日中と夜間とでは空気の質が異なる
来場者特典として、四人が集まったアクリルボードを頒布される。
といっても無料で配られているものなので、直径5cm程度の小さなものだ。とはいえファンには垂涎のアイテムらしく、春風は口元を綻ばせながらニコニコと眺めていた。
内容は語るべくもない。だって既に何回も観に来ているから、ストーリーはおろか演出まで見覚えがあるレベルになっていた。
映像を5~6回眺めるだけでここまで記憶することが出来るのなら、どうして教科書を何回か流し読みするだけで内容を把握できるようにならないのだろう。答えは情報量が桁違いだからです。
最後の文化祭ライブのシーンで春風はいつも泣きそうになっていた。
とはいえ俺もこれまでより内容がわかる。本来ならこの後に曲はなかったのと、エンディングのカバー曲も新しいものへ差し替えられている。
こういう風に細かい違いを探すと、オタクと呼ばれる人種の気持ちもぼんやりと理解できるような気がした。
「んーっ……」春風は目をつむって体を伸ばす。古本屋で本を運んでいるからか、肩がポキっと小気味よく鳴っていた。
とりあえず映画館の近くのベンチに腰かける。俺だけ立っていたので、目の前の自販機でジュースを二本見繕った。「ありがとぉ」と春風はふにゃりと笑った。
「うーん、やっぱりブルーレイ買おっかぁ……」
「いいんじゃない。初回限定版とかあるだろ」
「あるよー? なんと本編だったらね、使用された楽曲のフルが特典だったこともあったの」
「マジで」
俺も日本人なので、初回限定特典とか限定生産みたいな言葉を眺めるとわくわくしてしまうタイプだ。
春風はそれが特に顕著で、よく衝動のまま購入しては後悔していた。自分で稼ぐようになってからは収まってきているけれど。
「……」
由紀ちゃん先輩は、春風が油断しきったタイミングでかませと言っていた。
ひょっとして今じゃないかと思うが、かといってあまりにも文脈のつながりが乏しいと不可解に思われかねない。
「……」
「春風?」
アクリルボートをくるくると弄っていたかと思いきや、さっきと同じ構図で俺を見上げていた。
「どうしたんだよ」
「うぇっ!? あ、な、なんでもないよ?」
「なんでもなくない反応だろ。なんかあるなら遠慮なく言ってくれ」
「り、リップクリームとか塗った?」
「いや乾燥したならたまに塗るけど、いま春だし」
「そ、そうなんだ……」
なんだったのだろう。もしかして唇が切れているのかと思って内側に巻き込んでみるが、そういう傷みたいなものはなかった。
いや待てや。春風が男の唇というどこに需要あるのかよくわからない物質を注視していた意味を考えろ。
去り際、由紀ちゃん先輩は文字起こしすると面白くなっちゃう感じの笑い方をしていた。あれは俺たちを面白がっていたものだろうが、それ以外にも腹蔵あったのでは?
つまり彼女が春風にも俺と同じようなことを吹き込んでいたとしたら?
「……」
「ゆ、ゆーちゃん?」
「俺帰るわ」
「ええ!? なんで!? いてよ!」
隣に座らされる。今のは俺が頭おかしいので仕方ない。
「ど、どどどどどうしたのゆーちゃん。こ、こんなどん兵衛とアニメのことしか考えていない女嫌になった? 破局?」
「いや慣れた……気にするな……」
「そ、そうなんだ。ん? 慣れた? え? 問題だとは思ってるってこと?」
「いや帰りたいんじゃなくてな、その、なんだ、この間の春風的なニュアンスというか……」
「ねーねーゆーちゃん。私のこと頭おかしいって思ってるってこと? そ、そんな変な子かな。割と普通だと思ってるんだけど」
「アメリカでは落ちてるハンバーガー拾って食べて病気もらう奴とか平然と存在しているから、世界規模で見たら春風は普通だ」
「そ、そうなんだ。うん、私普通だよね! うんうん!」
こいつは俺が養わなきゃいけないという使命感を燃やした。
とりあえずその場を離れてから昼食としゃれ込む。
さっきの仮説をあてはめてから春風の様子を観察してみると、確かになんかじっと見つめてくる回数が多いような気がした。
付き合いたて独自の微笑ましいセンテンスかと先走ったが、春風特有の口元をもごもごとさせる動きを伴っているので、つまりそういう意味合いだとわかってしまった。あの野郎。人を操って遊んでいるから永遠に脱色できないんだよ。
咳払いの回数が増えた。
「っていうかサイゼでよかったのか? 俺出費少ないから無駄に金あるぞ。何ならバイトも始めるぞ。足使わなければいけるから」
