第7話 初めての来訪者
俺の朝を紹介しよう。誰のために? 知らねえよ。
夢は見ない。見ても忘れているだろう。開いた瞼から見上げるのは天井である。真っ白な四角形の中心には丸形の照明が一つ、橙色の常夜灯を光らせている。明かりがないと寝付けない質なんだよ俺。
壁に掛けられた時計は午前五時を指し示していた。何時もこの時間に自然に起きる。午後十一時には床に就き、六時間の睡眠を取るのが俺のルーチンである。
ベッドの上に羽毛布団をそのままにして、寝間着かつ普段着である病院着のまま部屋を出る。鍵はないので開け放しにしておく。みそぎさんに掃除するからってそうするように言われたのだ。
ふわあと欠伸をしつつラウンジに向かい、未だ明かりが点らぬ部屋の中にコーヒーを飲んでいるヨビソン爺さんを見つけた。
「はよう」
「うんじゃ」
適当な挨拶を交わしてコーヒーメーカーのスイッチを入れた。ぼやけた頭に香ばしい豆の香りが通って、匂いだけで頭が覚醒していく。
椅子に腰を下ろしてコーヒーを喫する。美味い。美味いのだ。ヨビソン爺さんが何時も不味そうに飲んでいるのが不思議である。
爺さんが週刊誌を読んでいるように、本棚から適当に新聞やらを抜き取って広げる。四コマ漫画を一番に読み、一面の『新宿騒乱、陸軍が鎮圧』という記事を読んでいった。
「そういや何時から軍になったんだ」
「お前が勇者になってから一年後くらいかの」
適当に呟けば爺さんが返してくれる。べらべらと互いに顔を合わせぬままにくっちゃべり、全く関係のない雑談に派生する。今日は『面会のお見舞いは何が一番嬉しいか』という話をした。
「やっぱデカいメロンだろう」
「デカメロンなら蔵書にあるぞ」
「爺さんの胃がないからって『い』を抜くんじゃねえ」
「内臓の全てがないぞ。っそわすべてらぬてみる?」
「『いっそ会話の全てから抜いて』みるな。分かりづらい」
い、かい、の、か、い、かのう。胃と肝臓と……ああ、胆嚢か。胆嚢なんて内臓の中でも意識されないよな。どんな機能持ってたっけ。
「あと、『す』が抜けてないぞ。膵臓くんは居残りかい?」
「完全に忘れとった。すまんの。次までには完全に覚えとくぞ」
「そんな心遣いはいらん」
「まあ儂は普通に膝掛けで。朝は寒くね?」と珍しく年寄りらしい言葉を放った爺さんがまた不味そうにコーヒーを喫する。何時も思うが、胃も腸もないならそのコーヒーはどこに流れ込んでいるのだろう。足か?
そんな話をしている内に六時になったのでラウンジを出る。これもルーチンの一つである。俺は廊下を行き、円周上に配置された一室を開いた。
朝風呂である。この部屋だけは普通の部屋二つ分の広さとなっており、入ってすぐが洗面所となっている。その脇には更に扉があり、その先は脱衣所と風呂の扉がある。脱衣籠に下着と病院着を折り畳んで風呂に入った。
あまり大きくもない風呂だ。朝方から湯を張るのも面倒なのでシャワーだけで済ませる。俺は清潔感に気を遣っているので頭髪のケアは欠かせない。俺ってお洒落さんだからさ。
「……ああー」
シャワーを浴びながら、吐くように呟いた。匂いが取れないな。ここに来てそれなりに経ったというのに血肉の匂いは離れない。
風もない曖昧な空気の中に、ふとして生々しい肉の匂いが澱む気がする。
気のせいでしかないのだろうが。いや、そうであると信じたい。この間アラタメの奴が『良い匂いがしやすね旦那ぁ血肉の匂いだ』とか言ってたような気もするが、その日の昼食は豚の角煮だったので奴の腹が減っていただけだろう。
風呂場を出て、新しい下着と病院着を纏い、洗面所でドライヤーを使う。異世界に行く前の俺はドライヤーなど使うことがなかったが、今となってはその気が知れない。濡れたままだと気持ち悪いだろう、何もかも。
