エピソード96 確かめなくてはならないこと


 太陽と埃っぽい匂いのする洗濯物を建物の間に渡した紐から下ろし籠の中へと入れると瞳の奥を刺す陽射しから逃れるように抱えて家へと向かう。

 ほんの少し外にいるだけでジリジリと焼けるような痛みを感じるのだから、長時間立っていると水膨れができそうだ。

「本当に肌を布で覆っていなければ火傷しちゃうわね」

 洗濯物が直ぐに乾くのは良いことだけれど、と口の中で続けて苦笑する。

 アゲハはここに来てからアラタの洋服を借りて過ごしていた。勝手に使うなと後で怒られそうだが、やはりその土地にあった衣服の方が快適であり動きやすい。セリも気にしないでいいからと言ってくれているので甘えさせてもらっている。

 麻と木綿を使った生地はサラサラとしていて風通しもよく着心地がいい。熱のこもらない作りのゆったりとした服を着ているアゲハは、肌が白いことを除けば見た目だけは自治区の人間に見えなくも無い。

 外出時は頭部から長い布を巻いて首と口元を覆うので見えるのは目元だけだから余計に違和感なくこの地に馴染んでいるような気はした。

 勿論男たちの視線や陰口は感じていたが、この地の保守的な性質を思えば余所者を警戒し受け入れ難く思うのは仕方がない。ましてや普通の男性像からはかけ離れたアゲハのような異分子は奇妙に映るだろう。

「これが、私だしね」

 昔ならば世間一般の常識から外れたことを恥じ、他者からそう思われることを酷く嫌悪していた。今ではそれを自分の個性なのだと考えられるようになったことを誇りに思い、そう思えるようになったことを感謝したかった。

 短い期間にあまりにも沢山のことがありすぎて、苦しかったり、後悔したり、迷ったりしたけれど、こうして自分自身を認めることができるようになったのはその全てがあったからだ。

 なにかひとつでも欠ければ今のアゲハはいなかった。

 そして最終的に辿り着いた先が首領自治区プリムスであることも運命的な物を感じなくも無い。

「更にその先に」

 入口に立ち外を振り返る。

 ゆらゆらと熱気で揺れる景色の向こうに白い道と家の軒が連なっていた。この町を取り巻く様々な悪環境を与える原因となった場所はここからでは見えない。砂漠の始まる境に立っても窺うことはできないだろう。

 広大な砂漠の中を徒歩で進み、永遠と歩いた先にある場所。


 汚染の始まりである、化学兵器を投下された街。

 そこへ行って今ある姿を確かめなければ、本当の意味で前に進めない気がする。


「なんとかして行けないかしら」

 汚染濃度の高い場所を訪れる者は研究者しかいないだろう。万全の備えと装備を整えて向かっても、完全に安全だとは言い切れない。防護服や防護マスクは必需品だが、ここにはそんな高価な物があるはずも無い。

 なんの準備もせずに行くことは死を意味する。

 どこも同じような景色の中無事に辿り着くことも難しいだろう。


 それでも。

 行きたい。


 この地を訪れる前までは汚染された地区へと足を踏み入れるのも怖かった。第八区ダウンタウンでさえもスイを探すという理由が無ければきっと一生縁の無い場所だったに違いない。

 責任を果たさない国を嘆き、国に意見できるだけの能力と権力を持ちながらなにも成さない父に憤り、生まれた家柄の罪咎を恐れて、国に振り回された挙句に見捨てられた人々を不憫だと思いながらアゲハはずっと虐げられてきた民の暮らしを直視しようとしなかった。

 それは甘えであり、弱さだったのだろう。

 恐かったのもある。

 目にしてしまえばアゲハたちの罪が浮き彫りになり、あまりにも大きな事柄に竦んで逃げ出してしまいそうだったから。

 でも実際その地へ行き、人々と触れ合っていく中で見えてきた現実は悲劇的な部分ばかりでは無かった。

 彼らは日々を延々と営みながら愛を育み、新たな命を次へと繋げていく。

 その行為に貴賤は無く、力強く生きていく姿は希望すら感じられた。


 だかこそ、アゲハはそこへ行かねばならない。

 罪を確認する為に。


「どこへ行きたいの?」

 耳に聞こえた声にアゲハははっと顔を上げて家の中へと向ける。竈の前に座り込んでいたセリが不思議そうな顔をしながら「そんな所に立ってないで入ったら?」と苦笑いする。

 どれほど入口に立っていたのか気付いたら籠を持っている腕がジンッと痺れていた。その痺れからスイの右腕へと思考が至り、申し訳なさと後悔がアゲハを苛むが、辛いのはスイ本人なのだと考え直しゆっくりと吐息を洩らす。

