翼と言う勿れ

一

　気がついたら、ボクはそこにいた。

　床は光沢の無いクリーム色で、三方の金属質の冷たい壁と一方の狭間の小さい鉄柵で覆われた、殺風景な空間。

　そこは金属が古いのか鯖臭く、床も所々剥げていては硬く非常に居心地が悪かった。また空調が整っていないからか体中には嫌な空気が纏わりつき、甚だしく悪寒のようなものも感じた。

　そこは薄暗い照明とも相まって、実に牢獄と呼ぶのが似つかわしい空間であった。

　周りにはボクと同じ境遇であると見える者たちが幾らかいた。何かを察したのか不安そうな者。状況を理解できていないのか楽観的で呑気そうにしている者。いずれにせよ、ソイツらとはコミュニケーションが取れる雰囲気ではなかった。

　そのためボクはただ一人そこで過ごすことにした。

　その空間でできることといえば、鉄柵に近づき檻の中と大して変わらない外の様子を確認したり、他の者の行動を観察したりするぐらいだった。そうするといつからかは本当に何もすることがなく、淡々と時間が過ぎるのを待つことになった。

　どれぐらいか経った後だろう。

　急に檻の外の戸が開いては汚いツナギと作業帽を身につけた男がこちらにやって来たのだ。そして背が低くやつれた風貌の彼はそのまま檻の中に入っては何をするのかと思うとボクらにご飯をくれるのだった。

　やけに帽子を深く被るもので彼がどういう表情をしているかは分からなかった。

　だがそんなことは気にも留めずボクらはご飯に有りついた。それはさほど美味しくはなかったが、久々な気がするご飯にボクは幸福の気持ちでいっぱいになった。

　それからは何をするわけでもなく不毛な時を過ごしては、時折ご飯がやって来るのを待つだけだった。気になったことといえば、ご飯を持ってやって来る人が度々「ごめんね」という音色を発していたことぐらいだが、ご飯をくれるなら何でも良かった。

　そのような日々が何日か続いた。その空間には時間を計るものなんてなかったから、具体的に何日ぐらい経過したのかは判断のしようがなかった。

　その日はどことなく違和感があった。何か理由があるわけではないが、本能的にいつもとは異質な雰囲気を感じた。

　ご飯をくれるアイツらの態度も変だった。目が虚ろというか目線が合わない気がしたのだ。なんだかその様子に「恐い」といった感情が心の底からか湧き上がってきた。

　事が起こったのはそんなことを考えてから少し経った後だった。

　何の前触れもなく、急に後方の金属質の壁がシャッターのようにガラガラと鈍い音を立てながら持ち上がったのだ。

　しかし、そんな状況下にボクらがうろたえているのも束の間、直後には前方の鉄柵もボクらに向かって迫り来るように動き始めた。その鉄柵は止まることなくボクらを強制的に押し出すようにして動いた。

　ボクはこの時パニックに陥っていたが、どうしようもなく、なるがままの状態だった。

　後方の壁の先は狭い通路へと繋がっており、ボクらは皆、鉄柵に押し出されるようにしてそこへ移された。

　ただ事はそれだけに収まらなかった。

　やっと一息つけるかと思いきや、またその狭い通路でもキーンという乾いた機会音とともに、ボクらを追いやるかのように金属の扉が動き出したのだ。

　この時にはボクらも「キャンキャン」や「アオーン」という声を空間に響かせていた。けれどそんなものは無意味で、最終的にその扉はボクらを一つの狭い穴へと誘導させ押し込ませた。

　その穴の中は前の空間よりも窮屈に感じた。そこには糞尿と嘔吐したと思われるご飯が散乱し、消毒液の鼻につくにおいが充満していた。その光景にボクは気持ちが悪くなり、今すぐにでもここから逃げ出したい気分だった。

　そしてその穴は扉で塞がれ、ボクらは箱庭のような真っ暗な空間に閉じ込められた。その空間では夜目が利いたが、本当に狭いためもみくちゃになりながら動けずにいた。

　ボクらは恐怖で騒ぎ立てたり、爪や牙で床を傷つけたりした。その度に喉が痛くなったり、爪や牙が欠けて血が滲んだりしたが、誰も助けてはくれなかった。

　しばらくすると息が荒くなっては頭が痛くなるのを覚えた。他の皆も同じ状況らしく、動きが鈍くなっていき本能ではなく重力によって瞼が落ちていく様子が分かった。

　そこまで来るとボクらには声を上げたり、体を動かしたりする余裕なんてものはなくなっていた。

　それでも尚、脳は危機的に寝てはいけないというような使命を出しているように感じた。そのためか体を地面にぶつけて目を覚すよう試みるなどの悪あがきをした。

　だけどそれも果てには言うことを聞かなかった。

　そうして次第に息苦しくなり意識が朦朧としていき、「最期」の時を迎えようとしているのだということを実感した。

　思えば最初から故意だったのだ。ただ思い出したくなかったのだ。

　ボクはご主人様に捨てられたのだということを。

　ボクはもう目を覚ますことはなかった。