第29話 理事長からの刺客
激動のゴールデンウィークが終わり、俺は日常に帰ってきた。
七星学園での生活の方を「日常」と感じてしまうことに不思議なものを感じつつ、少しだけ気怠げな五月最初の授業を乗り越えて。
俺は今、糸式クラスタの会議室に来ている。
連休中に業者が入ったのか、安っぽいパイプ椅子や会議テーブルは片付けられていて、変わりに高級感溢れるオフィス家具に入れ替わっている。
部屋全体の雰囲気も「事務所」といった具合に仕上がっている。
俺が密かに気に入っていたボロボロの回転椅子もどこかへ消えてしまった。
糸式を待つ間、気まずい沈黙に耐えかねて、俺は新品のソファーに腰掛ける。
おお……すげぇ座り心地。
『家具なんてなんでもいいじゃん。一番安いのにしよう』
『駄目よ。二人で末永く使っていくものなんだから。ちゃんと決めましょう。ね?』
『みんなで使うんじゃないの!?』
なんていう二週間ほど前のやり取りがもう既に懐かしい。
どこか落ち着かない空気感にスマホも弄れず、そわそわしていると扉が開かれた。
「つかれた~」
久々に聞く糸式の声。
彼女は「疲れた」アピールなのか、技とオーバーにズンズンと歩いてくると、俺の隣に腰掛けた。
そして、体を傾けると、俺の肩に頭を乗せてきた。
「あの~糸式さん」
「なぁに?」
「正面のソファーが空いてますよ」
「だーめ。これはこうやって座る用なの~。その為の二人がけなのよ」
立ち上がろうかと迷った刹那、逃がさないと言わんばかりに糸式のポニテが俺の首に巻き付いた。
流石束縛魔法の使い手。
「連休中はブランドの方のお仕事沢山して疲れたのよ。だから充電。消費したミオリウムを沢山摂取しないと倒れちゃうじゃない?」
どうやら俺は知らない間に知らない成分を分泌するようになっていたらしい。
で、くっつくと糸式にそれが充電されるらしい。
「なんか、今日は随分甘えん坊さんだな……」
「そうよ。結局ゴールデンウィークは全然会えなかったんだから、今日はその分甘えたいの。駄目?」
「いやでも。俺たちは仲間でありライバルな訳だし」
「そんなこと言って。この前のこと、忘れてないんだから。貴方の気持ちはわかっているつもり。ふふ。貴方が直接口にして聞かせてくれるのが楽しみで仕方ないわ。なんだったら……今でも構わないわよ?」
「いや……それは。今のままじゃ駄目だと思っててさ。ちゃんと実力で糸式を越えてから……改めて」
「もう。どうせ朝倉くんならすぐ私に追いつくわ」
俺の答えが不服だったのか、ぷくーと頬を膨らませる糸式。
俺としてはこの前の別れ際の暴走をしっかり反省し、自分なりの考えをまとめてきたつもりだったのだが。
やっぱ糸式はライバルというポジションに置いておくのが、個人的に一番燃えるのだ。
夢に出てきたジジイの件もあるし、ランキングを駆け上がるためのモチベーションは一つでも多い方がいい。
「まぁそれはいいわ。いつまでも待つつもり。でも……」
「でも?」
「この前みたいにぎゅーってして?」
「いや……流石にそれは」
「もう! 別にいいじゃない二人きりなんだから!」
「二人きりじゃないんだ」
「え……?」
俺は部屋の隅の白い棚の影に立つ人物に目線をやった。
糸式は俺の目線を追って、青ざめる。
そこには致死量以上の青春を摂取して死にかけの表情をした一年E組の担任、黒崎トオルが立っていた。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああ」
ガチで不審者を見たときの悲鳴が糸式からあがる。
「いいいいいつから?」
「俺と一緒に来たから……最初から……」
「そ、そんな……どうして。二人で居たのに会話してなかったの?」
すまない。このおっさんとの会話、3分くらいしか保たない。気を抜くとすぐ自分語り始まるし。
「うぅ……人前で……私はなんて……恥ずかしいいいい……うぅ」
