第22話 苦惱者 ②




「まだ生きている」


 その言葉に花月が振り向く。「何を」「首の骨は折れていない」鬱血により顔面は赤く膨れているが、物理的な損傷は少ない。首を吊っているとは言っても本棚にである。骨を折るには純粋に高さが足りなかった。


 夥しい数の蔵書を打ち捨てて、空になった本棚に、荒縄が釘で打ち付けてある。足腰は地に着いており、首だけがぷらんと吊られているのだ。雑な仕事だ。これでは死ぬものも死ねぬ。寧ろ苦しみが増すだけだ。


「外せ、外せ。そっとな」

「おい、工藤大全!」

「はいっ」


 弾かれたように二人が動き、女の身体を持ち上げて縄を外す。呼吸を確かめる。「息をしていない」花月の声に古が嗚咽と共に涙を流す。女の唇から涎が滴り、衣服を汚した。


「回復魔法は使えんのか」

「何を。臓器の損傷は複雑すぎて困難です。ましてや脳にダメージがある状態では。貴方はそんな事も分かっていないのですか」

「いや、限定的な時間遡行を用いれば、この状態ならばまだ回復が可能だ」


 ぐ、ぐ、と心臓を押し続けながら花月が言う。額には汗が滲んでいる。


「しかし、儀式を始めるにはリソースが足りない。翻って時間もない! クソ。時計塔。時計塔か。あれさえ使えれば……」

「必要な物は何だ」

「手順は頭の内にある。儀式を短縮するための膨大な力が必要だ。家中の道具を掻き集め、しかし、そんなちっぽけな物で……」

「なら使え」


「なにを」そう呟きかけた花月に魔力を送る。「なっ、は?」身に溢れた力に困惑するような顔を花月は浮かべ、しかし「早くしろ! 死ぬぞ!」俺の声に顔を引き締め直ちに取り掛かった。


 花月は懐から銀色の短杖を取り出し、術式を編み、文言を唱えた。陣は暮鳥の肉体を取り囲み、遡行の力を紡ぎ上げていく。


 工藤はそわそわと部屋中を歩き回り、ぶつぶつと文言を紡ぐ花月を見つめている。青ざめた顔を隠すように右手で口を押さえ、「馬鹿な、馬鹿な」と呟いている。


「経過は」

「順調だ。アンタのお陰だ。今は何も聞かん。しかし、何が。何が……」


 惑うように視線を右往左往させ、指先も苛立ったように落ち着かないでいる。しかし花月の手腕は確かなものらしく、鬱血した顔色は見る見るうちに元へと戻り、「ふっ」と呼吸を再開する音が聞こえた。


 女は身体を跳ね上げさせ、「ふっ、ふっ」と荒々しく叫んでいる。生の叫びである。生理的な筋肉の作用によって無理にでも肺を動かし、ひくひくと腕が震えている。


 瞳が開いた。「あ、あ」口元が何事かを訴えかけるように動き始めた。「暮鳥っ!」古が縋り付くように口元へ耳を傾ける。


 曖昧な眼を浮かべて、女は途切れ途切れに言った。


「──尊神……終を」

「なに、何だ。尊神がどうした!」

「尊神終を……殺さなきゃ──」


 それだけ言って、女は瞳を閉じた。呼吸は続いている。心臓は動いている。気絶しただけだ。


 しかし、彼女に代わって花月が目を向ける。古が目を見開いて、オワリちゃんに目を向ける。


「──お前か?」


 花月の問いに答えを返す者は誰もいない。沈黙だけが地下室を満たしていた。




『自分は事實を否定しない

 事實は事實だ

 けれどもう一切は過去になつた

 足もとからするすると

 そしてもはや自分との間には距離がある

 そしてそれはだんだん遠のきつつ

 いまは一種の幻影だ

 記憶よ、そんなものには網打つな──』




「何が起こっているのか。いいや、何が起きようとしているのか。そう問いたい」


 花月は難しい顔をして応接間の椅子に座っていた。この数時間の内にすっかり年を取ったように疲れ切って、眉間には深く皺が刻まれている。


「あああ、いや、分かっている。『分からない』そうだ。その通りだろう。アンタ達は怪しいが、それにしては不可解な点が多すぎる。そっちは仮にも恩人だしな」

「なら少しは信用してほしいものだがな」

「信用は出来ん。アンタの存在は怪しすぎる。悍ましいまでに膨大な魔力。何者と……いいや、今はもっと重要なことがある」


「問題は」花月は落ち窪んだ瞳でオワリちゃんを睨む。「尊神尊氏がアンタの背後にいるかもしれないということだ」


「暮鳥が何の意味でアンタを殺せと言ったのか。ああ、こういった事柄について考えるのは無駄と、そう言うアンタ達の主張は正しいだろう。名高い鑑識眼の力を頼れってのも解決策としちゃ最上だ。しかし、しかしな」