「帰って来たと思ったら、突然入口で外を振り返ったまま動かなくなるからびっくりしちゃったよ」

 あははと明るい声を上げてセリが笑って立ち上がる。一段上がった板の間に腰かけて右隣をポンと叩いてそこに座れと合図した。

 籠を床に置いてからおとなしく言われるがまま座ると、用意していたのか程よく冷めた薬草茶が間に置かれる。来たばかりの頃はスイの怪我のためだと思っていたが、この地では日常的に薬草茶を飲むらしい。

 それは汚染地域に住んでいる彼らなりの微々たる抵抗のような物で、大病の予防にはならないが気休めにはなるという考えのようだ。

 所謂民間療法のような物で効果があるのかは解らないが、少しでも健康で長生きができればという願いが込められている。

「で、どこか行きたい所があるの?統制地区?それともカルディア?もしかしたら別の国とか?」

 単なる興味本位での質問では無いことが解る程に彼女の瞳は真剣で、曖昧に誤魔化すこともできずにアゲハは逡巡したが「化学兵器が使用された街に」と答えた。

 セリは目を丸くしてあそこは自分たちでも近づかないくらい危険な場所なのにと首を傾げる。

「前に進むために、どうしても行かなくちゃならないんです」

「あそこには焼けた街並みと廃墟があるだけよ?他にはなにもない。そんな所でなにかが見つかるとは思えないけどね」

 唸りながら薬草茶を飲み、砂漠の中にぽつりと廃墟があるだけで真新しい発見など望めないと忠告されたがアゲハが探しているのは目に見える物ではないのだ。

 どちらかというと残された物からなにを感じるかという自分の感覚にこそ答えがある気がする。

 それをうまく説明できる自信はないし、またその必要はない。

「セリさんは行ったことあるんですか?」

「やだ。ないわよ。汚染地区の中心に近づくなんて命がいくつあっても足りゃしないわ」

 問えば即座に渋面で否定される。

 それほど彼の場所は危険なのだ。

 きっとセリだけでなく、自治区に住む人の中で行ったことがある者など数えるくらいしかいないだろう。その人間をアゲハが当ても無く訪ね歩いても時間はかかるし、きっとまともに相手をしてくれないのは解る。

 だからここは十三代目首領の妻であるセリの人徳を借りて協力してもらうしかない。

「じゃあその場所を知っている方を紹介してもらえませんか?」

「……本気なの?」

「はい」

 探るような視線を正面から受け止めて首肯すると、セリは大きな嘆息を吐いて断った所でアゲハの意思は変わらないと見ると「いいわ」と同意してくれた。

「そのかわり勝手に汚染地区には行かないと約束して」

「約束します」

「西の町外れの家に住んでいるカヤという老人は五十年前の戦争の貴重な生き残りよ。その時のことを話してくれるかどうかは解らないけど、行ってみるといいわ」

 ありがとうございますと礼を言えば、セリは浮かない顔で「できれば汚染地区の奥には近づいてもらいたくないけど」と呟いた。

 心配してくれているのだと思うと嬉しいが、彼女が気に病むことではない。これはアゲハ自身がその街へと行くことが重要で、そのことで命を失うことがあったとしてもそれは当然の報いである。

「今から行ってきます」

 立ち上がるアゲハを引き止めて、せめて薬草茶は飲んで行けと勧められたので掌に収まる程の小さな器を持ち上げて飲み干した。

 独特の苦みと風味のある茶だが飲みつければそれも美味しく感じられるから不思議だ。

 そう告げるとセリが微笑んで「そう思えるようになったのなら、アゲハも立派な自治区の一員だわ」と太鼓判を押してくれる。器を置いてからもう一度腰を上げると、今度はもう止められなかった。

