明るい娘とひねくれた娘の不穏なだけの百合導入

さかきばら

第1話

「……ってなわけで、これ、届けて欲しいの。私今日は早く帰」

「わかりました!」


 あたしは二つ返事で請け負いました。佐伯先生はちょっぴりぎょっとした表情をします。


「言いたいことが二つ。最後まで聞け。二つ目。なんで、とか聞かないわけ?」

「え? えーっと……旧校舎の音楽室にいる人に、こちらの段ボールを届ければいいんですよね? それくらいお茶の子さいさいです!」

「うわっ、眩しい……笑顔が眩しい……! 天真爛漫敬語美少女……!」


 地震も来ていないのに佐伯先生は机の下に隠れてしまいました。古めかしい繚乱女学院の職員室。由緒正しさとは縁遠い行いを見て見ぬふりする寛大さを、みなさん持ち合わせていらっしゃいます。


 佐伯先生は雨の日のもぐらみたいに(ホントはどうしているのか知りませんけど)、机の下から這い出てきます。彼女はえんじ色のロングスカートをパンパンと払いながら、


「安土さぁ……お人好しも結構だけど、もうちょい渋るとかした方がいいよ? 君のためを思って言うけど、みんな便利に使ってるだけだからね?」

「ですがみんな喜んでくださいますので、例え本心はどうあれ、あたしの行いは間違っていないものと信じます」

「……まー、安土がいいんならいいけどさ。私も頼んでる身さね」

「はい! では行ってまいります!」


 段ボールは両手で抱きかかえられるほど。ちょっと前にamazonで抱き枕を買いましたが、ちょうどその箱くらいの大きさでしょう。あたしはえっちらおっちらと両手で握り、職員室を後にしました。


「あ、中身が何か聞くの忘れてました」


 どうしましょう。万が一壊れものだとか入っていたら、それが駄目になってしまうと音楽室の人も悲しんでしまいます。


 職員室を振り返ると、佐伯先生の姿はもうありませんでした。昇降口の方を見やると、何やら急ぎ足で駆けて行っています。多忙な方ですので、何やら急用があるのかもしれません。あたしは彼女の無事を祈ると、旧校舎の方へ慎重に歩みを進めることにしました。





 繚乱女学院は、この令和の世にあるまじき『伝統ある女学院』です。大正ロマンや昭和レトロの芳香をそのまま継承したような校舎は、それだけで歴史的建造物としての価値もあるみたいです。


 とはいえ、その建物も建築法に引っ掛かってしまうくらいには古くなってしまっています。なんでも耐震工事をまだ施工していないだとか、床材が限界に達して一日に20件もすっぽ抜ける事故が多発したとか、禁断の恋で自殺した生徒と教師の地縛霊が出るとか……。


 種種雑多な理由で、新設された新校舎が主に使われているため、生徒としてはあまり歴史ある学校という印象は湧きにくいかもしれません。


 100メートルくらいある長い長い渡り廊下の先。三叉路を右へ曲がったところに、件の建築物はそびえていました。


「いつ以来でしたっけ……」


 確か入学初日に物珍しさから足を運んだ記憶がありますが、現在はほぼ使われていないこともあってか、結構埃っぽかったような。掃除してはいけないとのことでしたので、面白味のあるものではありませんでした。


 あたしはアメイジング・グレイスを歌いながら、ギシギシと軋む旧校舎を歩いて行きます。乾いた窓ガラスから差し込む柔らかな茜色が、手入れの行き届かないハウスダストをきらきらと浮かび上がらせていました。


 そこに姿見がありました。あたしの顔が映っています。亜麻色の髪を、二つ結びにした女が、段ボールを抱えて笑っています。


 あたしは鏡の中の自分に言いました。


「何笑ってんだよ。きめぇな。死ねよ」


 備品じゃなかったら叩き割ってやるのに。


 あたしはアメイジング・グレイスを再開しました。


 そのまましばらく進むと、やっと見えました。音楽室の表札です。段ボールはさほど重たくはありませんでしたが、それでもしばらく抱きかかえていると少し汗ばむものです。年始の寒さが薄れゆく、四月末というのも大きかったのでしょうか。