「こういった事件が起こることを想定して、父が私を寄越したと」

「あの男なら、暮鳥を殺そうとしてもおかしくはない」


 訥々と、自分自身に説明するようにして花月は語った。「ああ、そうだ。嫉妬していやがるんだ。あいつは、俺の娘に」瞳の奥は底深く、剣呑な色が見える。


「世界が裏返って十年が経ったが、人は未だに人を超えない。戦争は、現代社会と幻想との融和と、様々な技術の発展をもたらしたが、それらは人の精神を陳腐化させた。技術の広がりと反比例するようにして、それを用いる人は凡庸になった」

「ヨビソン・ロトゥムが目指した社会とは」

「その陳腐化こそが目的だとしたら奴は履き違えていやがる。可塔一族の命題とは時間だ。翻って、魔法使いの命題とは神だ。神を生み出すことこそが、数千数万年における人の望み、人の願いに他ならない」

「爺さんが聞いたらどう思うんだろうな」


 その言葉に、「ん、ああ」と花月は顔を上げた。「そうだな。アンタ達は奴の城に閉じ込められているんだったか」皮肉めいて笑みを見せ、花月は言った。


「結局の所、奴は革命家だ。英雄だ。奴は貴族的な命題を解さないのさ。万民のために戦い、世界を変えた。履き違えるも何も、そうだ、最初から目的が違うよな」

「では、父の目的も同じでしょうか? 人工的に神を生み出すと」

「唯一の成功例だろう、尊神の終わり。世界が裏返る前に生み出され、世界を変えるはずだった現人神。いや、しかし、俺の娘だって負けちゃいなかった」


 花月はそこで席を立ち、応接間の窓から時計塔を睨んだ。


「時間を司ることは神になることに等しい。少なくとも祖先はそう考えたし、俺もそう信じている」

「お前の考える……いや、お前達、この世界の魔法使いが考える神ってのは、何なのさ」

「究極だ」


 花月は間断なく答えた。


「人が考え得る概念の先にあり、概念を司る完結者だ。しかし、概念はあくまで階梯に過ぎない。真の神はその先、概念の海を越えた先にある究極だ。それを目指す事は、魔法使いどころか、人類の命題だろう?」

「ふうん」


 鋭いところを突いている。素直にそう思った。少なくとも、異世界の魔王共は花月にとって神と呼ばれる存在だったし、クソッタレ女神もその範疇に含まれる。


 そして、概念を司れば、逆説的に神になれるという考えも、俺の存在が立証しているだろう。


「だからこそ、時間に対して並外れた素質を持つ暮鳥は、まさしく神の卵として生まれてきた筈だったが」


 花月は顰め面を浮かべ、時計塔への視線を切った。それにオワリちゃんが言った。


「人工的に生み出したものではないのですか」

「天然物だ。そもそも俺達は時計塔を利用して、つまりは杖を媒介に至ろうと研究を重ねてきたんだ。才能など、歴史の前では些末に過ぎない。その象徴が時計塔だろう。そういう考えの上では、人工的と呼べるかも知れないが」


 花月はつかつかと部屋中を歩き回り、「だからこそか」そう呟いた。「だからこそか?」問うように続ける。後ろから、もう一人、この場に同席する女を睨む。


「もう一度、アンタに持ち掛けられた取引の内容を教えてくれ」


 その言葉に女は……高踏は、ローブを不愉快そうに波立たせ、荒々しく胸ぐらを掴まれたことを思い出すように、首を押さえながら言った。


「可塔暮鳥の死体は、私に引き渡される契約となっていた。他ならぬ、可塔暮鳥が持ち掛けてきた話だよ」


 ……高踏が姿を現わしたのは、気を失った暮鳥を地下室から運び出したその時である。


 煙のように現れて、開口一番に「死んだのか」そう彼女は言った。「ならば、死体は私のものだ」と、有無を言わせぬ勢いで暮鳥の身体に手をかけた。


 その身体が宙に浮いたのは工藤の手によるものだった。激情と共に「ふざけるなっ」と、恐らくは異能を発動させようとして、しかし途中で我に返り、「どういう事ですか」と、努めて内心を抑え疑問を呈したのは賞賛に値する事だろう。