「行ってらっしゃい。夕飯までには帰って来なさいね」

 そう歳は変わらないはずなのにセリはまるで母親のような口ぶりで送り出してくれる。今は異能の民とやらとの戦いにアラタが出征しているから心細くもあるのだろう。

「直ぐに戻ります」

 頷いてから入口へと向かい外へと出る。相変わらずの陽射しに目が眩みそうになるが、目を細めて地面を見ながら西へと向かって歩き出す。

 自治区は小さな集落が寄り集まって町ができている。中央に市場があり、その周りに住宅が建ち、地下水が出る場所には井戸が作られ、そこには人々が憩いを求めて集まっていた。

 この町は移民も多い。

 純粋なスィール国とは違う顔立ちの住民は彫が深く、肌の色が浅黒く髪や眼の色が淡い。身長も高くがっちりとした身体をしている者が多かった。

 移民は率先して力仕事や戦闘を引き受けているようで、アラタと共に移民の民との戦いについて行ったのは半数以上だと聞いている。彼らは勇猛果敢に戦う大切な戦力であり、町を支える労働力としても重宝がられていた。

 海の傍にも首領自治区の治める町があり、港を持ち外国からの商品も多数入ってくるらしい。

 珍しい商品が多いから、いつもアラタはそこで贈り物を準備してくれるのよ、と惚気られたのは昨夜の食事中だった。

 驚くべきことに自治区プリムスは数台の車を所有し、戦闘や移動時だけでなく商品輸送にも使用されているのでアゲハも見たことはある。しかも軍からの払い下げなのか、明らかに陸軍の徽章が入っており、ぞんざいに削り落とされた跡がある車もあるので、もしかしたら盗難車を安く手に入れた可能性もあった。

 アゲハは西の外れの集落へと入った辺りで近くの家の扉を叩きカヤという老人の家を尋ねれば、三軒先の小屋だと教えてくれる。言われた通りに三軒先の小さな家の扉を叩くと応えは無く、留守かと諦め背を向け歩き始める頃に漸くドアが開いた。

「なんだ?見たことあるような、ないような奴が来おった」

「あのー」

 振り返った先にいた老人の右目は白濁しており、その瞳が役目を果たしていないことを十分に物語っている。だが逆に左の目は黒々としており、ぐりぐりと大きな眼は片方だけでも失った右目を十分補うだけの力を持っているように見えた。

「なにしに来た」

 素っ気無い口調に「お話を伺いたくて」と返せば、ふんっと鼻で笑われた。

「おれのような死にそこないの話など面白くもなんともなかろうに」

「いいえ。戦争をご存知の方など他にいないでしょう?その貴重なお話を聞きたいんです」

「戦争の話などしたくはない」

 そう言ってこちらに向けられた皺だらけの顔の右半分には酷いケロイドがあり、それは細い首まで続いている。なにかの作業中だったのか汗だくで、ランニングタイプの肌着姿から覗く両肩と腕には小柄な老人からは想像もつかないような立派な筋肉がついていた。

 戦争の後遺症か、化学兵器による汚染の影響なのか、その腕は黒色化していて爪の先までもが墨色をしている。

 カヤ自身が多くを語らなくとも、その身体が戦争の悍ましさを体現していた。

「では化学兵器が使用された街への行き方と場所を教えて下さい。お願いします」

 思い出すのも嫌な記憶を掘り起こされることほど苦痛を伴うものは無いのは承知していた。話したくないことを無理に聞き出すなど戦争の被害者である老人に失礼でもある。

 戦争を知らないアゲハが軽はずみに無理強いして良い内容ではないだろう。

「行き方と場所だと?」

 胡乱な目を向けて老人はジロジロと不躾に眺めてくる。

 白と黒の対を成す瞳がアゲハの中の真意を量ろうと遠慮なく土足で入り込んできたような感じがした。上辺だけの正義感と心の底に隠してきた醜い感情を覗かれているようで落ち着かないが、カヤの信用を得られるのなら我慢するしかない。

「……誰に聞いてここへ来た?」

 警戒するような声にセリから紹介されたと答えると、老人は舌打ちをして「首領アラタの嫁か」と吐き出した。そして顎をしゃくって中へと促しながらカヤ自身も独特な足運びで奥へと入って行く。