洗面台の近くには髭剃りが置いてある。みそぎさんに頼んで寄越して貰ったのだ。ここで髯を気にするの俺しか居ないからな。ヨビソン爺さんは伸ばしっぱなしで胸まで届きそうだし。
しかし、電動髭剃りは何とも便利な物である。当てるだけで良いからな。これマジでオススメ。買ってない奴は買った方が良いぞ。断じてステマではない。
あ、聖剣ちゃんが難しい顔をしている。髭剃りの代わりに使われるのは流石に嫌そうにしていたのに、いざ本来の品を使うようになると不機嫌になるなよ。本当に君は嫉妬深いな。
「それにしても」
ゾリゾリと無精髭を落とし、綺麗になった顔を鏡に見つめる。顎に手を当てて、うむむと呟いた。
「いやあ……俺ってイケメンだなぁ」
「一人で何を言っているのだ貴様」
「おう、皇帝様」
扉を開けたのはメルニウスだった。呆れたように鏡越しに俺を見つめている。
「そう思わないか? 見ろよ、この涼やかな眼差しに、耽美な口元と顎先……。生きる芸術だな、これは」
「貴様の面の良さは我も認めるが、口を開いて出てくるものが自画自賛では折角の顔が泣くぞ」
「黙っていればイケメンだろうが、黙ってて良い事なんて一つもなかったからな」
いやほんと、黙っていれば俺って凄腕のバンパイヤハンターみたい。髪は鬱陶しいので短くしているが、まるで絵画の中から出てきたような魔青年である。美形種族と名高いエルフも俺の前には形無しさ。
まあ、そういう人間をクソッタレのゴミ女神が選んだので、当たり前と言えば当たり前なのだが。世界を救えるのは、何時だってイケメンだと相場が決まっているのである。
「若い頃はもっと凄かったんだぜ。傾国の美少年だ」
「どうせ武力での事だろう」
「よく分かっているな。それで、洗面台使うかい?」
「湯浴みが先だ。さっさと出て行け」
何を突っ立っているのかと思ったら朝風呂に入りたかったらしい。「おっと悪い」と出て行こうとすれば、「それに」とメルニウスが笑って付け加えた。
「貴様よりも、我の方が美しい。加えて我は傾国ならぬ興国の美女だ。我の勝ちだな」
確かにメルニウスの面は、言うだけのことはあるものである。背まで流した黄金の髪と碧色の瞳は、生き生きとした生命の美を溢れんばかりに備えている。正直言って好みの外見である。これで胡乱な皇帝じゃなかったらな。
これに対比として浮かんでくるのはオワリちゃんだろう。あの子は死に近づきすぎている。髪と瞳の白色も、生きながらにして死んでいるような印象を与える。
だからこそ、彫像のような顔の作りが鮮烈に美しく見えるのだろうが、俺は苦手だ。いや、本人は割合生き生きと生きているんだけどな。
しかし、幾らメルニウスの面が良いといっても負ける気は無い。俺の方が格好いいわ。
「俺だって国を繁栄させた事ぐらいあるわ。どころか建国までしたぞ。建国の美少年である俺の勝ち」
「ふん。その言が真実であるにせよ、この場に居るということは放棄したのだろうが」
「おっ、よく分かるな」
建てるだけ建てて投げ捨てたのが俺の国である。だって面倒臭かったし。そもそも王と言われれば疑問符が付く立場だったしな。本当の王とはお姫様である。彼女に全てを押し付けて。
「優れた皇帝とは、英雄譚のみならず歴史書にも名を残すものだ。貴様は英雄でしかない」
「いやあ、お前の国の歴史書はお前の頭の中にしか存在しないだろ」
「ふん。我が蔵書を貴様に案内してやろう。妄言と軽んじるならば見せてやる。丁度先日、第一巻を書き上げたところだ」
「お手製かよ。笑っちゃった」
その言葉にメルニウスは眉根を寄せ、「ふむ」と呟いた。
「ヨビソンが居ないようなので我が言おう。全く表情を変えずに言うな。気分が悪くなる」
「爺さんに一つ逃したなって言ってやろう。きっと悔しがる」
「違いない」
そう言ってメルニウスは黄金の髪を靡かせ、威風堂々と脱衣所に入っていった。見た目は好みだが、仕草が一々気に障る部分もある。ああいうのを見ると殺したくなってくる。悪い癖であった。