「どうもこうもない。私は可塔暮鳥から、自分が死んだ場合、その死体を貰い受ける契約を結んでいる。特異な肉体だ。研究の甲斐があるだろう」


「……死んでいないのか?」高踏は息をする暮鳥を見、不思議そうに呟いた。


 ……改めて、そういった事実を列挙し、高踏は溜息を吐いた。工藤と古は暮鳥の傍で回復を見守り、風来は、今更ながらに綾草の死体を冷暗所に運び込み、外部との連絡を取っているという。


 応接間に会するのは、俺とオワリちゃんにカクさん、そして花月と錦、高踏である。その面々をぐるりと見渡し、花月は叫ぶように言った。


「……自殺! 考えられるのは自殺だ。そいつの言葉を信じるのならば、暮鳥は自殺を企てたことになる」

「そうではないのか。自らの死を前提とした契約を結ぶなど」

「はん! そんなわけがあるか。暮鳥は素晴らしい素質を持ち、いずれは時計塔を利用し、神の座に至る筈だった!」

「だが、封印した」


 高踏の言葉に、花月は押し黙った。「私が契約を持ち掛けられたのは、二年ほど前だったか」訥々と高踏が言う。


「可塔暮鳥は随分派手に動いていたな。魔法使いのみならず、異能者、私のような異端の魔法使いと、方々から人を集めて研究を重ねていた。驚いたよ、突拍子もない契約を結んだ数日後に姿を消したんだからな」

「それは仕方がなかった。暮鳥は優れた魔法使いだが、その様に遊んでいて命題に至れるものではない」

「魔法使いという領分を超えることに危機感を抱いただけではないのか? 何せ、魔法使いだけでは為し得ないのなら、後続が生まれないからな」


「お前は、お前が神になりたかっただけだろう」高踏は足を組み、下らなそうに言った。


「属人的な技術が神への階段を示すのならば、凡人にとってそれは、神の不在を証明するよりも余程絶望的だろう。『才能など、歴史の前では些末に過ぎない』だったか? 馬鹿げている。人を超える事が出来るのは、人を超えたものだけだ」


 高踏の言葉に、花月は不愉快そうに反駁した。


「その階段もまた、後続への道を示すものだろうが。属人的技術にせよ、それが可能になるのならば、可能性は存在すると言うことだ。ああそうだ。俺は神になりたい。神にならなければならない。それが俺の命題だ。俺の宿命なんだ」

「宿命ではなく宿業だろう? お前の、可塔一族の業が、折角の魔導機械を破綻させたんだ」

「何を言う」

「暮鳥は私に話したぞ。その所業の全てを、受け入れがたいとな」

「……ふん、成程な」


 舌打ちを一つして、つまらなそうに花月は押し黙った。高踏もまた、不機嫌を露わにして沈黙する。


 ……慣れた雰囲気。


 殺戮の前段階。無言の殺意がここにある。


 さて。


 さて、さて、さて……。


 嘔吐を一つ、隠して言う。


「なあ、オワリちゃん」

「なんでしょうか、カワセミさん」

「もう面倒臭いから帰らない?」

「それはとても素敵な提案ですね」


 ぐるりと、花月と高踏と、ついでに錦とカクさんの眼が俺を向く。『こいつマジかよ』という感じの呆れたような目を向けてくる。


 いやあだってさ、こいつら全然腹の内を明かさねえんだもの。人が死んでるんだぞ。それなのにまだ何かを企んで、自分の手に平の上に踊らせようと画策していやがる。


 くっだらねえ。死んでしまえ。いや死ぬな。精々後悔して生きろ。だけどやっぱり死んで欲しい。


「帰ろうぜ本当に。もう付き合ってられねえよ。こいつら、この期に及んで過去をやっていやがる。過去にあった何かを必死に懐に仕舞っていやがる。腹ぁ晒せよ。人が死んだんだぜ」