「……あれ」


 音色が転がっていくような響きがありました。ピアノです。それも鍵盤のちゃんとある、本格的なグランドピアノ。


 それは何度か音楽の授業で耳にしたことがある楽曲です。フランスの作曲家クロード・ドビュッシーの、亜麻色の髪の乙女。ドビュッシーと言えば月の光やベルガマスクの印象が強いので、あたしは思い出すのにちょっと時間がかかりました。


 言い知れぬ情動に突き動かされ、あたしはノックすることなく覗き込みました。何となく、この曲を弾いている人物を確認したくなったのです。


「あ……」


 それは木漏れ日に溶け込むような女の子でした。


 白い少女だ。そう感じます。純白です。未踏の雪原のような、あるいは処女のウェディングドレスのような、気高く純然たる白色でした。


 透明な目鼻立ちに、腰まで伸びる色素の薄い頭髪はあたかも銀を繊維状にして織られたかのようです。アメジストの瞳は鍵盤と細長い己の指を注視し、自分だけの世界に入り込んでいることがわかります。


 あたしは口を半開きにしていました。彼女から目を離せませんでした。

 やがて演奏が終わると、足から力が抜けてその場にへたり込みます。破廉恥な板材がたわんで、大きな音を立てました。


「誰?」


 大声ではないのに、よく通る声でした。ずかずかとした足音が近づいてくると、勢いよく扉が開かれます。天井の埃が落ちてくるくらいには勢いが良かったです。


 へたりこんでいるあたしと、眉根を寄せている純白の少女。


「……だれ?」


 少女は誰何し、あたしはようやっと身体の自由を取り戻しました。


「あ、え、あー……」

「……旧校舎に入り込んで、なに? 幽霊探しにでも来たの?」

「そ、そういうわけではないんですけどぉ……えっとぉー……」


 要領を得ないあたしに、少女は舌打ちしました。あ、舌打ちするような娘なんだ……と思いました。紫色の切っ先が傍らの段ボールへ向けられます。やがてあたしへ戻されました。さっきよりは柔らかな色彩を帯びているように思えました。


「佐伯先生から頼まれて、チューナーとクリーナー運んできたってこと? なら最初にそう言いなさいよ」

「あー……お、仰る通りですね。えへへ……」

「ありがと。佐伯先生からは私の方から言っておくから、あんたもう帰りなさい」

「え? え、えっとぉ……」


 段ボールを抱えてピアノの方へ戻ろうとするので、あたしは後ろ姿を呼び止めました。


「……なに?」


 不機嫌丸出しです。あたしは何かしてしまったのでしょうか。あたしの顔が生理的に無理というのであれば、もう麻袋を被るしかありませんが。


「いや、その」

「はっきり言って」

「奇麗な演奏……ですね」あたしは立ち上がりがら、頬をポリポリと掻きました。「あたし、音楽よくわからないんですけど、いい演奏だなって思いました」


 少女は半眼になって怪訝そうな目を向けてきます。いたたまれません。


「ありがと」


 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、少女は今度こそピアノへ歩みを進めます。少女が扉へ手をかけようとするのが、何だか心のシャッターみたいに感じ、あたしは慌てて言葉の接ぎ穂を探します。


「あ、あー! あの、ドビュッシーですよね!? クロード・ドビュッシー! 既存の演奏の概念を打ち破ったとされる破天荒な作曲家!」

「そうだけど? それが?」

「えと、えーっとですね……気を悪くしたならごめんなさい。あたし、その、ドビュッシーって言ったら月の光をイメージしていたので、亜麻色の髪の乙女って新鮮だなって感じて……!」