 その左右に大きくぶれる歩き方に足元を見れば、ズボンの裾から金属製の義足が覗いていた。

 身体に大きな傷を負いながらもこうして生きながらえてきたカヤの人生を、簡単に聞かせて欲しいなど口にしてはいけないのだと今更ながら後悔する。

 それでも中へと招き入れてくれたのだから、なんらかの情報を与えてくれるつもりではあるのだろう。

 小屋の中は明かり取りの窓が小さいため薄暗かったが、皓々と赤い炎を燃やす大きな竈のオレンジ色の光がその部分だけを切り取ったかのように浮き上がっていた。

 外も灼熱の暑さだが、それ以上に小屋内部は竈の盛大な炎の効果もあって頭がぼうっとするぐらいに暑い。

 鉄と木の燃える匂いが充満していてアゲハは思わず眉を寄せた。息苦しさと吹き出す汗に不快感を覚えるがカヤの背中を追って進んだ。

 細長い小屋は全て土間で、ここは生活をする場では無く作業をする場所なのだと解る。だが一番奥にある長椅子の上に毛布が置かれているのを見ると、カヤは日常的にここで寝泊まりしているのだろう。

 そういえばセリは西の町外れに“住んでいる”と言ったなとぼんやりと考えながら、老人は生活よりも仕事を優先して生きているのだろうと納得する。

 竈の前には鉄の台が置かれ、その傍に大小異なる槌と鉄を掴む少し柄の長い道具があった。そして沢山の鉄の塊が無造作に大きな箱の中に山のように入れられている。

「なにしてる。速く来い」

 急かされてアゲハは長椅子に座るカヤの前へと歩み寄る。そして粗末な木の箱に促されるまま腰を下ろした。

「お前、どうしてそんな所に行きたいんだ」

 単刀直入に切り出され、行かなければいけないのだという理由では歯牙にもかけてもらえないと悩む。

 この期に及んでまだ真実を述べることを恐れる自分に呆れながらも、償い方を見つけられないまま打ち明けることを躊躇するのは当然だろうと言い訳する。

 だがいつまでも逃げていては先へと進めないのも真実であり、戦うためにここへと来たのならば怖じ気づいている弱い心を叱咤してカヤに謝罪することもまたアゲハの使命である気もした。


 きっと詰られる。

 大声で責め立てられ、お前のせいだと殴られるだろう。


 ここの町から出て行けと言われるだけならばまだ良い方で、囚われ想像もつかない酷い死に方で奪われることも有り得た。


 指先が震え、喉がカラカラに干上がっている。無意味に唾液を飲み下し、瞬きを繰り返すが恐怖と重圧に因る緊張は和らぐどころか強まっていた。

「どうした?単なる好奇心か?それとも言えないような理由か?」

「……そうです」

 不意に思い出されたのは実家の廊下に並んでいた肖像画の数々。三十八枚の肖像画はアゲハの祖先である当主の物だ。みな仰々しい衣装を身に着け、こちらを睨みつけている物ばかりだったから幼心に恐くて仕方がなかった。

 あの廊下を通りたくないのに、食堂へ行くにも外へと出るにもそこを必ず通らなくてはならない屋敷の構造になっていたのでかなりの苦痛だったのを覚えている。

 三十八枚目の肖像画は父であるナノリの姿が描かれていて、その左隣には祖父であるサボウの絵があった。アゲハが生まれる前に祖父は亡くなったのでどんな人物か知らないが、聞くところによると寡黙で軍には所属せず国政の事務官を務めた人らしい。

 元々軍に身を捧げて総統の信を得ていた家系だったが、それに逆らって事務官の職を選んだのは祖父なりの意趣返しなのだろうと思う。

 軍を心底嫌っていたという評判を後々知り、サボウが生きていてくれればもっといろんな話ができたかもしれない。同時に人を信用しない人間だったとも聞いたので、実際は近づくことなど恐ろしくてできなかっただろうが。