糸式はブランケットを巻いてソファーに踞るイモムシになってしまった。
「あの……すみません先生。見苦しいものをお見せしてしまって」
「オマエラ……ツキアッテイルノカ……?」
かろうじて日本語としての体裁を保っていたが、カタコト過ぎてよく聞き取れなかった。だが、一応黒崎トオルはそのようなことを言った。
「いや、別に……」
「つきあってないいいいいいいつきあってなくてこれえええええええ!?」
「うるさっ!?」
「きょえええええきょえええええええ。きょきょきょきょきょきょきょきょ」
怖い怖い怖い。
発狂し床に転がった黒崎はまるで陸に打ち上げられた魚のようにビチビチ跳ねている。
そしてピタリと動かなくなった。
「し、死んだのか?」
「つらすぎる~
つらいつらつら
つらすぎる~
つらいつらつら
つらいつらすぎ~」
(意味)すごくつらい。
黒崎トオル(36)辞世の句
「死んだー!?」
辞世の句まで詠んじゃったよ。しかも5・7・5・7・7で。
「ほら先生。死ぬなら自分の家で死んでくださいよ」
「俺辛くでぇ゛……マジで辛ぐでぇ゛……」
『お困りでしょうか?』
黒崎の学園案内アプリが起動したようだ。
「若者が青春してるとこ見るとマジで辛ぐでぇ゛……」
『……。わかりました。お勧めの心霊スポットを検索します』
「待て待て待てーい」
せめて結婚相談所とかにしてあげて!
死んでからも仲間がいっぱいで安心だね♪ ってならないから!
とりあえずうるさいので、黒崎の足を掴んで引き摺って、職員室に捨ててきた。
後は大人の先生方、後始末をお願いします。
黒崎を破棄してきた俺は、会議室に戻る。
「いや大変だったな」
「……」
糸式はまだイモムシになったままだった。
「朝倉くん……」
「うん?」
「今後、ああいうのは控えるようにするわ」
「そうした方がよさそうだな」
こうして俺たちの関係は、ゴールデンウィーク前のような状態に戻るのだった。
でも、3歩進んで2歩下がる。
きっと変わったこともあるはずだと、そう思った。
***
***
***
西東京の某居酒屋では、七星学園の関係者二人が酒を飲んでいた。
「それで黒崎先生。朝倉澪里に関して、何か詳しい情報は……って飲み過ぎぃ!? だから君との報告会を居酒屋でやるのは嫌だったんだよ~」
初めこそ仕事仲間としての態度で接しようと思った古海理事長だったが、黒崎のフリーダムさを目の当たりにして、一瞬で学生時代のノリに戻ってしまう。
涙目になる古海理事長を無視し、黒崎はビールをジョッキで一気飲みする。
「ごきゅごくごきゅ……ぷはぁ。はぁ? 朝倉? あんなヤツは知らん! 俺に見えないところで末永く幸せになってろ。お姉さんっ! ビールおかわりぃ! ひっく。ふぅ。なぁ古海よ」
「なんだい黒崎……」
「俺たちの若い頃は『リア充爆発しろ!』なんてよく言ったもんだが、本当にリア充を見た俺の感想としてはこっちが爆発しそうだったぞ。半径5Kmを巻き込んで核爆発するかと思った」
「死ぬなら迷惑にならないように死んでくれよ……ってそれだけ!? 彼の魔法について何か聞き出したんじゃないのかい!?」
「知るかーそんなもん」
「ええええ!? 頼むよ担任だろう?」
「嫌だー! また関わって青春を食らったら俺は本当に死んでしまうぞ。それより古海。あんな希望溢れる若者じゃなく、お先真っ暗な俺の話を聞いてくれ。この前さーキャバでさー」
「あーこいつ使えねーマジでクビにしよっかなあ」
月曜日の夜からオールでおっさんとのサシ飲みに付き合わされた古海理事長は、朝倉澪里の調査はしばらく辞めておこうと密かに思ったという。
「あと朝倉くん。こんなん差し向けてごめん」
「お姉さんビール! でさー」
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