルスによって引き起こされるブタとイノシシの熱性伝染病のことを指します。

 それにより人体には一切影響がないものの、感染を防ぎ養豚業を守るために多くのブタが一時殺処分されました。余談ですが、鳥インフルエンザというのでも似たようなことが起こっています。

 私はこれを、人間に感染することがないなら殺処分する必要がなかったんじゃないか、とかを述べるつもりはありません。ただ思ったことを綴ります。


 この豚熱というのは人間様を騒がせた新型コロナウイルスとよく似ているな、と。

 それはそうだろう。両者ともあるウイルスによって感染の危険性が広域的に広がるという状況下に陥っているからな。それにいずれも感染を防ぐために対策を講じようとしているしな。

 ただ両者には決定的に違う所が一つある。

 それは豚熱は感染しちまった豚さんを意思なんて無視して次々と殺していくけど、新型コロナウイルスの場合は感染した人間様に対して殺すような真似は絶対にしないという所だ。

 分かるか? 人間様にとってそのようなことがありえない理由。

 それはな、人間様がこの世界で一番偉いからだよ。

 だから人間様にとって都合の悪い弱いものたちは人間様特権で好きにできるんだよ。逆に彼らは自分たちに傷をつけるようなことはしない。

 こうやって世界は弱肉強食に基づいて作り上げられているんだよ。

 

 私は別にこのことに対して一喝しようという気はありません。それにこれが私の本音として大っぴらに語った場合、私は各方面から敵意を向けられることになってしまいます。また一喝した所でこれを書いているのが人間様なもので、綺麗事にしか聞こえないでしょう。

 言ってしまえばこの作品自体に意味なんて最初からなかったのかもしれません。そう、伝えたいことなんて何もなかったのかもしれません。

 それをご理解の上で最後に言わせてください。


 大概、私たちには選択権が与えられています。「明日何をしよう」とか「誰と遊ぼう」とか。

 では人間とはかけ離れている気がする、同じように生命の宿る、他の生物種はどうでしょう。もう少し言うと、犬や猫といった総称して動物と言われる彼等には自分の意志で生きる権利があると言えるのでしょうか。

 時に殺処分を受けたり、奇異な目で見られたり、人間の都合によって振り回されたりする。そんな危機と隣り合わせ。


 彼等動物に自由はあるのでしょうか。


 翼と言っていいのでしょうか。



 



 答えはもう出ています。

 

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翼と言う勿れ 正野雛鶏 @tadanohiyoko

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