第19話 人間の勝利




「ええと、つまり……あの時計塔は、巨大な杖のようなものよ。魔法使いと杖の関係性は知ってる……わよね?」

「スナイパーと銃のようなものだろ? それがないと仕事にはならないが、優秀な奴はそれがなくても仕事が出来る。距離を詰めて寝技をかけるのさ」

「それもうスナイパーじゃないでしょ……。まあ、あれよ。杖を使って魔法を唱えれば人間を超えられるけど、その杖に呪いが掛かって使えないから、困っているって話!」

「成程、分かりやすいですね。最初からそう言って下されば良かったのに」

「一魔法使いとして、そんな説明はしたくなかったのよ……」


 はあ、と溜息を吐いて、しかし「愉快ね、貴方達」と綾草は笑った。


「最近は、妙な連中ばかりで息苦しかったのよ。家族が息苦しいのはもう当たり前の事だけどね。何せ完成した概念がそこに立っているんだもの。利用しようとするものばかり。それでも押し留められるのは、悔しいけれど、可塔の力に他ならないのね」

「工藤とかいう失礼な男には会った。本当に失礼な奴だったな。人をジロジロと見やがって」

「……そりゃあ、まあ、見るでしょうね。貴方の格好は」

「成程。カクさん、彼女も失礼リストに書き加えてやってくれ」

「そんな胡乱なリストは存在しません」


 些か強い口調でそう言われた。内心のリストにカクさんも書き加えておくことにしよう。と思ったらもう書かれていたのだった。


「……とにかく、この館の注目は、貴方達に集まっているわ。そうでなくとも尊神終は有名なのだから、ひょっとしたら陸軍辺りが今夜にでも襲撃してくるかも?」

「そうなん? オワリちゃん」

「さあ……?」

「愉快というか、呑気ね。終さんはともかく、貴方は本気で何者なのかしら?」


 よくぞ聞いてくれましたと胸を張って答えようとしたら、その前に「カワセミさんは元勇者ですよ」とオワリちゃんに言われてしまった。


「君は俺の従者か? 勇者の名乗りを言いたがるとは、随分懐かしいことをする……」

「違いますよ」

「殴りますよ」

「カクさんも随分慣れてきたな」


 げらげらと声だけで笑う俺を、やや引いた目で綾草は見つめていた。「あぁー、そうなの」と、まるで本気にした様子ではない。


「まあ、答えたくないなら良いわ。罠と思われれば結構でしょうし。私も詮索するつもりはない。探られて痛い腹を持っているのは私も同じ事」

「腹痛か? 勇者印の薬草買うか? 元だが」

「いらないわよ、そんな胡乱なもの。というかお金取るの?」


「まあ、ともかく、頑張ってね」と綾草は立ち上がった。そんな言葉をかけていくだけ工藤とはえらい違いである。育ちの良さとかそういう違いだろうか。今度はこれで皮肉を言ってやろう。


「あ、それと」


 と、オワリちゃんの声に綾草が振り返った。意外そうに、しかし柔和に微笑んだ。


「何かしら? 何か、聞きたいことでも?」

「はい。昼食のメニューに甘いものを出して頂きたく」

「……あぁー、そう」


 笑みをやや崩れさせて苦笑にして、しかし綾草は困ったように言った。


「ごめんなさい。昼食は出ないと思うわ。貴方達が食べた朝食だって、私と兄が手を付けなかった物でしょうし」

「えっ、そんな……」

「おいおいあの執事ボイコットしてやがるのか。ふてえ料理人だな」

「錦は料理人じゃないわよ。それに、仕方がないことなの。彼だって慣れない仕事を頑張っているんだから。朝と夜だけ作ってくれる分、ありがたい事ね」


 はあ、と綾草は溜息を吐く。そうすると、その神経質そうな顔が張り詰めたような感がある。彼女は「貴方達に言うことでもないんだけれど」と前置きをして言った。


「料理人……錦の奥さんで、叶って人だったんだけどね。彼女、一年前に死んじゃったのよ。誰かに殺されて、ね」


 それだけ言って、綾草は立ち去っていった。


 この言葉も去り際の失礼に当たるのだろうか。ぐう、と腹の音を鳴らしたオワリちゃんを見て、俺はそう思った。




「お菓子だけではお腹が膨れません」と不承不承にオワリちゃんは時計塔へと向かった。そうしてぶちぶちと邪気を摘まんで口にするのだが、すぐに「腕が疲れました」と言ってくる。子供か。子供だったわ。


「あとまずいです。カワセミさん、勇者印のスパイスや調味料はないのですか」

「現代知識を使って生み出した、勇者印の特製スパイスがある」

「何と。それはどういうものなのです」

「カレー粉だ」

「……どう考えても、カレー味は合いませんね」


 そもそも異世界にも既に似たようなものがあったので無用の長物だったのだが、それを作ったときはまだ異世界を楽しんでいた名残と言うことで、俺はこのスパイスを愛用していたのだ。そうするとスパイスは思い出の味って事になるのかな? 何だかロマンチックだね……。


