エピソード89 戦う理由
「意外と早く片付いたな」
太陽の下で見るタスクの姿は異国風な顔立ちも相まって街の風景から浮いて見えた。彼が纏っているゆったりとした服も統制地区では異質で、反乱軍クラルスの頭首としては目立たない方がいいのだろうが頓着せずに堂々と道の真ん中を歩いている。
「救いたい人が工場にいる」
アスファルトの照り返しに目を細めてからタキは返答する。じりじりと白い光りを投げかけて、太陽は一際明るく輝いていた。
今日は雲ひとつなく気温は上昇を続け、規制がなくとも住民は外出を控えるほどに猛暑である。それを影ひとつない道を平然と涼しい顔で進むタスクは、曲刀を左手に持ち昼間の第三区を興味深そうに眺めていた。
「まるで死んだ街だな」
素直な感想に全く悪気はないのだろうが、タキはその言葉に打ちひしがれそうになり面を伏せた。
「どうした?」
肩越しに振り返り不思議そうに問うタスクの身体は三十代半ばを過ぎてはいるが二十代の若者と遜色ないほどに鍛え上げられ、そして均整がとれた美しい肉体をしている。元々持って生まれた資質があってのことだろうが、それを維持するためには食事と環境が不可欠だ。
一日一食の食事ではその強靭な肉体を形作ることはできない。
だが今の統制地区では仕事を失った者たちが日々の糧を得ることができずに飢えに苦しんでいる。そして多くの無戸籍者たちは保安部と維持隊に追われ身を隠していたが、食い繋ぐことができずに自ら出頭し始めているらしい。
飢えて死ぬよりは過酷な労働を選んだ方がマシだと思い始めているのだと、ロータスの人間が嘆いていた。
「多くの人々が飢えに苦しみ、死を受け入れている」
戦うことで更に自由と権利が失われて行くなどあまりにも皮肉すぎだ。
なにが正しくて、なにが問題なのか。
「もしくは国の暴挙と圧政も当然のことだと諦めかけている」
「つまり、国に仇なす反乱軍など必要ないと?」
「そう思っている人たちも沢山いる」
「おいおい、タキ」
翡翠色の瞳を丸くしてタスクは身体ごとこちらへと向き直った。歩みは止めないままなので後ろ向きのまま進むことになる。
「本気か?今活動を止めてオレたちが消えても、この国は変わらないどころかもっと悪くなるぞ?一度反発した人間を国が再び信用するとは思えん。二度と刃向えないよう今まで以上に厳しく取り締まる。以前より暮らしにくく、そして確実に貧しくなる」
「国が譲歩して、良くなる可能性も否定はできない」
「カルディアの人間が譲歩するなど甘い考えは捨てろ。あいつらが譲歩する時はオレたちが勝利した時のみだ」
それ以外で国は歩み寄ろうなどはしないと言い切ってタスクは仏頂面でそっぽを向く。気まずい空気が流れ、知らず歩調が緩みやがて止まった。互いに無言のまま時間だけが流れて行く。
きっとタスクの言う通りなのだろう。
今更戦いを放棄しても国は手綱を緩めるどころか今までよりもきつく締め上げて、鞭を入れながら統制地区の住民を厳しく調教していく。国民を同じ人間だと認識していないような者たちがこの国を統べているのだから。
ただ夢を見たいのだ。
共に手を取り高め合いながら、より良い国を作っていければと。
戦いなど止めて、互いに譲歩し、権利を認めて――。
「オレが信じられなくなったか?」
頭首の硬い声にタキは即座に首を左右に振る。
無類の強さと様々な人間を許容できる懐の大きさで革命を成し遂げられる人物はタスクを置いて他にはいないと思っている。そしてタキの欲した平穏も、タスクならば必ず与えてくれると信じていた。
「タスク以外の男に従うつもりはない」
「なら、どうしてそんなことを考えるようになった?」
「戦うのが、」
辛くなった。
タキの戦う理由は全て弟妹のためだった。
だが戦場に身を置き、沢山の仲間に囲まれている内に解らなくなってきたのだ。色々なしがらみが増え、考えることが多くなり、自分のためだけに行動ができないことに不自由さと戸惑いを感じ始めていた。
「俺は他の誰でも無い、自分自身のために戦っているのに」
「それでいいんだ。人はみな自分のためだけに戦っている」
「タスクは?」
「オレか?オレは戦いの中でのみ満たされる人間だ。喜びを得るために武器を取り戦う。それが誰かの幸せに繋がるのならば結構なことだろう?オレが勝利を手にすれば多くの仲間や同志が救われるんだ。これ以上に奮い立つ理由はないな」
頬を持ち上げて不敵に笑うタスクの顔は太陽に照らされて輝いていた。自信に溢れ、進むべき道に迷いがない姿は羨ましくもある。
「ま、オレは注目されればされるほど闘志を燃やして必要以上に実力を発揮する性格だが、タキは重荷に感じ萎縮する方だろう?ロータスの奴らもお前には期待しているようだし、クラルスの連中も頼りにしてるみたいだしな」
「………………」
「考えすぎだ。期待も信頼も勝手に思わせとけ。タキが背負い込む必要は全く無い。そいつらの思惑通りに動いてやる必要もないからな?他の奴らが上手く行かずに文句言ってきた時は堂々と『俺は自分のために戦ってるんだから関係ない』って言ってやればいい」
大きな掌がタキの肩を包むようにして元気づけるように優しく叩いていく。
「大体自意識過剰過ぎだ。期待されているかもなんて自惚れるなんざ百年早いわ!」
「そうだな」
「人々が飢えて苦しんでいるのはタキのせいでも、オレたちのせいでもない。国や総統が少しでもまともなら
きちんと納得できたわけでは無かったが、タキはゆっくりと顎を引いて首肯した。
「俺は俺のために」
「そうだ。それがひいてはオレのためになり、そしてクラルス全員のためになるんだ」
難しく考えるなよ、と言いながら離れて行く手の残した感触とほんの少しだけ軽くなった気持ちを意識して大きく息を洩らす。
歩き出したタスクの後ろを少し離れてついて行った。
その微妙な距離感が互いの想いのズレのように感じて不安になるが、今考えすぎるなと言われたばかりだと反省する。
本当に譲歩はできないのだろうか。
どちらかが負けを認めるまで戦いは続く。
それまでどれだけの命が失われるのか。
討伐隊側にも、勿論反乱軍側にも死を悲しむ人間はいるのだ。
答えは出ない。
理想を掲げてもこの国では見向きもされないのだから。
一度始めてしまった戦いは簡単に止めることなど出来ないのだ。
そのことを始める前から気付いていればタキも少しは覚悟が違ったかもしれない。
理想は厳しい現実の前では無力なのだと再度嘆息してタキは陽炎の揺らぐ道を頭首と共に行くのだった。
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