エピソード76 夜間外出禁止令
あの憎い金の瞳の男はここにいると狙い定めて探しているが、目撃情報はぷつりと途切れてその動向は依然として解らないままだ。
頭首であるタスクの姿が頻繁に目撃されていることから、この街に反乱軍のアジトがあるのは間違いなく、参謀であるハモンに必ず戦果を挙げよと命じられていた。
この場所で頭首の首を取ることができれば反乱軍はあっという間に統制力を失い、各地で活動している反乱分子もおとなしくなるだろう。
だが現在反乱軍に攻め落とされた陸軍基地を奪還する作戦が行われている。
そのためツクシの率いている兵の半分をそこへ回せと要請があり、残りの半数でアジトを探っているが入り組んだ路地と建物が密集していることも相まって中々思う通りには進んでいない。
さっさと片付けて、あの男を仕留めてやりたいのに。
ツクシの焦りを嘲笑うかのように、情報も戦況も芳しくは無かった。
この区に住む人間はみな国と軍を嫌い、反乱軍に対する聞き込みをしても一向に口を滑らせることは無く、逆にまるで庇っているかのように「知らない」を通す。
住民の殆どが戸籍を持たぬ者である第八区では“狩り”を恐れて身を隠している者も多く、ツクシたち討伐隊が道を歩いているのを鋭く察知しては逃げ惑うので最近では情報を得ることが困難になっていた。
中には戸籍を持っている住人もいたが、それでも扉を叩いて出てくる者はいないのだから相当嫌われている。
そっと腹に手を当てて今尚傷口が生々しく残る痕を辿った。それから左手を右肘から手首まで撫で上げて、痛みよりも傷つけられた自尊心の方が激しい憎悪を訴えてくる。
まずは反乱軍頭首を片づける。
そのために是が非でも隠れ家を探し当て、あの奇妙な動きと面をつけた男を討ち殺してやると決意してツクシは第七区との接合部分にある建物から外へと出た。
水路の上に小さな橋が架けられた向こう側は第七区であり、少し開けた場所には先日の戦闘で剥がれ落ち窪んだ道路が未だそのままにされている。皓々と明かりを灯す軍の施設を横目で見ながらツクシはゆったりとした足取りで第八区の方へと進んで行く。
この辺の建物は国が買い上げて軍が所有し、討伐隊の為に開放されている。粗末で狭い木造の建物しかないこの区では各々が適当に選んだ家で寝泊まりし、日々反乱軍との戦いに精を出していた。
ツクシはあの男と初めて向き合ったあの場所が見える家を選んでそこを寝床としている。
必ず。
クラウドの葬送の儀で胸に秘めた思いは変わらずツクシの心の中で燃えており、寝ても覚めてもそのことばかりが頭の片隅に居座っていた。
行くあても目的も無く足の向くまま東へと歩くと、施設からの灯りは遠ざかり夜の闇の中へと街は沈んでいく。神経を尖らせ、もしもの襲撃の際を警戒しながらいつでも銃が抜けるように意識する。
“五名以上で集まることを禁止する”法律の後で出された“夜の外出禁止令”によってどこの区も死んだように静まり返っているらしい。
昼間にも出歩く人間が減り、まるでこの国は生きながらに死んでいるかのようだった。
「経済も生産も滞っては国の体裁を保てない」
ツクシは軍人である。
政に関することはからっきし素人でよく解らないが、今の状況が異常でありこれが長く続けば破綻することはなんとなく予想ができた。
第七区の工場地帯も五名以下での生産はできないとして操業も稼働もしておらず、騒がしかった街に人の気配も機械の動く音も絶えている。
「これではまずかろうに」
だからこそ早々に反乱軍を鎮め、通常の生活を送れるようにしなければならないのだ。
その為にはまずアジトを見つけ出すか、運よく頭首を戦いの場へと誘いだすことができれば。
「なんだ?」
キイキイ、キイキイキイ――。
耳障りな音がどこかから聞こえてきた。ツクシは息を殺して辺りを探るが、それはまるで無防備な小動物が鳴いているかのような無邪気さで建物の裏手から微かに風に乗って耳に届けられている。
足音を消して音を頼りに小汚い二階家の建物の脇にある小道へと侵入した。音はまだ続いていて、はっきりと聞き取れるほどに近づいた頃には涼やかな水が跳ねる音も同時に聞こえることに気付く。
建物の壁に背をピタリと添えて、そっと注意深く覗き込む。
そこは小さな庭が広がり、畑だった場所に生えていた草は干乾び荒れ果てた姿をさらしていた。小さな手押しポンプが端にあり、そこからキイキイという音と共に勢いよく清水が噴き出す。
