エピソード46 前途多難
「正午までに集められた無戸籍者の数は六百二十一人。内健康な成人男性は三百八十三人です。十八時現在では更に四百五十七人が保安部に連行され二百九十四人が北へと送られました」
つまり合計六百七十七人が初日で集められた兵力となる。
それを聞かされたアオイは自分が今朝まで具体的に出されていた正午までの目標数三百人のみで戦わされるのだと悲観していたが、よくよく考えてみれば無戸籍者は四百四十五万人近くいるのだ。
今回捕えられた人間などごく一部で、これから毎日保安部と治安維持隊に集められた無戸籍者が次々と補充されていくことになる。
しかしこうして人の命を簡単に数字にして消耗品として考えだしている自分の思考に気付きぞっとした。
「陸軍の兵士千五百が彼らと共に先に出兵しています」
軍の車に揺られながらアオイはヒナタから報告を受けていた。窓の外は山の中を走行中の為真っ暗で何も見えず、時折動物の目が反射して不気味に光るぐらいだ。
密やかにため息を吐いてもすぐ隣に座るヒナタには隠しようがない。
「大丈夫ですか?」
緑色の瞳が気遣うように窺っているのが窓に映っていて胸が痛む。アオイがマラキア国へと攻め込む部隊の指揮を執ることに決まったことで、護衛隊であるヒナタもこの勝ち目のない戦へと赴かなければならないのだ。
仕える相手が違えば危険な任務に就かなくても済んだのに。
「……大丈夫。ありがとう」
申し訳なさを飲み込んで返答するとヒナタが困ったように微笑んだ。
「カタクがいればまた叱られてしまいますよ」
簡単にありがとうと口にするなと眉を逆立てて吠えるカタクの顔が浮かび、アオイは「これからは気を付ける」と苦笑いした。
だがいつもならば朗らかな笑顔で頷いて終わるはずが、ヒナタが今までにないような厳しい顔をして深く首肯する。
「ヒナタ?」
「アオイ様。これからはカタクの言うように簡単に礼など言ってはいけません。謝罪など論外です。これから赴く場所に味方は誰一人いないと思ってください。秩序を保つためには毅然とした態度と総統閣下のような厳しさと強さが必要になります」
優しさも思いやりも胸に秘めて覚られぬようにせねばならない。
弱みなど見せようものなら、ひとたまりも無く決壊する。
「……気が重い」
千五百の陸軍兵士と六百七十七の無戸籍者からなる一般兵を纏め上げられる自信は無い。知識も経験も無い人間が併せて二千名程の人間を操り、戦おうというのだから無謀と言うよりほかなかった。
しかしゆくゆくは父の跡を継いで総統になろうと思っているのならば、これぐらいの人間を思い通りに扱えなければ国を正しく導くことは不可能だ。
練習だと思え。
父は戦地へと旅立つアオイにそう告げた。
総統になるための必要な技術を学ぶいい機会だと。
優しいだけでは人はついて来ない。
特に戦場では命を預ける相手が腰抜けでは安心して戦うことができず、その不安から本来の力を発揮できなくなる。人はみな死にたくは無い。どうせ命を賭けるのならば強く猛々しい勇気ある者に従いたいと思う。
即断即決が必要な場に身を置くことで、アオイの優柔不断さや甘さを克服して来いと激励されたことをまるで他人事のように思い返して再び嘆息する。
父のような統治者にはなりたくは無いとずっと思ってきたアオイにとって、総統になるために必要不可欠な素質が貪欲さと力であるとは認めたくは無い。
思いやりも優しさも無い世界に幸せや希望が抱けるはずがないのに。
「ナノリ殿の御子息もアオイ様のような優しい気質の御方だそうです。全てが終わったら一度ゆっくりお話などできれば、アオイ様の悩みや夢を理解していただけるんじゃありませんか?」
「ナノリ殿の御子息も」
互いに本意では無く親の思惑で無理矢理戦いの場へと身を置かねばならなくなった者同士、苦労や悩みを打ち明けることはできるかもしれない。
アオイはマラキア国との戦争を、彼は革命軍制圧を任ぜられた。
戦う相手の規模は違うが、それは背負わねばならない家柄の違いでもある。
全てが終わったら。
その時にアオイは生きているのだろうか。
勝利を手にすることは難しいということは誰の目にも明らかだ。
負ける戦をするために多額の金と人員を用いて開戦する理由はただひとつ。
新たな土地を手に入れるため。
「……身勝手な理由だ」
攻め込まれる側からすればなんとも理不尽で、馬鹿馬鹿しい理由である。
父は信じているのだ。
この戦いが自分たちのためだけではないと。
驚いたことにこの戦争が国民のためなのだと信じて疑っていないのだ。
「父上は病んでおられる」
「……アオイ様」
ヒナタが目に力を入れてそれ以上の失言を畏れるように名を呼ぶ。
そっと目を伏せると耳に美しい伸びやかなヴァイオリンの奏でる音が聞こえる。その音は父の近くで常に鳴り響いていた。心地良いはずのその音色はアオイの心を騒がせ、落ち着かなくさせる。
金の髪と碧色の瞳の麗しい容姿を持つ青年楽師が笑みを刻む。
父は身体ではなく心を病んでしまったのだ。
きっと。
車は森を抜けて開けた場所へと出た。そこにはテントが張られ、焚火と篝火が辺りをぼんやりと照らしている。銃を構えた陸軍兵士たちが警戒しながら持ち場についており、アオイたちの乗った車が近づいてきたのに気付くとそれぞれが声を掛け合って数名が出迎えに立った。
心の準備などできてはいない。
だから自分の中にあるありったけの勇気をかき集めてアオイは表情を引き締めた。
外から扉が開かれて「お待ちしておりました、アオイ様」と仰々しく敬礼をしている兵たちの前に軍靴を鳴らして降り立つ。
ゆっくりと全員の顔を眺めて余計なことを口走らないように噤んだまま、誰かが作戦本部へと案内するのを待った。
だが誰も動かない。
彼らもまたアオイの出方を待っているようだ。
もう駆け引きは始まっているのか。
「……無能ばかりが集まっているようだな」
舐められてはいけないことは解っていたのでアオイは必死で震える声を押し殺して発言する。逆にそれが気の利かない兵たちに対する苛立ちによる怒りなのだと思ったのか、さっと青ざめて「ご案内させていただきます」と一人の男が案内を買って出た。
内心ほっとしながらアオイはぞんざいに見えるように雑に頷くと、歩き出した兵の後ろをついて行く。
背後で「噂と違うな」「優しい方だと聞いていた」とアオイの評価を改めている声を聞いて取りあえずは上手く行ったのだと安堵する。
ぼろが出ないようにと祈りながら歩く野営地には、支柱を立ててテント生地を屋根に張っただけの場所に薄い毛布に包まったままの男たちが寝転がっていた。それぞれが思い思いの方向を向いて、規則性も無く眠っている姿に彼らが連れてこられた無戸籍者なのだと解る。
逃げ出さないように見張りが立っていて、とても共に戦場を駆ける仲間同士には見えない。
兵士からみれば彼らなど仲間では無いのだろうし、また彼らも自分たちを無理矢理この場所へと連れてきた兵士たちを仲間と認めることは無いだろう。
前途多難だ。
このバラバラの人間をどのようにすれば軋轢なく御することができるか。
アオイは空へと目を転じて零しそうになったため息を胸の奥に吸い込んだ。吸い込まれそうな程に深く暗い夜空を見上げて、まだ始まってもいないのに全てが終わった時のことへと思いを馳せ、その虚しさに深く落ち込んで行くのを止められなかった。
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