春風がチョイスしたのは高級そうなフレンチでもイタリアンでもなく、その気になれば放課後でも行けそうなチェーン店だった。
「いいよ。家庭料理とジャンクフード、インスタントで育った人間だから。難しい味わいとかわからないし」
「俺としては助かるけど……」巻き付けたカルボナーラを咀嚼する。「やっぱ、もっと良いものねだってもいいけどな」
「……んー、なんだろ、ちょっとずれてるかも」
「ずれ?」
「うん」
春風はドリンクバーで合成したメロンコーラを飲み干す。甘すぎたのかうぇっと顔をしかめた。
「前々から一緒にいたわけでさ、それこそ子供の頃から」
「ああ」
「だからその、今さら肩肘張るのとか嫌かなって。性格悪い言い方になるかもだけど、お金とか特別な体験とか……そういうのを求めるんだったら、そもそもゆーちゃんのこと好きにならなかったと思うし」
「……そっかぁ」
普段通り勢いよくカルボナーラを完食すると、店員を呼んでデザートを持ってきてもらうことにする。同時に立ち上がって、春風の分のドリンクバーも持ってきてやることにした。
両手に液体を携えて戻ると、春風は少し縮こまっていた。
「お、怒った? 色々、その、髪型とかやってくれてたみたいだし」
「いや、それもそうだなって思った。年がら年中一緒にいるのに、わざわざカップルとか幼馴染とか気にすんのクッソ疲れんなって」
メロンコーラはダメそうだったので、お口直しにアイスコーヒーとガムシロップだけもらってきたのを渡してやる。春風は自然に微笑んだ。
ただ直後にそれは倒れる。僅かに青春っぽい方角へ。
「で、でも、その、カップルではあるわけだよね?」
「え? あ、ああ。まあそりゃ」
「うん。だから、その、ね? うん、無理に頑張る必要はお互いないけど、それでも関係性の変化は厳然としてそこに存在するわけで」
「そうだな」
「だからそのあたりの宥和政策をどうにか帳尻合わせていきたいなっていう意思が、私にはあるわけです」
両手で覆うようにアイスコーヒーを握って、きょろきょろと俺を見上げてくる園宮春風。
バカ騒ぎしている中学生の群れが入ってきたので、俺たちは示し合わせたようにサイゼリアを後にした。
その後はスポッチャで軽く汗を流す。
軽めのアミューズメントに打ち込んでいる最中は普段通りでいられるけれど、外へ出ると途端に前までと現在との境界線を意識する。
それは水を含んで膨らんでいく緩衝材のように、俺たちから逃げ場を奪っていくように感じられた。
そういうわけで俺たちは若干ギクシャクしながら相良モールを遊びつくし、駐車場へ出ることには肌寒い風が顔に吹き付けるくらいの時間帯になっていた。
昼間とは少しにおいの質が変わって、どこかぬかるんだ夜独特の空気になっている。だけど思い出すのは園宮家の人間とコストコまで出かけたあの日の記憶なので、そのアンバランスで困惑する。
「夜になりましたねぇ」
「そうだな」
「う、うん……」
だからこそ、今隣に歩いている春風が恋人であるという事実が沁み込んできた。
モールから少し離れて国道沿いに出ると、植え込みに切り取られたハイビームが春風を照らした。しばらく釘付けになった。
「手とかつなぐか」
「うぇぇぇぇっ!?」
春風は髪を振り乱して叫んだ。うす暗闇でもわかるほど、頬に朱が差している。
「どうだろう」
嫌だったら良いと言おうとしたのを寸前で堪えた。春風は嫌がらない。飲み込むのに時間がかかるだけだ。
春風は一時立ち止まって、自分の足元とか指先とかボーリングで少し乱れた頭髪とかをひとしきり意識すると、まなじりを決して言った。
「つなぐ……」
「ありがとう。嬉しい」
まるで爆弾でも処理するようにおっかなびっくり差し出してくるので、不謹慎だけど苦笑してしまった。
この女の子はいつだってそうだ。臆病なくせに勇気はある。
だけど持久力がないから、途中で格好悪くふにゃふにゃになる。
俺は力強く恋人の手を握った。春風は肩を震わせたが、しばらくすると大人しくなっていった。
キスは無理だけど、でも恋人らしいことをしたいという春風の希望。
二つをすり合わせると、まあこれくらいが妥当じゃあないだろうか。
「ま、待ってよ」
春風の声じゃなかった。
俺たちはそろって振り向いた。
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