第38話 ノイ・ファー 弟子と師匠
ピンズノテーテドート様と初めて言葉を交わした日のことを思い出すだけで、いまでも心が躍ります。
しかしそれは、驚異と喜びのはじまりに過ぎませんでした。
手を取ってくださったのは、取り乱した私を鎮めるためではなかったのです。
魔術をご教示してくださっていたのです。
私はこの行いに、ありえないほどの大いなる慈愛を感じました。
ピンズノテーテドート様の偉大な御手に導かれるまま、気がつくと私は魔術の根源に触れていました。
信じられないことに、ハッキリと感触まで感じられたのです。
魔術の根源。
第三階梯の魔術師ですら、霧のようにおぼろげに感じるだけの魔術の根源をはっきりとした塊として手に感じました。
概念としてしか理解していなかった存在に触れられたのです。
あの悲しいほどの喜び、あの崇高な感動は長い年月を経た今日でも色褪せることはありません。
次の瞬間には、さらに心臓が止まるほどの衝撃が伝わりました。
光の粒が
衝撃で手がしびれるのも忘れるくらい、私はずっと火球を見つめていました。
放たれた火球は、見る間に小さな光る点となり、空の向こうへ消えていきます。
それでも消えた空からしばらく目が離せませんでした。
撃てるはずのない大火球を私が撃ったのですから。
限りのない高揚と胸の中で渦巻く混乱。
心が砕けそうでした。涙があふれて少しも動けませんでした。
動くことなどできない私の頭の上で、ピンズノテーテドート様が、私の師であると言われるお声を聞いたのです。
自分が聞いた言葉が信じられませんでした。
いいえ。その言葉を耳にしては、もうなにも考えられなかったのです。
この方に会うことこそ、私が生まれて来た意味であり、もうこの瞬間ですべてが報われた。そう感じました。
気が遠くなる私の肩にそっと手を置いて、急かすことなく落ち着くまでの暇をくださった、ピンズノテーテドート様。
いいえ。もうここからは〝お師匠さま〟とお呼びいたしましょう。
この日の出来事は、思いだすたびに涙が滲みます。
これからお師匠さまとともに生きていけるのだと、そう思うだけで心が震えました。
下僕となれるだけで喜びなのに、お師匠さまのお考えを教えていただける時すらある。
そう。お師匠さまは、私に教えをくださいました。
『魔術師というのは魔力を変化させる技術者だ。魔術は技術に過ぎない。つまり技術があるからといって、尊いわけでも賢明なわけでも高潔なわけでもない』
自分の耳を疑うほどの驚異でした。
あれほどの大魔術師が、まず私に教えてくださったことが────魔術は単なる技術である、ということなのです。
木工、農耕、狩猟、商売や鍛冶となにも変わらない。偉くも卑しくもない、ただの人の行いだということでした。
『ノイよ。たいていの魔術は物を壊すことに使われる。だからより大きく壊すとその魔術は上等と決められているらしい。だがこれはくだらない決まりだ。幼子が玩具をたくさん壊して喜ぶのと変わらない。ノイはそんな魔術師であってほしくない』
その講義では、ご教示の内容についての質問をうながされたので、勇気を振りしぼってお尋ねしました。
「お師匠さまのおおせの通りならば。世間で大きな魔術や、魔術を何度も使うものが尊ばれるのはなぜですか?」
『世にはびこる偏った見方のひとつだ。ものを壊すときは、必要な作業の労力以上を費やすのはムダだ。まして魔術の優劣とは係わりもない。万事に立場の上下、優劣を決めたい人の性質が出たにすぎない』
普通の魔術師は、なによりも魔術が尊いと言うものです。
この国、パトロアでは、ことにそうです。
魔術を用いて世界の根源と一体になり、巨大な力を操れる者こそ優れた魔術師だと言われます。
少なくとも、この魔術学院の初等科では、そう教えていました。
魔術について、わからなくなった私は、続けて尋ねます。
「優れた魔術とは、どういうものですか?」
『人のためになる魔術だ。魔術はただの道具なのだから、使うだけでは価値がない。人の幸福の助けになることに、魔術という道具の価値があるのだ』
お師匠さまのお言葉、その教えは子どもの私にも理解できました。
平易であり奥深い教え。あまりにありがたくて、何度も声に出して唱えたものです。
魔術だけでなく、お師匠さまとの日々の暮らしからも、学ぶことは多くありました。
たとえば、入浴の慣行や歯磨きと手洗いの習慣です。
これらは正しいことだとは、すぐにわかったのですけれども、私には大魔術師の言われる教えとしてはあまりに
そんな
あるとき、生活において正しい習慣を続ける意味を教えてくださいました。
『清潔さの維持は、環境から
清潔が良いというのは、世間でもあたりまえの事柄ではあるでしょう。
しかし、いままで誰もその理由を明言していないことでもありました。
行動の目的を知ってこそ、真の
『魔術で病は治せない。どんな優れた魔術師も大病を
すべてが単純で理にかなっていると思いました。
このかたは、大魔術師であり大賢人でした。
このとき、感動とともに思いました。
お師匠さまのお考えをもっと知り、その行いに少しでも近づきたい。
心の底からそう思ったのです。
その気持ちだけは、いまも変わらずにもっています。
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