 しかし、こうなると時間を持て余すことになる。あと空腹も。時刻は午後の三時を過ぎたばかりで、夕食の午後七時にはまだ遠い。


「こうなりゃ推理ごっこでもするかい? 料理人は何故死んだのか?」

「お腹が空いて餓死です。証明終了です」

「糖分は頭に回っている筈なんだがな」


 やれやれと肩を竦めて……竦められなかったわ。芋虫のように蠕動しただけである。この格好じゃ格好が付かん。まさしく格好が悪いと! 笑えるな。


「何だかつまらない事を考えてそうな顔ですね」

「とても面白いことを考えていたところだ」

「それは何です?」

「調理場に乗り込んで飯をねだろう」

「名案ですね」


「えぇ……」と呟くカクさんを共にして、今度はオワリちゃんに押されて屋敷に戻る。そう言えば、長居すると決めたからには寝室の様子も確かめなければならん。


 こうしてみると失礼なことを言ったのはまずかったな。だけど性分だから仕方ない。お姫様も『死んで下さい』とか言って許してくれるだろう。


「たのもう!」と言って扉を潜れば「うわっ」と声が響く。ドン引きした顔を見せるのは神経質そうな若い男、可塔風来と言ったか。彼は嫌そうな顔を苦笑に覆い隠して言った。


「おや、尊神終さんではないですか。お仕事の方は順調でしょうか?」

「再三繰り返すが、分かり切っていることを聞くのは流行っているのか? 流行っているのなら是非とも真似しなければな」

「はは……。ですが、丁度良かった。尊神終さん達の寝室を案内しなければならないと思っていたので」


 ガン無視されて案内されたのは階段を上がった先にある一室であった。古めかしい西洋風に統一された室内は、一人分とするには広すぎ、三人分とするにはやや狭い。ベッドなど天蓋付きの立派な物であるが、それでも一人分しかないのである。


「父からは、尊神終さんとお付きの人のみと聞いていたので……。他に部屋は空いていませんし、どうしたものか」

「私は気にしませんよ」

「俺は気にする」

「終様の意見に反対するわけではありませんが、この様な男と同室することには嫌悪を覚えます」

「はは……部屋、もう空いてないんですけどね。本当に」


 弱い笑みを浮かべさせて、風来は困ったような顔をした。「なら仕方がありませんね」とオワリちゃんは乗り気のようだが、カクさんが凄まじい目で俺を睨んでいる。


 しかし風来の言は本当のようで、代案も出さずに弱々しく佇んだままでいる。


「お姉さんとはまるで別人だね」

「姉……ですか? いや……僕に姉は居ませんが」

「えっ何、俺達だけに見えていた系の奴なの綾草って」

「ああいや、はは。綾草は妹ですよ。僕の二つ下です」


「よく勘違いされますけどね」と風来は恥ずかしそうに頬を掻いた。確かに、彼と彼女を比べてみれば、殆どの人間が彼女を姉と思うだろう。どうにも風来には長男という感じがしない。坊ちゃん感が凄いのだ。


「そんな印象を覚えたところをみるに、妹と話されたようですね。強い子でしょう。あれは」

「山村暮鳥がお好きなようですね。時計塔についても話して下さりました」

「ああ、僕も好きですよ。何より妹が度々詠うものですからね、あの詩を。たしか、そう……」


 風来は、少し考え込むように眉根を寄せ、そうして「ああ」とちょっと口ごもりながら言った。


「『苦惱者』でしたっけ」

「……『人間の勝利』では?」

「ああ、そっち。そうでした。そうでしたね」


 彼は「はは」と軽い笑みを浮かべ、誤魔化すように頭を掻いた。


「もう、すっかり話さなくなってしまいましたから。どうにも覚えが悪くなる。いや、僕も好きですよ、『人間の勝利』。よければ詩集を貸してあげるよう、綾草に頼みましょう」

「……暇つぶしにはなるので、お願いします」

「はは。それでは、どうぞゆっくりなさって下さい。どうせ一日で片付くものではないでしょう」


「また、夕食の時に」と、風来は執事のように恭しく礼をして去って行った。代わって沈黙が場に残った。その沈黙を打ち消すように、オワリちゃんは着の身着のままでベッドに身を投げた。


 ぼすんと軽い音がして、「うむう」とくぐもった声がした。ぼすぼすと何かを確かめるように布団を叩く音が響き、「固いですね」とオワリちゃんは言った。


「固いですが、これも仕方ありません。やることもないのでお昼寝をします。夕食の時間になったら起こして下さい」

「服は脱がないのかい」

「えっち」

「スケッチもワンタッチも出来ねえよこんな格好じゃ」


 しかしオワリちゃんは本当にその格好のままくうくうと寝息を立て始めた。黒色の眼帯は拘束具染みて重く左目を覆っている。手袋も靴も何もかもがそのままで、彼女は締め付けられたような姿のまま眠っていた。


「こうなると暇になるのは俺の方なんだがな。カクさん、トランプとか持ってない?」


 言葉が返ってこない。彼女は微動だにせず沈黙を保っている。しかし眼光鋭く俺を睨んでいるので、単に話す気は無いと言うことか。


「じゃあ、しりとりしようぜ。しりとりの"り"」

「……」

「りんご」

「……」

「ごま」

「……」

「万葉仮名」

「……」

「何か喋れよ」


 何も返ってこないまま俺は一人しりとりを続けていき、結局、俺は俺に負けたのだった。る攻めは狡いだろ俺……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る