エピソード33 強固な意志
あの奇妙な面を着けた反乱軍頭首タスクの足運びと曲刀の構え方は独特で、周辺国の武闘全般を一通り訓練で習うが、そのどれとも合致しない戦闘スタイルだった。
ツクシはあの時目の前に立つ男に国の為に働くことを拒絶されて気が昂ぶってはいたが、そんなことぐらいで敵の接近を赦すような未熟な男では無い。クラウドでさえ気配を押し殺した頭首がツクシの腹部を一閃するまで気づけなかったのだからそのことを責めることはできないだろう。
更にタスクは低く腰を落としてツクシの撃った弾丸の下を潜り抜けるように走り込み、下から銃把を持つ腕を抉るように突き上げて切り裂いた。その流れるような動きも、伸びのある攻撃も全てが段違いの強さだった。
普通は銃口を向けられるだけでも人は恐怖に身を竦ませて動けなくなる。
だがあの男は恐るべきことに引き金が引かれた後、撃ち出された弾の軌道を確かめてから次の行動へと動いた。
あの男には銃だろうと脅威にはならない。
恐ろしい男だ。
対岸の
仲間は自分たちが掲げる頭首の勇猛さと、高い戦闘能力を信頼しているのだ。
負けはしないと信じているから黙って見ていた。
格が違うとはこのことだ。
あのまま戦いを続けていればこちらがやられることは明白だった。悔しそうな顔で退却をなかなか承諾しなかったツクシもそのことは解っていたはずだ。
「あの男はあそこで始末しておくべきでした」
呻きながら息を吐き、ツクシが尚も諦められずに呟く。あの男が頭首ではなく金の瞳の男を指しているということは解ったので苦笑いを浮かべる。
最初は殺さずに北へと送り込むのだと口にしていたが、どこで心境が変わったのか。
確かにあの男がアスファルトに拳を当てた途端に割れ水が噴き出したことはあまりにも出来過ぎで、まるで水路から水を呼び集めたかのようにも見えた。
それだけならまだしも、当たったはずの弾がなにかに弾かれたように逸れたのは見間違いでは無い。
だがそんなことができるのか。
ツクシが言うようにあの男も不可思議な所があるが、戦い方も知らないような人物を危険視する必要はないように思えた。
「気にし過ぎだろう」
一瞥してからそう答えれば、ツクシは目尻を吊り上げて「そんなことはありません!」と勢い込んで唾を飛ばす。
「あの男は危険です。生かしておけば必ず障害となります」
「その根拠を聞いてもいいか?」
鼻息を荒くした部下の目は異常なぐらいに血走っていた。
若い彼らはただ統制地区の人間というだけで見下し、価値無き者として判断する。特に戸籍を持たないような人間や
「反乱軍のリーダーが助ける程の男です」
「元から仲間の可能性もあるだろう」
「そうではないことはクラウド様も解っていらっしゃるはず」
黒い瞳をギラリと光らせ背もたれから身を起こして反論する。
ツクシが言うように彼を助けに入ったタスクを見て、それが誰だか解らないような顔をしていた。元々仲間であるのならあの奇妙な面の相手が反乱軍頭首だと直ぐに気が付いたはずだ。
だが彼らが初対面では無いことは確かで、タスクの第一声を聞いてはっとした顔で確認しようと視線を動かした。
「勿論面識はあったようですが、だからこそ――脅威なんですよ。反乱軍を率いる男が惹かれるほどの物があの男にはある」
きっと直ぐに頭角を現し、国を騒がせる男になるはずだ。
断言したツクシは片頬を歪めて腹部を押えると息を止める。布を当てて縛るとういう簡易的な手当しかしていない傷は少し動くだけでもじわじわと血を滲ませて痛む。
普通の者ならばクラウドとこうして話などできないだろう。
ツクシは強靭な精神力を持ち、痛みに弱音を吐くことをよしとしない誇り高い男だった。それは澄んだ黒い瞳を見れば解る。
己の思想や志に迷いが無く、国のために働けることをなにより喜んでいた。総統に心酔し、能力も知能も低い民人がこれ以上愚を犯さないように務めることが正しいことなのだと思っている。
その瞳は見えているのに、真実が見えていないのだ。
「俺には穏やかそうな男に見えたが」
逞しい身体には荷下ろしの仕事でついた筋肉がついていたが、追い詰められていた時もできれば戦いたくないという意志が見えた。落ち着いた瞳としっかりとした受け答えに頭の良さも垣間見えたがそれだけのことだ。
初めて戦った中で力加減を誤って人を殺めたことに酷く動揺した姿は、仲間である部下を殺されたというのに逆に同情してしまうほどの落ち込みようだった。
「クラウド様は彼らに甘すぎます」
非難する声にクラウドは苦笑する。
それは常に言われ続け、注意されていることだった。
クラウドが学校へと通っている頃は今よりも統制地区の子供たちが同じクラスに数名在籍しており、彼らの殆どが勉学に傾倒し自分たちよりもいい成績を治めていた。貪欲さと元々持っている才覚で認められ、大学へと進学する道を拓いて行くのをみて素直に尊敬の念を抱くようになった。
だがその中で一人だけ進学できない者がいた。
彼女は戸籍を持っておらず、進学するための後見人が見つけられないことを理由に将来を閉ざされてしまったのだ。
一位、二位を常に争っていた優秀な学生だったが、戸籍がないという一点で権利を手にすることができずに卒業後涙を流して去って行った。