洗面所から出ればオワリちゃんが廊下にいた。丁度起きてきたところのようで、片手で車椅子を回している。「おはよう」と声を掛けてハンドルを握った。
「……あ、おはようございます。カワセミさん。お風呂上がりでしょうか?」
「シャワーだけだ。良い匂いがするだろう。温かなお湯の匂いだ」
「……シャンプーの匂いですよ」
「そうか、シャンプーか。そう感じるのなら良かった」
「すべて世は事もなし」と呟きながらゆっくりと廊下を歩いて行く。ラウンジに至り、時計の針が七時丁度を指し示していることに気付いたオワリちゃんが、薄く笑って言った。
「……時は春、日は朝、朝は七時」
「片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、蝸牛枝に這ひ」
「……神、そらに知ろしめす」
ロバート・ブラウニングの春の朝である。振り返り、自分の顔を指差してにっこりとオワリちゃんが笑った。
俺はその人差し指を掴み、彼女の足下に向けさせた。
「神様はそんな風に歌わせながら人を殺しているのさ。だから死んだんだ。俺に殺されてな」
「……あは」
オワリちゃんは包まれた自分の手を見つめる。次いで伸びる俺の腕先を、瞳を見、皮肉っぽく言った。
「……それは、代わりに『この人を見よ』という事でしょうか? 私に、カワセミさんを?」
「ああ、なぜ俺はこんなに賢明なのか! いや、俺は俺の生涯全体に対して感謝しないけどな」
だって俺は超人じゃないから。肉体的には超人も超人だけどな。精神的な意味で言えばそれこそ俺は神に近しいだろう。強大な力を持った無責任だ。
「……では、勇者とは何でしょうか」
オワリちゃんはウォーターサーバーに寄り、硝子のコップに水を汲んで飲んだ。こくこくと細い首が動き、「ぷは」と息を一つ吐いて、腿にコップを乗せたままオワリちゃんは言った。
「……世界を救うのに、カワセミさんは何を語りましたか? それこそ愛でしょうか。『善人の及ぼす害こそは、最も害のある害である』とも言いますが」
「いや、俺は道徳も正義も隣人愛も語らなかった。俺が語ったのはただ一つだ」
「……それは?」
「『この汚らわしいものを踏み砕け!』」
「あはは!」
オワリちゃんはおかしそうに笑った。その声を聞きつけて、ヨビソン爺さんが「ニーチェか」と週刊誌から顔を上げた。
「懐かしいのう。儂も昔は読み漁ったものじゃ。しかしニーチェ引用して喋るとかキッショいのう」
「キショい言うな。あと、中学の時に読んだ切りだからもう出てこないぞ。言っとくけど俺中卒なんだよ」
「の割にぽんぽん引用出来るもんじゃな」
「記憶力には自信があるんだ。何せ救世主としてクソ女神に選ばれた人間だからな」
俺ってば超イケメンで頭も良くて腕っ節も強いとか完璧すぎるな。でも抜きん出た人間って星座にさせられるから程々で良いんだよ程々で。
そういう風に三人で雑談をしている内に、メルニウスが寝ぼけ眼のカナナナくんを連れ立って現れた。気が付けば午前八時近く、朝食の時間である。暫くもしない内にマムロ先生とみそぎさんがやって来た。
しかし、妙に慌てた様子である。「今から緊急運動会を開きます」とあからさまに嘘を言って、朝食の時間だというのに俺達を急かした。
「これも何かのイベントかな?」
「……違いますね。呼んでいる人が居るのでしょう」
「ぼくかな? お爺ちゃんかな? あっ、お爺ちゃんだ!」
「げっ、儂かよ」
渋々と言った顔でヨビソン爺さんが立ち上がり、みそぎさんの「慌てずゆっくりお願いしますよう」と間の抜けた警句を耳に流していざ地上へ。この物々しい開閉音にもすっかり慣れたなあ。
と思ったら出た途端に銃口に囲まれた。なにこれ。
「ヨビソン・ロトゥム、出ろ」
「あいあい」
