エピソード42 シオの絶望的な未来
痛む膝と左脇腹の違和感に顔を顰めながらシオは階段を急き立てられるように下りていた。別室へと連れて行かれている途中で様々な軍の上官に何事かと問い質されては「そこはだめだ」とか「ここは今から使用する」と言われてたらい回しにされていたのだ。
どこでもいいからいい加減座らせて欲しいと思い始めていた所に建物が揺れた。
「テロリストの奴ら派手にやりやがる」
「壁を爆破とか有り得ん」
「今下に行ったら絶対応援に行かされるぞ」
「うえぇ。マジ勘弁」
館内放送で侵入者あり、近くの兵は応援に迎え、と流れた後で三人の兵たちは顔を見合わせて冗談じゃないと首を横に振った。
「お前らほんと最低だな」
さっきも上官であろう若い女に対してあからさまに侮辱の眼差しを向け、意地の悪い揶揄を吐いていたことからこの三人組の人間性の低さに嫌悪感を抱いていた。
潔癖そうな女の顔を思いだし同情すらした。
部下に恵まれない上司も不運なのだなと、縦社会の厳しさをほんの少しだけ伺い見た気がする。奪う側の人間の社会にも上下関係があり、その中で育まれた劣等感は統制地区のそれよりも根深く激しいように感じた。
女を三人がかかりで苛めるという行為には腹が立つが、それでも高飛車に聞こえた女の言葉と態度はカルディアに住む人間の傲慢さを感じさせて好感は持てない。
所詮住む世界が違うってことなんだろうな。自嘲の笑みを貼りつかせたシオを兵が胡乱な目で睨みつける。
「貴様、その減らず口を叩けんようにしてやってもいいんだぞ!」
踊り場の壁にシオを追い詰めて凄んでくる兵の目には苛立ちが滲んでいた。他の二人にも似たような光が宿り、怒りと侮蔑に満ちた瞳が向けられる。
「軍人は国のために戦って死ぬことを至上の喜びとしているってのは嘘みたいだな?死ぬことを怖がってこんな所で道草食ってやがるんだから。テロリスト二人に怯えてるんじゃとんだ腰抜けどもだ」
そんな綺麗事が理想に過ぎないことぐらい知っている。統制地区の無学な子供でも信じてはいない。軍が国のために動いているわけでは無く、自分たちの私利私欲のために動いていると知らぬ者はいないのだ。
乾いた声で嘲笑すれば三人の顔が一気に強張り顔色が消える。息継ぎの合間に脇腹が引き攣ったように痙攣したのに気付いて眉を寄せたが、そこから意識を剥がすようにして口を動かした
「代わりにおれが行って戦ってやるから、拘束解いて銃を寄越せよ」
「そんな安い挑発に我々が乗ると思っているのか?」
「じゃあ堂々と戦って死んで来いよ」
短い会話の応酬の間に違和感のあった腹の中が疼くように痛み始めたが、後ろ手に拘束されていては押えることもできずに強くなっていく痛みだけがシオの焦燥を掻き立てる。
じっとりと冷や汗が滲んでくるが、こいつらに弱みを見せるのは業腹なので痛みを紛らわせるように喋り続けた。
「おれの方がお前らより勇敢に戦える自信があるぜ?死ぬことだって恐くない。寒さも暑さも空腹も乗り越えられる。贅沢して甘やかされているお前らにはそんなことできないだろうけどな」
逸るな、とタキの声が耳元で囁くが余裕の無いシオは形振り構ってなどいられない。
「お前らが虫けらのように思っていた人間からの報復が始まるぞ。侮り続けた報いを受けて、無様に降参しろよ」
考えろ、サンが憐れむような目でシオを諭すが考えた所で逃げ出すいい案も思いつかないのだ。
だから闇雲に兵士を詰り、嘲るしかできない。
焼けるような痛みに腸が捻じれているのではないかとまで疑いながらもシオは血走った目を三者に向けた。
「成程。我々より勇敢に戦えるというのなら、北での戦いに貢献して勝利を我々にもたらしてくれるんだろうな」
「貴様の活躍が楽しみだ。ここカルディアまで聞こえる様な武勇を期待しておこう」
「残念だがおれは誰の指図も受けねえ!誰にも従わない!」
これまでも、これからもタキ以外の言葉に従うつもりはない。
北へと送られたところでおとなしく戦ってやる道理は無いのだ。拒んで拒み続けて、それで銃殺されても構わないとシオは思っている。
