屍肉喰らいの冒険譚

HT

1.残飯食い

「おい、! ほら、たらふく食えよ~?」


 べちゃり。暗く貧相な洞窟の入口に、一切れの肉塊が投げてよこされた。

 骨も処理されずに残っている、おおよそ人が食べるものではないようなものだ。土で汚れているし、異臭もする。投げた村人も、揶揄からかうような半笑い。

 ただ、洞窟の住人は不平など口にしない。何故ならば、コレ以外に彼が食べるものはなかったから。


「……あぁ、ありがとう。良かった、飯だ」


 傷だらけの白い指先が、洞窟の中からゆっくりと伸ばされる。

 腐りかけているようなその肉を取り、口先へと運び……そして、咀嚼した。

 村の誰もが食べないようなものを食べ、誰も手を挙げないような雑用をして過ごす。それがこの青年、の一日だった。


『何だァ、テメェはまともに飯も食えねぇのか!? ハハッ、流石はあの女が生んだ子なだけあるぜ』


 イルが覚えている最初の記憶は、村の大人から掛けられたこんな言葉だった。

 彼が物心ついた頃には、両親は既に他界していた。それに、生まれつきのものだろうか。他の子どもが摂っていたような食事は吐き出してしまい、どんどんと体も弱っていったため、彼の村での立ち位置は鼠とそう変わらないものになった。


『おいイル! 今日も運んできてやったぜ、感謝しろよ?』


 住処はすぐに、村の外れにある洞窟へと追いやられた。

 どうせ死んでも構わないからと、食事は村での残りものになった。

 彼の歳がどうにか15を越し、それなりに仕事ができるようになっても、その扱いは変わらない。


『なぁ、イル? 今な、村の皆で賭けをしてるんだよ。お前が、もう一年の間に死ぬかどうかってトコなんだが──』


 たまに来る話し相手といったら、大抵はこんな具合だ。

 けれど、彼はそう絶望していたわけでもない。それが、生まれてこの方の日常だったのだから。

 楽しい記憶など無いのだから、幸せを望む方法も分からない。だから、彼の願いなんて一つだった。


「──いつか俺、普通のものを食べてみたいな」


 手近な切り株に小さく座って、村の逆側に広がる夜闇を望んで。

 乾き切った骨をかじりながら、残飯食いは仄かな願いを胸に抱いていた。

 偶然にも、今日は彼の17の誕生日。祝われた経験など無かったのだから、彼自身でも忘れかけている始末だ。


「……、か。だれ、か」


 けれど、運命のイタズラだろうか。

 少し離れた茂みが、がさがさと揺れ動いている。その向こうから、人と思わしき何かの声がする。


(食べ物か? いや、夕食はもう分けてもらったハズ……)


 ──余計なことは、しない方がいい。

 ぴたり。繰り返す毎日の中で染みついた教訓が、動き出そうとした彼の足先を抑えつけている。

 それでも、彼は前へと歩き出していた。理由は単純。村人だったら助けてやりたいし、であれば届ける必要があるからだ。


「こんな時間に来るってことは、ノッカか誰かだろうか。魔物にでも襲われたんだろう。待っていてくれ、今助けるから──」


 村で唯一の友人の顔を思い浮かべて、イルは茂みをかき分ける。

 枝葉を揺らして、夜の闇に目を凝らして。そうして彼は、ようやく漏れ出る声の正体を見つけた。


「──これ、は?」


 そこにあったのは、うめく肉塊だった。

 ぐずぐずになった肉と骨を剥き出しにして、鮮血を滴らせただった。


「……ダレ、か」


 辛うじて頭と胴、それに両足が判別できるぐらい。それも、足については根本から千切られたように歪なものだ。

 橙色の髪を除けてやれば、ぐちゃぐちゃになった目鼻や口が視認できる。声を出せている通り、辛うじて息もしているようだ。


「村に、届けるべきか」

「……ムラ、に?」


 村人ではない。この髪色は、村では見られないものだ。となれば、街からはぐれてきた人か、襲われた商人の類だろう。

 少なくとも自分の手には余るものだと判断し、イルはその瀕死の人もどきをだき抱える。そうして、ゆっくりと運んでいった。


「もう少しだ。もう少しすれば、君は──」


 洞窟の入口を通り過ぎ、小高い丘を越えて、村へと歩を進めていく。

 そして、ただ無表情で松明の灯りへと向かっていって──。


「──いや、だ。しにたく、ない」


 村へと入る一歩前。めらめらと燃える炎に照らされ、ソレの瞳と視線が合った。

 見たことのない、琥珀のような黄色の瞳。ソレの顔の中で、辛うじて原型を留めているのはその両目だけだった。

 だからこそ、そのひたむきな輝きからは分かってしまう。死を恐れる感情の色が、自分の形も分からないような膨大な痛みが、どうしても伝わってきてしまう。


「……あぁ。もしかして、分かっているのか。この村が、


 そこでイルは、はたりと足を止めた。

 松明の灯りは、変わらず二人をぼんやりと照らしている。

 しばらくじっと佇んでいれば、夜回りの村人がやってきたようだ。細長いを片手に、ぶっきらぼうに話しかけてくる。


「ケッ、イルか。あっ、また探索者崩れが迷い込んだか?」


 門の向こうにいるのが誰か分かった途端、その大人の態度は粗雑になった。

 片手に持った何かをかじりながら、彼はイルへと怪訝けげんそうな視線を向けている。


「……いや、そういうわけでもないよ。ただ、水汲みがまだ終わっていなかったから」

「何だ、とっととやっとけよ?」


 この距離ではうっすらとしか見えていないから、咄嗟に誤魔化せはしたようだ。

 興味もなさげに、その村人は門から離れていく。細長い何か──を、まるで焼き菓子か何かのように喰らいながら。

 柵の向こうに目を凝らせば、幾人かの人間たちが焚火であぶられている。微かに響いてくる悲鳴から、生きたままそうされているのだろう。


「──そうそう、女が来たなら言ってくれ。いや~、女の足は美味ェからなァ」


 そんな去り際の台詞を聞いても、イルは眉一つ動かさない。

 周囲から村人がいなくなったのを見ると、彼は静かに自分の洞窟へと戻っていった。

 まだ息のある何者かを、わらの寝床へゆっくりと寝かせる。水や薬草を採りにいこうと立ち上がる間際、イルは小さく呟いた。


「……ごめんよ。君も、運が悪かったね。ここでは、人を喰うんだ」


 ここは、地底世界の端の端。迷い込んだ人々を生きたまま喰らう、人喰いの村。

 その中で、村から出た残飯を……つまりは、人の屍肉を食べるはぐれ者。それが、残飯食いのイルだった。

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