 祖父が軍を毛嫌いし、他人を信用できなくなったのには勿論理由と原因がある。

 それが今のアゲハやホタルを苦しめ、なんらかの贖罪をせねばならないと焦らせる元となっていた。

「カヤさんは“銀の死神”と呼ばれた人物をご存知ですよね?」

 五十年前の戦争を経験し、生き抜いたカヤが知らない訳がない。ケロイドの残る頬とは反対側の顔を歪めて「あの狂った科学者か」と苦々しげに吐き出す。

「一度だけに飽き足らず、何度もあの兵器を使いこの地を、この国を荒らした張本人をおれは忘れたことは無い」

 例え顔を直に見たことは無くとも、その憎むべき存在を一日たりとも忘れるものか。

 黒い瞳に燃えあがる恨みと怒りの感情にアゲハは背中を震わせた。

「……だからこそ、私が行かなくちゃならないんです。あの場所へ」

「――まさか、お前は」

 唇を戦慄わななかせ、カヤが腰を浮き上がらせる。憎悪に満ちた視線を注がれ、思わず反らしそうになる顔を必死で留めながら「そうです」と肯定した。

「だからこそ私の命が危険だと心配する必要はないはずです。是非、行き方と場所を教えてください」

「ふざ、」

 けるな、と続く声が途中で掻き消える。あまりの感情の昂ぶりに声帯が上手く動かないのだろう。

 そして気持ちの整理も追いつかないはず。

 目の前に憎んできた男の子孫がいるのだから仕方がない。

「総統が!許可していない兵器を、威力が見たいがための身勝手な理由で使用し、一度目で満足いく結果が出ないからと、改良した化学兵器をまた投下して、そのせいでどれほどの人間が死に、苦しんだか」

 漸く正常に動き出した喉から飛び出してきた言葉は全てが真実で、反論する余地も意思も持ち合わせていない。

 曽祖父である第三十六代目当主オロシは軍の化学兵器の開発に取り組んだ研究者だった。とにかく低コストで沢山の人間の命を奪うことのみを突き詰め、投下された後の大地や風、水がどうなるかなど二の次の研究は同じ科学者から否定的な意見ばかりを浴びせられていたらしい。

 オロシは己の研究の正しさを証明するべく総統に使用許可を求めたが、さすがに甚大な被害をもたらす兵器を使うことは許されなかった。

 総統だけでなく多くの人々に否を突き付けられ、軍国主義であるこの国は圧倒的な強さと脅威を他国に知らしめねばならないはずなのに愚かにも南国からの侵略者たちに苦戦している現状に甘んじている――それを打破するにはこれしかないのだと妄信し行動を起こした。

 兵器はいかに残酷かつ迅速に人命を奪うかが求められていると自負していたオロシの化学兵器は、一回の使用で多くの人間が命を落とし街とその周辺一帯を人が住めない焼け野原にした。

 暴走した科学者を止めようと総統は軍を動かしたが、間に合わず二度目の投下が間を置かずして行われた。

「家族も友人も全て、奪われた」

 悲痛な声が暑苦しい部屋に吸い込まれていく。

「だからこそ私はこの目で見て来なければならないのだと思います。自分の曽祖父が行った愚かな行為の跡を。そしてなにができるかを」


 確かめなくてはならない。


「その後でなら幾らでも詰り、罵倒し、殴ろうが好きにしてくださって結構です。勿論お手製の武器で私を殺してくださっても構いません」

 でもアゲハの命を奪った所で過去は変わらず、五十年間倦んだ気持ちが治まるとは思えないが。

 そうせざるを得ない感情が抑えられないのならば仕方がない。

「……お前は運がいい」

 カヤはぐっとなにかを飲み込み、渋面を作って呟いた。

「運が、いい?」

 だがその顔から想像できない前向きな言葉に首を傾げると「ちょうど三ヶ月後にあたる」と浮かせた腰を下ろす。

「ここには国外の調査団が三ヶ月に一回訪れる。汚染の進み具合やおれたちの身体の変化などを調べにな。セリはなにも言わなかったのか?」

「はい。なにも」

 首を振るとカヤが微かに笑みを浮かべ「あいつはおれにお前を止めて貰いたかったんだろう」と嘆息した。

「調査団はその街にも行く。頼めば連れて行ってくれるかもしれん」

「ありがとうございます」

 結局は情報を教えてくれたカヤに慌てて頭を下げると「確かめてこい」気が済むまでと励まされアゲハは感謝して微笑んだ。

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