気怠そうにヨビソン爺さんが前に進む。俺達を出迎えたのは軍服姿の如何にも軍人と言った奴等である。屈強な身体を見慣れぬ紺色のスーツに押さえ込み、機械的なマスクを付けて顔の一つも分からねえ。
見ればグラウンドには輸送ヘリが留まっており、展開された部隊が物々しい雰囲気を醸している。アラタメもヘラヘラ顔で何やら詰問を受けており、どうにも面倒臭そうだった。
「で、運動会ってなにやるの」
「ぼく縄跳びやりたいなあ! 長いの持ってきたからカワセミお兄ちゃんとメルニウスお姉ちゃん、お願い!」
「よしきた」
「ふむ、仕方がない」
ヨビソン爺さんが銃口に囲まれている間、こちらも銃口に囲まれて大縄跳びの始まりである。軍人さん方からドン引きした目を向けられているような気がするが、マスクで遮られて分からないということにしよう。
長くメルニウスと距離を取り、ひゅっぱひゅっぱとそれなりの速さで縄を回す。カナナナくんはワクワクとした顔で回転に合わせて首を動かし、飛び込んだ。
「いーち、にーい、さーん」
「上手いぞカナナナ。それそれ」
「よっ! はっ! へへへっ!」
一方で、あちらは物々しい雰囲気が凄い。「だから知らぬと言ってるじゃろそんな組織」とヨビソン爺さんが呆れたように繰り返し、それに罵声が飛ばされている。
軍人さんは厳しいようで、高圧的に銃口を突き付け、無理にでも何かを聞き出そうとしているようだった。
「じゅういちー、じゅうにー、じゅうさんー」
「そろそろ速度を上げるぞカナナナ。用意しろカワセミ!」
「おーう」
「よし頑張るぞうっ!」
ひゅっぱひゅっぱ回転を速くし、カナナナくんを追い詰めていく。しかし彼の運動神経は中々の物で、速度を上げても姿勢がぶれず、それ故にスタミナが尽きることも無い。
「……頑張れー」とオワリちゃんが縄の回転に合わせて手を叩く。一方で、みそぎさんは、同じく銃口に囲まれているマムロ先生を心配そうに見つめている。
「ですから、ここは病院なんですって。それなのにこんな大人数で押しかけるなんて、貴方達には常識って物がないんですか。ええ。私は医者で、彼らは病人です。それ以外の何者でもありません」
「ヨビソン・ロトゥムは何時も寝てばかりでさあ。少なくとも俺ぁ爺さんがサインだの信号だの送っているところは見たことありゃあせんぜ。というよりもそんなに急いで何を聞きたがっているのかって方が俺には気になるなぁ陸軍が動くってこたぁ碌でもないことだとは思いやすがねひひひっ」
「何を言っているのかまるで分からんのう。その、何じゃったか? 四散会とかいう連中と儂に何の関わりがあるんじゃ。後継組織だの影の指導者だの、言いがかりは止めて欲しいのう」
ちょっと軍人さん達が可哀想になってくる会話内容だったが、それで怒りにまかせてこちらに銃口を向けてくるのは止めて欲しい。脅しにはならんだろう。爺さんにも他二人にも。
「カワセミお兄ちゃん!」
と、不意にカナナナくんが話しかけてきた。三十回を超え、額には珠のような汗が浮かんでいるが、それでも引っ掛かる気配は見えない。
「なんだいカナナナくん。というか凄いね君、結構早いよ今の縄」
「ありがとう! でもね、撃たれるのは余計な背景がないって思われているお兄ちゃんだから気を付けてね!」
「三分五十三秒後!」とカナナナくんは笑って縄を跳ぶ。メルニウスが欠伸をしてこちらを見る。オワリちゃんがみそぎさんに何事か話しかけ、少し距離を取った。
「言い方が悪かったかな。我々は答えを乞いに来ているのではない。尋問をしに来ているのだ」と、下手くそな脅し文句を恐らくは指揮官と思しき男が言って、機関銃で爺さんの頭をぶっ叩いた。
脳症が飛び散る速度であったが、ヨビソン爺さんは平気な顔をして突っ立っている。それに指揮官くんがちょちょいと部下に指示を出して、「おい」と声を掛けられた。
「カワセミ・ヒトミ、こちらへ来い」
「カナナナくん、縄跳びの連続記録は何回かな?」
