エピソード29 我々からの信頼の証
電車が悲鳴のような音を立てて駅へとなだれ込む。少しも動けない状況下でタキは静かな興奮が身体の芯をじりじりと焦がしているのを意識する。
反乱軍クラルス。
その頭首であるタスクに喜びと共に迎え入れられたが、引き換えにタキは揺るがない忠誠と最後まで戦い抜くことを約束させられた。悩み考えた末に決意したと思いたいが、荒ぶる時代の流れに抗えきれずに屈伏してしまったような気がする。
本当は兄妹で話し合って決めたかったが、それすらも色んな要因により阻まれて結局はタキの独断でタスクの手を掴んだことが悔やまれた。
それでも間違っているとは思わない。
後悔はあっても暴君たる総統の思惑通り国の為に戦って異国の地で散るぐらいなら、自分たちの自由と権利のために戦いたい。どうせ死ぬのなら、弟妹のために命を燃やしたいと願う。
開いた扉に殺到する人の波は出るよりも入ってくる方が多い。押し退けながら進んでなんとか閉まる前に駅へと降り改札へと向かった。
シオは混雑時に自転車を抱えて電車に乗ることは難しいだろうと普通の道路を走って帰ってきている。
そう帰ってきているのだ。
そのことがタキの胸に安堵をもたらし、この一週間の寂しさをゆるゆると温めてくれていた。
だがそれは一時帰宅に過ぎない。
タスクは今のアパートに住み続ければ、いつか治安維持隊か保安部に襲撃され囚われることになると警告した。必要な物を纏めて兄妹でアジトへと移り住んだ方が良いと提案され、タキはその言葉に甘えようと頷いた。
学校も安全では無い。
あそこはもっとも軍と政治に絡んだ場所だ。スイが登校する前に帰宅して引き止めたかったが、ダウンタウンの地下鉄へと降りる駅は保安部に押えられており、隠れながら徒歩で第七区へと移動してそこからシオと別れた。
その分時間をくってしまった。
スイの登校に間に合うかどうか微妙な所だ。
見慣れた景色になった十階建てのアパートが建てられたのは低所得者のためで、入居している七分の一が戸籍を持っていない。戸籍がなくても、それなりの収入があり保証人がいれば住むことができるアパートは三十棟あるがどれも似たような作りで初めて訪れた者には解りにくかった。
舗装された道路は建設ラッシュが済んだ二十五年前から手入れされずひび割れ、所々アスファルトが剥がれ珍しく雨が降った日などの後は巨大な水溜まりができるほどだ。乾燥と日中の照りつけで白々とした道路はとてもアスファルトには見えなかった。
歩道は長方形の石を敷き詰めてあるので、傷みが少なく道路と違って歩きやすいのがありがたい。
「治安維持隊と保安部」
いつも通りの風景の中に異質な四輪駆動車の姿を見つけタキは歩を止める。何棟かのアパートの入り口を塞ぐように車が横付けされ、銃を手に警戒して立つ兵士がいた。
普通は治安維持隊と保安部が同じ現場に居合わせることは無い。それぞれが別の指揮官の下で動いているからであり、統制地区の住民で構成されている治安維持隊とカルディア地区のエリート集団である保安部とでは互いに快く思っていない部分も多いようだ。
だが治安維持隊と保安部の兵士がひとつの作戦を元に協力して動いている。
「北との戦争に人を投入したくて必死なのか」
浅ましい行動に渋面を作り、タキは迂回しながら自分たちの部屋のある棟を目指す。
この分だと押えられている可能性が高い。
激しく鳴り響く鼓動で息が苦しく、緊張に呼応して身体が冷えて行く感覚は気持ちが悪かった。
三十ある棟を全て制圧するには時間がかかるはずだから、スイが捕まっていると決めつけるにはまだ早いと心を鎮めようと努力するが難しい。
できれば最短距離で戻りたいが、軍の目を掻い潜るためには遠回りして行くしかない。街路樹の代わりとして植えられているソテツの緑の葉は長く降らない雨の所為で萎れている。太い幹の上の細長い葉が作る影が昼間には暑さを凌いではくれるが、朝の日の弱い間は逆に暑苦しく感じさせた。
アパートの住人が青い顔でそわそわと落ち着かなさげに地下鉄の駅へと向かって行くのとすれ違いながら漸く辿り着いたアパートの下に車も兵士の姿も無いことにほっと嘆息する。
電灯がちかちかと点滅する階段を二段飛ばしで駆け上がり、何度も踊り場で折り返しながら自宅のドアの前に立った。
職場を襲撃され工場内を獣のように追い掛け回され、ダウンタウンへと逃げ込もうとして待ち伏せされながら反乱軍のタスクによって助けられた散々な夜を超えて帰ってきた部屋のノブを掴む。
全てが夢だったと思えるほど色んなことがありすぎて思考が麻痺しそうだ。
「だめだ、まだ」
頭を振ってタキは鍵を差し込んで回す。金属の扉は少し軋みながら開く。大股で冷たい空気を淀ませている部屋の中へと進み、スイの姿を探すが音も気配も無かった。
