①三年前に作られた傷

【第一話(1)】 冒険の書がつくられる前のお話(前編)

球状のドローンが空を泳ぐ。木々の間をくぐり抜け、葉擦れ音が辺りに響き渡る。

ドローンに内蔵されたカメラは、世界のありのままの姿を映し出した。

陽光に照らされ、葉先を滑る朝露を反射する草原。

収穫もそろそろ近いであろう、稲穂が実る水田。

青々とした木々が囲う中、澄み切った水が流れゆく沢。

そして、山岳から地上を見下ろした先に映る、もはやかつての姿を想像することさえ出来ない灰色の瓦礫の山。

辺り一帯を巡回し終えたドローンは、やがて一人の少女の元へと舞い戻る。迷彩柄の帽子から櫛通りの良さそうな黒髪のセミロングを覗かせた彼女の元へ。

堤防沿いに作られた石段の上に座る一人の少女。

彼女は太陽光充電式のバッテリーを傍らに置き、膝に乗せたノートパソコンのキーボードを叩く。ドローン内に録画された映像を確認し、必要な情報を切り取ってファイルへ仕分けていく。

そのやや斜め後ろから、作業に集中している彼女のパソコンを覗き込む金髪の少年が居た。

彼は、三角座りした膝の上に開いたスケッチブックを置いていた。そこには、目の前の景色のデッサンが描かれている。

「穂澄、何か真新しいものはあったか?」

穂澄と呼ばれた少女ーー前園 穂澄まえぞの ほずみは小さく首を横に振った。

「セイレイ君……ううん、何も」

「そっか」

セイレイと呼ばれた少年ーー瀬川 怜輝せがわ れいきは期待していなかったように呟いた。そしてスケッチブックを石段の上に置き、草原の上に大の字で寝転がる。

スケッチブックの方を見ながら、前園は質問を投げかける。

「……というか、セイレイ君はセンセーからの課題は終わったの?」

「あー……ちょっと休憩ー、疲れた……」

脱力した声音で答える瀬川。前園は呆れたと言わんばかりにわざとらしくため息を吐く。

そして、うんと背筋を伸ばして天を仰いだ。

「……もうこの集落に来て長くなるね」

「そうだな、このまま魔物がやってこなかったら良いのにな」

瀬川が何気なく呟いた”魔物”という言葉が彼女の顔を曇らせる。

「うん……”魔災まさい”から、もう7年になるんだよね……」

「……悪い、嫌なことを思い出させたか?」

彼女の表情の変化に気づき、気遣うように目線を送る。前園は泣きそうに目を潤ませながらも微笑むような顔を作った。

「ううん……大丈夫、お互い様でしょ?私も、セイレイ君も、家族をうしなったのは」

「……ああ、特に姉貴の一件は今でも思い出すよ」

二人の間にそれ以上会話はなく、ただ空を眺めていた。

空はまるで地上の世界のことなど知らないと言わんばかりに、青々と澄み渡っている。


それから、どれくらい時間が経っただろうか。

「おーい、怜輝君、穂澄ちゃん!そろそろご飯にしよう!」

石段の下から中年男性が呼ぶ声が聞こえ、瀬川は飛び跳ねる様に起き上がった。

そして、その声の主である村人に対し、大声で言葉を返した。

「ありがとうおじさん!もう少ししたら行く!穂澄、パソコン閉じれそうか?」

スケッチブックを手提げ鞄に片付けながら、前園に声を掛ける。

「あっ、うん……ソフト落とすから待ってね」

促され、切り取ったデータが保存されていることを確認した前園。パソコンをシャットダウンさせ、荷物をリュックサックの中へと片付ける。

「わ、わっ……」

前園は立ち上がった瞬間に石段に蹴躓けつまづき、小さくふらつく。

転びそうになったところを瀬川は彼女の肩を持ち支える。揺れた手提げ鞄がコツリと彼女の身体に当たった。

「おっと。……大丈夫か穂澄?」

「うん、ありがとうね?」

心配そうな表情をする瀬川に対し、にこりと柔らかな微笑みを返す。

途端に瀬川の表情が急に硬くなった。瞬く間に、彼の耳元が徐々に赤くなっていく。

「……お、おう……どういたしまして……」

前園にその表情の変化を悟られないように、彼女から顔を背ける。その真意を掴めない前園はキョトンとした顔で首をかしげる。

「セイレイ君、どうしたの?」

「な、何でも無い!ほら、行くぞ」

「あ、待ってー……!」

彼女を直視できず、早足で石段を下っていく瀬川。その後ろから前園が小走りで駆けていく。

彼女の走りに合わせるようにリュックサックの中の電子機器達がカチャカチャと音を立てた。


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瓦が幾重にも重なった、昔ながらの平屋が並んでいる。辺りは木々に囲まれ、その集落だけが世界から隔離されたような感覚に囚われる。おけ柄杓ひしゃくが並べられた裏路地をカニ歩きで通り抜け、やがて彼らは集落の中央に配置されたパイプテントに辿り着いた。

そこでは長机を取り囲むように雑に丸椅子が並べられ、村人達が集まって談笑しながら食事を取っている。

「よう、センセー」

瀬川がその中に見知った人影を見つけ、軽く手を上げつつ声を掛けた。

センセーと呼ばれた無精ひげにメガネを掛けた中年男性がもそもそと味噌汁を頬張りながら振り返る。根菜類の欠片が口元から覗く。

「おー、二人ともようやく来たか。先に食べてるぞ」

「センセー、先に来てたんですね」

前園もセンセーへと小さく会釈を交わす。

元高校教師である千戸 誠司せんど せいじという名の彼は、魔災に伴い家族を喪った瀬川と前園の育ての親だ。

二人は千戸を挟むようにして座る。しばらくして、調理担当である中年女性が二人の前に味噌汁を運んできた。

「はいよ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。二人とも相変わらず仲良いわね……今年で13歳だっけねえ」