「お爺ちゃんの体力が持たないから、今まで三十回を超えたことがないんだ!」
「内臓がないからなあ。じゃあ百回を目指そうか……っと」
バスバスと足下に銃弾が撃ち込まれる。人の話を聞かない奴等だ。カナナナくんが思わず足を止めて、四十七回で記録が止まってしまった。
「病人という言葉は確かなようだな。気が触れている男だ。記録によれば、レベル6の被害者或いは原因そのものという話だが、その過程で精神にも異常をきたしたか?」
「レベルがどうとかは知らんし、何らかの事件の調査と原因の究明に来ているんだろうが、そういう態度は良くない。軍人さんならもっと礼節を重んじなさいよ」
「生憎、我らが礼節を払うのは人権を持った人間と決めているのでな。罪人と害獣に敬意を払うのは人権屋に期待しろ。奴等なら涙を流してお前に同情してくれるだろう」
「そりゃいい。弁護士を呼んでくれ。俺は一度で良いから誰かに弁護されたかったんだ」
返答の代わりに銃口を突き付けられる。それに促され、俺はヨビソン爺さんの隣に立った。
背後には鉄扉だ。「銃殺刑にはお誂え向きじゃねえかよ。ええ?」と俺は爺さんの肩を小突いた。
「儂は本当に何も知らんし何もやっとらんのじゃがのう。軍の奴等は暴力的で困るわい」
「日頃の行いが悪いんじゃねえの? こういう時は嫌いな奴にある事無いことおっ被せるのが常だろう。爺さんだって嫌いな誰かに押し付けろよ」
「嫌いな奴ならもう殺しちまった。旧態依然の世界の事じゃよ。今の世に生きるものは全て愛おしい。儂はこいつらだって好きじゃ」
「そりゃあ結構な事だ。悟りってやつかい? 俺はその境地に至れそうにねえや」
銃口が向けられる。「貴様が死なないことは分かっている。そこの男を殺されたくなければ、大人しく話せ」指揮官くんは中々にお笑いな事を言った。
「なんで爺さんへの脅しに俺が使われるんだよ。効かねえこと分かってるだろこの性格悪い爺さんに」
「両手を上げろ」
「これ。儂は人情派で知られておるのじゃ。末端の部下のために新宿を更地にしたこともあるのじゃぞ」
「やっぱりあんたのせいだったか。俺、新宿には結構遊びに行ったことがあるんだぜ。酷いや」
「手を上げろと言っているだろう!」
上げる意味がないので上げない。爺さんが言わないのなら言わないだろうし、それなら俺は撃たれるだろう。
だから、指揮官君が「もういい」と指を差し、都合七つの銃口が俺に向けられても、どうって事はないのである。
破裂音が連続して響く。
秒間に来たる銃弾の数は二十五を掛ける七。濛々と煙と熱が充満し、カラカラと銃弾が地面に落ちた。
「……で、どういう手品じゃ?」
「種も仕掛けもない。俺は銃弾如きじゃ傷付かないのさ」
煙が晴れた後に見えたのは、狼狽えたような軍人さん方の姿。俺の身体には傷一つない。銃弾は全て地面に転がっている。
存在としての格が隔絶しているのである。だから服にも傷一つない。いや、これに関してはちょっとした応用だけどな。存在格を表皮より延展させることで、いつの間にか真っ裸という事態を防げるのだ。
「しかし善良な民間人を銃殺刑にするとかひでえなこいつら。今の世の中ってのはこうも殺伐としているのかい?」
「いやいや、中々いい線いっとったぞ。お前じゃなきゃある事無いこと喋っとったわ。儂って人情家じゃし」
「じゃあこのビックリ顔は、爺さんが身を挺して守らなかったビックリな訳だ。信頼されているのねお爺ちゃん」
「……な訳があるか」
指揮官君は思ったより冷静に呟き、「止め」と腕を上げた。
「被害者、誘発原因というレベルではないな。そのものではないか。何が異界衝突体質だ。上の奴等は何時も嘘ばかりを吐く」
「ああ、そういう方便なのね。なら隔離にも納得されるわな。あんな『事故』が起きたら大変だ」
「その『事故』で何万人が死んだと思っている。何者だ貴様」