才能が有り、優秀な人材を国はみすみす手放したのだ。
彼女より秀でた人間などカルディア地区の級友のなかには誰一人いなかったのに、殆どの人間が国防大学へと進学し無能なまま軍に入隊した。
大いなる損失だと嘆いたのはクラウドだけだ。
その時の失望感と無力感は今でも忘れられない。学生だったクラウドにはなにひとつしてやれなかったし、また彼女の人生を背負い込む覚悟も勇気も無かった。
「カルディアの人間も、統制地区の人間も同じ人間だ。無論戸籍が無くともだ」
何度言い含めてもツクシ以下若い部下たちは苦い顔をして反抗的な態度をとる。口にして反論はしてこないが、承服できない思いでいることは伝わってくる物だ。
「お前は医療部へ行って治療を受けろ。その後は戻ってこなくていい」
停車した車のドアを自ら押し開けて出ると、反対側から降りたツクシに向かって命じる。「ですが」と硬い表情で拒むのは治療のことでは無く、仕事に戻らずに帰宅せよという部分だ。
「お前の有休が溜まっている。今のうちに消化しておけ。じきに」
取ることができなくなる位に忙しくなるのだから。
そう言われれば引き下がらざるを得なくなり、ツクシは踵を揃えて敬礼をするとくるりと身を翻して医療部のある東の棟へと向かって行った。
「全く、融通が利かなくてまいる」
愚痴を聞かれまいと早足で歩き、保安部のある西棟へと移動する。他二名の兵は殉職した兵を担いで遺体安置所へ運ぶように指示しておいたのでついて来るものはいない。
漸くほっと息をつける。
クラウドはあまり周りに人がいることが得意では無い。学生の頃からよく一人で行動していたし、下らない会話に相槌を打つことも自慢話をすることも苦手だった。
そんな退屈な時間を過ごすぐらいなら、一人でのんびりとしていた方が自分には合っている。カルディア地区の人間ばかりでつるむことに対して意義を見出すことができなかったのもあり、級友からは変り者だとか取っ付きにくい暗い奴と言われていた。
軍に入隊してそれなりに昇進し、従える部下が増えてくると煩わしいばかりで息が詰まる。
ぞろぞろとついて来る部下を正直鬱陶しいと思っているが、さすがに邪険にもできずに我慢していた。
昇進するたびに重い責任を負わされることが苦しくて、軍など辞めて統制地区で暮らそうかとまで本気で悩むこともある。
「叶わぬ夢だが」
夢を見ることぐらいは誰にも迷惑をかけないのだからいいだろう。
「ん?キョウ殿?」
黒塗りの車から降りたまだ少女のように頼りない女性が真っ青な顔で入口へと向かって歩いている。美しい銀髪を後ろで纏め上げているせいで折れそうな項が剥き出しになっていた。昔本で見た南国の海のような澄んだ水の色をした瞳にはいつものような凛とした輝きは無く、化粧をしているはずなのに唇も青くなっている。
あきらかに調子の悪そうな様子が気になり、いつもならば挨拶だけして通り過ぎるが今日ばかりは違う言葉をかけた。
「顔色が宜しくない。無理せず休まれた方がいい」
「クラウド殿。お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫ですので」
頑なな態度でキョウは唇を引き結び、視線をふいっと反らしてこれ以上は放っておいて欲しいと暗に示す。
だが放っておけるような顔色ではなく、先程医療部に行くようにと命じたツクシより悪そうに見えた。今にも倒れそうではらはらする。
「貴女がそのような顔をしていれば部下たちが不安になります」
どうかと懇願するとキョウが不愉快そうに眉を寄せた。頬を引き攣らせて「元々こんな顔です」と上擦った声で拒絶する。
彼女が虚勢を張っているのは自分を護るためでもあり、そうしないと今の立場にいられないのも解る。だが隙を見せたくないのならば体調の悪い状態で無理をして、人前で倒れることになる方が不利だ。
これだから女はと揶揄され、そのことを常に話のネタにされ仕事ができない理由としてあげられるのは彼女の自尊心を酷く傷つけることになる。
それが見えているからこそ忠告しているのだが、真面目で一生懸命なキョウにはクラウドの言葉は余計な物でしかない。
「キョウ殿、あまり強情すぎるのは感心しない」
「貴方には関係の無いことでしょう。それに今休むわけにはいかないことは貴方が一番御存じでしょう?」
確かに国民登録義務法が施行されてから二週間の猶予期間が切れた零時を境に作戦は実行に移された。
その指揮を執っていたのは他でもないクラウドなのだから。
彼女が夜明け前の早い時間に出勤してきたのは朝八時から行われる“狩り”のためで、まさかその作戦を上官が不在のまま進めることはできない。
否。
可能であるからこそ、キョウは強固な意思でここへと来たのだ。
自分が無能だと思われないために。
「……保安部はみな優秀です。貴女は無理せず、ただ見ていればいい」
善意で口にした物だがキョウは完全に馬鹿にされたと思ったらしい。クラウドを一睨みして「忠告ありがとうございます」と嫌味を言うと踵を鳴らして去って行く。
頭を掻いて嘆息し、彼女の華奢な身体を、足を止めて見送った。
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