「……であれば、まずはアンタから話すべきじゃねえのかよ。何者だよアンタ」

「元勇者だよ。元勇者カワセミ。ふざけちゃいない。さあ言ったぞ」

「はん。話にならねえ」

「いいや、話はまだある」


 嫌な空気だった。慣れ親しんだ空気だった。言葉が無意味になり、互いの存在を否定することでしか決着のつかぬ、殺戮の前夜の匂い。


 また繰り返そうというのか俺は。いや、いいや。繰り返しているのはこいつらだろう。なあオワリちゃん。俺を見るな。


「仕方ねえ。電話を貸してくれないのなら探偵ごっこをしようじゃないか。謎の整理をしようじゃないか。

 その一『何故、綾草は殺されたのか』

 その二『何故、時計塔の中に死体があったのか』

 その三『何故、暮鳥は死にかけていたのか』

 その四『何故、時計塔は壊れてしまったのか』」

「時計塔ですか?」

「ああ、そいつがさっき言っていただろう」


 顎をしゃくり、高踏を指し示す。「そんな事は既にどうでも良い」「よくない、話をさせろ」あああ、うるさい。やめろ。吐き気がする。俺にこんな役目を。


「時計塔は、かつて立派に役目を果たしていた。綾草もそう言っていただろう。何時からだ? 何時から時計塔はこんな風になった」

「一年前からだ。故に、まずはそこの魔法使いに依頼したが、使えぬ奴だ。それで工藤大全に声をかけたが、これも使えぬ奴だった。入れるのは尊神だけだ」

「ああ、そうだ。一年前。一年前に何があった。あったっけ? そう、そうだ、確かそこの錦の奥さんが死んだと……」

「何を引き延ばそうとしているのかは知らんが、その答えは既に周知のものだ」


 高踏が錦を見つめ、次いで花月を見つめて言う。花月は「ふん」と嘆息し、つまらなそうにそっぽを向いた。


「時計塔が魔導機械から変質したのは、偏に人の死を呑み込みすぎたからだ。可塔花月は人体実験を行っていた。使用人の妻とやらは、その犠牲者だったわけだ」


 高踏の言葉に、錦は顔色を変えない。ただ黙って花月に仕えたままでいる。


「まさしくそこの男は、『歴史的に』神になろうとしたわけだ。凡人では扱いきれぬ概念の結晶を、屍を築き上げる事で操作しようとした。使用人の死も切っ掛けの一つに過ぎないだろう。あの時計塔には、何百何千の死体が埋まっている」

「はん。アプローチとしては基本的なところだろう?」

「全くだ。今更、声高に糾弾することでもない。もっとも、暮鳥は違ったようだが」

「虚しい話だ。俺の、一族の伝統を否定した理由が、そんなつまらない所にあったとはな」


「では、やはり自殺か」「そういうことになるか」花月と高踏は頷き合う。錦は微塵も表情を変えず、佇んだままでいる。


「……カワセミさん」

「分かっている」


 分かっている。こいつらにとって、もう謎なんてどうでも良いんだ。興味の全ては暮鳥の身にある。何故ならば、それを狙う者が目の前にいるのだから。


 高踏は暮鳥の死体を、花月は暮鳥を利用した先にある下らねえ神の座を。それぞれ狙って、争い合おうとしている。


 花月は銀の短杖を取り出した。「やめろ」言葉は既に無意味だった。そういう眼をしていた。「どうして、お前達はそうなる」高踏もまた、禍々しき数珠を指先に纏わせた。


「綾草は何故死んだ。どうして時計塔の中に居た。それを答えてみせろ」

「知るか。アンタ達が殺したんじゃないか? 尊神尊氏の命令でな。可哀想な子だ」

「暮鳥が仕向けたのだろう。理由は、あれだ。妹の死で、父親が止まるとでも思ったのだろう。つまらん奴だ」


「だが、そんな事はどうでも良い」二人は殆ど同時に言った。互いに互いを睨んだ。


 ──その時、悲鳴が聞こえた。女の声。古の声だ。同時に破裂音。地響きの音。


 錦は懐から携帯を取りだし、少し頷いて、簡潔に言った。


「工藤大全が暮鳥様の身を攫い、風来様と警備部隊に危害を加えているようです」

「そうか」

「そちらもか」


 くつくつと笑う。ああ、始まろうとしている。いや、既に始まっていた。


 オワリちゃんの傍に佇んでいたカクさんが、二人から主人を守ろうと、懐のナイフに手を伸ばそうとして……驚愕を顔に浮かべてオワリちゃんに迫った。


 肉体は人形染みてぐるりと回り、無理な軌道を描いて首筋を狙う。スレスレで氷漬けにして動きを止める。しかし彼女は尚も、自分でも分からぬままにオワリちゃんを殺そうとする。