一応スイの部屋を覗いたが、通学鞄が無かったので既に登校した後のようだ。
「遅かったか」
追いかければまだ間に合うかもしれない。学校の校門を潜る前に引き止めるか、もし軍の手に囚われた後だったとしても隙を見て助け出すことができる。
踵を返して玄関を飛び出すと隣室の扉が開いて「タキちゃん?どうしたの?」とアゲハが戸惑ったように聞いてきた。
だがそれに答えている時間が勿体無い。
階段を上から下までの十三段を軽々飛び降りて着地して、視線だけをちらりと向けた。
これが最後かもしれない。
もうこの部屋に戻ることは無いだろう。
そう思ったら何も言わずに去るのは悪い気がして「元気で、アゲハ」と別れの言葉を口にした。
「タキちゃん、それどういう」
顎を左右に振りタキは踊り場から次の踊り場までを飛び降りる。「タキちゃん!」悲鳴のようなアゲハの声を振り切って、妹の窮地を救うために残りを無心で駆け抜けた。
空気が悪く薄暗い階段部分から脱出して外へと出ると目が眩み、タキは仕方なく目を細めて速度を落とす。その瞬間を見計らったかのように風が吹き抜けて名を呼ぶ声に立ち止まった。
「アキラ」
陽光の元で見ると余計に病的な白さと眼の下の隈が強調され、やつれた面差しに思わず目を反らしてしまいそうになる。だがその瞳の力強さと、近づいて来る足取りの確かさは健やかな者のそれよりも溌剌としていた。
「どこへ行くつもりか尋ねても?」
「どこって、スイを」
助けに行くのだとむっとして返すとアキラは口角を引き上げて薄く笑う。そして一言「必要ない」と呟いて、タキの腕を押して階段の中へと押し戻した。
「必要ないってどういう意味だ?もう手遅れだということか!?」
もしそうなのだとしたらタキが反乱軍で戦う意義が半分失われることになる。まだ触れているアキラの手を肩を動かして振り解き睨みつけると、心外だと言わんばかりの顔で軽く睨み上げられた。
「約束したはずだ。まずはこちらが誠意を見せると。その前に軍が動き始めたのは誤算だったが、これぐらいは間に合う範囲の誤差だ。我々を見くびるな」
「約束?では、スイは」
「問題ない」
振り解かれた手を上着の胸ポケットへと移動させ、その中から紙を四つ折りにした物を取り出す。そしてそれを差し出しながら「妹君の戸籍は間違いなく与えられ、今後軍に追われることは無くなる」と強調した。
受け取り丁寧に折り目を解きながら開くとスイの描いた絵を買い取るという旨の文面と金額が書かれてあり、署名と共に立派な印が押され相手がカルディアの偉い人物であることが窺えた。
金額はかなりの高額で丁度戸籍登録料と同じ額。
「どういう」
「見たままだ。彼は妹君の絵を気に入り購入したいと申し出、その価値に相応しい値段を払った。その金で戸籍を買い、彼女は自由となる」
本心でスイの絵を気に入った訳ではないだろう。有名では無いただの学生の絵をこんな値段をつけて購入しようというのだから、裏で何らかの力が働いているはずだ。
アキラが――いや、アキラの言う“我々”の強大な力の成せる技だろう。
将来は絵を描く仕事をし、それで生活して行きたいと願っていたスイの夢がこんな形で叶うのは正直苦しい。
それでも妹の安全を手に入れることができたのだと思えば我慢ができる。
「あちこちで“狩り”が開始された。頭首から貴重な仲間を集める機会を逸するなとの命令だ。作戦に参加せよと」
「命令」
とうとう本格化し始めた革命への戦いにタキはごくりと唾液を飲み込む。忠誠を誓った以上命令には従わなければならない。
「妹君の安全は護られている。二の足を踏む理由はあるまい」
「そうだな」
「タキ!間に合ったのか!?」
首肯した所でシオが自転車で走り込んできた。肩で息をし、弾む呼吸をなんとか誤魔化しながら叫んだ弟にタキは頭を振った後で「大丈夫だ」と続ける。
「間に合わなかったのに、なんで、大丈夫なんだよ!」
「スイの戸籍を買う金が手に入った。スイは、自由だ」
「はあ!?訳が解んねえよ!」
汗を袖で拭いながら声を裏返したシオの歪んだ顔を見ながら、それもそうだろうと苦笑いをする。
「詳しい説明は後でする。俺はタスクの命令で作戦に参加しなきゃならないから迎えに行けない。だからお前がスイを迎えに行ってやってくれ」
「おれが、スイを」
「そうだ」
どうやらまだスイとの喧嘩の尾が引いているらしい。視線を逸らして逡巡しているシオの肩を拳で叩いて「行ってくる」と合図すると弟も手を伸ばして肩を叩き返してきた。
なんとか笑みを浮かべてシオが「任せとけ」と請け負ってくれる。それに深く頷いてタキはアキラを促して一歩を踏み出した。
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