第78話 ニッケル・ハルパ 掴む


 カチコチになり扉を開けると、いつもの老人の姿をしたピンズノテーテドートがいた。

 これは幻覚だ。そう知っていても、まったく生身の標人としか思えない。

 息をするごとに逃げだしたいという衝動がいてくる。


「ピンズノテーテドート殿、昨日伝えていただいたお気持ちは、大変うれしい。私もあなたを必要としている」


 姿が変わった。

 青年の姿。タニバカズトヨだ。

 彼を目にしたら、急に汗が出て身体が強張った。息も苦しい。


「しょ、正直に言う。あなたを味方にできるのなら、この身を任せるのはまったく構わない。しかし心は自分でも、どうにもできない。恥ずかしながら私は、戦のことしか考えていないのだ。あなたがパトロアの覇道はどうに手を貸してくれるのであれば、心の底から従うと約束しよう。そうだ、いっそ魔術契約ではどうだ?」

「そういうことじゃないです」

「努力はする。なんとしてもあなたに恋慕れんぼの念を抱く」


 正直に話していたらタニバカズトヨに笑われた。なにがおかしいのだ!

 こちらは死にそうなほど思い詰めているのにッ。


「なぜそう笑う。真剣な話をしているのだぞッ」

「ごめんごめん。ちょっと止まらない」


 恥ずかしさが突き抜けた。目の前の男が憎らしくさえある。

 まだ笑っているのか。

 真面目な顔で向きなおった。


「まずは、安心してほしい。ボクとつき合うとかどうとか、そんなことは関係ない」

「では、あなたはなにを求めているのだ?」

「なにもないかな。特に欲しいものはないよ」


 また笑う。なにがおかしいのだ。私が困惑こんわくするだろうが。

 この話のどこに、そんな楽しい要素があるのだ。


「ニッケがして欲しいことは、なんでも手伝う。魔術でも知識でも、なんだってだ。言われたことをやるよ」

「わからない。それであなたに、なんの得がある?」

「わからないよ。ボクがそうしたいんだ。ニッケの役に立ちたいんだ」


 あわわ、どういうことだ。

 でも彼は協力すると言ったぞ。

 見返りもなしでだ。

 返す言葉につまり、やっと口に出せたのは────


「ありがとう」


 この言葉だけだった。

 パトロアは、私の国は大変な宝を手に入れた。最強の兵器を獲得した。

 これで、もう領土の憂いはない。

 なんという愉悦だ。うう、叫びだしそうだ。


 聖地に居座いすわるあのおぞましいシシートのくずは皆殺しにしてくれる。

 パトロアの教えをないがしろにするデ・グナひいてはグナ教団の畜生どもも殺しつくす。

 カルプトクルキト大森林に跋扈ばっこするラシナという猿も追い散らしてイルクベルクバルクをも手にしよう。


 勝利だ。完全な勝利だ。想像するだけで、うっとりとする。

 しかし幸いが大きいと不安もまた同じだけ感じるものだ。

 考えると、汗が止まらない。

 危機と好機が同時に訪れているのだ。


 第一に、私の戦争に協力するという意味がわからない。

 タニバカズトヨには、他国と戦争をする理由がないのだ。


 金銭に執着しゅうちゃくしているようにも思えない。

 この国で栄達えいたつを望んでいるようでもない。

 なにかの陰謀いんぼうだという疑いもあるが、大魔術師ピンズノテーテドートがはかりごとを行う意味はないだろう。

 なんでも力ずくでかなえられるほどの大魔術師なのだから。


 確信を得るためには、もっと強く彼を私にきつけねばならない。

 なんとしても、ピンズノテーテドートを骨抜きにせねばならないのだ。

 殺し合いに明け暮れた、戦場育ちのこの私にできることなのかわからない。

 だがしかし、やり遂げねばこの国の安全ははかれない。

 私にとっては、どんな城を落とすよりも困難で、価値のある戦いとなるだろう。

 弱気になってなどいられない。


 そうだ。やはり、色恋についての手解てほどきがいる。

 社交界のすべてを知る者から、教えを受けなければならないだろう。

 まさかこの私に恋愛指南が必要になるとは、いままで予想もしていなかったな。

 思いを巡らせながら、姿見に映る自分をまじまじと見る。 


 ……女とわかるか、これ?

 痩せっぽちで背が高く髪も色褪いろあせている、色も浅黒い。

 笑顔のかけらもない怖い顔だ。

 はぁ……自分で容姿を見ても、恋愛に縁がないようすが、ありありとわかる。

 なにを好き好んでこんなのを選んだのだ、ピンズノテーテドートはッ。

 しかし、マズい。マズいぞ!