「なん……終様……っ」

「ほら、言ったでしょう」


 オワリちゃんは薄く笑みを浮かべて言った。


「父が差し向ける全ては、私を殺すように出来ているのです」


 その言葉に、花月と高踏は得心がいったように頷いて、だからこそか、最早全ては無意味だった。


「やはりか! 暮鳥を食らうために尊神終を差し向けたか! ああそうさ、人間の扱いはあいつが一番得意とすることだからな」

「人の肉を引き千切り、生まれたものに祝福を! それこそが、私の理念の結晶なのだからな」


 オワリちゃんは微笑んでいる。二人の、二匹の、畜生の目に捉えられて、笑っている。


 溜息を長く吐く。


 酷く、眠りたかった。


「ねえ、オワリちゃん」

「なんですか?」

「ここに居る奴等はクソばかりさ」

「そうかもしれませんね」

「でも俺だってクソなんだ」

「そうなんですか?」

「それを今から見せてやるよ」


 花月は時間へ限定的に干渉し、肉体の加速と周囲への減速の押し付けを可能にしている。対して高踏が操るものは醜悪な怨霊か。自らの肉に植え付けた肉は死者のそれ。どちらも悍ましく、汚らわしい。


 そして行動に移る刹那、轟音を上げて飛び込んできたのは工藤。右手に暮鳥を抱え、屋敷を破壊しながら言いやがる。


「暮鳥をより崇高に、より神の座に! そのための材料は──!」


 ぐるりと、対決の奥、オワリちゃんを見つめて工藤は笑った。それに呼応するように花月と高踏が醜悪な言葉を呟く。


「二体の神を贄として──」

「この願いを成就させよう──!」


 ……ああ、そうだ。そうだろうとも!


 こんな醜いものを、こんな汚らわしいものを、誰が救うというのだろうか。


 誰も救わないさ。俺だって救わなかった。俺は殺しただけだ。徹底的に殺し尽くした。それが唯一の救いだった。


 だから一つ、思うんだ。


「人を救うことが、人に出来るわけがない」


 ……それでも世界を救うために、俺は人を止めたんだ。




『おお大罪惡の幻影!

 罪惡はうつくしい

 あの大罪惡も吸ひついた蛭のやうにして犯したんだ

 けれどその行爲につながる粘粘した醜い感覺

 それでもあのまつ暗なぬるぬるしてゐる深い穴から

 でてきた時にはほつとした

 そして危く此の口からすべらすところであつた

 この涎と甘いくちつけにけがれた唇から

 おお神よと

 そして私は身震ひした──』




 ぶちぶちとベルトを引き千切る。拘束された手足を伸ばす。全員の目がこちらに向く。


 俺は仮面を外した。


「滑稽な手品か? テメエの正体は魔法使いだろう。本当の護衛はテメエだった訳だ」

「尊神一族肝入りの……しかし、ねえ? 神の肉が目の前にあるというのに、随分と悠長な!」


 眼前三体。共通の敵を目の前にし、花月は超速で迫り、工藤は床に手を当て、それを消失させる。辺り一面の建材が消え、次いで天井から落下してくる。


 高踏の魔法は屍肉の操作か。肉体が沸騰し、怨念と共に触手が広がる。布下の悍ましい正体が露わとなる。


 無意味だ。


「なに──」

「両手足」


 呟きと共に腕を振う。風の刃は一瞬で花月の四肢を切り飛ばし、達磨に血飛沫を吹かせる。


「がっ、あ──」

「止血。行くぞ」


 流れ出す血液を氷結させ凝固させる。それと同時に飛来する瓦礫の尽くを打ち払い、驚愕を顔に貼り付けた工藤に向かう。


「貴方、なん──」

「両手足、止血」

「っ──」


 同じく達磨にする。高踏は触手の中に埋もれ、その先端を翻すが遅い。瞬間に全てを切り飛ばす。


「お前は首だ」

「は──」

「炎」


 文言を呟き炎上させ、悶える肉塊から首を飛ばす。断面を氷漬けにし再生を不可能にする。


 転がった三人を横目に、集い来る人々の足音を聞く。警備と言っても常人ではないだろう。魔法使いの警備部隊だ。古を共にし、風来を先頭にしてやって来る。


「工藤大全は──いや──」

「地面」


 玄関口に集まった彼らは銃口をこちらに向けた。地面を隆起させ閉じ込める。古と風来だけは瞬間に首を掴み、そのまま持ち上げる。


「安心しろ」

「ぐ、があっ──」

「勇者が、全てを救ってやろう」


 今だけは、勇者に戻ってやる。




『それはさて、こんやの時計ののろのろしさはどうだ

 迅速に推移しろ

 ああ睡い睡い

 遠方で一ばん鷄がないてゐる

 もう目がみえない

 黎明は何處までちかづいて來てゐるか──』



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