「ふぅん、弾いてる曲が珍しかったから奇麗な演奏って言って食いついたわけ? っていうか亜麻色の髪の乙女も十分メジャーだと思うわよ」

「そうじゃなくてですねっ! えー、あー……あのー」


 しどろもどろです。少女も呆れかえっています。適切な言葉が出てこなくて慌てふためくあたしに、少女は深く嘆息しました。


「……夏のコンクール目がけて練習しているのよ。課題曲、ドビュッシーのどれかだから」

「そ、そうなんですか。いつごろ開かれるんですか?」


「……なにこいつ」少女は小声で何か呟きましたが、あたしには聞き取れませんでした。「あんた何? 要は聴きたいの?」

「そ、そうっ! それですそれです!」

「うわっ」


 あたしは少女の手を握っていました。少女の目がまんまるに開かれました。


「惚れました!」

「はぁ!?」

「演奏に! 素晴らしかったです!」

「は、はぁ……」

「それでですねっ! あのっ! あのぉっ!」

「わ、わかった、わかったから! 離れなさい! 顔近いのよ!」


 胸元を強く押されてあたしは引き離されます。そこで自分がとんでもないことを口走っていたことに気が付きました。


 少女は少し警戒しているような様子であたしを見ています。


「ご、ごめんなさい……あんなこと、初めてで、つい興奮しちゃいました」

「あんた絶対猫とかには懐かれないタイプよね……」


 どうしてわかったのでしょうか。


 少女はしばし逡巡するような仕草を見せました。あたしと段ボール、そして昔使われていた椅子とが乱雑に積み上げられた一角を見やります。


 やがて何か観念したように言いました。


「……大きな声を出さない」

「え?」

「その直接的な感情表現もしない。大袈裟に喜ばない。演奏中とチューニング中、演奏終了から10分は私に話しかけない。守れる?」


 お母さんみたいな口ぶりで告げられる決まりごとの数々。あたしの胸の中に歓喜が広がっていきました。


「い、いいんですか……!?」

「だーかーら、それやめろっての……」


 少女は言いながらあたしに背を向けると、


「まあ、でも……あんた嘘吐いてないみたいだったから」

「うそ、ですか?」

「いんのよ。音楽の良し悪しなんてわかんない雑魚耳の分際で、他とは一線を画すとか、他の追随を許さないとか、適当な美辞麗句並べるバカヤロー共が」

「……」


 少し振り返りました。頬がわずかに上気しているのは、夕焼けのせいでしょうか。


「あんたの語彙は記者の連中に比べて遥かに拙かったけど、嘘吐いてなかった。だから聴いてていい。邪魔しないなら。それだけ」


 いてもいい。



 いてもいい!



「はぁぁ……!」


 それはなんと甘美な調べなのでしょうか。


 つまりあたしは、これから彼女の演奏を聴く権利を得たということです。立派なひげを蓄えたしかつめらしいおじ様方が値打ちをつけそうな彼女の演奏を、同じ教室という特等席で聴く権利を得たのですから、これは天地開闢に匹敵する凄まじい出来事に相違ありません。


「あのっ」

「なに……? 練習戻りたいんだけど」

「安土百合っていいます!」


 彼女は面食らったようにピアノにもたれかかりました。あたしは自分たちの構図に思い至って顔を引っ込めます。いけません、これではあたかも壁ドンではありませんか。


 少女はやりづらそうに前髪を弄りながら、


「梨音」

「りおん。素敵な名前ですね!」

「……塚越」


 少女はなぜか英語圏の名乗り方をしました。


「塚越さん、塚越さん! 塚越梨音ちゃん!」

「……あんま苗字好きじゃないから呼ばないで」

「あ、ご、ごめんなさい。つい……」


 実をいうと、あたしも自分の苗字には由来不明の生理的な嫌悪感がありますので、連呼は配慮が足りていませんでした。


 すると彼女──梨音ちゃんは、何か胡乱な目つきであたしをためつすがめつしています。


「……塚越」もう一度名乗りました。「知らないのね」

「え? ご両親が有名人とか?」

「……ふーん。じゃ、本当に本当なんだ」

「え? え? 何がです?」


「あんたが嘘吐きじゃないっていうの、本当なのねってこと」


 どういうことでしょう。何かあたしは疑われるような素振りを見せてしまったのでしょうか。疑問符を浮かべるあたしを尻目に、梨音ちゃんは鍵盤の前に座り直します。


 剣客が抜刀したような、空気が切り替わるような刹那がありました。

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