「元勇者様」
その言葉に指揮官君は笑った。「異界の化け物達の王か」酷いことを言うものだ。
「勇者は死んだと聞いたがな。或いはそれも狂人の戯言か? 上もお前も何も信じられないな。クソが。もうこの仕事辞めようかな」
「退職願は早い内に出した方が良いぜ。いつの間にか辞めることも出来なくなっているかもしれんからな」
「成程。言葉に含蓄がある。貴様は良い奴なのかもしれんな」
そう親しげに言う割に、彼の殺意は吹き上がって収まらない。彼は銃口を下げながらも決して視線を逸らさぬまま、部下達に向け言った。
「怪物を相手に我らが取れる手段は限られている。加えて今回は抹殺が目的ではない。あくまでヨビソン・ロトゥムへの尋問が目的であれば、この時点で達成は不可能だ」
「最初からそうやって冷静になれば良いのに。どうにも言葉を使うって事を覚えねえよな、軍人さんは」
「現場指揮官のレベルではな。害獣に使う口はなく、精々追い詰める事だけに頭を使えば良いからな」
中々にぶっ殺したくなるような理屈を吐くものである。そしてあちらさんもまだ俺をぶっ殺すつもりでいる。最早ヨビソン爺さんへの脅しではなく、明確に排除の意思を感じている。
「さて。貴様の正体は異能者か、人外か、或いは本当に勇者か? いずれにせよ、貴様らに人の世は相応しくない」
「罪人とは呼ばないのかい。そいつは結構だ。そうとも俺は何の罪も犯しちゃいないからな」
「存在そのものが罪だ。異界の存在をこの世界から駆除し、ひいては異常存在を駆逐し尽くし、人の世を取り戻すのが我らの使命なれば」
「もう取り返しが付かねえと思うけどなあ。そこの爺さんのせいで」
どうなのよ? と視線を向ければ爺さんが呆れたように言った。
「こいつらタカ派なんじゃよ。だから政府の異世界と協調を図る政策に焦っておるのじゃ。立場も題目も危うい物になってしまったからのう」
「死ぬほど傍迷惑な話だなおい」
「迷惑を被っているのは我々の方だ。人は人だけで生きていけるというのに」
「元から奇跡も魔法もあったんじゃがのう」
「だとしても、それらに表通りを歩かせて良い理由にはならんだろう。ああ、これは個人的な考えだ。個人的な、普遍的な考えだ。だから軍と結びつけてくれるなよ」
指揮官君は皮肉っぽく言った。こりゃ事件の調査って推測も怪しい物になってきた。善良な市民団体に難癖付けて実績を作るつもりとかじゃねえだろうな。
「だぁからきな臭いつったじゃねえですか旦那ぁ」と、いつの間にかするりとアラタメが傍にいて言った。
「こりゃ一つドンパチ始まりますぜ。そのどさくさに紛れてここも襲撃されるかわかりやせんよ。どうです? 今の内に俺を抱き込んどくってのは。下手したら旦那と戦うことにってああそれもいいかもしれやせんねえへへへっ」
「始まっちまうか? 指揮官君よ」
「さてな。上の方は忙しないようだが、我々は一つ銃弾に徹するのみだ。私は現場指揮官であり、現場指揮官のレベルを出ない」
そう言って指揮官君は背を向けた。次々と軍人さんらがヘリに乗り込んでいく。どうやらもう帰るらしい。何しに来たのこいつら。
「全く、傍迷惑な話です。私も上司に今回の件に関してしっかりと苦情を入れるように申請しておきますよ!」
「あんた上司とか居たの? そいつは泡状の化け物かい?」
「いや常識的に考えて人ですよ。何を言っているんですかカワセミさん」
何を言っているんだってこっちが言いたい物だが。触手の常識なんて知らねえよ。
輸送ヘリは重たくプロペラを回転させ、バラバラと音を立てながら空に昇る。北西に距離を取り、海上を飛んでいった。
「もう二度と来るんじゃないぞ!」
罵声と共に中指を立てる。そんな挑発も気にせずに、ヘリは遠くに消えていった。
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