「おばちゃんありがとう!そうだよ、俺も穂澄も今年で13!もう大人、ってやつ?」

「ありがとうございます。……セイレイ君、成人年齢は18歳からだよ」

楽しげに笑う瀬川に対し、前園が冷静にツッコミを入れる。彼は「そうだっけ?まあいいや」と気にしていない様子で味噌汁に手を付けようとする。

しかし、千戸はその食事を始めようとする手を叩く。

「何すんだよセンセー」不服そうにする彼に対し、千戸は小さくため息を吐いた。

「何すんだ、じゃないぞセイレイ。まずは『いただきます』だろ。命を頂いてるんだから忘れるな」

「あ、そうだった!いただきまーす!」

「いただきます」

二人は両手を合わせて声を出した後、食事を取り始める。千戸はその二人の姿を見ながら安堵の笑みを零し、女性に会釈をした。

「いやはや、すみませんねいつもいつも……」

「いいんですよぉ、元気いっぱいで良いじゃないですか」

「あはは、ありがとうございます。このまま健やかに育ってくれるのが私のささやかな願いでして」

そう語る千戸の口元は微笑んでいたが、目元は一切笑っていなかった。村人の女性も彼に同情するような目線を送る。

「ほんとにねぇ……二人には元気に生きて欲しいねぇ」

「はい、本当に強く生きて欲しいです」


-----


「ごちそうさまー!」

「ごちそうさま、今日も美味しかったです」

二人は両手を合わせて、調理担当の女性に声を掛ける。その声に振り返った彼女は柔らかな笑みを浮かべた。

「はいはい、それじゃあ洗っとくからお皿はそこに置いといてねぇ」

「いつもありがとうございます、じゃあ二人とも授業を始めに行くぞ」

千戸がそう告げると、瀬川は露骨ろこつに嫌そうな表情を浮かべた。

「えぇー、やるのー……」

「当たり前だろ」何度目か分からないやりとりに千戸は呆れたような表情を作る。

「セイレイ君、勉強しないと立派な大人にはなれないよ?」

穂澄は瀬川をなだめるように説得を試みる。しかし、瀬川は悪びれもしない。

「穂澄が勉強担当、俺は運動担当!!」

堂々と胸を張って宣言する瀬川の頭頂部に向けて、千戸は鋭くチョップを食らわせた。

「あだっ」

「ほら、バカなこと言ってないで行くぞ」


☆☆☆☆


三人は村の外れの草原までやってきた。辺り一面青々と生い茂る草木が澄み渡る空気を生み出す。

その中でレジャーシートを敷き、その中に皆で座り込む。千戸は瀬川の方を真っ直ぐに見つめた。

「授業を始める前に……セイレイ、課題のデッサンは終わらせたか?」

「あ、そ、それはー……」

その問いかけに瀬川はぎくりとした様子で硬直。それを否定と捉えた千戸は呆れ返った様子でため息を吐く。

前園は冷めた目線で、瀬川を横目に見ていた。

「まあいい、描きかけの分で良いから見せてみろ」

「はぁい……」

渋々と手提げ鞄からスケッチブックを取りだし、千戸へ手渡す。彼はパラパラとスケッチを眺めながら、睨むように目を細めていく。

「全体のバランスを確認したか?細かい部分はしっかり書き込めているが、位置関係にばらつきが見えるぞ」

「え、あ、その……」どぎまぎした様子で、言葉をにごす。

千戸はパタンとスケッチブックを閉じて、瀬川に返した。そして、彼の目を真っ直ぐに見つめる。

「良いかセイレイ、あと穂澄も」

「私もですか?」

「大事なことだからな。改めていって置くが、お前達には”しっかり物事を観察する力”を覚えて欲しいんだ。デッサンの勉強はその一環だ」

「そんなことが何の意味を持つんだ?」懐疑に満ちた目をする瀬川の問いに、千戸は言葉を続けた。

「お前達には魔災以前の日本にはどんな物が存在して、どんな人が居たのか。そうした一つ一つの物を感じ取って欲しいと思う」

「この世界の一つ一つ……」

オウム返しする瀬川の言葉に、千戸はこくりと頷いた。

「その為にも、全体を俯瞰ふかんした目で見るというのは大切なんだ」

「……」真剣なその眼差しに、瀬川は口をつぐむ。


-----

彼の記憶の中に存在するのは――燃え盛る炎。逃げ惑う人々。鳴り止まないサイレンが反響する音。


瓦礫や生ゴミが積み重なる不安定な足場。その上を幼い瀬川を抱きかかえて千戸は逃げていた。

彼らに迫るのは、激しい熱気と爆風。橙色の光に照らされ、彼らは命からがらその場を離れる。瀬川は鼻水と涙で顔面をぐちゃぐちゃにしながら、千戸の身体を何度も何度も叩く。

「待って!まだ姉ちゃんが!!」

「もう助からない!!!!早く逃げるんだ!!」

「嫌だ、嫌だ!!待ってよ、おじさん、戻ってよ!!」

業火の渦に巻き込まれた避難所に取り残された瀬川の姉。彼女の命が辿った末路は、骨組みが炭と化し、崩れ去る避難所が如実に表していた。

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To Be Continued……

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