そしてハンドルを握って水を出しているのは小さな少女。
管から流れる水の下に置かれた桶からは溢れているのに、それに気付いていないのか無心で押している少女は月明かりの下で孤独を振り切ろうとしているかのように見えた。
耳の下で切りそろえられた茶色の髪が包む小さな頭、前髪の下で伏せられた大きな瞳の色は丁度影になっているので判別は出来ないが、小振りな鼻と唇は十分愛らしいと言える程に整っていた。
幾ら子供でもこんな時間に無防備すぎる。
邪な思いを抱いた男に見つかればなにをされるか解らない程幼くは無さそうだが、ツクシが見ていることにも気づかずにポンプから水を出すことに夢中になっているのは不用心に過ぎた。
忠告しておこうと影から出て「おい」と声をかけた時、少女が弾かれたように顔を上げ直ぐに身を翻して畑の方へと駆けて行く。
そういえばここは老いた女が経営していた孤児院だった。
あの子供はここに住んでいた孤児で、きっと老女が捕まった時には上手く隠れて保安部の手から逃れられていたのだろう。老女がいない場所でひっそりと暮らしていたのかもしれない。
きっとツクシを保安部か治安維持隊の人間だと思ったのだろう。
捕まると思って逃げたのだ。
「待て!私は保安部の人間じゃない。捕まえるつもりはないんだ、話しを」
情報をと願って子供を追う。
以前は狩る側にいたツクシが状況と立場が変わり、今は戸籍の無い子供でもいいから情報が欲しいと懇願している。
皮肉な物だ。
苦笑いを噛み殺し、ツクシは塀をよじ登ろうとしている少女の背中の部分の服を掴んで引きずり下ろした。
「やめろっ!放せっ!」
高い声で抗議しながら少女は腕と脚を使って暴れ回る。捲れ上がった服の下から白い腹部とショートパンツのベルト部分が見え、そこに小さなナイフを隠し持っているのが目に入った。
そんな小さなナイフひとつで身を守ろうというのだから尚更不憫で、ツクシは「おとなしくすれば、悪いようにしない」と優しく聞こえるように言葉を重ねるが少女は嫌だ放せと叫ぶばかり。
辟易して手を放すと少女がバランスを崩して地面に転がり、ギリッと音が聞こえそうな勢いで歯軋りして睨み上げてきた。
「お前、その目――」
灯りの乏しい中でも解る。
金色に輝く力強い瞳。
「目が、どうした!」
噛みつくような口調で少女はさっと身を起こしてツクシから距離を取る。小柄な体つきはあの金の瞳の男とは似ても似つかないが、珍しい色をした瞳を持つ人間が血縁関係では無いと言い切ることはできない。
あの日あの時もうひとりの金の瞳を持つ青年がツクシの背後を取り、銃口を突きつけてきたことを思えばこの少女もなんらかの関係があるだろうと考えて差し遣いは無いはずだ。
ツクシはじりじりと畑から建物の方へと後退して行く少女を見つめた。
「同じ金の瞳をした男を見たことがある」
「同じ?まさか」
仄めかせば少女の顔に喜悦が浮かび、だが直ぐにそれは立ち消える。相手が軍の制服を着た男だからだろう。
それ以上口を開かない所も賢さを感じさせ、問い詰めたところで情報を得ることはできないと判断した。
だが大いに利用はできる。
この少女を使えば金の目の男を誘き寄せることができるに違いない。保安部に連行された弟を助けるべく壁の内部まで乗り込んでくるような男だ。きっと見殺しにはできずにまんまとやって来る。
そこを捕えて、クラウドの無念を晴らすのだ。
「己の価値を知らないとはなんと無知で愚かな」
「なんの罪で捕まえる気?戸籍はあるし、ここは私有地だから外出禁止令には触れてないと思うけど?」
少女は挑むような金の瞳を輝かせていて、それがまたあの男と重なる。
「罪など幾らでも捏造できる。無防備な自分を呪え」
「――やなこった!」
叫んだ途端に駆け出して狭い通路をこちらに背中を向けて駆けて行く。俊敏な動きにツクシは狩猟本能を擽られ拳銃をホルスターから抜き放つと、間を置かずに後を追った。
第七区の方では無い方の角を曲がる足元を狙って引き金を引くと小さな悲鳴が聞こえたが、少女の逃げ足は速く第八区を奥の方へ向かって行く。
「これで私有地では無くなった。外出禁止令違反で捕まえられる」
笑みを刻んだ涼やかな顔で罪状を上げ、ツクシは狩りを楽しもうと獲物の消えた道へ向かって地を蹴った。
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