「侍女長! まずは私を女とわかるように着飾らせてほしい。そしてメリタ・カロシエを呼べ。あの稀代きだい賢人淑女けんじんしゅくじょ指南役しなんやくにしてこの難局を乗り切るのだ!」


 待っている間に侍女長が持ってきたヒラヒラした服を着た。

 どうだ、見るが良い。

 女らしい服を着ることなど、造作ぞうさもないのだ。


 みくびられては困る、仮にも一国の女王なのだぞ。

 女らしい服など、いくらでも持ってはいるのだ。

 ただ好きでいつも軍服を着ているだけだ。


 誰に言うともなく、胸のうちで抗弁こうべんしていると、目頭めがしらを抑える侍女長が見えた。

 なにを見ている待女長。見世物ではないぞッ。女王だぞ!

 ええい。泣くな。なにをつぶやいておる。おいたわしくなどない。おいたわしい訳がないだろう! 女王だぞ!


 あ、危なかったあ。

 ギリギリの自制心で声に出さずに、心のなかで悪態をついていた自分、えらいぞ。


 ダメだ。心が騒いで、行動の様子がおかしくなっていると自覚できる。このままでは私の悪い評判が、さらに悪くなってしまう。

 しかし悶々もんもんとしていた時間は、そう長く続かなかった。

 幸いなことに、メリタはすぐに来てくれた。

 前室に控えている侍女長には、メリタが帰るまでは誰も私の部屋に通すなと言いつけて、ふたりだけで部屋に入った。


 互いが席につくとすぐ、私は息もつかずに胸のうちの不安を彼女に伝えたのだ。

 そうとうに支離滅裂しりめつれつな話だったに違いない。混乱した私の胸のうちを浴びせられたメリタは、初めて見る表情を浮かべていた。


 かの賢人淑女も、こんな顔をするのだな。

 おそらく彼女は、あきれていたのだろう。

 私は、成人してずいぶんと年月も経ち、分別と節度があっても良い年齢となっているのに、婦人としての振る舞い方のひとつも知らないのだから。恥ずかしいと思うよ。

 しかし本当に知らないのだ。

 われながら笑ってしまうわ。ははは。


 メリタは、あくまでも穏やかに私に尋ねる。


『陛下、私は物知らずでお恥ずかしいのですが、教えていただけますか? 戦をする前に部下へ命令を伝えますよね。その際に大切なことは、なんでございましょうか?』


 戦?

 なぜいま戦の話をする?

 理解はできないが、メリタのことだ。意味がある問いかけに違いない。

 ともかく、答えなければ。


「ま、まずはッ、戦で成しげるべき目的を明らかとすることだッ」

『まあ素晴らしい。恋と同じですね。でしたら、この恋で陛下が成しげたい目的は、なんですか?』


 恋とは、戦と同じなのか?

 ならばこの状況で設定すべき私の行動の目的とは、果たしてなんだろうか? 

 うーむ。それは……おそらくは……


「ピ、ピンズノテーテドート殿に、私へのこ、恋心を抱かせて、夢中にさせること、だ」

『陛下。それは、おたわむれではなく、本心でございましょうか』

「うむ。むろん本心だ。しかも誰にも知られずに必ず、かの御仁を私から離れがたくせねばならないッ」


 汗が止まらない。

 完全にわけが分からなくなっている私に向かい、たおやかな笑みを浮かべたまま、メリタが口を開く。


『では、なにもなされなくて、よろしゅうございましょう』

「なんと! なにもしないのか。そ、それは、奇策だな」

『ええ。幸せの青い鳥は、いつもすぐそばにいるものですから』

「ん? とはなんなのだ? 民話かなにかなのか。社交界の隠語か? 浅学せんがくな私にはわからないのだが?」


 メリタは微かに笑い、茶器を使う。

 作法にうとい私から見ても、優美なしぐさだ。

 一呼吸おいてメリタが、いて言うのならと言葉を継ぐ。


『戦場にいる時間をおひかえになり、その分の時間にピンズノテーテドート様へ恋文を書きましょう』

「ななな」


 メリタが恐ろしいことを言いだしたぞ。


『戦上手のニッケル・ハルパ様なら、どちらがより重要か、おわかりですよね?』

「むむむ」


 汗が出る。だがそうなのだ。メリタは正しいのだ。

 ピンズノテーテドート殿を掌中にらまえるよりも重要なことなどない。


「メリタ。あっぱれである。なんとも心強い。百万人の味方を得た心持ちだ」

『おそれいります』


 メリタには感心する。知恵が深く人の心を良く理解し、思いやれる。

 なるほど多くの者の心をつかむ女性である。

 私の暗中模索あんちゅうもさくの恋路にもかすかな光明が見えたぞ!


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