ただできるならば、タキの隣で戦いたかった。
兄を支えて、兄妹のために。
それができないのならば自分の未来に価値はない。
「確か移送車が第三西口からでるはず」
「それなら二階の通路を使って第三西口へと行けばいいな」
「こいつの喋りに付き合うのもいい加減うんざりだ。望みどおりさっさと送り出してやろうぜ」
三人で相談してさっさと決断するとシオの肩を押して今度は階段を上らせる。腹部の痛みの所為で歩みが鈍っているシオを両側から腕を抱えるようにして急がせた。もう喋る元気も無く引きずられるまま移動して行く。
二階の廊下の先に細い連絡通路があり、そこへと入った所で二度目の爆破音が響いた。さっきよりも大きく、兵の足元が覚束なくなるほどだ。右の男が舌打ちをして「急ぐぞ」と声をかけると左の男が首肯して腕に力を入れると速度を上げる。
自分で歩いていないのに息が上がり、汗が大量に噴き出しているのに寒気がした。身体に訪れている変化は歓迎される物では無く、寧ろ悲観すべきことだとシオでさえ解る。
治療が遅れることが死に直結する。
軍の車に撥ねられた時にきっと内臓を酷く痛めたのだろう。
死ぬのか。
どちらにせよシオの未来は死しかない。
北での戦争で死ぬか、そこに辿り着く前に怪我で死ぬか。
強情を張らずに素直に部屋に戻ってスイと仲直りしておけばよかった。
悔やまれることは沢山あるが、喧嘩別れしたままで永遠に別れてしまう妹のことが一番心配で辛い。
アゲハは掴み所の無い奴だが、どうしようもないシオに真剣に向き合おうとしてくれた。それが煩わしくて避けていたが悪い人間では無い。カルディア出身だが、ホタルとアゲハだけは信じても大丈夫な気がしていた。
だからきっとスイは大丈夫だ。
シオがいなくてもタキがいる。
そしてアゲハやホタルが力を貸してくれるから。
――ごめんな。
直接謝れないことが残念だが、結局顔を合わせたら素直に謝れない。だから心の中で謝罪して妹の幸せを祈る。
通路の奥にあった階段を下りた所はだだっ広い駐車場のような物だった。搬入口と書かれた看板の横に第三西口と明記されている。
どうやらここが目的地らしい。
五台の大型貨物トラックが停められていて殆どが準備を終えたのかエンジンをかけて待機していた。作業着のような服を着た兵たちが走り回り、現在の状況を報告し合っている。どうやら侵入者は進むのを諦めて再び爆破して壊した壁を超えて逃げて行ったらしい。それを追う部隊が直ぐに編成されて出撃したことも耳に入ってきた。
目的はなんだったのだろうか。
連れ去られた戸籍の無い人間を救い出すためか、それとも強引な国のやり方に憤りを覚えたからか。
なんでもいいが、無事に生き延びてくれればいいと思う。
国に牙を剥ける人間が沢山いればそれだけ優位に戦えるのだから。
「こいつも頼む」
「はい、ここにサインを」
荷台の傍に居た兵にシオを引き渡し、代わりに差し出された書類に三人組の中のひとりがサインをする。
「頑張ってこいよ」
揶揄する男を睨み返すのがやっとだった。
「拘束は解かない方が良い。そいつは暴れて危険だからな」
「了解しました」
新たな兵に囲まれてシオは乱暴に荷台に乗せられた。既に中には五十人程の人間がいて、怯えたような目をしている。
シオが最後だったのか入口がゆっくりと閉じられて中が暗闇に支配された。
エンジン音が響いて荷台が小刻みに揺れると、シオの臓腑が声なき悲鳴を上げるように鳴動する。そして込み上げてくる熱い塊を吐き出すために前のめりになった。
「ぐぅっ!」
暗くて何を吐き出したかは解らないが口の中に広がる錆びた鉄のような味に絶望が広がる。立っているのも、座っているのもままならずシオは固い鉄の上に横たわった。
ガタガタと震えながら、安らかな眠りが速やかに訪れることを祈って目を閉じた。
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